FFI編 第三章
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監督が紹介した新しいマネージャーは、雷門中学の人間には見覚えのある少女だった。薄紫色のロングヘアをハーフアップにした少女。彼女は久遠冬花といい、久遠監督の娘だという。
可愛らしく儚げな印象で、守ってあげたい女の子というイメージがぴたりとあうその少女は数日前、雷門中のグラウンド端でサッカー部の練習を眺めていた少女と同一人物であった。そして円堂はこの子をフユッペと呼び、幼馴染だと言い張っていたが、冬花は円堂のことを全く知らないようだ。落胆する円堂を染岡が”サッカーの守くん!”と茶化していたのは記憶に新しい。
花織は彼女のことで一つ疑問があった。円堂が彼女を幼馴染だと言い張るのなら、風丸もまた冬花と知り合いなのではないだろうかと。円堂と風丸は幼いころからの付き合いだというのだから。
気になった花織はその日の帰りに風丸に聞いてみたのだが、風丸は”フユッペと円堂が呼んでいた女の子に確かに似ているが、苗字が違う”という肯定も否定もしない言葉を返した。風丸曰く、円堂ほど仲が良かったわけではないとのことだ。
かくしてマネージャー同士の挨拶を済ませ、花織たちはグラウンドへと出た。とうとう日本代表としての練習が始まったのだが……。今回の監督もまた何とも癖の強い人であった。
まず久遠監督は今のイナズマジャパンでは世界には通用しないとはっきり言い放った。その言葉に戸惑う選手たちに追い打ちをかけるように”お前の力など吹けば飛ぶ紙切れのようなものだ”断言した。そして地上最強のチームでは主力であった円堂、豪炎寺、吹雪、鬼道をレギュラーだとは思っていないと言い切った。要は、試合に出たければ死ぬ気でその座を勝ち取れということらしい。
口答えは一切許さない。お前たちは私の言うとおりに実行することを考えていればいい。
花織は監督のその言葉に既視感があってどうにもそこには共感することができなかった。それでも完全な実力主義、今までの経歴を一切気にせず、実力でレギュラーを選ぶという方針はチームが強くあるためにいい方法なのかもしれないとも思った。
そしてさすが、というべきなのか。今までの監督の中で久遠の指摘が最も厳しいと感じた。壁山には守ることだけしかできないディフェンスはチームには必要ないと叫んだ。そして鬼道の指示で土方にパスを送った風丸にも、なぜ土方にパスを出したという怒号を浴びせた。鬼道の指示がなければお前は動けないのかと。
風丸が注意されているとき、花織は自分まで怒られているような気持ちになった。確かに、自分で判断し行動することはプレイヤーとして何より重要なことだと思う。それでもあの場面は、風丸は三人に囲まれていて咄嗟の判断をしにくい状況にあった。その中でチームの司令塔から指示を貰い、行動に移すのがそれほど悪いことだろうかと思ってしまった。たぶん花織が風丸の立場にいたとしても、きっと鬼道の指示に従った。
花織はぎゅっと胸元に抱えたノートを握る。でもそれではだめなのだろう。チームが世界で勝っていくためには個々のレベルアップが必要不可欠で、今のままの現状に妥協していては強くなれない。花織は風丸を特別視しているから彼を擁護してしまいがちだが、久遠の言葉は決して間違いではない。
立て続けに厳しい言葉を重ねられ、練習が終わった時には選手たちはクタクタだった。風丸も監督に言われたことを気にしているようで心なしか元気がない、というよりもハードな練習に疲れているようだった。風丸と話したいと思ったが、練習の後もずっと食事の準備や色々な片付けに追われていて中々声を掛ける時間がなかった。
だから消灯一時間前、花織は風丸の部屋を訪ねることにした。キャラバンに乗っていた時は移動時間がたっぷりあり、いろいろな話をすることができたが、この合宿ではそうはいかない。綿密に決められたスケジュールを選手もマネージャーもこなさなければならない。
夜、女子が男子の部屋を訪ねる。あまり良いことではないのかもしれないが、それでも花織は風丸と話がしたかった。今日の練習がどうだったのかを聞いて、今後彼のために役立てる何かをしたい。贔屓、と言ってしまえばそれまでだが、花織にとっては風丸がやはり大事であり、何より彼には前科がある。
花織は静かに廊下を歩き、風丸の部屋の前に立った。選手とマネージャーにはそれぞれ個室が与えられている。選手たちは二階と三階の部屋を、マネージャーは四階の部屋を使っている。原則的に選手がマネージャーの部屋を訪れるのを禁止するためだ。
もしかしたら、部屋にはいないかも。
ふと過った考えに扉を叩こうとした花織の手が止まる。今は選手たちの自由時間だ。友人と遊んだり語らったりするために彼は他の誰かの部屋にいる可能性がある。いや、この部屋に誰かを呼んでいる可能性も。
