脅威の侵略者編 第十三章
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鬼道と花織はキャラバンへと戻ってきた。現在、キャラバンの中は出払っていて、二人以外の人間はそこに存在しない。鬼道は花織を座席に座らせ自らも彼女の隣に腰かけた。鬼道は俯いている花織の両手に自らの手を添えて静かな声で花織に語りかけた。
「……風丸がキャラバンを降りるなんてな」
鬼道の言葉に花織は胸がグッと押しつぶされるような感覚を覚えた。ジワリと込み上げた涙を何とか息を堪えて押しとどめる。鬼道は花織の表情を窺いながら話を続けた。
「他の奴らが言っている通り、風丸がキャラバンを降りて一番堪えているのはお前だ。だがそれは、他の奴らが言うようにただ恋人が離脱してしまったからではないんだろう?」
「……」
花織が唇を噛んで自らのスカートを握り締めた。鬼道の言葉に自分の中で思い悩むいくつかの事柄が浮かび上がる。花織がここまでショックを受けているのは何も風丸ひとりのことではない。風丸を中心として絡む、複雑な人間関係を絡んだすべてだ。
「俺には分かる、お前を見ている俺には。お前が今、どれだけ自責に駆られ苦しんでいるか。胸の内に他の誰にも言えない悩みを抱えていることもな」
鬼道は言葉を切り、そっと彼女の手から自らの手を退けた。そして静かに自らの目を覆っているゴーグルを外す。赤い彼の瞳が花織の黒い、涙に潤んだ瞳を捕えた。この瞳を彼女の前に晒すのは三度目になるだろうか、鬼道は思う。一度目と二度目は花織に自らを受け止めて貰った。今度は自分が花織を受け止める番だ。
「俺に打ち明けてくれないか。……俺がお前のすべてを受け止める」
「……鬼道、さん」
花織がか細い声で鬼道を呼ぶ。花織の声は困惑しているようだった。打ち明けてもいいのだろうか、そんな迷いが花織の声に見え隠れしている。鬼道はじっと花織の目を見つめた。花織の瞳が揺れる、鬼道は花織が自分の目に弱いことを知っていた。鬼道は花織を捕え、優しく微笑む。
「……俺は何度もお前に支えて貰った、今度は俺がお前を支える番だ」
「……っ、鬼道さん」
花織の瞳から堪えきれなくなった涙がぽろぽろと堰を切ったように零れはじめる。鬼道さん、と彼女の震える唇が何度も鬼道を呼んだ。鬼道はそっと花織の頭を抱き寄せて自分の肩に顔を埋めさせる。そして花織の髪を優しく撫でながら花織に囁き掛けた。
「安心しろ、俺はどこにも行かない。……だからいくらでも泣いて良いんだ、花織」
鬼道有人は花織の欲しい言葉を熟知していた。語弊無く、彼は花織の事なら何でも分かった。恐らく彼女の恋人である風丸よりも、花織の気持ちを知っている。だから自分への恋心を無くした花織を懐柔するのだって本当はこのくらい容易い。その位彼女のことを心から愛しているのだ。
❀
三十分ほどの時間が過ぎた。ようやく花織は落ち着きを取り戻し始めているようだった。時折、込み上げてくる涙を拭いながら鬼道の手を握り締めている。彼女にとって今の支えは鬼道だけだった。鬼道に縋るのは狡い、と分かっていながらも鬼道だけが花織の頼りだった。
「一郎太くんがキャラバンを降りたの、私のせいなんです……」
ぽつりと花織がようやく核心に迫る言葉を零す。鬼道は黙って花織の手を握った。花織は鬼道の手を握ったまま、自分の胸の内を鬼道に打ち明け始めた。
「一郎太くん、ずっと悩んでいました。多分、吹雪くんがキャラバンに参加したころから、ずっと。……力が欲しい、勝てないかもしれない。そんなことを時折零してたんです。……私が初めて彼の口からそんな話を聞いたのは、染岡くんが怪我をしたときでした。あの時話を聞いて、彼の悩みが解消されたんだって……、私は思ってたんです」
しかしそうではなかった、花織は唇を噛む。風丸はずっと一人で悩み続けていたのだ。花織は一番彼の傍にいたのにそれに気づけなかった。彼は心を病むくらい悩んでいたのに。
「でもそうじゃなかった。……彼は一人で悩んでいました。私は、彼の苦しみに気づけなかった。彼に言われました"花織に俺の気持ちは分からない"って……。本当にそうだと思います、それどころか私は……」
花織の目から再び涙が零れ落ちる。それは花織の手を握っている鬼道の手の上に落ちた。
「私が気に掛けてたのは吹雪くんなんです。……ずっと彼の様子を気に掛けていました。一郎太くんはいったいそれをどう思ったのか……。でも私は一番近くにいる彼の気持ちに気づかないで他の心配ばかりしていたんです。……そしてその吹雪くんの悩みも満足に聞くことができなかった。彼の悩みに気づいていながら、何もしなかった」
花織はボロボロと涙を零しながら鬼道を見る。
「吹雪くん、ジェネシス戦の前夜、ずっと私の方を見てたんです。その日の夜ちゃんと話を聞いていれば、何かが違ったかもしれない。……吹雪くんの人格変化にも僅かながらに気づいていたのに核心には迫れなくて」
口にするたびに自分にどれだけの非があったかが明白になる。罪悪感は益々花織を押しつぶそうとした。
「私は……、マネージャーとしても一郎太くんの恋人としても失格です」
