脅威の侵略者編 第十三章
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花織は誰よりも早く吹雪の病室を出た。風丸の姿が無い、その事実にぞくっとするような感覚が全身を駆け抜けたのだ。普段なら、きっとこんなふうに思ったりしない。ただ試合前の、そして試合中の風丸の表情を思い出すと恐ろしく不安に駆られた。見たこともない表情をしていたのは決して吹雪だけじゃない、自分の恋人、風丸だって同じだった。
「はあ……、はあ……っ」
花織は病院から走って陽花戸へと向かった。風丸の姿を探しながら走った。彼の携帯の番号を鳴らしてみても一向に彼は出てくれない。時間が経つたびに花織の不安は募った。花織は陽花戸中の敷地を隅々まで見て回る。そしてキャラバンの前にようやく青い髪の彼を見つけた。
「一郎太くん!」
息を整えぬまま、彼の名前を呼ぶ。風丸は俯いたまま動かない。花織はいつものように風丸の傍へ歩み寄った。風丸の異変を知りながら、いつもの通りに接しようと思ったのだ。反応の無い彼は、花織に触れられてよろめく。
「急にいなくなるから心配したんだよ……っ! ……でもよかった、ここにいてくれて。一緒に皆の所に行こうよ」
花織がいつもの通りに風丸の手を取って引こうとした、しかし彼は花織の手を握らず、またその手を軽く振りほどいてその場から動こうとしなかった。花織は困惑した様に風丸を見つめる。絞り出した小さな風丸の声が花織を呼んだ。
「花織……」
妙な気分だった。花織は汗の滲む拳を握る。吐きそうなほどの奇妙な不安感に襲われた。また、だと花織は思う。こんな感覚に襲われたことが一度だけある。今から彼が話すことを聞いてはいけないような感覚。……風丸に別れを告げられた、あの時の事。
「……俺、もうダメだよ」
時が止まったような感覚だった。花織の目はゆっくりと大きく見開かれた。風の音だけがそこに存在し、彼らの髪を揺らした。衝撃を受けた花織は何も言えずに風丸を凝視している。彼の言っていることの意図が飲み込めなかった。
「どういう、こと……?」
「もう戦えない……、勝てる気がしないんだ。……俺はキャラバンを降りる」
花織はハッと息を呑む。離脱、その二文字が花織の中を過った。花織は困惑していた、何故どうして、一郎太くんが。花織は風丸が何故そんなことを言いだしたのか分からずにいた。それは彼が自分の気持ちを花織にひた隠しにしてきたせいだった。
「勝てる気がしないって……。何があったの?」
「…………」
「勝てる気がしないのは練習でどうにでもなるよ! ……お願い、そんなこと言わないで。私で良ければいつでも練習相手になるよ。だから一緒に頑張ろうよ、戦えないなんて言わないで‼」
花織は風丸の腕に縋り付き、必死にそう訴えた。風丸は花織がまるで円堂のようだと思った。円堂のように前向きな言葉を掛けてくる。今の風丸にとっては眩しすぎて苦しいだけの言葉だった。そして今はもう何も響かない言葉だ。
花織は内心凄く混乱していた。風丸の内情を知らなかったから彼がこれほど悩んでいたなんて知らなかった。彼のことをよくよく思い返してみる。そして思い出した、染岡が離脱した後彼が悩んでいた末に吐き出した言葉を。
"でも今のままじゃ勝てる気がしない。……もっともっと力が欲しいんだ、奴らに勝てるだけの力が"
あの時に解決したと思い込んでいた。だから、彼がこんなに悩んでいたことを、花織は悟れなかった。
「無理に決まってるだろ……‼」
風丸が静かな声を一変させて低く叫んだ。花織は驚いて風丸の顔を見る。風丸の瞳はいつになく暗い色をしていた。彼のこんな表情を、花織は見たことがなかった。
「奴らのスピード、見ただろ? 俺、あれを見た時追いつけないって思った。もう無理なんだ、俺は奴らに勝てない、勝てるなんて思えない」
「そんな……、そんなことないよ! 今までだってレベルアップしてきたのに」