それぞれが友人と一緒にいる時間。そういう時間は互いに尊重するようにしている。花織が秋たちと語らう時間を風丸は邪魔しないし、花織も円堂たちと語らう風丸の時間を邪魔したくはないと思っている。
とりあえず、ノックしないことにはわからないか……。
花織は弱めに扉を叩いてみる。そして小さく彼の名前を呼んだ。中でパタパタと音がする。十数秒の間に、部屋の扉が開いた。
「はい。……ああなんだ、花織か。急にどうしたんだ?」
どうやらノックの音は聞こえたが、花織の声は聞こえなかったらしい。風丸は部屋から顔を出し、花織の姿を視界に捉えて目を見開いた。部屋の中から声はしない、どうやら一人のようだ。
「特に用はなかったんだけど……。ちょっと、会いたくて」
少々口ごもりながら花織が呟く。会いたい、なんて今まで何度も使ってきた言葉なのに少し気恥ずかしく感じた。それは今日一日中ずっと顔を合わせていたのに、風丸を恋しく思ってしまう自分を恥じた感情からかもしれない。
もちろん恋人のそんな言葉を風丸が嬉しく感じないわけはない。素直すぎる彼女の言葉に一瞬動揺したが、彼は花織に優しく微笑み、花織の手を引いた。
「ここじゃ何だから、入れよ」
風丸に手を引かれて花織は部屋へ入る。合宿が始まったばかりからかもしれないが、彼の部屋は整理整頓がされていて、散らかっているところは全くなかった。花織と風丸はベッドを背もたれに隣り合わせで床に腰を下ろす。花織は自分の心臓が少しずつ早くなっていくのを感じた。いつもふたりでいるはずなのに、隣に座る彼の温もりだったりシャンプーの匂いをいつもより強く感じて妙に緊張するのだ。
「ごめんね、疲れてるのに急に押しかけてきちゃって」
「構わないさ。俺も花織と話したかったから」
屈託なく笑って、風丸は花織の手を握る。どき、と花織は心臓が大きく脈打つのを感じた。手なんていつも握っているはずなのに、なんだかすごく胸が苦しいような気がした。そんな自分の感情を誤魔化すように花織は言葉を紡ぐ。
「今日の練習どうだった? 見てる感じ、すごくハードだったから」
「ああ……。確かにちょっとな」
風丸がすこし疲れたように笑う。花織はその表情から彼がやはりいつもよりも疲れていることを悟った。
「でも世界で勝っていくために必要なことだ。やるしかないさ」
それでも彼は前を見据え、頼もしく笑う。それは確かに彼の心の成長を感じさせた。以前後ろ向きになってすべてに絶望した彼はもういない。花織も風丸につられて笑顔になった。そして何よりここまで頑張る彼のために自分にできることがないかを頭の中で巡らせる。
今まではずっと、どうやったら一緒に走れるかを考えてきた。もちろんこれからも風丸と一緒に走っていきたいと思う。でも今は、彼が世界の舞台で走れるように最高のサポートをすることがマネージャーとして、彼の恋人としてできることではないだろうか。花織はそんなことを想う。
「私にできることなら何でもするよ。一郎太くんのためになるなら、なんでも」
花織が風丸にやわらかく微笑む。風丸も花織の顔を覗き込んで笑った。そしてゆっくりと花織のほうへと手を伸ばす。
「ありがとう。でも無理はしないでくれ。ただでさえマネージャーも大変なんだから」
「無理じゃないよ。自分でやりたくてやってることだから」
花織は自分の頬に触れた風丸の手に触れて目を伏せた。私は本当にこの人が好きだ。この人のためなら何だってできる。だからもっと役に立ちたい。そして少しでも傍にいたいと心からそう思った。
穏やかな時間が流れていた。だがそれを遮るように学校のチャイムが鳴る。この宿舎は一応元学校であるため、鈴がなるのだ。起床時間の朝六時、消灯時間の二十二時の一日二回。今の鐘は消灯時間を告げるものだ。
「もう部屋に戻らなきゃ……。明日も頑張ってね、一郎太くん」
風丸の手を離し、花織はゆっくりと立ち上がる。その横顔はどことなく寂し気で、名残惜しさが滲んでいた。胸にはどうしてか込み上げるような痛み。明日もまた一緒なのになぜこんな気持ちになるのだろうか。
「花織」
気持ちを覆い隠して靴を履き、部屋を出ようとする花織を風丸が呼び止める。彼の声に花織が振り返れば風丸は花織の肩に手を置いて顔を寄せた。不意打ちとも呼べるその一瞬の行為に花織は少し驚く。
「一郎太くん……」
「おやすみ。明日も頑張ろうな」
普段と変わらない言葉と彼の姿。それだけで花織は心まで満たされて思わず泣きそうになってしまう。それをこらえて花織はおやすみ、と彼に返し彼の部屋を出た。廊下の明かりが既に落とされていて非常灯だけが付いている。花織は力が抜けたかのように風丸の部屋の戸に背を預けて持たれかかった。
「……」
そっと彼が触れた自らの唇に指を這わせる。締め付けられるように胸が苦しくて、息を吐くのもつらい。何がこんなに胸を締め付けるのだろう。雷門に入学してきてからずっと。何度も離れかけてしまったけど、一緒なのに。きっとこれからもそうであるというのに。幸せで満たされているはずなのに……。
どうしてこんな気持ちになるんだろう。