鬼道の手を握っていた花織の手が緩む。花織は自覚していた、花織が監督に叫んだ言葉は自分自身に訴えかける物だった。自分が、彼らの話を聞くべきだったのだ。自分がマネージャーとして、そして彼の恋人としてきちんと理解をしなければならなかったのだ。
「……監督の言うとおり、キャラバンを降りることも考えています。私はいても役に立てない、それどころか」
それだけではなかった。花織にとってサッカーとは風丸がいてこそなのだ。風丸がいないサッカーを見つめ続けて何が得られるだろう。風丸がいなければ花織がここに居る理由はないのだ。
「花織」
緩んだ花織の手を鬼道が強く引きよせた。花織の手を離すまいと彼は彼女の手をしっかりと握りなおす。
「お前だけに非があったわけではない。……きっとすべてに訳がある。普通ならお前が風丸の悩みに気づかないなんてことがあるか? お前は四六時中アイツと一緒に居たんだぞ」
「でも……」
花織は困惑したように鬼道を見つめる。鬼道には風丸のことも手に取る様にわかった。何故なら風丸は鬼道と同じように花織に想いを寄せる人物だ。そして大切なチームメイトでもある。彼の性格を考えればなぜ花織が風丸の悩みに気づかなかったのかは明白だ。
「風丸は……、悩んでいることを知られたくなかったんだ。……特に恋人のお前にはな。奴のことだ。……大方、お前の前で悩むのは格好がつかないと思って隠していたんだろう」
「……」
花織は俯く。鬼道は風丸が花織に残した"花織に俺の気持ちは分からない"という言葉も考察していた。花織は単純に風丸の気持ちに気づけない自分を彼が非難したのだと思っていた。しかし、それは鬼道の中では違った答えが出ていた。
風丸は恐らくこう言いたかったのだ。"女である"花織に俺の気持ちはわからない、と。
風丸は鬼道から見ても花織に対しての束縛が強い男だ。それでいて花織に弱い部分を見せたがらない奴だと思っている。
風丸は花織が吹雪を気に掛けていたことを知っていただろう。でも何も言えなかった、嫉妬しているなんて情けない姿を彼女に見せる気はなかった。きっと花織には分からない気持ちだ、ギャルズと対戦した時自分の気持ちをきちんと風丸に伝えた花織には。
そして付け加えるなら選手でない花織にはわからないといったところだろうか。これは真帝国学園との試合の時、佐久間と源田が彼女に対して掛けた言葉にある。あの時彼らは勝者の座から引きずり降ろされた気持ちは、陸上部員だった花織には分からない、という旨の言葉を掛けた。これと同じではないだろうか。選手でない、風丸中心にサッカーを考えている花織には分からない。誰よりも速く走れていた立場から、置き去りにされてしまうということを。
「吹雪もだ。アイツはアイツでお前に遠慮していたんじゃないか? ……お前に話を聞いてほしいなら、お前に声を掛けるだろう」
「……鬼道さん」
「そしてお前が考えるべきは後悔ではなく、今後どうするかだ」
花織の目が大きく目を見開く。今後、どうするか……、全然考えていなかった。ずっと風丸が去ってしまったことを思い、自分を責めてばかりだった。
「土門も言っていた通り、風丸はきっと戻ってくる。お前の役目は風丸の戻ってくる場所を守ることだ」
「一郎太くんの戻る場所……」
風丸は必ず戻ってくる。そうだ、そうに決まっている。花織だってそう信じている。そう思うのだったら花織はチームに残らなければいけない。花織が今、マネージャーをやめてしまったら彼が戻ってくる場所が狭まってしまうかもしれない。彼が戻るためにも花織が風丸を待っていなければならないのだ。彼が戻ってきたとき、お帰りと言えるように。彼がまた、フィールドを駆ける姿を見るために。
「そうだ、お前にしかできないことがあるはずだ」
「……はい」
花織は涙に瞳を潤ませながらも、やっと微笑を見せた。自分の中にあった心の靄を吐き出し、自分のやるべき事、風丸のためにできることを見つけてやっと安堵した。風丸の為にできることを、自分が今できることを成し遂げると決意した。鬼道も花織の表情が少し明るさを取り戻したのを見て柔らかく微笑む。
「やっと、笑ってくれたな」
「鬼道さん……。ありがとうございます。私、自分に出来ることをします。マネージャーとして、彼の恋人として」
決して風丸がここを去ってしまったことに対するショックが癒えたわけではない。しかし真っ暗で何も見えなかった花織の心に光が差した。鬼道が花織を救ってくれた。花織は鬼道を信頼の目で見つめた。鬼道は花織のその眼差しを受け止めながら、握った花織の手はそのままにもう一方の手で花織の頬を撫でた。
「無理はするなよ。……俺はお前の味方だ、いつでも。どんなときでもな。風丸がいない間は俺がアイツの代わりだと思って貰って構わない」
ずきん、と花織の胸が痛む。鬼道の放った言葉は、風丸が以前花織に言ってくれた言葉そのままだった。"俺が鬼道の代りになる"その鬼道が風丸の代わりになるというのはどういう巡り合わせだろうか。花織は再び何も言わずに込み上げてきた涙を流す。鬼道の言葉に風丸の存在を感じた、それが花織の心を簡単に決壊させる。
彼の喪失は花織の胸を痛ませる、きっと彼が戻ってくるまで癒えはしないだろう。
鬼道は花織の手を握ったまま、花織の髪を撫でた。愛おしげに、自分だけは絶対に花織の傍にいることを誓いながら。鬼道にはそれしかできないのだ。