脅威の侵略者編 第九章
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その日の夕暮れ。花織は練習の道具を片づけ、帰路に付こうとしていた。染岡の怪我は彼らの想像よりも酷く、半田たちと同じ稲妻総合病院に入院が決まった。染岡が抜けることにより選手たち、特に雷門出身の一年生には影響が大きいようだ。
染岡は雷門の切り込み隊長とも呼べる人物で、フットボールフロンティアでは豪炎寺とエイリア学園との戦いでは吹雪と共に雷門のストライカーとして重要な人物であった。そしてチームの精神的支柱としても男気溢れる彼はチームの兄貴としても慕われる人材だったのに。
花織は小さくため息をつく。今日の、染岡が抜けてからの練習での風丸は何か怒っているような、落ち込んでいるような……。とにかくいつも通りの彼らしくなかった。いったいどうしたのだろうか、花織は風丸が心配でならなかった。最近の風丸は花織と別れる前の風丸と違うような気がした。
もちろん花織の中で風丸を大切に思っている気持ち、彼を想い慕う心に一点の曇りすらない。でも以前の彼の落ち着きがすべて焦りに変わってしまっていて、彼らしくないような気がしてしまう。花織が好いている彼ではないような、そんな気が。
そういえば彼はどこだろう?練習が終わってから姿を見ない。花織は雷門中の中を探して回る。一緒に帰る約束はしているのだから、彼がその約束を破って帰ることは考えにくい。きっとこの敷地のどこかにいるのだろう。
「ん? 花織ちゃん、どうしたの?」
一之瀬と談笑していた土門が、花織がそこらをうろうろしているのが気になったのか、花織に声を掛けた。花織は足を止めて彼の方を見る。
「一郎太くんを探してるの。土門くんと一之瀬くんは見なかった?」
「風丸? ……んー、見てねえかな」
「俺も練習が終わってからは見てないよ」
二人とも思いだす様に目を伏せ、眉間に皺を寄せた。真剣に彼らは考えてくれていたようだが、彼の居場所は分からないらしい。本当に彼はどこへいったのだろう。
「そっか……、ありがとう。一緒に帰ろうと思って探してるんだけど、どこにもいなくて」
「じゃあ、もし見かけたら花織ちゃんが探してたって声掛けとくな。俺らまだ学校にいるからさ」
花織がふっと表情を陰らせると土門がそういって協力する意を見せてくれた。一之瀬も頷く、どうやら彼も同様に協力してくれるらしい。花織はありがとうと言って彼らと別れた。
だがそれにしてもどうして彼は見つからないのだろう? この敷地にある建物は修練場と地下の指令室を除いて工事中であるから、入れるところなどないはずだ。
そう思いながらきょろきょろとあたりを見回す。彼を探し始めてからもう十五分は立つだろう。そう思いながら彼の姿を探した。そしてふと、自分の目に青が映った。キャラバンの陰? そういえばキャラバンの中は探していなかったかもしれない。
花織は駆けだしてキャラバンの陰を覗き込む。花織は安堵の息を吐く、探していた彼がそこにいた。キャラバンに背を預けてどうも深刻そうに悩んでいるように見える。何かあったのだろうか、花織は彼の元へと歩み寄りながら彼の名前を呼んだ。
「一郎太くん」
「……花織か、片づけ終わったのか?」
花織が風丸に声を掛けると、彼は一瞬驚いたように面を上げたが、いつものように落ち着いた様子で花織を見つめた。花織にはそうやって自分を見つめる彼がどこか寂しく悲しげなような気がして花織の心はきゅっと摘まれるようだった。
「……どうしたの、こんなところで。何かあった?」
花織は風丸に向かって自分の不安な感情を隠して笑って見せる。風丸がさらりと髪を揺らして花織から視線を逸らした。キャラバンに背を預け視線はどこか遠くを見つめている。花織は彼の口から言葉が告げられるのを黙って待った。
「……何でもない、ただ考え事をしていたんだ」
「考え事?」
風丸の言葉は真実でも偽りでもなかった。風丸は考え事をしていた。だがそれは、彼自身の悩みに起因するもので、実際"何でもない"などという言葉で片付けられるようなものではなかった。
――――染岡がいなくなった。
雷門中サッカー部を円堂と同じ頃から支えてきた、きっと豪炎寺が入部してからは誰よりも努力を重ねてきた仲間。風丸は染岡の血の滲むような努力を重ねる姿を、誰よりもエースストライカーという座に拘り部を思う気持ちをもうずっと前から知っていた。同学年の仲間として、一年も前からサッカー部に所属しているある意味先輩として、染岡のことは円堂とは違う意味で尊敬していた。
