LOOP167
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既に沙明がコールドスリープしてしまっているという時点で、いつもとは異なる展開がされている。それだけでユキにとっては大きな違いがあるのだが、どうやら今回はそれだけが問題ではないようだった。
三日目の議論を終え、夜。ループ現象の終息に前を向いたユキは、セツと改めて情報交換がしたいと思っていた。夜の僅かな自由時間にセツの部屋に訪問しようと道を急ぐ。幸いにも廊下を歩いているセツを見つけ、声を掛けたところまでは良かったのだが……。
「ああ……、ユキだったかな。私に何か用かな」
どうにもセツの様子がいつもと違う。目の前に立つセツの表情は険しい。というよりも、ユキのことをきつく睨みつけている。いつもユキのことを気にかけてくれるセツだが、ユキの前に立っている人物からは親しみは欠片も感じられない。むしろ、理由は分からないが敵意を強く感じた。それでもユキは構わずに話を切り出す。こうしている間も時間は惜しい。
「セツ、ループを終わらせるために情報を交換しておきたいのだけれど……」
「……ループ? 悪いけれど私には分からないな。それに個人的な情報交換には応じられない」
警戒の眼差しがユキを見る。個人的な情報交換も何も、これまでセツとは一つの宇宙の役割だけではなく、ループのことを含めて多くのことを話してきたはずだが。それどころかまるでユキを知らないとばかりに、情の欠片もない態度をセツは取る。噛み合わない会話にユキは困惑して首を傾げた。セツはピリピリとした視線でユキを一瞥し、不快さを滲ませて吐き捨てる。
「率直に言おう、君のことは信用できない。……ユキ、昨夜君がコールドスリープルームで何をしていたかは知らないけれど」
「……」
そんなことで、セツはユキを疑っているつもりなのだろうか。それよりも昨日の女々しい行動を見られていたとは。そちらの事実にユキはほんのわずかに表情を引きつらせる。
だがそれで怪しいとは言い切れないだろうに。セツではなく他の乗員が昨日のユキを目撃したのであれば、“グノーシアだった沙明に縋る女“として不審にも見えるだろう。しかし今ユキが相対しているのはセツだ。セツは重々ユキの沙明に対する恋情を知っているだろうに。そのせいでユキが多少奇怪な行動をとることも毎度のことではないか。
「……」
いくつかの違和感から推理してユキは一つの見解に至る。
そういえば今回のループ、初日のセツは話し合いの進め方がぎこちなかった。そもそもグノーシアの発生に戸惑っている節さえあったように感じた。議論を行うといういつもの展開に至るまで右往左往していた。話し合いの進行も普段のようなスムーズさに欠ける。まるで繰り返し行ってきた今が、初めてのことのように不慣れな様子だった。
「悪いが、私はもう行くよ。グノーシア汚染への対策を考えておきたいんだ」
ユキの答えを待つこともなく、そっけなくセツは踵を返す。ユキの考えが正しいのであれば、どうやら今回のセツとは話ができそうにない。何とか信頼を得て、ユキの情報を打ち明けたところで話が先に進むことはなさそうだ。ユキは黙ってセツを見送る。その背後からいつもの不機嫌さに比べれば、いくらか愉快そうな声がユキへ語り掛けた。
「随分と興味深いことを話しているじゃないか」
銀髪を翻し、ユキは声の主を振り返る。いつ見ても目の痛くなるけばけばしさだ。盗み聞きをしていたのか、とユキは派手な青の服に身を包んだ人物、ラキオに顔を顰める。だがラキオの方はユキの表情を見ても珍しく機嫌を崩さなかった。いつもならばユキを見るなり毛虫でも見るような目をするというのに。
それどころかラキオは核心を知ったる顔をして、ユキに指を差し出す。細い指はくいくいと曲げられユキに付いてくるように促した。
「――――知りたいンだろう? ついてきなよ」
これはチャンスかもしれない。ユキは固唾をのむ。ラキオは銀の鍵の元々の所有者だ。この船内で誰よりも銀の鍵という存在については詳しいはずだ。……ここにも真実に近づくための鍵があるとするのならば。そう考えたユキはラキオに導かれて進む。ユキを自室へと招き入れると、ラキオは上機嫌そうに懐から何かを取り出した。
「フフン、ループね。察するに君、これを持ってるンじゃない?」
「銀の鍵……」
ラキオが手のひらに乗せたのは、ユキの持っているものと同じ銀の鍵だ。元々これはラキオの所有物だからラキオが今手に持っていることは不思議なことではない。だが、このループではラキオがきちんと「鍵」を所有しているのかとユキは思う。以前のループでは、盗まれただの泥棒猫だのと罵られた。この差異は何故起こっているのだろうか。考えても仕方ないが。
