ep: 鬼道有人に愛を込めて
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教会の鐘の音が、青く澄み渡った空の中に響いている。
穏やかな春の陽気が身を包み、温かで優しい気持ちが静かに佇む。どこかから聞こえる小鳥の歌うような囀りと陽光を受けた深緑の葉の美しい煌めきは、今日この日を祝福している様に感じられた。
そんなすべてに祝福されているようなこの良き日を一人寂しく思ってしまうのは、この鐘のせいだろうか。俺は新調した眼鏡を押し上げて空を見上げた。青い空はいつだってあの青春の日々と変わらない色で彩られている。それを心の中で恨めしく思った。
あの輝かしい青春の日々から約十年経つ今日は、俺の親友の晴れの日だ。いや……、親友と呼ぶのではこの気持ちの理由はつかないか。思わずフッと己の女々しさに笑ってしまう。今日は、正確に言えば俺の初恋の人にとっての祝福の日だ。
――――花織。……月島、花織。
少なくとも中学を卒業してからは仲間達にひた隠しにしてきた、心の底から愛している女性の名前を俺は胸の中で何度も何度も繰り返す。初恋の人、そして今までずっと想い続けていたお前をいつか手に入れられると思っていた。心を取り戻せるのでは、と期待していた。だが現実はそこまで甘くはなく、来ないでほしいと願ってばかりいたこの日は容赦なく俺の所へ訪れた。
今日のこの日を知らされたのはおよそ三か月前だった。いつものようにお前からの呼び出しで、久しぶりにふたりで会うことになった。きっと中学時代であればお前のこの行動にアイツは嫉妬の炎を燃え上がらせていたのだろうが、いつしかそんなことも無くなった。これはきっと今日という日を予感させる一つの因子だったのかもしれない。
その日は俺の行きつけの店で待ち合わせていた。一足先に到着していた俺はコーヒーを頼み、窓の外を見ていた。あの日も今日のように澄み切った青空が広がっていた。お前は頼んでいたコーヒーが来るよりも早く、胸元にはいつもと同じペンダントを下げて俺の正面の席に掛けた。
「遅れてしまってすみません」
少しばかり息を切らせながらお前は申し訳なさそうに謝った。俺はそんなことはどうでもよかった。ただお前と会えるこの時間の訪れがあるならばそれでよかった。十年という月日が流れてもお前は俺を慕っていてくれている。アイツとは違う繋がり。
お前と俺には昔からアイツとは違う、特別な信頼関係があった。
その日は少しばかり世間話したところでお前が話を切り出した。鞄の中から封筒を取り出し、俺の前へと差し出した。その封筒は白に金色の縁取りがされていて、上品で何か特別な物であることは一目でわかった。俺はその瞬間にお前の表情と封筒を差し出した左手の指に嵌められている見慣れない指輪を見てすべてを悟った。
「あの、これ日取りが決まったので招待状を」
俺は無意識に眉を顰めていたと思う。……ついにこの時が来たか、という絶望的な思いが胸にこみ上げた。彼女が以前雷々軒での同窓会で話していた、奴のプロポーズを受けた、という告白とは違った衝撃が俺の頭をガンガンと揺らしている。現実的ではなかった受け入れがたい未来がすぐ近くまで迫ってきたことを察した。
「鬼道さんには直接、私の手で渡したくて」
幸せそうに、でもどこか含みを持たせてお前は笑っていた。お前の微笑みは昔から変わらない。より大人び、美しさを増したが本質は一切変化していない。優しくて、でも時に優しすぎて、胸を締め付けるような笑顔。お前は昔から本当に変わらない。美しい黒髪も白雪のような肌に桜色を差した頬も、そして凛としたアイツだけに想いを捧げる、意志の強い瞳も。俺が愛しているお前はそのままだ。
「……本当にアイツと結婚するのか」
俺は余裕があるかの様に装ってフッと笑って見せた。さり気無くコーヒーを口に含めば、ブラックコーヒーの苦い味が口の中に広がった。普段はちょうどよい苦さのはずなのに、今日は今まで飲んできたどのコーヒーよりも苦く感じた。
「俺ならば、アイツよりもお前を幸せにできるというのに」
カップを置き、腕を組みながら呟く。冗談めかして吐いた未練がましい言葉は、決して冗談などではなかった。俺ならばきっとアイツよりもお前を幸せにできる確信があった。お前は困ったように笑って俺を見つめていた。その瞳は揺らぎもせず、かつての愛情を容易に覗かせない。ただ静かに一点を見ている目だった。
「……そうでしょうね。鬼道さんは、きっと彼よりも私を幸せにしてくださると思います」
くすくす、と笑ってお前が口元を左手で隠す。お前の左手の薬指に飾られた永遠を象徴する石が、俺を嘲笑うように光を受けて煌めく。
「……鬼道さんなら、私の些細な変化に気づいてくれると思いますし、たぶん彼よりも頼りになります。きっと日本代表として飛び回る彼よりも、鬼道さんは甘えたな私の傍にいてくれるでしょう。……それに鬼道さん子供の面倒見るのも得意そうですから」
きっとその未来は幸せだろう。
俺はお前の言葉にずきずきという胸の痛みを感じながらもそう思った。十年、お前を想い続けても気持ちに変化などなかった。お前の隣にいるのが俺だったら、と何度夢を描いたことだろうか。俺がお前の恋人だったら、お前の夫であったら……。
俺とお前の間に子供が生まれ、お前の子の父となることができたらどんなに幸せだろう。
お前も俺と同じように簡単に、もしもの世界を思い浮かべる。楽しそうな表情でお前は俺との未来を思い描く。恐らく冗談で言っているとはいえ、それだけすらすらと仮の未来を考えることができているのに、お前は俺を振り返らない。
「でも、私は今が十分に幸せです。……彼の隣を走れるなら、それだけで構わないから」
微笑みながらお前は俺の言葉に返事をする。だがその瞳には俺の対する情が含まれているのを俺ははっきりと悟った。……お前は俺の真意に気づき、そしてもうすでに決まりきっている返答した。……お前とは長い付き合いだ、おそらく始めから俺の言葉を予感していたのだろう。だから恋人の意向を無視しても今日一人でここへ来たのだ。長い間、十年以上も続いた誰かの初恋の終止符を打つために。
「鬼道さん、折り入ってお願いがあります」
さらりと、長い黒髪が揺れる。俺が美しさに心惹かれる彼女の長い髪。決して俺の為に伸ばされたわけではない、お前の想い。
「友人代表のスピーチ、お願いできませんか」