脅威の侵略者編 第十一章
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花織の自主練習は日付が変わるころまで続いた。終わった頃には全身に疲労感があり、足はクタクタだった。花織は備え付けのシャワー室で汗を流し、新しいジャージに着替える。こんなに遅い時間まで練習をする気はなかったのだが、つい熱が入ってしまった。
「もう、こんな時間……」
時計で時間を確認しながら花織は髪の毛を整えた。早く就寝しないと明日に響いてしまう。急いで片づけを終え、テントに戻ろうと足を速める。ふとその時、彼女の目にあるものが止まった。
「あれ……?」
この練習場には主に三つのタイプの部屋がある。一つは先ほどまで花織が使用していたドリブル、パス、フェイントなどの練習ができる部屋。もう一つは円堂が使っていたゴールキーパーの練習ができる部屋。そして今、花織の前にあるのはシュート練習のできる部屋だ。この部屋からこんな時間にも関わらず、明かりが漏れている。
誰か残って練習しているのだろうか。
花織は開いている扉の隙間から中を覗き込んだ。中には一人、息を荒げて練習する選手の姿があった。―――吹雪だ、と花織は思う。彼の銀髪とトレードマークの白いマフラーがここからでも見える。そういえば今日の練習でも彼はずっとここに籠っていなかっただろうか。
遠目に見ているだけなのに、凄い気迫を感じる。いや、気迫というよりも執念のようなものが感じられた。そういえば吹雪は漫遊寺でのイプシロンとの戦いでキーパー、デザームにエターナルブリザードを止められたことが酷く悔しいようだと秋が言っていた。
だがこんな時間まで練習をしていたのでは身体に触る。今まで練習をしていた花織の言えたことではないが、マネージャーとして選手の無茶は嗜めるべきだ。特に吹雪のフォワードとしての能力は打倒エイリアには絶対に必要な戦力なのだから。
恐る恐る部屋の扉を手動で開く。吹雪は花織が部屋に入ったことにも気づかずにはボールを蹴っていた。花織はぎゅっとこぶしを握る。いつもの吹雪と違って話しかけにくいような雰囲気があった。
「ふ、吹雪くん……」
そうっと弱々しく花織が吹雪を呼ぶ。だが吹雪は気づいていないようだ。ブツブツと何かを呟きながらボールをセットし直している。
「吹雪くん!」
今度は少し大きな声で彼を呼ぶ。すると彼は花織の声に集中を乱されたのか、蹴られたボールが大きくゴールを外れた。花織は不安を表情に宿した。吹雪の足が止まる。一瞬の静寂がそこに訪れた。
「吹雪くん、もう遅いから。休んだ方がいいと思う……、っ!」
ぎろり、と吹雪の鋭い目が花織を睨んだ。花織はいつもの吹雪らしからぬ眼光に心臓が音を立てたのを察した。花織は身体を縮める。吹雪は何も言わずに俯き、花織の傍へと歩み寄った。花織は一歩後ずさったが、それ以上は下がることができなかった。
「ふ、吹雪く……」
躊躇いながら花織が呼んだ彼の名前は、吹雪が彼女の横の壁に手を叩きつけた音に掻き消された。花織は身を竦める。ふわり、と彼の汗の香りがした。吹雪は爛々としたオレンジ色の瞳で花織を睨み付ける。
「お前には関係ない。……俺に関わるんじゃねえ」
花織はその瞳にぞくり、と背筋に冷たいものが駆ける感覚を感じたが、次に直感的に思った疑問が彼女の恐怖を増長させた。
――――彼は吹雪ではない。少なくとも花織の知る吹雪士郎ではない、と思う。
直感で花織はそう思った。というのにも理由がいくつかある。一つは声が違う、もちろん吹雪の声だと認識できるがいつもよりも幾分低い。それに自身のことを"俺"と呼び、荒々しい口調をしていた。普段の吹雪は穏やかな口調で、自身のことを"僕"と呼ぶはずだ。そしていつもなら彼は花織のことを"お前"とは呼びはしない。"花織さん"、もしくは"君"と彼は花織を呼んでいた。
そして何より、違うと思ったのは瞳の色だ。今の吹雪の瞳は普段話をする時の吹雪の瞳の色と違う。いつもの吹雪は落ち着いた深緑色をしている。今の明るいオレンジ色の瞳は、試合中テンションが上がった時に時々見える吹雪の目だ。初めて会った時から彼の人格変化には疑問を抱いていた。車のハンドルを握ることで人格が変わる人物がいるように、サッカーをすることで人格が変わる人もいるのではないかと。
「貴方……、いつもの吹雪くんじゃない。サッカーをしてる時の吹雪くん……」
震えた声で花織が問いかける。吹雪の目が驚きに見開かれたが、すぐに無表情になって俯いた。
長い沈黙が走る。吹雪の手がゆっくりと壁から離れ、降りていく。花織はじっと俯く吹雪を見つめていた。
「…………花織さん」
ようやく吹雪が顔を上げる。いつも通りの灰色がかった深緑色の吹雪の瞳、そして花織を呼ぶ声と呼び方。いつもの吹雪だ。吹雪はじっと花織を見つめている。花織はいつもの吹雪に戻ったことに安堵したが、吹雪の視線にたじろいだ。
「ふ、吹雪くん?」
「花織さん……、君は」
吹雪は花織を縋る様な目で見た。じっと花織を見つめて悲しげな表情を浮かべる。何かを花織に訴えかけるような瞳だった。
「ううん、何でもないんだ。……僕はもう少し練習するよ、先に戻ってて」
ふらり、と吹雪がボールを拾おうと花織に背を向けようとする。花織はハッとなって吹雪の腕を掴んだ。元々は彼の無理な練習を止めに来たのだ。このまま練習を続けさせるわけにはいかない。
「もう日付も変わっちゃったから休まないと。吹雪くん、また明日にしようよ。そんなに焦ってても良くないよ」
「でも……」
吹雪が眉根を下げて呟く。花織は手を緩めなかった。彼を止めるのはマネージャーとしての自分の役割だと思った。先ほどは吹雪の剣幕に怯んでしまったが、ここで譲ることはできない。選手一人一人がチームにとって何よりも大事だからだ。
「もちろん、吹雪くんのことは頼りにしてるよ。でも、私は吹雪くんの身体の方が心配だから。もうシャワーを浴びて休もう?」
「花織、さん……」
「一緒に戻ろう? 吹雪くん。私、吹雪くんが準備できるまで待ってるから」
吹雪が花織の名前を呼ぶ。花織は吹雪の手を引いた。無理に彼を練習所から引っ張りだしてシャワールームと更衣室へ向かう。吹雪はじっと花織の横顔を見つめている。その瞳には花織以外の人物は映っていない。
「……優しいね、花織さん」
「え?」
「僕は……」
花織が吹雪を振り返る。どうしたの、と柔らかく微笑みかければ吹雪も何となく微笑んで見せた。その瞳からはやはり花織に対する特別な感情が汲み取れる。だが花織はそれに気づいてはいない。彼女も風丸と同じで自分に向けられる好意には疎いのだ。
翌朝、花織は朝食を早めに済ませると、後片づけと洗濯を引き受けるからと頼み込んで秋たちに任せ、キャラバンで風丸を待っていた。