FFI編 第二章
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風丸と別れ、帰宅した彼女は早々に誓約書に記入をした。決心したのだからこの気持ちを曲げるつもりはない。両親には多少反対されるだろうが、このチャンスを逃せばもう二度と代表選手達と日本を背負って戦うことなどできないはずだ。とにかく両親が帰宅するまでに説得内容を考えておかなければならない。
心が決まってしまうと今度は風丸の事が心配になってきてしまった。そう、風丸が選出されるかどうかだ。もちろん風丸のスピードを信じているが、呼ばれているのは日本トップレベルの選手ばかりのはず。百パーセントとは言えないだろう。
落ち着かない心を落ち着けるために、彼女はいつも通りの行動をとることにした。彼女の日課のランニングである。部活終わり、サッカーの練習終わりには基本的に5キロのランニングをすることにしている。風丸と練習をするのだから、十分な体力が欲しいのだ。ジャージに着替えて髪を結う。そして軽い準備体操をして彼女は走り出した。
なるべく灯が多く、人通りの多い場所を選ぶ。彼女が住んでいる住宅街から商店街の方面へ、そして河川敷を抜けて雷門中の前を通り自宅に戻る。彼女の考えたランニングコースだ。
ポニーテールにした黒髪が走るたびに揺れる。やはり走ることが好きだ。短距離で一気に風を感じることが一番であるが、こうやってゆっくり走るのも悪くないと思う。特に夜に走るようになってからは今まで見なかった星空やさり気無い景色を見ることでリフレッシュにもなる。
いい調子。一定のペースで体力を調整し走る。まだ余裕があるからもう少しペースを上げてみようか、そんな事を考えた彼女の足はとある人物を捉えて止まった。その相手も花織の姿を見て足を止める。
「花織」
ドレッドヘアにゴーグル、そしてマント。あまりにも特徴がありすぎる彼は鬼道有人。雷門の司令塔で天才ゲームメイカーと呼ばれる。もちろん代表選考にも呼ばれ、風丸の所属するBチームのキャプテンを務めることになった。花織にとっては風丸とは違う意味で深く繋がっている人物である。
「鬼道さん……」
上がった息を整えようと花織は静かに呼吸を繰り返す。鬼道は少し顔を顰めて花織を見た。そんな些細な表情の変化で花織は鬼道がいつもと違う雰囲気であることを悟る。少し、彼の機嫌が悪いような気がした。
「一人で自主練か? ……もう暗いのだから早く家に帰れ」
鬼道が低い声で呟く。過保護な発言は相変わらずで花織は少しだけ苦笑した。
鬼道有人は花織の初恋の人だ。そして鬼道有人にとって花織も。
二人は一年のころ帝国で出会い、互いに惹かれあった。花織にとって風丸が雷門での生活とサッカーの全てであるならば。鬼道有人は帝国での生活と陸上、そして何より月島花織の基盤だ。花織は鬼道の存在があったから努力を覚えたのだから。
雷門に転校してきたころ、花織は鬼道に憧れ、彼に恋をしていた。今でこそ、その気持ちはないが彼を尊敬する心と信頼は変わらない。花織にとって誰より頼りになる人物で、花織は何かと彼を頼ってしまうことが多い。
逆に鬼道が花織に抱いている感情はあの頃から変わっていない。花織の親友としてのふるまいを見せ、風丸と花織を応援しているが、内に秘める感情はより一層強い。だからこそこんな風に花織に対して過保護とも呼べる言葉を掛けるのだ。
「ちゃんと防犯ブザー持ってますから。それより鬼道さんはこんなところでどうしたんですか? まだ一度もお家に戻られてはいないようですし……」
「監督のところに行っていた」
鬼道の表情が影を落とす。花織はすぐにその理由を察した。なぜなら選考試合のチーム編成を発表された時の鬼道はいつもの落ち着いた様子ではなかったからだ。その理由はチームメイトにある。
