FF編 第一章
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新学期、それは学校生活において一年間の節目となる日だ。新しい学年へと上がる生徒たちは、新たなクラスや担任教師への期待を膨らませながら校舎への道を歩いた。私立雷門中学の正門から校舎を見上げれば、一面桃色の海かと見紛うほどに立派に咲き誇った桜の花々が目に留まる。
そんな舞い散る桜の中を、一人の少女が歩いていた。長い黒髪を靡かせ桜を身に纏う。髪に絡む桜を払いのけながら、少女はきょろきょろとあたりを見回し校庭を進んだ。そして目的の物を見つけるや否や、彼女は地を蹴って駆け出し、足元で踊る桜の花びらを再び空へと舞いあげた。その姿を何かに例えるならばまさに風、それ以外の言葉は当てはまらなかった。
***
比較的新しく綺麗な廊下を歩きながら、黒髪の少女は不安げに辺りを見渡す。彼女の名前は月島花織、今日付けで帝国学園から転校してきた転校生だった。その面持ちと長い黒髪から、彼女はどうやら大人しい性格だろうかということが推し量れる。顰められている細い眉は、いかにも彼女をか弱そうを見せた。
ふいに少女の足が止まる。花織が顔を上げれば、そこには職員室と書かれた札が下げられた部屋があった。彼女はこの部屋に用があった。何しろ彼女は転校生、まずは連絡をくれた担任教師になるであろう人物に挨拶をしなければならない。
(冬海先生……、だったよね)
ふゆかい、だなんて。珍しく、また何とも形容しがたい語呂の名前を花織は頭の中で再び確認する。教室の扉に手を掛けようとしたが、緊張に指先が強張った。見知らぬ場所で見知らぬ人物に会う、緊張するには十分な理由だった。一度、扉に伸ばした手を引いて花織は胸に手を当てた。真新しい制服のリボンを整えて大きく息を吸う。そうすれば少しだけ気持ちが落ち着いた。そして再度、彼女は教室の扉に手を掛けてゆっくりと戸を開いた。
「失礼します」
透き通るような、だがしっかりと通る声で花織は、はっきりと言った。花織の声を聞いて職員が数名、花織の方へと目を向ける。花織は寄せられる視線に軽く目を伏せながら、今にも飛び出そうなほど拍動している心臓を抑えて、静かに続ける。
「帝国学園から転校してきました、月島花織です。冬海先生はいらっしゃいますか?」
花織がそう問うとゆっくりと一人の人物が立ち上がり返事をした。返事をしたのは眼鏡を掛けた、冴えない中年男性だった。気が弱そうでありながら神経質そうに眼鏡を押し上げている。一見、潔癖症のような気もしたが無精ひげを見るあたりそうではないようだ。
「私が冬海だが、君が帝国学園からの転校生かい?」
ちらりと花織を一瞥して冬海は眼鏡を押し上げる。
「君のような子が帝国学園にいたなんて信じられないね。……まあ、だからこそこんなところに転校してきたんだろうが」
「……」
冬海のぼそぼそとした声に花織は思わずむっと顔を顰める。第一印象から今の印象まで何もかも最悪だった。挨拶の前にこちらに対する罵倒をくれるとはなんと失礼なのだろう。まさに名前の通り不愉快だ、と花織は胸の内で思う。しかし、転校早々、教師相手に反抗するつもりもなく、彼女はゆっくりと言葉を飲み込んだ。
「ええ、私が帝国に入学できたのは偶然でした」
にっこりと作り笑いをしながら花織は冬海を見上げた。冬海は花織の態度をフンと鼻で笑うと花織に背を向けた。
「ついてきなさい」
言われた通りに花織は冬海の後について廊下を歩いた。いくつかの教室を通り過ぎ階段を上り、彼女が今後学校生活を営む教室へと向かう。雷門中学の学び舎は、帝国学園の重々しさに比べると清涼感があるように花織は思った。そして二ーCと書かれた札の教室の前で冬海が足を止める。
「少し待ってなさい」
そう言い放って冬海は、花織の方を見向きもせずに扉を開けると、さっさと教室の中へ入ってしまった。その態度に花織はまた微かに不信感を覚えるが、そんなものは一瞬で消える。新しい学校や友達への不安や期待、それが花織の心のすべてを満たした。
