LOOP167
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議論二日目の夜、ユキはソファに寝そべりながら上を見上げた。そこほこに散りばめられた室内灯、電子ゲームからチラつく明かりが夜空に瞬く星のように無数に見えた。酷く億劫な様子だが、ユキの瞳にはそれらに等しい瞬きがある。見据えるべき先が彼女には存在している。
見え始めたループ現象の終わりと解決策。鍵の求める情報を知ることこそが、このループ現象を閉じる手段だ。かつてラキオがループの終わりが訪れるのはこの宇宙で鍵にとって必要な情報が満たされた時だと言っていた。
……ならばきっとそこに辿り着くために情報を回収することこそが、セツも言っていたことだが未来へと進むに等しいのだろう。
……だが、そう簡単に心が決まるものか。グノーシアのいない宇宙で見つけた、乗員全員を救う可能性。そこに行きつくためにユキは、彼女が想像していた以上の覚悟をせねばらない。
銀の鍵を取り出し空中に浮かべる。映し出されたのは前々回のループ、ユキが第一犠牲者だとラキオに告げられた時のことだ。今、己が既に消滅しているのだと知ったあのループでの出来事を思い出す。
それだけで心にはじんわりとした温もりが広がる。彼女にとって衝撃的な出来事があった。ユキを宇宙が滅ぶ元凶だと糾弾したラキオに対し、沙明が損得勘定なしで庇ってくれたことだ。あれには酷く驚かされた。
自分が既に消えた存在だということをユキ自身が知った時、ループ現象の真実を知った時と同等に恐ろしさを感じた。沙明にあの場で切り捨てられ、非難されても仕方がないだろうと思っていたのだ。あのループではラキオがそうだったが……、ユキが存在するという歪みを修正するために宇宙を崩壊させるバグが生まれたという事実も。まさにユキは、彼を死に至らしめる元凶といって差支えない。
だがそうであると知りながら、沙明はユキを庇ったのだ。庇うどころか、あまつさえユキが必要なのだと……。俺にはコイツしかいないとそうはっきりと宣言してくれたのだ。どんなに心強く、そして嬉しかったか。今だって思い出すだけで、口の端が緩み温かい気持ちにさせられる。
彼がそんなふうに思っていてくれる宇宙があることを、ユキはこれまで考えたことはなかった。そうなればいいと願いを掛けることはあっても、事実には到底なり得ないとばかり思っていた。でも存在してくれていた、あれはあの時の彼だけだったのだろうか。他の彼はきっとそれほどユキを特別視してはくれない。
それでも幾度となく沙明という存在がユキを救ってくれた。彼がいたからここまで生きていられたのだ。今も、こうして息を吸い吐いて、光の瞬きを見て、何かを愛しいと感じられるのも彼がいたからだ。他の誰に疎まれ軽薄だと非難されても。彼は私の、私だけの、ヒーローであることに変わりはない。……だからこそ。
――――酷く、寂しい。
そう思うと無意識に翳した手が顔を覆った。仰いだ幾千もの光から逃れて視界を塞ぐ。たった一回のループで離れた程度でこんなにも心が軋む。どうあがいても守れなかったのだ、今回は。何故ならば昨日の調査でバグを検出したジナが真のエンジニアだと証明され、騙りに出ていた彼は即座に人類の敵だと逃れようのない判決を得てしまった。
今回の宇宙も同じだ。ユキが生きる世界に沙明は存在しない。仮にループ現象を止め、この船を降りたら、この船の乗員たちとはお別れになる。お互いに向き合うこともないまま、それぞれの未来が続いていく。彼には戻るべき場所があり、次元の扉を開いて異なる宇宙へ旅立つことになるユキはそこに同行できない。
一緒に生きたいと思ってしまったのがそもそもの間違いだ。ループによって齎された旅の終わりの結末は別れのみ。ループを終えることは沙明と今生の別れへ向かうという事。甘っちょろい願いを持ったユキはこの先、彼無しでどうやって生きていけるだろう。
今だっていつも彼が使っているソファで少しでも彼の存在を反芻しようとする。この宇宙で彼がこのソファを使っている事実は皆無に等しいのに。思い出に縋って第一歩を踏み出せずにいるのだ。
――――こわい。
彼が幸せに生きられること、それが自身の心からの願いだと分かっている。何故、今もまだこんな気持ちになるのだ。進むと、決めたはずなのに。
「よう……、ユキ。こんなところで何してんだ?」
この娯楽室の中に自分以外の気配を感じ取って、一瞬期待した自分を情けないと思う。ユキは顔を覆っていた手を退けて上を見上げた。黒いフワフワの毛並みと、それに挟まれた青年の端正な顔つきが見えた。
