LOOP54
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部屋を出る前には必ず鏡を見る。今日の自分はあまり湿っぽい表情を浮かべてはいなかった。スリットの入ったスカートの裾が乱れていないか、髪の毛に寝ぐせがないか。最低限の身嗜みを確認してユキは部屋を出た。無色の光にきらりと、彼女の銀髪と耳につけた細い金のリングが煌めく。
沙明という青年との関わりによりユキの中には変化があった。自身の死にかけた心に、生きる希望が芽生えたのをユキはあのループを終えるときに強く感じた。
宇宙船D.Q.O.でのループ現象において、毎回グノーシアが発生しているという部分が揺らぐことはない。しかし細微な条件は目が覚めるごとに異なっていた。乗員の数、グノーシアの数、それぞれの役割も異なる。セツ曰く、乗員は最大十五名で特定の十五名の外の誰かが乗船していることはないそうだ。
そのため再びを願っても、目が覚めた時に沙明が乗船していないループもある。だがそれでも、彼に救われた以降に繰り返した十回以上のループで、沙明がどのような人間であるか上っ面を撫でることくらいはできたように思えた。
彼の人間性の基本的な部分は第一印象とあまり変わらない。自己中心的で、生き残るためには姑息なことだろうと割と何でもする。発言も肉欲に忠実で下劣と評されるものが多い。そのせいでこの船の女性たちと特にセツからは眉をひそめられていることも多々あった。
しかしユキは、あのループで彼に心を救われたからだろうか。不適切な言動を好ましくはないとは思うが、しかしそれで彼を嫌いになるということもなかった。むしろ人間らしくて共感でき、誠実すぎるよりも信用に値すると感じられた。
実際、自分勝手な人だ。議論の最中に議題とは全く関係のない話を始めることもある。でもそれはグノーシアに“自分が消滅させる価値もない人間だと思わせるためだ“と彼は語って教えてくれた。決して悪戯に議論を混乱させようとしているわけではない。きっと彼の行動の一つ一つには、彼の思考に基づくエビデンスがあるはずだとユキは考える。グノーシアとして一人残った沙明が苦しげであったことに理由があるように。
彼に再会するために、ユキは新しい始まりに向かう。
今回のユキは沙明と共に、前回の寄港地で船を降りていないことになっている。留守番、と呼ばれる役割で、片方の存在が公に自分が人間であることを証明する。お互いがお互いを認識しているからグノーシアも留守番を騙ることはできない。すなわち、今回のユキと沙明は人間であることが確定している状態だ。そして先の議論で名乗り出ることを求められ、話し合いの中で情報を開示していた。
「あーあ、俺が人間だってバレちまった。グノーシア連中、狙うならお前にしといてくんねーかな……」
本日の議論終了時、部屋に戻ろうとする沙明に声を掛けたが、返ってきた答えはこれであった。浮かない表情をしていた沙明はユキを見るなりそのようなことを言う。思わずユキは口の端を引き下げ、呆れた表情を見せた。
彼が不安視するようにユキも沙明も、人間であることが乗員全員に知れている状況である。人間であると確定しているということは、グノーシア陣営にとって厄介な存在になりうる。乗員たちは人間だと分かっている乗員の意見を尊重する傾向にあるし、協力関係を組みたいと願い出る者も多い。以上を踏まえると留守番は、他の者に比べてグノーシアに襲撃される可能性は高まっているといえよう。
それにしても沙明のユキに対する発言は、ユキに対して配慮がないのではなかろうか。俺の代わりにお前が死んでくれたら、と彼はそう言っているのだ。自分が生き残るためなら何でも、という彼らしい言葉ではあるのだけれども。
他の乗員に対してならばともかく、その発言はユキに大した影響をもたらさない。消されることに怯え上がっている沙明が消されるくらいなら、ループ現象の中に在って消される恐怖はほとんどない自分が消えた方が良い。そうユキは考えている。しかし心無いことを言われて傷つかないわけではない。こんな軽口を彼が吐くのはいつものことなのに、受け止めた心はぐらぐらと揺らぐ。チクりと針で刺すような痛みがあって、ユキは思わず沙明から顔を背けた。
「オイオイ、んな顔すんなって! ジョーダンだよジョーダン!」
「……」
ユキが俯いたのを見て、多少なりとユキの心を慮ったのか沙明は慌てて彼女の肩を叩いた。ユキを覗き込むその表情には取り繕った笑顔と……、瞳から滲むのは心配だろうか。
彼が浮かべる感情を一口に心配だと片づけても、その言葉と表情は自らの安全のため? それとも本当にユキを配慮してのものだろうか。自分で軽口を叩いておきながら、ユキがそれをどう受け止めたのかを懸念しているのか。彼の心は今になってもまだ分からないでいる。それでも……。
「な? 笑う門にはンーフーンっつーだろ」
「……っ」
自分のことを沙明が気にかけてくれるのは訳もなく嬉しい。大したことは言っていない、何とか組み立てたその場しのぎの言葉じゃないか。それを分かっていても熱で溶けるように表情筋が緩んでユキが笑みを零す。そうすると安堵した様子で沙明も笑うから、ユキはじんわりと心が温まるのを感じた。彼が笑ってくれると理由もなく、やっぱり嬉しい。
沙明はこうやって視線を合わせて、自分の言葉一つで変わる相手の表情を気にしたりして。軽口ばかり叩く癖に彼は、人の心にはそれなりに敏感だ。ただ臆病なだけかもしれないけれど、彼にはきっと人並み以上の優しさがある。
そして彼の優しさはただその場しのぎではないということも、ユキは目の当たりにする。