FF編 第一章
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「落ち着いたか?」
花織の荷物を整理し、帰る支度をしながら風丸がそう言った。花織は腫れた目を濡らしたハンカチで冷やしている。瞼は未だ熱を持っていたが、冷やす前よりは幾分か楽だった。
「うん。……ありがとう。風丸くん」
花織がそういって微かに微笑めば、風丸は少し照れたように頭を掻きながら顔を逸らす。
「あのこれから、さ、名前で呼び合わないか?ほら!……あの、せっかく、その、こ、恋人同士になったから」
途切れ途切れになりながらそんなことを言う風丸に、どこか可愛さを感じて花織はくすっと口元を抑えて笑う。花織のその仕草に風丸はさらに顔を赤くした。
「うん。……一郎太くん」
「ありがとう。……花織」
初めて風丸が花織の名を呼ぶ。真っ赤な風丸の顔に劣らないほど花織の頬も赤く染まる。普段、半田やマックスにも同じように呼ばれているはずなのに不思議と照れくさく、甘い痛みが花織の胸をくすぐる。風丸にそう呼ばれることが無性に嬉しかった。
「日も落ちてきたな、帰ろう」
「そうだね」
花織が松葉杖を支えに立ち上がろうとすると、それよりも早く風丸が花織に背を向けて屈み込んだ。え、と思わず花織が声を漏らす。
「乗れよ、花織」
「さ、さすがに無理だよ! 階段があるんだし一郎太くんの足に負担が……!」
花織が慌てて顔の前で手を振る。ここは三階だ。上るならまだしも人を抱えて降りるのはかなり負担がかかるだろう。しかも彼は陸上選手、足などもっとも大切にせねばならないはずなのに。
「階段下りるまでだ。もしもがあったら、俺が困る。だから俺に頼ってくれないか?」
花織が悩むように口を噤む。しかし、すぐに小さな声で花織が呟いた。
「……無理しないでくれるなら。無理だったら途中で落としてくれてもっ! きゃっ!!」
有無を言わせず風丸が花織をおぶった。かなり不安定な状況でおぶったので必死に花織は風丸の背中にしがみ付く。風丸は頼もしく花織を持ち上げ体制を整えた。
「落とすわけないだろ?それに……」
一歩一歩進みながら、風丸は話を続ける。
「今日、半田におぶわれてただろ?正直、その……、半田が俺よりも先に花織を助けたことに嫉妬した。本気で悔しいと思ったんだ」
それを聞きながら花織はとても満ち足りた気分になる。嬉しさと愛しさ、色んなものが花織の心を包んだ。
「ありがとう。……一郎太くん」
花織は小さく呟き、風丸の大きな背中に頭を寄せた。青い彼の髪が花織の顔をくすぐる。幸せだった、愛おしいと思った。しかし心の片隅でこれがあの人の背中だったら、と花織は無意識の中に思い浮かべていた。
***
翌朝、痛む足を庇いながら花織はいつもと変わらず支度をしていた。洗面所へ向かい顔を洗うと自然と唇へと目がいった。気が動転していたため忘れていたが、昨日ファーストキスをしたのだ。紛れもない想いの通じ合った人と。そう思いながら花織は自分の唇に指を這わせる。
(私、一郎太くんと……)
燃えるように顔が熱くなり、冷たい水で思いきり顔を冷やした。それでも大きく心臓が高鳴っている。胸に手を当て、大きく深呼吸をしながらちらと時計を一瞥すると、家を出る時間が迫ってることに気が付き、慌てて支度を再開させた。
松葉杖をついていつもより早めに家を出る。彼女の両親は忙しく、とても花織を送っていく余裕はなかった。そのため、自分の歩くスピードを考え少し早めに家を出る必要があった。家から雷門中への距離はそれほど遠くないため、時間さえ気にしていれば大丈夫だろう。
「花織、おはよう」
花織が家から出ると声が掛かった。びっくりして花織が目を見開くと風丸が家の塀に凭れ掛かり、立っていた。
「い、一郎太くん!? どうして……!」
「花織!」
あまりに驚いたため、花織は松葉杖を突きそこない、身体のバランスを崩す。倒れてしまう、迫ってくる地面に覚悟を決め、固く目を瞑ったその時だった。ふわり、と優しく身体を支えられる。覚悟していた衝撃が未だ身体に来ないので、花織が恐る恐る目を開ければ風丸の横顔がすぐそばにあった。
「……っ」
かあっと顔が火照るのがわかる。風丸の綺麗な横顔が心配そうに花織を見つめた。
