脅威の侵略者編 第九章
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今までの試合でこれほどまでに後味の悪い試合はあっただろうか。あの後、潜水艦は爆破、沈没し影山は警察の手から逃げたようだった。佐久間と源田は正気に戻ったが、怪我が酷く、救急車で病院に搬送されていった。
その日の夕方、雷門中へ戻る道のりは重苦しい空気だった。その中でも花織が気にかかっていたのは鬼道の事だった。あんなことがあったから当たり前なのだが、鬼道は酷く落ち込み、悲痛そうにキャラバンの中でも両手を握りしめていた。今、この夕食の時間も彼は”食欲がない、一人にしてくれ”といってキャラバンから降りてこようとはしなかった。
「……」
花織は食事をしようとする手を止める。やはり食事よりも鬼道のことが気にかかった。傍にいた吹雪が花織に声を掛ける。
「花織さん、食べないの?」
皆、暗い雰囲気を消そうと無理に明るく振る舞い食事を摂っている。でも花織は彼が気がかりで堪らなかった。鬼道は何もかも一人で抱え込んでしまう、それは以前の出来事から花織は知っている。花織は吹雪の問いに頷き、立ち上がる。
「鬼道さんが気になるの……。少しキャラバンに行ってみる」
「花織」
隣に掛けていた風丸が花織の名を呼ぶ。行くな、とは言えなかった。花織に鬼道の元へ行ってほしくはなかったが、そうすれば花織を困らせるだろうし、何より了見の狭い男だと思われてしまうだろう。だから彼は押し黙った、みすみす彼女が以前想っていた男の元へ向かうことに何も言えなかった。
「何でもない。……鬼道を頼むな」
風丸は微笑んでみせる。すると花織は少し安堵したようにその場を離れて行った。彼の寂しそうな色に気づくことなく。
❀
「鬼道さん……?」
キャラバンの戸を開き、中へ入りながら彼の名を呼んだ。鬼道は自分の席に座り、両手で顔を覆っていた。彼は花織の声にゆっくりと顔を上げる。どき、と花織の胸が大きく音を立てた。
久しぶりに彼の瞳を見た気がする。誰とも似つかない彼の赤い瞳、普段はゴーグルに隠されているその瞳は今、悲しみの中に揺れていた。花織はキャラバンの戸を閉め、ステップを登る。
「……花織」
「鬼道さんが心配で……、来てしまいました」
鬼道の席の隣、以前花織が掛けていた席に花織が腰を下ろす。鬼道は困ったように息をついて、俯いた。
「風丸に嫌がられるだろう」
「彼はそんなことで何も思ったりしませんよ。……それに鬼道さんのこと放っておけません」
優しい目をして花織が言う。鬼道はこんなことが以前にもあったな、と思っていた。あの時はまだ花織が自分に好意を抱いてくれていたと思う。あの世宇子に帝国が負けた、佐久間たちが今回の件に巻き込まれるきっかけになった試合。その後に彼は花織を帝国に呼び出したのだった。
もう一度だけ頼ってもいいだろうか、このどこまでも優しい想い人に。縋ってもいいだろうか。仲間たちの中で誰よりも自分を知る、今は俺の物ではない花織の存在に。
「……俺は、お前に情けないところを見られてばかりだな」
「鬼道さんに情けないところなんてありません。あったとしても、それはきっと鬼道さんの優しさの一部です。……だから、私は情けないなんて思いません」
長い間、鬼道を想っていただけのことはある。花織の言葉は玉を転がすような声色で、彼を優しく包んだ。でもその声色にあの頃の感情は含まれていない。……それでも、たとえ汚いと言われようとも、鬼道は花織に縋らずにはいられなかった。不意打ちのような形で鬼道が花織の身体を抱き寄せる。
「っ、鬼道さん……!」
「すまない、こんな顔を見られたくないんだ。……しばらくこうさせてくれ」
