LOOP174
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鏡には真実のみが映る。今のありのままの姿をそこに映し出す。これまで幾多の彼女を映してきたそれは今、一体何を最後に映すのだろうか。ユキに残された時間はもう残りわずかだ。
「スイマセンっしたー‼」
メインコンソールには恥も外聞もかなぐり捨てた沙明の声が響き渡る。地に頭をこすりつけ、情けない声で許しを請う彼に他の乗員たちは軽蔑の眼差しを送っている。滑稽で情けない態度を恥ずかしげもなくとるものだ。
だがそれが沙明の、どういう過去に基づくものであるのかをこの長い旅の果てにユキは知っていた。彼女は醒めた静寂を纏った深緑の眼差しを細め、彼のために救いの手を差し伸べる。
「彼がグノーシアである確証はないし……。いいんじゃないかな、見逃してあげても」
今日はまだ何も手がかりがないでしょう、と皆に同意を求めながらユキは説く。本日は議論一日目、彼に疑わしき点があって最多票を獲得したわけでは決してない。疑わしいものを排除することも乗員たちにとっては重要視されることだ。
しかし何も沙明でなくてもよいだろう。特に今回のユキにとって、あまり利害に関係のないことだからそのような発言をした。せめて彼の安全のためにグノーシアを早めに排除できればと考えているが。
乗員たちの間で沙明をコールドスリープするべきか決を取る。ユキの言葉に影響を受けて、見逃してやってもいいのではないかという意見が大多数を占めた。まだ何の手掛かりもないのだ、彼が怪しいわけでもない。
ふと、彼の視線を感じてユキは柔らかく微笑む。眼鏡越しの沙明の眼差しは、ユキの発言に大袈裟に喜ぶでも胡散臭いとばかりに嫌悪するでもなかった。その眼差しに安堵して、ユキは皆に向かって言葉を掛けた。
「きっとエンジニアがグノーシアを見つけ出してくれるはずよ。何も答えを急くことはないわ」
彼女の言葉にエンジニアに名乗り出ているステラが深く頷き、もうひとりのエンジニアジョナスが不敵に笑った。ユキは鈴蘭のごとき微笑みで目を伏せた。圧倒的な信頼を持って、さも人間であるかのように振舞う必要がある。
エンジニアに調査されて最も困るのはユキ自身だからだ。こんな序盤で退場させられるわけにはいかない、彼の安全だけは確保しなければ安心できない。安心してすべてを終わらせることができない。
本日のコールドスリープ者は無しと結果が出て、LeViが解散を告げる。夜の自由な時間を惜しむ乗員たちは次々にメインコンソールを後にしていった。ユキも席を立とうとしたが、こちらに向いている一人の視線に気が付く。その黒の瞳に魅せられて足を止めた。ひとり、またひとりと乗員は部屋を出ていく。
無機質なコンピューター、白い壁に取り囲まれた部屋の中の一点の黒。他の乗員たちが出て行ってしまうと彼はユキの方へと歩いてきた。彼の方へユキが向き直る、彼女の銀糸のような髪がさらりと揺れた。真っすぐな眼差しがユキを見下ろして細められる。
「ユキ」
無茶苦茶張り上げた声高なテンションではない。不思議と穏やかな黒の眼差し、細い眉は下げられていて。口元はほんの少しだけ緩められていた。先ほどユキが自分を庇ったことに対して、何の疑問も持っていない。
それどころか彼女の目の前に立つ沙明は、この瞬間ユキと向き合うことを当然のこととばかりに享受していた。ユキの名を呼ぶ彼の声には、隠しようもない親しみが滲んでいる。……ユキは自分を嗤った、本当に都合の良い解釈だ。彼の微笑みがそんなふうに見えるだなんて。
「……沙明」
だが彼が何を思っていようが、現実がどうであれユキの信念は曲がらない。彼の名を呼ぶユキの声は水を打ったように静かだ。無機質で温みのない空間の唯一の安らぎである彼の手を、ユキは壊れ物のように取り上げ沙明の顔を見つめた。
「……」
彼の体温はユキよりも体温は低く、すこしひやりとした手の感覚は肌に吸い付く。手に馴染んで心地よい。この感覚は身体に刻まれ、彼の体温こそを温かいと感じる。ユキは瞬きをして沙明に語り掛けた。
「私と一緒に生き残ってほしい。……沙明の力になりたいの」
嘘と本当の半分を混ぜた言葉を紡ぐ。今回のユキの立場上、共に生き残ることはおそらく不可能だ。それでも彼の力になりたいという願いには一切の曇りはない。
沙明は僅かに目を見開いて息を呑んだ。彼がユキの発言に何を思ったのか、それはユキの知るところではないが、沙明は決して負の感情を抱いたわけではないようだった。口元を釣り上げた笑みを浮かべ、いつも通りの言葉を吐く。
「アーハァ! 俺ァ構わないぜ、一蓮托生ってヤツだ。ユキは俺を守ってくれんだろ?」
「……うん」
口元が緩んで彼の可愛い八重歯が覗く。ユキは彼の手を握る己の手にきゅっと力を込めた。すかさず握り返してくれる彼の手をユキは頼もしいと思う。ここには理由のない信頼がある。きっとループを終える宇宙には持っていけないものが。名残惜しさを隠してユキは彼の言葉に頷いた。
彼との時間に区切りをつけるためにも、悔いの残らない行動をユキは決意する。決意の光を灯した眼差しは、彼だけを見据えて宣言する。
「守るよ、私にできる限り」
此度のユキはバグ。そしてユキの銀の鍵が満たされるのも、時間の問題というところまで差し掛かっていた。最後の瞬間、ユキが手を伸ばすことが許される終焉の時まで。彼女は己の考える最善を選び続ける。