ep: 鬼道有人に愛を込めて
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あの日俺は、俺自身にとって少々残酷なお前の願いを結局引き受けた。……お前の想いを俺は悟り、俺の想いをお前は知っていた。だからこの役を俺にひとりで頼みに来たのだとすぐに分かった。良い機会かもしれない、そう思いお前の幸せを祝福する言葉を昨日の夜中まで掛かって練り続けた。そして長い間抱き続けていた、お前を想い慕う気持ちを断ち切る覚悟を決めた。
今朝、お前と、そのお前の隣に立ち続けるアイツの祝福の為と礼服を身に着け、ネクタイを締めた時にはこの日を迎えた覚悟は出来ていたつもりだった。だがお前の晴れ姿を、そして誰よりも幸せそうに笑顔を浮かべるお前を見ていると言いようのない、言い表せない気持ちが俺の中に込み上げたのだ。これ以上この気持ちを持って、あの場所にいることなど今の俺にはできなかった。
あんなに覚悟を決めたつもりだった。だが俺自身どうにもできない、断ち切れない未練が心の底には在ったのだろう。やはり自分の情けなさを笑うしかない。今までずっと愛し続けた女の幸せを素直に祝福できないとは自分でも思いもしなかった。だが本当にそれだけ、ここまで来ても諦め切れないほど強く、長い月日の間、俺はお前を想い続けていたのだ。最終的にお前が選んだ、アイツよりもずっと前から。
俺は今でもお前に心惹かれた、もう十年以上前の瞬間を鮮明に覚えている。まだ帝国学園に入学したてだった頃のことだ。いつものようにユニフォームに着替えた俺はピッチに向かおうとしていた所だった。サッカーグラウンドの半分ほどしかない練習場で、お前の走っている姿を見た。
長い黒髪を靡かせて美しく、だが力強く地面を蹴って、何物も寄せ付けないような速さでフィールドを駆けぬけていた。綺麗だ、その感情以外を感じる事ができなくて俺はお前に見惚れていた。あの瞬間から俺はお前に心惹かれていた。
お前と初めて話した時の事もはっきりと覚えている。初めてお前を見た日からそう時間も立たない数日後のことだった。お前は俺がピッチの外へ追いかけてきたボールを抱えて立ち尽くしていた。やはり美しい黒髪を靡かせて、不思議そうに自分の元へ転がってきたボールを見つめていた。俺が名前を呼べばお前は笑った、その笑顔がどれだけ俺の心に響いただろう。先日、あれほど凛とした様子だった少女がこんなに愛らしく笑うのだと衝撃を受けたのだったか。
……まるで、安っぽい恋愛ドラマのようだ。
きっかけは思わず笑ってしまうような、そんな些細な事だった。俺は徐々にお前に興味を抱くようになった。お前を知れば知るほど、俺はお前にのめり込むようになった。誰とも接しようとしないお前が、俺の前では笑ってくれることがとても嬉しかった。そして、何時しかお前を手に入れたいと思うようになっていた。お前も、その時はきっとそれを望んでくれていただろうと今でも思う。
恐らく、あの瞬間さえ違っていれば今日は訪れなかっただろう。
止まない鐘の音に耳を傾けながら自分の過ちを思い返した。俺は、お前や春奈を守るために言ってはならない嘘をついた。その嘘はお前の心を酷く傷つけた。事情があったにせよ、本心ではなかったにせよ、今思い返したってあの言葉は辛辣だ。そのたった一度の過ちが俺とお前の間を決定的に裂いた。だが俺だってあんな言葉をお前に掛けたくなかった。それにアイツはもっとお前を傷付けるような事をしただろうに。
自称神ではなく、本当に運命を左右する神様というものがいるのだとしたら。俺はそいつをとても残酷で不公平な奴だと思う。
数か月の後、初めての帝国と雷門との試合で再開した時にはお前の隣には、もうすでにお前を支えるアイツがいた。何をしても無駄だった、お前の心はどうやったって俺の元には戻ってこない。どんな言葉を掛けても、どんなに悔やんでもお前の瞳に俺はもう映らない。
それでもいつか取り戻せると思っていた。しかしそれは叶わなかった。中学を卒業し、高校、大学、社会人と一つずつ階段を上ってもお前との縁は切れず、俺の心はお前の元に止まり続けているのに。お前の心は頑として動かない。
……あの瞬間さえなければ、今日お前の隣に立つのは俺だっただろうか。
どうしても考えずにはいられない。これだけ時間が経ってもお前を愛しているから。一体どうしてこんなにお前を愛しているのかも分からない。ただただ愛おしくて、手にしたかった。お前の微笑みに焼け付くほど焦がれてきた。十年間ずっとそう思い続けてきた。じっと掌に視線を落とす。俺の指には何も飾りはない。
「鬼道クン」
複雑な思いに耽っていると名を呼ばれた。振り返ると不動が礼服のポケットに手を突っ込んで俺の背後に立っていた。わざわざ呼びに来たのか、挨拶まではまだ時間があるだろうに。中学時代は誰とも馴れ合おうとしなかったくせに、今ではすっかり世話焼きが身についている奴だ。ついでに髪も生えてきた、禿げていたわけではなかったらしい。
「ガーデンでブーケトスだってよ。……行かねえの?」
