FF編 第一章
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とうとう転校前日、どうしてかこの日は鬼道に会えなかった。いつもなら朝の登校時や昼休み、彼の方から声を掛けてくれるというのに。花織は仕方なしにサッカーグラウンドへ通じるあの道に行ってみることに決めた。鬼道と初めて出会った通路に。
しばらく待ってみると案の定、鬼道が通りかかった。花織の鼓動が高鳴る。緊張で手汗が湧き出てくる。
「鬼道さん……っ!」
花織は小さく彼に呼びかけた。花織の声にぴくりと反応して鬼道は辺りを見回す。そして花織の姿に気が付くと顔を顰め、駆け足で花織の傍まで歩み寄った。
「どうしてここへ来た? 今日は総帥がいるから帰れ」
冷たく鬼道が小声で言い放った。出会った日から鬼道は、花織がいつここに来ようと何も言わなかったはずなのに。むしろ花織を歓迎し、部員たちにも分からないようにサッカー部を見学できる場所に連れて行ってくれていた。だがこの日だけは鬼道は花織を今すぐに追い返そうとしているようだった。
「わかりました。でも鬼道さん、少しだけ話を聞いていただけませんか?」
「俺は忙しいんだ、早く行け」
鬼道の言葉にちくりと心が痛む。迷惑だなんて分かっている、それでも言わなければきっと後悔するはずだ。今日しかない、この気持ちを伝えられるのは。今日を逃せばもう二度と気持ちを伝えられないかもしれない。それだけが、嫌なはずだった。
「お時間は取らせません。鬼道さん、私……。鬼道さんの事が好きです」
「……」
鬼道がゴーグル越しに目を丸くしているのが見て取れた。花織は静かに言葉を続ける。
「初めて声をかけてくださった時からずっと、鬼道さんをお慕いしていました」
精いっぱい、彼女が絞り出した言葉は単純でストレートだった。花織が俯いて目を伏せる。沈黙を破ったのは鬼道の冷たい声だった。
「……だからなんだ?」
「え……っ」
花織が驚いて顔をあげる。鬼道は笑っていた。それはいつもの優しい微笑みではなく、花織を蔑むような冷え切った微笑だった。鬼道は腕を組みながら花織のことを冷淡に見つめ、まるで感情のないような声で花織に言葉を掛ける。
「……好きだから、恋人ごっこにでも付き合えとでもいうのか?」
予想だにしなかった言葉に花織は狼狽えた。
「べ、別にそんなつもりでは……っ。私はただ」
思わず声が震える、身体にさあっと氷のような冷ややかさが駆け抜けた気がした。私はただ、気持ちを伝えたかっただけなのに。いつもと違う鬼道の言動に花織は酷く動揺する。いつもの彼はこの帝国学園内で誰より温かく穏やかで、聡明で優しかった。いつも花織を尊重してくれた。今日の彼はまるで別人のようだ。
「だったらなんなんだ? 片思いのヒロインでも気取っているのか。悪いが、俺はお前などに興味はない」
「……っ」
興味はない、その言葉はどの言葉よりも花織をどん底へと突き落とした。今までかけてくれていた優しい言葉は夢幻であったかのように思えてしまう。息ができないほど胸が痛む。自分の好きになった人はこんなに酷い人だったろうか。
「わかったら帰れ、練習の邪魔だ。俺はお前なんかより、サッカーの方が大事なんだ」
お前なんか、花織のすべてを否定する言葉に世界が絶望に染まったような気がした。自分の意志とは関係なしに思わず手が出てしまう。彼の言葉をこれ以上聞きたくなくて、押しとどめようとして花織は鬼道の頬を打ってしまった。
「っ……!」
鬼道が赤くなった自分の頬に手を当てる。花織はハッと我に返ると自分が大変なことをしてしまった事に気が付いた。
「ごめんなさい……」
震える自分の手を見つめて花織は呟く。鬼道の気持ちが自分に向いていないことは仕方のないことだ。だが花織は鬼道を慕い、鬼道に振り向いてもらいたくて努力をしてきた。
その努力どころか存在をサッカー以下だと想い人に否定されて平気でいられるほど、花織の鬼道への気持ちは軽いものではなかった。どんどん花織の心は冷えて固まっていった。花織は黒髪を揺らして鬼道に背を向け、心ここに在らずの声で別れの言葉を呟く。
「すみませんでした。大切な練習の邪魔をして」
そしてすぐさまそこを立ち去った。そこに平手打ちをした瞬間に落とした赤い手帳と悲しそうな鬼道の表情に気が付かないまま。
鬼道の前から逃げ出した後、自然と花織の足は鬼道が教えてくれた秘密の場所へと向かっていた。サッカー部の練習が一望できる、鬼道と花織以外の誰も知らないこの場所。出会ったばかりの頃、練習が見たいならと手を引いて連れてきてくれた。その場所に。
目から零れ落ちる涙を堪えようとしても止まらない。ただただ胸が痛かった、いくらなんでもあんなこという人だとは思わなかった。しかし自分に彼を批判する資格がないことは分かっている。実際は勝手に告白して、勝手に振られて逆上してるだけ。身勝手なのはむしろ自分の方だった。
でも、諦められない。あれだけ彼に釣り合えるような人になろうと思ったのだから。あれだけ他の人に嫌われても我を通したのだから。そして今までに鬼道のくれた優しい言葉の数々をはっきりと覚えているから。
お前とここで話すことのできる時間は、俺にとっても楽しみなんだ。この場所で彼が掛けてくれた言葉の一つを思い出す。どれだけ冷たいことをいわれようとその記憶がある限り、花織は鬼道のことを嫌いにはなれそうになかった。