「……不動くんのことですね」
「ああ、監督が何故アイツを代表候補に選んだのか、俺には理解できない」
名前を聞くのも嫌だというように鬼道は顔を顰める。花織も鬼道の気持ちが分からないでもない。花織自身も不動に対していい印象はない。恐らくイナズマキャラバンに参加し、彼を知るものはきっとそうだろう。
それでも……。花織は鬼道を見つめる。鬼道が不動に抱いている嫌悪はあまりにも強い。チームメイトの中では大人で、落ち着いている彼がこんなに声色と表情に出してしまうほどなのだから余程の事なのだろう。
「少し座りませんか? 私でよかったら話を聞きますよ」
花織は鬼道に微笑みかける。結い上げられた彼女の黒髪がさらさらと夜風に揺れた。その表情からは鬼道だけに向けられた心配が浮かべられている。彼女の背後に映る満天の星空は彼女の存在を引き立てる。今まで走っていて汗をかいて、髪も乱れているはずなのにそれでも彼女を美しいと思う。尖り続ける鬼道の心を静かになだめようとする。少しだけ彼の表情が柔らかくなった。
「……ああ」
ふたりは河川敷のグラウンドへ降り、傍のベンチに腰掛ける。川の水面がきらきらと月明りに照らされて輝いている。並んで座る二人の距離は花織が風丸と掛けて座る時よりは遠く、秋たちと談笑する時よりは近い。
「使うといい、俺は今日使ってないからな。……この季節だとはいえ、夜風は少し寒い」
鬼道は自分の荷物からタオルを取り出す。鬼道の言う通り確かにとても暖かい気候だが、夜になると少し冷える。汗をかいたままにしておいては風邪を引いてしまうかもしれない。花織は有難くそれを借りることにして鬼道に礼を言う。気にするなと鬼道は固かった表情を崩し花織に微笑んだ。だがすぐに花織から目を逸らす。
「お前はアイツを日本代表に相応しいと思うか?」
単刀直入に鬼道が花織に尋ねた。花織は黙ってうつむいた。
鬼道がここまで日本代表候補に呼ばれた一人、不動明王を疎むのには理由がある。嫌味な性格も理由の一つだが、もちろんそれだけではない。
「あいつは佐久間と源田に大怪我を負わせた。お前にも危うく怪我を負わせようとした」
不動明王は真帝国学園のキャプテンだった。影山零二のもとで佐久間、源田の劣等感を刺激し鬼道と対立するように嗾けた。それだけではない。鬼道を見返すためだと唆し、肉体に破滅を及ぼすとわかっていて禁断の技を使わせた。結果、佐久間と源田は大怪我をした。特に佐久間は自力では立ち上がることもできないほどの怪我だった。瞳子が紹介した最新鋭のメディカルセンターでの治療がなければ今回の代表選考にはきっと間に合わなかっただろう。
「俺はアイツに日本代表になる資格があるとは思えない」
鬼道はきっぱりと言い切る。花織は鬼道の言葉に困ったように眉根を寄せた。鬼道は不動を毛虫のように嫌っている。花織も不動のことは正直好きに離れない。いい思い出がないからだ。それでも鬼道は頭ごなしに不動を否定しすぎではないだろうか。
「確かに私も……、あの人が日本代表に相応しい人格者だとは思いませんけれど」
鬼道の表情を見ながら花織は言葉を選ぶ。
「それでも、サッカーの実力は認めざるをえないかと。真帝国戦での不動くんのボール捌きは高い技術力がなければできません。選考に呼ばれるだけの実力はあるかと」
あの試合での不動のプレーを思い返す。鬼道と並ぶほどのボールコントロール能力。そして不動は実質鬼道と同じゲームメイカー。人を煽る言動ばかりだが、その言葉回しは彼が聡いことを示している。かなりの実力者であることは確かだろう。だが鬼道はそれでも苦い顔をしている。
「……サッカーはチームスポーツだ。個人の能力が高くてもどうにもならない」
「鬼道さん」