鬼道が言った言葉は事実でもあったが、花織の身体に触れるための言い訳でもあった。温かくて良い香りのする彼女が腕の中にあるだけで、幾分気持ちは楽になるような気がする。今は、誰かが傍にいてくれるだけで救われるようだった。数度呼吸を置いて、彼は漸く胸の中で毒づいていた気持ちを静かに吐き出す。
「佐久間と源田の手術、難しいそうだ……。医者によると怪我で生きていたのが不思議なほどだったらしい」
それほどまでに……、花織は身体を強張らせる。鬼道を除いた他のメンバーは佐久間たちが病院に搬送されてからのことは知らなかった。だが鬼道の言葉から察するに緊急手術になったのだろうか、それとも入院してからすぐに手術が必要だと診断されたのか。だがとにかく理解できるのは真帝国での戦いで、彼らの身体が酷く傷つけられたのだということだ。
「花織、俺は今まで時々思っていた。帝国学園のキャプテンとして、俺は最後まで皆の傍にいるべきだったんじゃないかと」
「……」
「俺が帝国に残ってさえいれば、ふたりが影山に取り込まれることはなかったかもしれない」
鬼道は自分を責めているようだ。そんな必要はない、決して鬼道のせいではないのだから。花織はそう思いながら鬼道の背を撫でる。
「鬼道さんは悪くありませんよ。それに、もしもの事なんて誰にもわかりません」
「花織……」
縋るような声色で鬼道が花織を抱きしめる。以前もそうだったが、彼は花織の前だと素直になれた。それはもちろん花織を慕っているからという理由もあったが、何より彼女が優しく話を聞いてくれるからであった。帝国にいたころから彼女は聞き上手だった。
「責める人があるとすれば影山総帥だけです。……人の弱さに付け込んで、あんなことをするなんて」
影山、その言葉で鬼道の腕に力が入る。彼は痛いほど花織の身体を抱きしめ、首筋に顔を埋める。そして憎々しげに鬼道はその名前を叫んだ。
「影山……、影山影山影山ッ‼」
「鬼道さん……っ。落ち着いてください、大丈夫ですから」
宥めるように花織が鬼道の背中を撫ぜた。するとようやく鬼道は花織から身体を離す。彼は花織の肩を掴んで花織の顔をじっと見つめた。まるで花織の瞳の中にいる自分を覗き込んでいるようだった。
「アイツは……、俺を自分が手掛けた最高の作品だと言った……」
「作品……」
花織が復唱してみれば鬼道は苦々しく顔を歪める。赤い瞳が悔しげに顰められた。
「確かに俺は幼い頃からアイツにサッカーを教え込まれてきた。……だが俺はもうアイツの操り人形じゃない。……それなのに」
視線を逸らしながら鬼道が呟くように言った、花織の肩を掴む手に力が籠る。よほど影山の言葉は鬼道の心を蝕むようだ。彼の手は震えるほど強く花織の肩を掴む。花織はそっとその手に片手ずつ触れ、彼の手を自分から引きはがすと鬼道の手を両手で包む。
「有人さんは有人さんです。……私は知ってます、貴方が自分の意思で影山総帥と決別したことを。もちろん、チームの皆も」
花織が狡くも鬼道の名前を呼ぶ。彼はそれを聞いてハッとした様に目を見開いた。そして少し嬉しそうに、慰められたかのようにぎこちなく微笑む。
「……そうだな」
鬼道はそう言って自分の脇に置いていたゴーグルを手に取る。彼は慣れた様子でゴーグルを押さえて手早く装着する。赤い瞳はゴーグルの中に仕舞われてしまった。
「すまない、もう大丈夫だ。……迷惑を掛けた」
「いいえ、迷惑だなんて思いませんよ。鬼道さんが元気になってくださるなら」
残酷なくらい優しい微笑を浮かべる花織。鬼道は先ほどとは違う意味で胸が苦しくなった。彼女を異性ではなく、純粋な仲間として友人として接することができたなら彼女の言葉は一切苦しいものではなかっただろうに。彼女の優しさは、時としても無慈悲だと鬼道は思う。
だがそれでも彼女に恋をしているのだ。誰よりも心から大事に思うのだ。
たとえ彼女が他の男を愛していようとも。