その染岡が離脱した。理由は仲間を庇って怪我をしたから、その怪我を彼の精神力と根性で悪化させたからだ。風丸はこの事実を少し歪んだ形で解釈していた。
選手として存在価値がなくなってしまえば、容赦なく遺棄される。今まで積み重ねてきた努力など無駄、力がなければ去るのみだ。
そして、そうまでしてもエイリア学園に勝てる気がしない。自分にも、自分以外の人間にもエイリア学園と対等に渡り合えるような力はないと思った。だからますます思うようになった。――――力が欲しい、と。
「大したことじゃない。……暗くなるから早く帰ろう」
風丸は自分の本心を包み隠し、お茶を濁した。彼は花織に自分の本心を語る気は無かった。花織には自分の弱い本心を知られたくないのだ。知られてしまえば、彼女に嫌われてしまうかもしれない。情けない男だと思われ、愛想を尽かされてしまうかもしれない。
風丸はもはや自分の本心を花織に語ることができない状態になっていた。自分の内面を知れば花織はどう思うだろう。いつからかは分からないがそんな感情が彼の中を徐々に支配し始めている。
自分のスピードに関する不安も、エイリア学園を倒せるかという不安も、そして花織が自分だけを好いていてほしいという願いも切実な言葉として繰り出すことができない。
「……一郎太くん?」
彼は花織の顔を見ずに校門の方へと歩き出そうとした。だがそんな彼の良くわからない、こちらの不安を煽るような言動に花織は彼の名を呼ぶ。思わず歩き出した彼の左手を掴んだ。
「どうしたの……、今日の一郎太くん変だよ」
練習の時も、そして今も。花織は風丸の彼らしくない行動が気に掛かった。花織は彼の右手も捕まえて、自分の両手で彼の両手を包む。ねえ、と花織が風丸の顔を覗きこむようにして見上げた。その表情は心配そうに眉根が寄せられている。
「染岡くんの離脱は私も本当は嫌だし、一郎太くんにとっても凄く堪えるような事だったのはわかってる。でも、染岡くんなら怪我を治してすぐに戻って来るよ。……どうしてそんな顔をするの?」
花織は風丸がきっと思い悩んでいるのは染岡の離脱に対しての事ではないと悟っていた。彼の心の中に何かもっと秘めているものがあるはずだ。好きだからこそ、それを知りたかった。知ることによって彼の不安を払拭したいと思った。
「……力が欲しいと思ったんだ」
風丸はぽろりと自分の中で思い悩む感情のひとつを零した。それは以前、彼が親友である円堂に告げた言葉であった。自分を悩ます思いの一部であり、全てでもある一言。
「ちから……」
「ああ」
花織が風丸の言葉を反芻する。風丸はそれに頷いて目を伏せた。
「俺は……、早くエイリア学園を倒したい。入院している染岡や半田たちの為にも。花織を危険な目に遭わせないで済むサッカーができるようにするためにも」
「……うん」
花織が風丸の言葉に頷く。黙って彼を見つめ、手を握る花織は風丸の言葉を促した。彼の口から本心が僅かに零れ出る。
「でも今のままじゃ勝てる気がしない。……もっともっと力が欲しいんだ、奴らに勝てるだけの力が」
その言葉には焦りと力という物に対する執着が感じられた。彼の声色から花織は以前、北海道で彼と円堂が話していた時のことを思いだす。神のアクアがあれば……、彼はそう言っていた。あの時は円堂の説得に納得したようだったが、今また戦力が落ちていること、イプシロンという新しい敵が現れたことで再びその考えが再び浮かんだのかもしれない。
実際、風丸は内心そう思っていた。神のアクアがあれば、と思った。手早いパワーアップができればと思っていた。彼は先日の話を花織に聞かれていたとは知らない。だからこそ花織の前ではその言葉は口にしなかった。そんなことを口にすることで花織に軽蔑されることを恐れていた。
「一郎太くん」
花織が自分の手で彼の頬を包み込む。風丸は突然のことにどきっとして髪を揺らした。じわじわと自分の頬が赤くなるのが分かる。彼は気恥ずかしさの為に彼女から目を逸らしたかったが、優しく自分を見上げる花織の視線から逃れることができなかった。
「一朝一夕で急激にパワーアップする方法なんてないよ。皆、今までずっと地道に努力して、少しずつ強くなってきた」
「……」
「それで十分だよ、そうやって弱小サッカー部からフットボールフロンティア優勝校にまで上り詰めたんだから」
花織が風丸の頬を撫でる。今度は黙って風丸が花織の話を聞いていた。
「……だから、焦らなくて大丈夫だよ。ちゃんと努力を重ねていけば、いつか絶対にエイリア学園に勝てる」
