FF編 第一章
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ちょうど一年ほど前の話だった。帝国学園、学業とサッカーに力を入れている名門校。学業に専念したいという理由で、花織はこの学校を受験し、何とかすれすれで入学することができた。花織がこの学校に入学できたのはほとんど偶然だったといえるほどだった。
成績は下の中、消極的でクラスからも教師からも印象は薄かった。この学校ではサッカーがすべて。他の部活はあるようで無いに等しかった。しかし花織はそれでも陸上部を志望し、陸上部としての活動をしていたのだ。
授業が終わり、花織は共有グラウンドへの道を急いでいた。授業の進む速さに翻弄されすっかり疲れ切っていたが、学業から解放される手段として走ることを好いていたし、何より自分が他よりは秀でているものとして陸上を好んでいた。
その日、花織は少しでも早くグラウンドへ向かうべく、一般生徒が通ることの許されない通路へと足を踏み入れた。普段は通らないサッカー部のフィールドがある道を。誰にもばれないよう身を潜めながら共有グラウンドへ向かう。そんなとき、どこからともなく一つのサッカーボールが花織の足元へと転がってきた。花織はサッカーボールを足で止め、拾い上げる。目の端に赤いマントが翻った。
「え……?」
赤いマントに特徴的なゴーグル、そしてドレッドヘア。花織の目の前に立つ少年はとても個性的な容姿をしていた。
「こんなところで何をしている」
「……鬼道さん」
花織は彼の名を呟く。帝国学園に対して無関心な花織でも彼のことは知っていた。彼の名は鬼道有人。帝国学園の一年生主席、そして一年生ながらに帝国サッカー部のキャプテンだった。このサッカー部を中心に回っている学校では鬼道有人は花織のような一般生徒が話しかけられることは許されていなかった。本当なら鬼道さんではなく、鬼道様、と呼ばなければならないくらいだ。
「ここは、一般生徒は通れないはずだが」
鬼道が厳しい声で花織を見る。しかし花織は全く怯むことなく、あっけらかんと彼の問いかけに返答をした。さらりと花織の黒髪が風に揺れる。
「ごめんなさい、ちょっとサッカー部を見てみたくて。鬼道さんたちの練習をみれば何か陸上の練習に役立てられることがあるのではないかと思いまして」
その時、花織はまるで息を吐くかのように嘘をついた。本当はただグラウンドへの近道をしようとしていただけなんて言えるはずがなかったからだ。鬼道はほう、と意外そうに眉を動かし、花織の言葉を聞いた。
「お前の名前は……、確か月島だったな」
「……どうして、私の名前を」
あまりの出来事に花織は口元に手を当てて驚いた。鬼道のような雲の上の存在が、一般生徒である花織を知っていることは彼女にとって相当の衝撃だった。鬼道は不敵に笑いながら当然だと言いたげな口調で言葉を続ける。
「帝国一、足の速い女を俺が覚えてないわけないだろう」
その言葉に思わず心臓が大きく音を立てた。初めてこの帝国学園で自分を知っている人がいた、花織はそう思った。この学園内では無に等しい自分の存在を知ってくれていた、しかも鬼道のような人が。
「あ、ありがとうございます」
嬉しさから微笑みを見せながら花織が鬼道に頭を下げる。そして未だサッカーボールを手にしていたことを思いだしたのか、慌てて鬼道に差し出した。鬼道は愉快そうに微笑みを零しながらボールを受け取る。
「フッ、気にするな。……お前の練習の参考になるかは分からないが、少し練習を見ていくか? 総帥に見つかれば問題だろうが今日は留守にしているんだ」
「は、はいっ!」
花織は鬼道の申し出に大きな声で返事をする。翻る赤いマントの後を駆け足で追った。もう少しこの人の傍にいたかった、自分を知っていてくれたこの人の傍に。これが、月島花織と鬼道有人の出会いだった。
あの練習を見に行った日から、鬼道は花織に会うたびに挨拶を交わしてくれるようになった。特別に鬼道に声を掛けられることで周りに白い目で見られようが、蔑まれようが花織は気にはしなかった。むしろまた、一瞬でもいいから花織は少しでも鬼道の目に留まりたくて、何もかもを一生懸命に取り組んだ。
ほとんど下位だった成績は徐々に上がり始めた。教師からの評判もクラスメイトの信頼も少しずつだが築くことができた。すべては鬼道に振り向いてもらいたいがため、花織は精いっぱいできることをやった。中でも力を入れたのは陸上だった。
鬼道が自分の速さを知っていてくれたのだ、だからもっと速くなりたい。誰にも負けないように、ずっと鬼道が自分の速さを覚えていてくれるように。入部当初は一人だからとあまり遅くまで部活をしていなかったが、練習時間を延ばし練習法も調べ、研究を重ねた。鬼道のためにとすべてを費やすうち、花織は彼に恋心を抱くようになっていた。
恋人になりたいなんてそんな傲慢なことをいうつもりはない、ただ鬼道が声を掛けてくれる人間として相応しくなりたかった。そんな花織のたゆまぬ努力を知ってか鬼道は挨拶だけでなく頻繁に声を掛けてくれるようになり、他のサッカー部員が不思議がるほどに鬼道は花織に一際特別に接した。
そして鬼道は花織に秘密を明け渡してくれた。帝国学園内で鬼道のみが知るという、サッカーグラウンドを見渡せるが、唯一他からは一切見えない場所。時折その場所で密会し、鬼道の語る話に花織は耳を傾けた。帝国学園内での居場所を、鬼道は花織に与えてくれた。
「月島、お前は努力家だな」
成績順位が一桁にようやく突入した一年の三学期学年末考査の結果発表時、鬼道はわざわざ花織の教室にやってきてそう微笑んだ。
「鬼道さん、ありがとうございます」
その言葉が嬉しくて仕方ない、花織が頬を赤く染めれば鬼道は優しく花織の頭を撫でた。
「月島、俺は……。いや、なんでもない」
少し何かを言いかけて鬼道は口を噤む。花織は彼が口ごもったことに疑問を抱いたが、そんなことは鬼道が自分を褒めてくれたことに比べればちっぽけなことだった。鬼道が自分を認めてくれる。その喜びを胸の中で噛み締めていた。
しかしその日の夕方だった、花織の父の都合で転校が決まったのは。花織は必死に説得した。同じ東京都にあるのだから通えないことは無い、帝国で学びたいことがたくさんある、と。しかしそれは聞き入れられなかった。新しい家から帝国学園に通うには負担が掛かりすぎるのだ。彼女の父は花織に言った。
「雷門中学も中々の進学校だ、それにちゃんとした陸上部もあるのだからそのほうがいいだろう」
そう言われてしまえば花織は反論することなどできずに、しぶしぶ了承することになってしまった。しかし心残りがある、鬼道のことだ。これだけの努力はすべて鬼道に認めてもらうためのものだった。だから最後に想いを伝えたいと思った。たとえ報われなくてもいいから自分の気持ちを知ってほしい、花織は決意を固め、己の気持ちを鬼道に告げることを決めた。