LOOP174
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時は止まることなく流れていった。議論三日目、ユキの目論見通りに正エンジニアが消滅して迎えた朝。これでエンジニアから得られる情報は無くなった訳だが、既にユキはこの乗員たちの中に嘘つきを見つけている。長きにわたって培った観察眼だ、十中八九は正当だろう。議論の主導権は握ってしまっているから誘導も容易い。
たとえ目立ちすぎてグノーシアに目をつけられても彼らの力で消滅させられることは無い。それがバグであることの唯一の利点だ。バグの特性を利用して多少オーバーに、ユキは嘘をついたと思わしき乗員、コメットをコールドスリープに追いやった。その行動に一切の迷いはない。
「ヘイ、ユキ。お前ってさ、前にもグノーシアに襲われたことかあるワケ?」
ネオンがチラつく娯楽室。昨日の約束の通り、ユキは沙明の元を訪れた。ユキの隣にかけていた沙明は開口一番、議論時に感じた率直な疑問を彼女に投げかける。ユキは彼の方へと視線を向けた。沙明は覗きあげるようにしてユキを見つめている。
「どうして、そう思うの?」
「ハッ、どうみたって場馴れしてんだろ? 俺の目は誤魔化せねェぜ」
的を射ているが、やはり説明したってわかることでは無い。ユキはその彼の言葉には何も答えず、曖昧に微笑んでみせた。沙明はさして気にしてはないようで、ぺらぺらと勝手に話を続ける。
「ま、何にしたってお前が俺の味方だっつーことは心強ェよな。アーハァ、お前がいてくれりゃ、生き残れんだろマジな話」
「……そう?」
「アァ。……んで、だ。なァ、こいつにゃ答えて貰えますかねェ」
「私に答えられることなら」
ユキが特別、彼に対して黙秘することは特にない。さっきの質問だって彼が望むのならば解説したって良かったのだ。ユキがソファに座り直して彼の方へ向く。すると沙明は先程よりも少し改まって、真っ直ぐな黒の瞳をユキへ向けた。
「この船降りたら、……ンーフー仮にな、俺らが二人とも生き残れたら……。ユキ、お前さどこに行くワケ?」
「……」
口篭りながら彼が述べた問いかけにユキは息を飲む。答えようのない問いだからではない。
いつに繰り返した言葉だろうこれは、そう思考が頭をよぎった。胸の中で思い出が巡る。今の状況にふさわしくない言葉が、ユキに心を許しきった彼の口から紡ぎ出される。照れくさそうな表情をした彼は眼鏡を押し上げ、その流れでさりげなくユキの手に触れた。
「ユキ、お前さえ良けりゃ、俺と一緒に……なんてな。アッハ、いや俺がユキに着いていってもいいんじゃね? つー話な。俺はお前のことマジで気に入ってんだよ。だから俺の……」
途中は顔を俯かせ、口ごもって誤魔化し誤魔化し、それでも彼が本音を言葉に変えていく。懸命に彼が言葉を考え紡ぎ出しているというのに、ユキは彼の言葉の先を既に知っていた。文脈は違うが、彼が何を言わんとするのかは手に取るように分かった。シチュエーションは違えても同じだ、過去は今とリンクする。かつてのユキの記憶、そして眼前で彼が放つ言葉が再生される。
『俺の傍にいてくれよ。置いてくんじゃねえぜ?』
鼻の奥がつきんと痛む。そうやって何度も、何度も彼と約束をした。約束をしておいてなお、私はここに立つ。考える必要もなく、導き出せる結論がある。
――――私は、その約束を守れない。
握りしめた確かな手の温かさを辿って沙明は再び顔を上げようとする。だがユキの表情を見て彼の言葉は失われた。ユキ、と沙明の唇が彼女の名を呼ぶために動いたが音にはならない。ぽたりと降った雫が彼の手を濡らすからだ。
深緑の泉、穏やかな彼女の瞳からは一粒、また一粒と降り出した雨のように涙が零れ落ちていく。そして彼女の表情は、彼の言葉を喜びと受け止める。しかしそうでありながら、奥底に張り裂けそうな悲しみを内在させていた。少なくとも沙明にはそう見えた。
酷く美しいと共に、今にもここから搔き消えてしまうほど儚げだ。
「オイ、オイ……。ユキ、何で泣いてんだよ」
口説き落とそうとしていたユキが突然泣き出す想定外の展開。これを目の当たりにして、沙明は戸惑いを露わにする。おろおろと空いた左手をどうしたものかと宙に浮かせる。ユキの涙を拭おうにも触れても良いのか判断付かずにいるようだ。長い睫毛に縁どられた瞼を一度伏せ、そしてゆっくりとユキは瞳を覗かせる。寂しさを滲ませた眼差しでユキは彼に語り掛けた。
「叶うなら……、沙明の傍に居たい。いられたらいいのに」
涙声で吐き出したのは彼女の本音と、彼の期待に対する真摯な答えだった。暗に共にはいられない事実を突きつける台詞。少し驚いた様子の沙明はユキの顔をじっと見て、そして握ったままの彼女の手をいっそう力強く握る。は、と唇が緩んで息が漏れた後、彼は深く眉間に皺を寄せる。
「アーハァ、何? 俺が信じられねェってことかよ? ……それともナニ、お前がグノーシアってオチじゃねえよな?」
黙ってユキは首を振る。人類にとってユキが敵であるか、味方であるのか。それも重要ではないわけではない。しかし、そんなスケールの小さな、今に限局した話でもないのだ。物事がもっと単純であったなら、せめてこの宇宙の中で語れることならばどんなに良かったか。
「まもなく空間転移致します。乗員の皆様は指定の客室にお戻りくださいませ」
タイムリミットを告げる鐘、LeViの船内アナウンスが娯楽室にも響き渡る。ユキは沙明の手を抜けて立ち上がる。これ以上の話をする必要はないと彼を置いて立ち去ろうとしたが、一度だけ堪えられずにユキは振り返った。誤解だけはしてほしくないと思った。ユキはただ伝えたい一言を彼に囁く。
「沙明、私は貴方を信じてる」
「だったら……」
瞳を潤ませ、まごうこと無き真実の言葉をユキは吐いた。それを聞くと沙明はますます納得がいかなかった。歩き出すよりも先に彼は手を伸ばす。だがその手がユキを掴む前にユキが沙明へ呼びかけた。
「ねぇ……沙明」
室内灯の明かりを受け、振り返った彼女の髪が光の加減か、一瞬影を纏って翻る。細められたエメラルド色の瞳には、沙明に対する隠しようもない慈愛が覗く。彼女の中には、彼が案じた沙明へ対する疑いも嫌悪も存在しない。ただ運命をだけを呪う悲しみがあった。薄い唇が静かに開く、去り際にユキはガラス玉のような静寂の中で彼に問いかけた。
「もうずっと前から私たちは……、何度も同じ約束をしてきたんだって言ったら。……どうする?」
そこにはユキの一縷の希望があったのかもしれない。何かの間違いで彼がユキを理解して、はたまたかつての存在しない出来事を思い出してくれたらと夢想したのか。
だが沙明の明らかに理解不能といわんばかりの、怪訝な顔を目の当たりにしてユキはそれ以上沙明を見ていることはできなかった。かつんかつんと床を打つヒールの音は、セツと見た映画で聞いた魔物に杭を打ち付けて封印する音。それによく似ていると思った。