LOOP174
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巧みに用いた話術が、ユキに場の主導権を持たせることは容易かった。乗員たちの嘘を見抜き、その者に疑いを誘導する。バグであるユキはエンジニアに調査されれば消滅してしまうが、今回はそうなるわけにもいかない。沙明の安全のためにもグノーシアの排除は必須だ。やることは多く、できることならば犠牲を抑えて問題を解決したいとユキは思っている。
ユキが留まることのできないこの世界で尽力することが、本当に後へ繋がるとも未だに分からないでいる。ただ彼女の心がそうせずにはいられないだけだ。仮説ではユキがループした後の世界も存続している。それならば少しでも、沙明がこれからも生きやすい環境を残したい。
「なァに難しい顔してんだよ」
「……ひゃっ」
ぴんっと考え込んでいたユキの額を沙明が爪ではじく。ユキは色気のない声を上げ、真っ赤になって口元を抑えた。沙明はクックと笑いユキの肩を強く抱き寄せる。
抱き寄せたそのまま、彼は娯楽室のソファの座面に背を預けた。流されるまま、ユキは彼の胸の上に身体を預けることになってしまった。まるで恋人のようにユキを扱う。ユキの下敷きになった彼が、まだ頬に赤みを残したままの彼女の頬を撫でつけた。
「今くらいはさ、気楽にしてていいんじゃね? 念の過ぐるはンーフーンつーだろ? ン?」
現在、早くも二日目の議論を終えて夜を迎えている。ユキの推測が当たっているならば、グノーシアの内の一人を既にコールドスリープできている状況だ。そうであるならば状況的にグノーシアは残り二人。上手くユキがことを運ぶことができれば、最短で明後日には決着がつくはずだ。
「ま、俺が生き残るために、頑張ってくれる分は構わねェんですけど」
彼の言う通り、ユキが今深く考え込む必要はないのかもしれない。本日の投票で偽エンジニアが排除されている。今回守護天使のいない状況を考えると、真エンジニアが今日のグノーシアの標的になることは想像に容易い。
それはただの乗員である沙明がターゲットから逃れるということでもあるし、ユキの脅威であるエンジニアがこの舞台からいなくなるという事でもある。今日を逃れればユキの勝ちは確定的だ。あとはもう嘘を直感している乗員を順に排除するしかない。
「そうだね……、うん」
ユキは沙明の胸に顔を添わせて頷く。沙明と共に過ごせる残り僅かな瞬間を、無粋な考え事で浪費してしまうのは勿体ない。彼が身に纏うレザージャケットは滑らかにユキの頬に触れる。衣服越しに彼の体温を、未練を残さないよう五感に刻む。呼吸をすれば、いつもと同じ彼の匂いがした。
耳を添わせると奥深くから彼の生きる証、規則正しく繰り返される心臓の音が聞こえる。安らぎの音色、ここよりも落ち着く場所などないと確信できるほどに心が温かさで満たされる。
……ずっとここに居られたらいいのに。ユキの目頭に熱が滲む。今の時間が幸せに満ち満ちていて、これを失って先に進むことを恐ろしいと思った。進めばこの時間は返らない、けれど心は決まっている。
「ごめん、少しこのまま……」
涙を悟られないよう、もぞもぞとユキは沙明の胸元に顔を埋める。この船の中で彼と出会ってまだ二日、馴れ馴れしいと突っぱねられてもおかしくない。だがそれでも沙明はユキを振り払うことはなかった。それどころかユキをしっかりと抱きとめて、大きな右手がユキの髪を梳く。
「アァ……。お前が気ィ済むまで付き合ってやるよ」
顔は見えなかったが慈しみ深い声色をしていた。ユキは彼の口調に安心して身体を預ける。
「あったかい……」
まるで陽だまりに抱かれている感覚だった。彼の心音に耳を傾け、髪を撫でつけてくれる彼に身を預けた。幸せと評するにふさわしい温み。すると次第に、とろとろと煮込まれるような眠気がユキを包む。
「なァ、ユキ……」
意識のとおく、遠くの方で彼の声が聞こえる。何とか唇を動かしてなに、と尋ねたがその先は聞き取れなかった。思考が徐々に平坦になってゆく。これ以上重たい瞼を押し上げてはいられなくて、ユキはうとうとと眠りの中に落ちていった。
――――――――
それからどのくらい時間が経っただろうか。浅くもなく深くもない眠りを漂って次に意識を取り戻した時、瞼の奥に光を感じて目を醒ました。ガラス一枚隔てたようにくぐもっていたけれど、ユキの意識が一番に捕らえたのは沙明の声だった。
ユキは瞬きを繰り返して思考を取り戻す。どうやら沙明に被さったまま眠りこけてしまったことを、今になって理解する。それを自覚できるほどに意識が清明になると、一際大きな彼の声がユキの耳に飛び込んで来た。
「だァから‼ ……ああもう、LeViテメーのせいだからな。せっかくキモチ良くおネンネしてたユキが起きちまっただろーが、アァ?」
「沙明……?」
「沙明様、規則は規則です。空間転移の際は皆様お部屋に戻って頂きます。ユキ様の目が覚めたのなら急いでください」
もうそんな時間になってしまったらしい。どうやら彼は、ユキを起こさなくていいようにLeViに交渉してくれていたようだ。
過去の経験から言ってもそれがまかり通るわけがない。ユキは身体を起こして彼の上から退く。けれどもこんな状況の中にいて、そんな気遣いを払ってくれる彼の行動を嬉しいと思った。ユキはソファの上に肘をついて上体を起こす。さら、と彼の黒髪が眼鏡の上に落ちる。
「ごめん、眠ってしまって……」
「アーハァ、付き合うつったのは俺だぜ? むしろラッキーだろ、アンダスタァン?」
いくらユキが細身だとしても、女性一人の身体がのしかかってはきっと重たかっただろうに。それに大切な夜の自由時間に他やりたいこともあったかもしれない。だがそれを感じさせない軽口で彼はにやりと彼女に微笑みかける。胸が高鳴る、だからこそ彼を好きでいるのだ。
「……ありがとう」
細い指先を伸ばして彼の髪を整え、感情に従うまま微笑みを浮かべてユキは沙明に礼を述べる。そのまま彼の上から降りたユキを沙明は呼んだ。彼の声に振り返ると、沙明は彼女の銀髪を一房掬ってキスを落とす。
「なァユキ、明日の夜も俺んトコ来るだろ?」
確信しているというべきか、はたまた彼自身の要望か? とにかくユキの答えは決まり切っている質問だ。彼の問いかけには間髪入れずに彼女は答える。
「勿論。……沙明が構わないなら」
「ハッ。……アァ、ならいい。……んじゃ、部屋まで送るわ。お前ひとりだとグノーシアにパクっといかれちまうかもしれねェしな」
髪をサラサラと流し、今度はユキの手を握ると彼は目を細めて微笑んだ。心臓が締め付けられる感覚にユキは視線を背ける。嬉しくて堪らない思いとは裏腹に、着実に先へ進む時はちくちくと胸を刺す。