気だるげに肩を竦めながら不動が言う。思わず眉を顰めた、行ったところで男の俺にブーケトスは関係ないだろう。だが不動が俺を呼びに来たということは、そろそろ俺の姿が無いことに誰かしらが気付き始めたのだろうと察した。
恐らく俺が抜け出した理由は各々推測できるはずだ。何しろ、俺が中学時代にお前を想い続けていたことは今日呼ばれている新郎新婦の友人たちはほとんど知っている。……惨めな失恋に泣いているのだと思われ始めたのだろうか。
「ああすぐに行く。わざわざすまないな」
「別に。外に出るついでに声掛けただけだ」
この男も、俺の中にある気持ちを知っているはずだが。ちらりと不動の表情を窺う。だが不動は気だるげに首を鳴らしながら俺に背を向けた。どうやら感傷に浸っている俺をからかう気はないらしい。
……中学の頃、FFIの代表として同じチームに所属していた時はさり気ない言葉で散々俺の傷口を抉っていたくせに。此奴も随分大人になったものだ。
「……花嫁サンがお前の事を探してたんでな」
俺に背を向けながら不動が呟いた。なるほど、俺の姿が見えないことを気に掛けていたのは花織だったのか。俺はふう、とため息をつきながら会場へと足を向けた。今日の主役に心配を掛けるわけにはいかない。俺は仮にも新婦の友人代表として呼ばれているのだ。
ガーデンに出てみると見知った顔ばかりがそこにいた。友人として呼ばれているのはほとんどがサッカー関係の者たちのようだと今更ながらに気づく。それほど俺は今日、周りが見えていなかったのかと苦笑せずにはいられなかった。俺はガーデンの端に立ち、上を見上げた。式場のバルコニーには新郎新婦の姿が見える。
――――綺麗だ、花織。
式の始まる前、控え室では掛けることのできなかった言葉を胸の中で呟く。真っ白なプリンセスラインのドレスが良く似合い、美しさで満ちている。幸せいっぱいのお前の表情は、見ている者すべてを幸せにできそうだ。……そしてその隣に立つのは、十年前と同じ青い髪のアイツ。
……風丸がドレスを着ていたらどっちが新婦か分からないだろうな。
髪の長い新郎を見て心の中で悪態をつく。新郎に対して敵意を抱くなんて俺は新婦の父親か何かだろうか。情けない、と分かっていつつ、そんなことを思って自分を慰めるしかなかった。それくらい花織の隣に立つ風丸はタキシード姿が良く似合っていた。どこから見てもお似合いのふたり。今も変わらない、ふたりとも大切な俺の仲間だ。
「花織ー‼ こっちやでー‼」
リカが大声でブーケを投げようとする花織に叫んでいる。その横では塔子が呆れたように笑っていた。円堂の結婚式ではブーケを手にしたのは木野だったから余程前回のことが悔しかったのだろう。俺はそんな様子を耳で聞きながらも視線は花嫁から外すことはできなかった。幸せそうに笑い、表情をきらきらと輝かせる花織。
――――愛しているんだ。……今でも、ずっと。
胸が苦しくて目を細める。彼女はゆっくりと後ろを向いてブーケを宙に放った。その花束はリカの方には飛ばず、またブーケを取ろうとする他の連中のところにも飛ばなかった。
「あっ、手が滑った!」
花織が叫ぶ声が聞こえて俺はハッとする。気が付けば俺の手には花織が放ったはずのブーケがあった。美しい白い花束、次に幸せになれる者が受け取ることができるという花嫁の象徴のようなそれ。
「鬼道さん!」
呆然としたまま俺が花織の声に顔を上げる。花織は風丸と腕を組みながら幸せそうにこちらに手を振っていた。
その表情に俺は確信する。お前がわざとこちらに、一人離れて立っていた俺に向かってブーケを投げたことを。……俺の、そしてお前自身の気持ちの決着をつけるために。
「次は鬼道さんの番ですね!」
柔らかく微笑みながら花織が声を張り上げている。花嫁に似つかわしくない、お前らしくも無い行為。恐らく俺を想い、俺の幸せを願うための、今のお前にできるの精一杯の気持ちの表現。
「フッ……」
思わず笑ってしまう。握り締めた花束がぐしゃりと音を立てた。……一言で片付いてしまうような簡単な気持ちではない。本当に断ち切るにはまだまだ時間が掛かるだろう。
だがはっきりとした、十年前からそうだったはずだ。花織が幸せならそれでいい。俺ではなく、風丸の妻となることで花織が世界中の誰よりも幸せであれるなら、それ以上が俺に必要だろうか。
今なら、本当に心の底からふたりを祝福できるような気がした。
「……おめでとう。……風丸、花織」
彼は幸せそうな彼女に向かって微かな声で呟く。暖かな春の風が花嫁のヴェールを靡かせる。優しい春の風のはずなのに、鬼道にとっては心の隙間を吹き抜ける冷たい風のように感じられた。
――――愛していたんだ。今まで、ずっと。
鬼道は胸の中で自分の恋心を過去にする言葉を呟いた。長い恋の終焉を告げるような、そんな風は静かに鬼道の腕に抱えられたブーケの花を揺らしている。彼の頭上には晴れ晴れとした雲一つない祝福の青空が大きく広がっていた。鬼道は微笑む、今まで愛し続けた一人の女性の幸せを心の底から祈る。
どこからともなく落ちた雨雫が、音も立てずにブーケの花を濡らした。