風丸の叫びに花織が反論する。だが風丸の叫びとはいう物の、彼の声色からは怒りを感じるわけではなかった。吐き捨てるように、淡々と事実を述べているだけなのにそんな雰囲気を感じる。風丸は感情を露わにはしていない。ただ絶望感がそこにあるだけだ。
「……俺はずっと吹雪のスピードだって羨ましかった。アイツに勝ちたいと、ずっと思って特訓に特訓を重ねた。でも適わない。……これが俺の限界だからだ」
「一郎太くん……」
虚ろな彼の目が怖かった。花織は何も言えず、ただ彼の名前を呼ぶことしかできずに、彼の言葉を聞く。
「それにいつになったら終わるんだ? 今日また、新しいチームが現れて。アイツらを倒してもまた新しいチームが現れるかもしれない。……もう限界だよ」
風丸は花織をすり抜けて陽花戸の校舎の出入り口へと向かう。花織は風丸に追い縋った。風丸の左手を握って彼を引き留める。もう彼を止める言葉が出てこない。彼は花織の言葉を聞いてくれない。でも花織は風丸がいなくなることが嫌だった。
「嫌だよ。私、一郎太くんがいないと……。だから、……お願い」
言っているうちに花織の目からは涙が零れだした。彼の手を離して涙を拭う。行かないで、とただそればかりを訴えた。そんな花織に風丸はすっと手を伸ばす。花織は風丸と唐突に差し出された手を見比べた。
「だったら、花織も一緒に降りてくれ。……俺がいないとダメなら」
どきん、と花織の心臓が音を立てた。風丸は虚ろな目で花織を見据えている。いつもの風丸の目ではない。花織は首を横に振った。
「できないよ。……だって私は、エイリア学園を倒したい。それに」
花織が口籠る。言いたいことは一杯あった。エイリア学園を倒して、風丸と一緒に楽しいサッカーをしたい。一緒にデートをしたい。全部理由は風丸に起因する。だが風丸は花織の思いにもよらない発言をした。
「吹雪がいるからか?」
えっ、と花織が困惑の声を上げた。どうしてそこに吹雪が出てくるのかがわからない。花織には理解できなかったが、風丸はそれが理由で彼女は自分に着いてこないのだと思い込んでいた。
今の風丸の心の中には負の感情が滾るように溢れかえっていた。……風丸は先刻の吹雪の悩みに気づいていたという花織の言葉を聞いた。それだけ、吹雪を見ていたということなんだろう。それと彼女がこの頃吹雪と一緒に居たことを思いだす。偶然や隠し事が重なり、彼の疑惑は大きくなっていた。
「吹雪が心配だから俺とは一緒に来れないんだろ。……俺、わかってるから。花織が吹雪と隠れて何かをしてたこと。……もちろん花織のことを信じているさ。でも花織は、優しいチームのマネージャーだもんな」
「一郎太くん……、何を言ってるの?」
小さなすれ違いがここで積もり積もって大きなものとなる。風丸はもう聞く耳を持っていなかった。一番大切なはずの花織の言葉を信じられないほど、彼の精神は崩壊しかかっていた。
「ねえ、一郎太くん……!」
「もう、放って置いてくれ」
縋るように花織が再び風丸の手を掴もうとする。だが風丸は今度こそそれを強く振り払った。花織は目を大きく見開いてその場に硬直した。風丸は花織を見据える。冷めた目といつになく冷たい声で彼は花織に言い捨てた。
「花織に、俺の気持ちは分からないよ」
花織はもう何も言えなかった。今の風丸の目と声、そして言葉は何より彼女にとって衝撃的で、絶望的だった。その表情に風丸の絶望と脱力の中で静かに一つの記憶が蘇った。彼女を一番傷つけた時の記憶。あの時の花織もこんな顔をしていた。もう二度と、花織にあんな顔をさせないと決心したのに……。今の俺にはその決心を守る力も、花織を守れる力もない。
花織がその場に崩れ落ちる。風丸はそんな花織に背を向けて歩き出した。花織は呆然とした目で風丸の背中を見つめる。もう、彼を引き留める術も、彼を引き留められるような言葉も何も残ってはいなかった。
花織の瞳から静かに涙が伝い落ちる。いかないで、という最後の懇願は風丸に届くことは無かった。