「花織……」
「もしも不安で堪らないなら、私でよければいくらでも練習に付き合うよ。一緒に強くなっていこう?」
ね、と一心に風丸を見上げ、髪を揺らす花織の身体を風丸は強く掻き抱いた。花織の言葉は嬉しかった、自分を理解しようと花織が必死に自分の意を汲んでくれたのがわかったからだ。だが同時に苦しくもあった。彼女に対してこんなに気を遣わせなければならない自分が不甲斐ない。そして自分とは違って前を向いていられる花織が、この頃眩しくて仕方がない円堂に被る様な気がした。
しかしそんなことは口にできない。風丸は自分の不安や恐れを彼女にだけは隠し通すことを決めた。自分が花織にとって相応しい、情けない肝の小さい男だと思われない様に。何に対して不安を感じていても花織の前だけでは虚勢を張っていたいと思った。
小さな歪みだった。小さすぎて気づかないくらい少しずつ、彼らの気持ちはすれ違う。
「ああ。……すまない、花織。変なことを言って」
「ううん、何かあったら相談して?私はマネージャーだし、……それに一郎太くんの彼女だから。私が一郎太くんの力になりたい」
そう言って屈託なく笑ってくれる花織が愛おしい。風丸は花織の背をキャラバンに押し付け、彼女の黒い瞳を覗きこんだ。彼女が自分をこれほどまでに心配してくれることが嬉しい。だがきっと、優しい彼女のことだから他のチームメイトのことでもきっと同じくらいの心配をするのだろう。そう思うと彼の中では黒く粘っこい感情が増幅するようだった。無性に花織のすべてを支配したいような気分になって今度は彼が、花織の頬を両手で包む。
「……花織」
唇から言葉が紡がれるのとその行為はほぼ同時であった。花織はどきりと、ときめきとも恐怖ともつかない心臓の拍動を感じながらも、彼を受け入れる。一瞬彼の瞳が以前、見たものと同じように加虐的に色づいたような気がした。だが彼の思うがまま蹂躙され、そんな考えは酸素と共にどこかへ追いやられる。いつもであればこれほど花織が追いつめられるような口づけはしないだろうに。
「……ん」
彼女の膝が今にも頽れそうにがくがくと震えた。花織は彼のジャージの胸元を強く握り、何とか自分がその場にしゃがみ込まないように彼に縋る。花織がもはや立っていられそうにないことに気が付いたのか、風丸は花織の両足の間に自分の右足の膝を割り入れ、唇を離す。
「花織」
うっすらと目に涙を溜めて自分を見つめる瞳が、自分の所作で息を荒げる姿が妙に扇情的だった。今彼女の思考を統べるのは自分で、彼女の瞳に自分以外が映っていないのだと思うと満たされるような気持ちになった。
「花織……」
求めるように花織の名を呼び、再び唇を寄せる。花織はされるがままだった。この妙な空気に、ふたりは完全に自分たちがどこにいるのか、現在どういう状況だったのかということを失念していた。
「おっ、いたいた! 風丸、花織ちゃんが探してたぞ……って」
遠目に風丸の青い髪が見えたのだろう。花織が先ほど風丸を探していた時に声を掛けた土門と一之瀬が、キャラバンの陰を覗き込んで表情を固まらせた。またか外で、人目に付くであろう場所でこんな熱烈な行為をしているとは思わなかった。恐らくキャラバンに背を押し付けられた花織の姿は彼らからは見えなかったのだ。
一之瀬と土門の登場にふたりは慌てて口づけは止めたものの、風丸は力の抜けた花織を支えていなければならなかったから、抱き合ったまま離れることはできなかった。そんなふたりを見て苦笑いをしながら一之瀬が頭を掻く。
「あー……、御取込み中にお邪魔してごめん」
「……っ」
花織が恥ずかしさに顔を真っ赤にして風丸の胸に顔を埋める。一之瀬と土門は何とも言えない表情をして沈黙が気まずかったためか、ふたりに言葉を掛けた。彼らも思いにもよらない出来事に困惑しているようだ。
「相変わらずお熱いのはいいけど……、もうちょい人目を気にしてくれな?」
「とにかく花織、風丸が見つかったのならよかったよ。俺たちはもうそろそろ帰るから。……ごゆっくり?」
そう言って彼らはそそくさと帰って行った。残されたふたりはまだそこから動くことができなかった。花織は恥ずかしさに風丸の胸から顔を上げることができなかったし、風丸は妙な感覚が彼の中にこみ上げるのを感じていた。
花織は自分のものであると知らしめられた優越感。花織と距離の近い彼らに今の一連を見られてしまったことに気恥ずかしさも勿論あるが、今はそれが勝っていた。
スピードも花織も自分の手中に収めていたいと思った。たとえどんな手を使ったとしても。