「それに俺は不動と上手くやれる自信がない」
鬼道が俯く、花織は目を見張った。不動を否定する鬼道のこぶしが微かに震えていることに気が付いたのだ。花織は鬼道を見つめる。
「どうしても影山を思い出してしまうんだ」
今もまだ囚われているのだ。花織はそう思った。真帝国の一件のあと、鬼道の心の内を聞いた時彼は言っていた。幼いころから影山にサッカーを教え込まれてきたと。そして影山は鬼道を自分の最高の作品だと言っていたと。
鬼道は影山と決別したと言い切る。それでも今でも彼は心のどこかで影山零二の作品から抜け出せていないと感じるのだろう。
「ずっと影山の呪縛から逃れられないのかもしれないな……」
呪縛という言葉がまさに相応しい鬼道の心情。確かに鬼道のサッカーは影山零二の教えによるもので、少し前までは鬼道は影山の操り人形だったのかもしれない。でも今は決して違う。
「鬼道さん」
花織が震える鬼道のこぶしにそっと手を添える。柔らかで温かな、鬼道よりも小さな手。鬼道はハッとして花織を見た。花織は微笑み、鬼道を見つめている。彼女の黒い瞳に映るのは自分。
「総帥と決別すると決めたのは鬼道さん自身ですよ。貴方はあの人の支配から逃れようともがいている。今も付き従うのならともかく、鬼道さんは今、自分の意志でサッカーをしている」
爽やかな風が花織の黒髪を揺らす。さらさらと流れる美しい髪。鬼道はその少女を見つめ、添えられた手を強く握った。そう、彼女こそが鬼道の初めての影山への反逆。燃えるような恋心は影山の支配下にあっても揺らぐことは無かった。花織はそれを知っている、だからこそ鬼道が一人の人として生きているのだとわかっている。
「たとえ不動君が総帥の教えのもとにあって、総帥の考えに従っているのだとしても。……鬼道さんは違う、それじゃいけませんか?」
提案するように花織が鬼道に語り掛ける。鬼道は思わず苦笑した。この女には適わない。心の中の蟠りがどうなったわけでもない。だがそれでもこの女に自分の存在を認めてもらえれば、少しだけ気分が楽になった気がした。
「そうだな……」
「それに不動くんがチームに相応しくなければ、代表選手にはなれないはず。選ぶのは鬼道さんではありません。だから鬼道さん自身のために、今は代表選考試合に向けて全力で向かうべきです」
鬼道さんなら間違いなく選ばれると思いますけどね。と花織は笑う。その表情には心からそう信じているのだという信頼が滲んでいる。鬼道はじっと花織を見つめる。今でもこの女を想う気持ちは変わらない。報われないとわかっていても、特別な気持ちは薄れない。それはやはり何度だってこうして自分を宥め、優しく諭してくれるからだろう。何度でもこの女に恋をしている。
「……同じことを言われても、お前にかけられる言葉はやはりちがう」
「え?」
鬼道が静かに立ち上がる。握りしめた花織の手を静かに離した。この手に触れる資格はないのだと思っても、どうしても彼女から差し伸べられる手を拒むことはできない。彼女が友人として接してくれているのだと理解していても、彼女がここまで自分を心配してくれるのは何か特別な感情があってのことではないかと期待してしまう。
「円堂にも同じことを言われた。今は目の前の試合に集中すべきだと。だがそれでも納得できなかった」
「……」
「俺はやっぱり不動と代表に選ばれた人間だと認めることができない。……それでもお前に話を聞いてもらえて、少しだけ気が楽になった」
鬼道は微笑む。代表候補を発表されてから、ようやくやわらげた表情をみせただろう。花織も鬼道につられて笑う。
「ありがとう、花織」
「いいえ。私には話を聞くことしかできませんから……」
ふたりは信頼しあっている。それは恋情や愛情を越えてまた別のものだ。
「家まで送ろう。……明日からよろしく頼む」