「シピ……」
娯楽室を訪れる人物は沙明が中でも比率的には多いけれど、他の乗員だって時にはこの場所を利用する。船長のジョナスは特にそうであるし、今ユキの前に立つ青年もその一人だ。ただユキが、沙明がいるときしかここを訪れないため、他の誰かとここで鉢合わせたことがない。
彼女はゆっくりと身体を起こしてソファに座りなおす。するとシピはユキの横に腰かけた。そして何を言うでもなく、じいっとユキの瞳を見つめるので、彼の行動に対してユキは首を傾げた。
「どうしたの、シピ?」
「ああ……、今日解散した時のお前が気がかりでな。元気なさそうに見えたから、ちょっと心配になって探してたんだ」
「……え」
「ははっ、余計なおせっかいっていうんだろうな、こういうのは」
そういってシピが爽やかに笑い頭を掻いた。ユキは彼の言葉に呆けてしまったが、彼のその気遣いに眉根を下げた。何かとシピは面倒見のいい青年だ。ネコに対しての想いには狂気を感じることがあるものの、シピは人として柔らかで接しやすい。個性派の多いこの船内では良心とも言えた。
だからこそ、ユキのことを心配してここに来てくれたのではないか。沙明のコールドスリープが決定した時、避けられないと分かっていたとはいえ、やはり動揺を洩らしてしまったから。気が付く人は気が付いたはずだ、もしかするとグノーシア仲間だと思われているかもしれない。
「ありがとう、心配してくれて……。でも大丈夫だから、私」
「……そっか。なら良かった、悪ぃな一人のとこ邪魔してよ」
「ううん、退屈はしてたの。……大丈夫」
大丈夫大丈夫、と繰り返すが心がざわついていることをユキ自身が一番分かっている。ちら、とシピを見上げると人の好い笑みで彼は首を傾げた。首に生えたネコが彼に撫でられて、ゴロゴロと気持ちよさそうに喉を鳴らしている。その光景を見ていて、ユキはふと思い出したことがあった。
それは話し合いで雑談に興じた時にシピが言っていた言葉だ。そう、あの時は恋愛の話をしたのだと思う。沙明がなんでもいける口、と言っていたことばかりが印象に残っていたが、その時にシピが話していたこと。彼は大切な奴にもう会えないと、そう言っていなかっただろうか。
「あの、シピ……。聞いてもいいかな」
こんなことを聞くのは不謹慎だろうか。ユキはそう思いつつも顔を上げて、シピを見る。今の自分が知りたいことだ。とても聞かずにはいられない。ユキはシピが頷くのを確認して彼に切り出す。
「シピは大切なコともう会えないんだった、よね? その気持ちは、どうやったら乗り越えていけるの?」
「ん……? ちょいまち、ユキ。なんだってでそんなこと俺に……」
率直なユキの問いにシピは怪訝そうに顔を顰めた。脈略のない話なのもそうだが、ユキの問いかけは彼に経験談を求める者だったからだ。彼の口ぶりはそんなこと話したことがあったか? と言いたげだった。
その事実に行きついてユキは口ごもる。彼女は確かに彼自身の口からその話を聞いたことがある、だがそれはこのループではない。シピには覚えがないのは当然だった。
だがユキが言い添えるよりも早く、シピの方が何かに合点がいったようだ。ああ、と声を上げ納得した様子で呟く。
「なるほど、な。……沙明、グノーシアだったんだもんな」
「えっ」
「お前がアイツのこと好きだってのは、分かってたっつーか。……ああ、元気ないのもそういうことってわけだ」
もはや当たり前のことのようにシピが言う。自分の感情が駄々洩れであることにユキは恥じらいを見せたが、この際それを肯定することにした。今回もユキが目指す未来も、沙明と共に自分がいられないことは共通している。自分が求める話を彼にしてもらうのならば、この方がきっと都合がいい。
「……うん。そう……、そう、なんだ。私は、彼が好きで」
「……」
「だから、これからどうすればいいのか。……分からないんだ。私の心は沙明でいっぱいだから」
心を失い掛け、救われたあの時から。どんな時も彼を想うから道を選べたのだ。
「寂しいんだ。……先に進むのが、……生きていくのが怖いと思うくらいに」
ユキの視線がシピから逸れ、空を見る。沈黙が流れる間ユキの視界の中で点灯が何度も瞬きを繰り返した。我儘だと分かっている、自分の気持ちに踏ん切りがつかないことでここまでずるずると来てしまったのかもしれない。
ユキの告白を聞いていたシピはユキが話している間は一切口を挟まなかった。ただ彼女の話を聞き、そしてタイミングを見計らって彼自身の答えを述べる。
「正直、寂しいってのはどうにもならねーな。……ああ、それが事実だってことは変わらねー」