「大丈夫か……?」
彼の吐息がかかる。花織の心臓はもはや飛び出そうなほど激しく脈打っていた。そんな時でもこんなことが前にもあったな、と冷静に別のことを考えたりもしていた。その考えを読むように風丸が笑って花織に言葉を掛ける。
「なんか、こんなこと前にもあったよな?」
「……うん」
花織の身体を支えていた風丸の腕が強く花織の身体を抱きしめる。幸い今は人はいないが、いつ誰が通るか分からない。それでも風丸は気にしていないのか、またそれとも気が回っていないのか花織の身体をしっかりと抱きしめていた。
「……花織」
「なに……っ」
彼の唇が軽く花織の頬に触れる。花織がその事実に呆気に取られていると、風丸は顔を真っ赤にして花織から目を逸らした。花織は呆然としたまま自分の頬に触れる。風丸は花織の肩から鞄を取り上げると花織に背を向けた。
「鞄は俺が持つから」
「あ、ありがとう……。でも、悪いよ」
「気にするなよ」
そういいながらふいと顔を真っ赤にして横を向く風丸だが、歩き始めると松葉杖を突いている花織が心配で仕方ないのかずっと花織の様子をちらりちらりと確認している。その視線に花織は気が付くとふっと柔らかい微笑みを返した。そうやって何とか学校に到着し、花織をクラスに送り届けるために風丸が教室の戸を開く。
教室の戸を開けると、ざわりと教室内の空気が一転する。花織の松葉杖は特に目を引き、ひそひそと何があったのか情報交換をしているクラスメイトの姿もちらほらと見える。それでも風丸はクラスメイトの視線など気にしていないのか、花織を気遣いながら席に座らせる。
「おはよう! 花織ちゃん。」
「秋ちゃん。おはよう」
花織が風丸に礼を言った後、唐突に声が掛かった。花織がゆっくりとそちらを向けば、満面の笑みを浮かべた秋が嬉しそうに花織に言った。
「風丸くんと上手くいったんだね」
「あ、秋ちゃん……」
秋が大きな声で花織に声を掛けたので、さっき散ったはずの視線が再び集まるのを感じて花織は思わず顔を伏せる。風丸と、などと言われることがまだどこかむず痒く気恥ずかしい。しかし同時に嬉しい気分でもあった。
「……うん」
先日までとはちがう晴れやかな笑顔で花織は秋に頷いた。秋と花織のやり取りを風丸が微笑まし気に彼女たちを見つめていると、とんとんと肩を叩かれ、さらりと彼の髪が揺れた。風丸が振り返ってみるとそこにはマックスと半田が立っていて表情はにやにやという笑みを浮かべている。
「おはよ、風丸」
「ああ、おはよう」
マックスの挨拶に風丸が俺が返事を返すとマックスはやはりにやにやと笑いながら頭の後ろで腕を組む。
「上手くいったみたいだね、よかったよかった。君たち見てるともどかしくてさぁ」
「ああ、迷惑かけたな」
風丸はマックスと会話をしながらもちらりと半田に視線を向ける。半田はどう思っているのだろう、風丸は半田の想いからそれが気になった。だが半田はいつものように明るく笑みを浮かべている。
「とにかくよかったな! 花織のこと大事にしてやれよ?」
何ともない、いつもの半田が風丸の肩を叩く。しかし風丸は半田が自身の心を隠していることを察した。きっと気遣ってくれているのだろう。だが、自分は半田に対して何もしてやれない。背中を押してもらった彼に偉そうなことは何も言えない。
「ああ、絶対に大切にする」
「あはは! お熱いね。……それじゃボクは先に教室に行ってるから。あとでね風丸」
ひらひらと手を振りながらマックスが教室を去る。それと同時に半田も自分の席へと戻っていった。その二人の後ろ姿を見ながら風丸は一人、物思いに耽る。マックスと半田には感謝してもしきれない、花織を大切にすることが二人にとって一番の恩返しになるだろう、そう風丸は思う。
これから花織と一緒にいて、花織のことを少しでも楽にしてやりたい。あわよくば、名前も知らない彼女のもう一人の想い人など忘れて自分のことだけ見てほしい。ずっとそんな思いで胸の鼓動が逸るのだ、だからこそ今朝、彼女に慣れないのにキスまで施すことになってしまった。
自分らしくない、だがそれでもいいと思えた。それが少しでも花織が自分だけを見てくれるようになるための材料であるなら。窓から差し込む暑い日差しを風丸は見上げる。もうすぐ、夏が来る。