それより、気になることは他にある。ユキに寄生している「鍵」とラキオの手にしている「鍵」。二つは見目が異なっているのだ。正確に言うとデザインは同じだが、ラキオの手にしている者は淡い光を纏っていない。静かにおとなしく正方形の透明なケースの中に仕舞いこまれている。どうして見目が違うのか、目を凝らしたユキの疑問を悟ったのか、ラキオが答えた。
「僕の「銀の鍵」は不活性状態だからね。一応言っておくけど、僕はループなんてしていない。……さてと、それじゃ君のも出して見なよ」
言われるがままユキは、いつものように鍵を出したいとただ念じた。そうするだけでどこからともなく見慣れた銀の鍵がユキの胸の前に現れる。ユキの鍵は宙に浮かび青白い光を放った。必要ではないが支えるようにユキが銀の鍵の下に手を添える。ユキが展開した事象を目の当たりにすると、ラキオは至極愉快そうにケラケラと笑った。
「ははッ、やはり思った通りだ! まさか生きた研究対象に会えるとはね。全く僕ときたら、幸運にまで恵まれているンだな!」
だから、どうだというのか。鍵は寄生生物だということを知っているから、道理は分からないわけではない。しかし酷く馬鹿にされているような気がするのは何故だろうか。ユキは顔を顰め、ラキオをじっとりと睨んだ。だがユキの態度を意にも介せず、ラキオは興味深そうに、ただユキの前に現れた鍵を凝視している。
「さァて、どうしようかな。まずは念のため、試しておくとするか……」
買ったばかりのおもちゃを見るような眼差しを向け、ラキオはいくつか言葉を洩らす。そしてその終わりにそう呟いた。静まり返った部屋の中にラキオの声が響く。凛とした通る声が口にしたのは、ユキにとって聞き覚えのある言葉だった。
「疑うな。畏れるな。そして知れ。全ては知ることで救われる」
「それは……」
それはユキがこれまでのループの中で何度も胸に刻んできた言葉。初めてのループで銀の鍵を渡してくれたセツが、ユキに与えてくれた言葉だ。どうしてラキオがその言葉を知っているのだろう。鍵の動向をじっくりと観察していたラキオが、乾いた笑いを零す。そして唇を歪めたかと思うと満面の笑みを浮かべた。
「……やはり反応しないね。間違いなくユキに定着してるンだ。ハハッ、ご愁傷さま」
銀の鍵は淡く青い光を放ったまま微動だにしない。だというのに何がそんなにおかしいのか、彼女はラキオの発言に白けた表情をした。ケラケラとひとしきり笑い、気が済んだらしいラキオはユキの疑問を汲んで、事象を彼女に解説した。
「『疑うな……』というのは一種のキーワードでね。これを唱えると「銀の鍵」が完全に宿主に寄生するのさ。それで君は今、「銀の鍵」が満足するまで、情報を集めてるわけだ」
ひらりと手を振り、簡潔に説明したラキオの言葉にユキは目を剥く。ラキオの今の解説が正しいのならば……。ループが始まったのは、まさにあの時だったのだ。セツがユキに鍵を渡してこの言葉を教えてくれた、まだ戸惑いと不安の中にいた、初めてこの宇宙船で目を醒ましたループの終わり。ユキが沙明と出会うよりも少し前の時間。
「それは、キーワードだったの……? だから私に鍵が寄生している……。でも今回のセツは何も覚えていない? 私に鍵をくれたのは他でもないセツなのに……」
「へぇ……、君に鍵を渡したのはセツなのか。そして君にキーワードを教えたのもセツってことだね。それで、今回のセツだけが覚えていないのかい? 君のことやループのことを」
問いかけに対してユキは頷き、ラキオにも情報を零す。愉快そうなラキオの声に応えつつ、顎に手を当てユキは深く考え込む。これまでのループでセツがユキに対してあんなにも素っ気なかったことはない。ループについて理解がなかったことも。それは何故だ、ユキはヒントを求めてラキオを見た。
さすがの頭脳と言うべきか、口の端を釣り上げたラキオはどうやら早くも答えを悟っているらしい。綺麗に塗られたグリーンの爪を泳がせてラキオは宙に弧を描く。勿体ぶることもなく、非常に簡潔にラキオは推測を説いた。
「君たちは同じようにループをしているわけではないンだろう? ユキ、君に鍵をくれたセツはループについて知っていたンだからね」
「……だったら、今回のセツは」
ラキオの齎したヒントで合点がいく。ユキとセツの始まりは異なる。ユキの開始点がセツにとってはおそらく数十、あるいは数百のループを迎えた後だったことを考えるのならば……。セツの始まりがユキにとっての数十、数百回目であっても不思議ではない。
「そう、セツは鍵をまだ持ってないンだろう。今回のセツは、ループに巻き込まれるより前の――――唯一のセツなのさ」
即ち、セツの始まりがこのループであったとしても、何らおかしいことではないわけだ。ラキオは満足げに笑い、自分自身の掌にある不活性状態の銀の鍵を持ち上げた。ラキオの手にこの瞬間、鍵があることも織り込み済みの運命なのだろう。白い光の下に銀の鍵を掲げ、ラキオが推測を宣言する。
「つまり、だ。もうじき、セツはループを始めることになるわけだ。恐らく――――僕の、この「銀の鍵」を使って」