「……」
「ま、時間が解決してくれることだな。俺は……ああ、そう思うぜ。少なくとも俺はそうだった、ちゃんとアイツは俺と一緒に生きてるから、な」
シピの答えにユキは少しだけ落胆の色を見せた。そう、と呟き視線を足元へ落としてしまう。その首に共にいる黒猫が彼の想いの先ならば、今も一緒に生きていると言えるか。彼らの別れは別れであってそうではないなら、ユキとは境遇が違うかもしれない。
目に見えて落胆し、表情を陰らせたユキを見てシピが首の猫を撫でながら語り掛ける。
「なぁ、なんか勘違いしてねーか。一緒に生きてるってのは、そういう意味じゃないぜ」
「じゃあ、どういう……」
「なんつーか、な。……今の俺があるのは、アイツと一緒に居た時間があるからだ。アイツがいなきゃ、きっと俺はいねー。……ユキも、そうなんじゃないか?」
胸の奥の奥、シピの問いが核心を突く。沙明に救われる前の、自分。臆病で弱くて何もできなかった自分、かつての記憶をなくして孤独だった女の子のユキ。閉鎖的な闇の中で塞ぎこんでいた、この船に乗る前の出来事をユキは覚えていないけれど。
「そう、だよ……」
想うだけで胸の奥が熱くなる。彼の存在がユキのすべてを変えてくれた。彼がいたから力をつけ、人と接するための術や思考力がここにある。守りたいという明確な意思を持つ。何よりも彼を透かして見た世界には、温かさと光が溢れている。彼と生きた時間には喜びがある。沙明と過ごす時間を経て、彼女は今のユキになったと言える。
「……俺としちゃ、沙明のことをお前が忘れなかったら一緒に生きてるって言えるんじゃねーかって思うけどな」
都合よすぎるかもな、と付け足しながらシピが微笑む。
「ははっ、それにこれまでのことが無くなったりしねーだろ」
無くなったりしない、だろうか。これにはつきんと胸が痛んだ。シピにとってはそうかもしれないが、巻き戻る時間の中にいるユキにとっては?
ユキは曖昧に微笑んで、ソファから立ち上がる。どうしても今、空間転移の前に向かいたい先があった。シピに礼を言って前へと進む。
「少なくとも、さ。……お前ん中にはあるだろ、ずっと」
娯楽室を後にするユキの背をシピの真っすぐな声が追いかけた。
目的の部屋、扉が開くと明らかに他の部屋とは違う冷気が肌を撫でる。室温も他と比べて低めに設定されているのだろうがきっとそれだけではない。
コールドスリープとはいえ、誰かの手で眠りを解いてもらわない限り己の力では永劫に目覚めることはない。すなわち死に等しい眠りがここにはある。より孤独に近いからこの部屋は凍えるような寒さを体感するのかもしれない。
こつん、こつんとヒールが時を刻む如く音を響かせる。ユキはそっと彼が眠るポットに歩み寄った。地に膝をついて彼に寄り添う。覗き窓から顔を見つめると、血の気のない顔が物言わずに静かに眠っていた。
「沙明……」
グノーシア汚染者を元の人間に戻す術は残されていない。この彼にできることはユキに何もない。過去に出会った沙明に対してもユキが今更できることはない。だからせめてこの先で……。ユキは込み上げる想いを飲み下し、決意を胸に宿す。
ユキがループを閉じる時が来たのならばその宇宙では彼に笑って生きてほしい。そのためなら沙明がどんなに自分のことを嫌っていても、同じ宇宙で生きられなくてもいい。
覗き窓から触れることのできない彼の顔を見つめた。見た目ではやはり分からない、グノーシアであるか人間であるかなど。彼が何であったとしても沙明であることに変わりはない。どの宇宙に居る彼に対しても、間違いなくユキは恋をする。
これまでだって何度も彼を好きになった。そう、これまでは彼に生かされてきた。今のユキからこれまでの沙明を抜き取ることなど、誰にもできやしない。沙明はユキのすべてだ。だから、たとえ生きる世界を別っても。
彼を心から想うならば。……身勝手な恋心ではなく、彼を愛するなら。ユキには選べる選択肢がある。
「大丈夫、私が……」
彼が生きていてくれるのならば。彼のために培った力を出し惜しむことはない。たとえ自分がこの先の未来をひとり孤独に歩むことになったとしても。ユキは静かに、再びを宣言する。
沙明、貴方がくれたものはきっと私の心を生かし続けてくれる、だから私は打ち立てた誓いを破ることはしない。同じ星の下に居るのならば最後まで貴方を生かす存在でありたい。彼のために、私は最良の選択肢を選び続けよう。沙明がこの宇宙のどこかで、生きて幸せにいてくれるのならば。
「守るよ、最後まで」
その他に望むことなど、何もない。