教室の中からおはようございます、と生徒たちが揃って挨拶をする声が聞こえる。それがまた花織の緊張をより一層高めた。それから数秒後、冬海の"入ってきなさい"という言葉を聞いて花織は教室の扉を開けた。
教室へ一歩足を踏み入れると、クラスメイトの視線が花織に集中した。花織は一つ呼吸を置いて教壇の前へ歩く。そしてクラスメイトの前に立つとまっすぐ前を見据え、静かな声で自己紹介を始めた。
「帝国学園から転校してきました。月島花織です。よろしくお願いします」
短いが凛とした挨拶を終え、花織が頭を下げるとぱらぱらと拍手が湧いた。花織は頬を桃色に染めながら髪の毛に手を伸ばす。恥ずかしげに、頬に掛かった黒髪を耳に掛けた。
「じゃあ月島さんは木野さんの隣の席に座ってください。……以上でホームルームを終わります」
木野と呼ばれた人物であろう少女の隣、空いている席を指し示して冬海は素っ気無くホームルーム終了させた。号令を掛けるのに花織の着席すら待たなかったことに、花織は少しまた冬海教諭に対して不快感を募らせたが、顔には出さずに鞄を机に置く。すると先ほど冬海に木野と呼ばれたショートヘアの少女と、頭にバンダナを巻いた少年が花織の席の前に立った。
「なあ、サッカー部に入らないか?」
きらきらと表情を輝かせながらバンダナの男の子が花織に声を掛けた。花織があまりの唐突さに呆気に取られていると木野が慌てて男の子を制する。
「円堂くん、まずは自己紹介しないと。……月島さん初めまして。私は木野秋、よろしくね」
秋がそういって柔らかく微笑むと、円堂と呼ばれた男の子がそれに続いた。
「俺は円堂守! 雷門中サッカー部のキャプテンだ。なあ月島、サッカー部入んない?」
円堂はサッカー部の入部勧誘がよほど大事らしく、自己紹介もそこそこに花織に再度問いかけた。花織は円堂の熱意に微苦笑を漏らしながらも首を傾げる。
「サッカー部って男の子だけじゃないの?」
「マネージャーでもいいの、マネージャー私だけしかいないから」
秋が花織の質問にそう答える。二人の勧誘は花織にとって嬉しくないわけではなかったが、花織はそれに応えられなかった。彼女には帝国学園の生徒であった時から熱心に練習を積んでいた競技があったのだ。
「ごめんなさい、円堂くん、木野さん。私、陸上部に入ろうと思ってて。……だから」
「それじゃあ仕方ないな」
花織が申し訳なさそうにそう言いかけると、残念そうな表情をするでもなく円堂は笑った。そっか、と納得したような表情を見せて背後を振り返る。そして廊下を歩いていた一人の少年を見つけてあっと声を上げた。
「おーい、風丸!」
クラスメイトたちが円堂の大声に一斉に振り向く。花織が彼の声に驚いて秋と円堂を見れば、秋は苦く笑みを漏らしていた。花織は戸惑いつつ、彼が呼び止めた人物の方へと視線を向ける。青髪のポニーテールの、少年。彼の穏やかな茶色の瞳は不思議そうに円堂を見つめていた。
「円堂、いきなり大声出して何かあったのか?」
「この子がさ、陸上部に入りたいんだって! 案内してやってくれよ、風丸」
円堂は突然、少年を呼びつけてそう言った。理解の追い付かない風丸という少年は、はあ? と困ったような声を上げてちらと花織を見る。花織が困ったように頭を下げると風丸も軽く会釈をした。じゃあ、任せたからなと円堂は風丸の肩を叩くと、秋と共に素早く花織たちの元を去っていった。状況を飲み込めていない風丸と、円堂という少年の衝撃に呆然としてしまう花織。残されたふたりはどちらともなく互いを見合わせる。沈黙がふたりの間に流れた。
「俺は風丸一郎太。転校生の月島だったな。……放課後、女子陸上部の部室に案内するからここで待っててくれ」
先に沈黙を破ったのは風丸だった。自己紹介をして、花織に親切にも部室まで案内をするという言葉を持ち掛ける。とんとん、と指先で机を叩いたのはおそらくこの場所で待ち合わせようという意味だろう。花織は彼の言葉に頷いて、彼を見た。彼女は先ほどまでは核心を持てなかった彼の性別を一郎太、という名前から察していた。
「よろしくお願いします、風丸くん」
花織は風丸の目を見つめながら静かに頭を下げた。
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