LOOP32
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∞
そうして議論は三日目を迎える。乗員の数から逆算すると、おそらくは今日がこのループでの最終日となる。本日のコールドスリープ対象を選ぶことになるのだが、ユキの答えは考える間もなく出ていた。何も考えずに判決を述べるだけだ。……沙明を信じると。
「ここまで……かな。退場するね。また会いましょう」
コールドスリープルームでセツが眠るのを見届けた。凍てつき眠る者たちを振り返ることもなく、ユキは彼が待つ場所へと静々と歩く。
前へ進むたび、コツコツとヒールが冷たく時を打つ。固い床を踏みしめるたびに、ユキの中にはじわじわと心に込み上げる恐れがある。怖れは足音を立てずにユキの背後に密着していた。広い宇宙船内の不気味すぎる静寂、この異様な空気はこれまでにも体感したことがある。彼女は事態を薄々察していた。
昨晩の内にコメットが消失し、今日の議論に顔を出したのはユキと沙明、そしてセツの三人だけ。沙明とセツはエンジニアを名乗り、どちらかが偽物である状況だった。セツは沙明が、沙明はセツがグノーシアだと報告した。つまり彼らお互いの票はお互いに。
ユキの一票が本日コールドスリープとなる対象を選ぶ決定権を持っていた。どちらが本物であるか、判断する材料がないわけではない。だがそれらを無視してユキは決断を下す。これは一日目から決まっていた答えであった。
「私は……、沙明を信じるよ」
最後の最後までユキは沙明を信じた。他の可能性には見向きもせずにひたすらに。彼は始めからユキの味方であったのだ、それだけで庇わない理由などない。
――――たとえ彼が、グノーシアであったのだとしても。
コールドスリープルームを後にして、彼の待つメインコンソールに戻った。自動で開く扉の奥、無機質な部屋で唯一の温もり。ユキは躊躇わずに部屋の中へ、彼の前へと進み出た。
いつもの無理やり押し上げたテンションは無く、沙明はじっとユキのことを見つめている。その表情には明るく能天気な笑顔すらない。水を打ったように静かな空間でふたりはただ見つめ合っている。しばらくの沈黙を経て、重苦しく沙明が口を開いた。
「……よ。お前と俺だけになっちまったな」
この宇宙船内に活動する生命体はユキと沙明だけ。この時点でLeviがグノーシアの活動停止をアナウンスせず、そしてユキ自身は自分が人間であると分かっている。それが何を意味するのか、分からないほどユキも馬鹿ではない。
「……沙明」
どうして騙したの、だなんて。言えるわけがない。彼が生きるためなら何でもする人間だと知っていたのだから。知っていながら信じると決めたのは、他でもない自分自身だ。沙明を責める権利はユキにはない。ユキの声は動揺もなく、凪いだ海のように静かであった。
彼女はぎゅっと衣服の裾を握る。彼が語っていたのは真実ではなかった。その事実がじわじわと痛みとなって心を蝕む。彼に嘘をつかれていたことは、それだけは酷く悲しいと思う。
「これでお前まで消しちまったらさ。また俺、一人っきりになっちまうんだよな……」
だがその悲しみは、決して堪えられないものではなかった。悲嘆する以上に気がかりなことが、今のユキにはあったからだ。涙なんて引っ込んでしまう、目の前にいる彼の姿を見ていたら。
――――ねえ沙明、どうして貴方がそんな顔をするの?
「……なあ。このままじゃ、俺はお前を消しちまうよ」
騙されたユキを差し置いて、泣きそうな声で呟くのは彼だ。目の前に在る沙明の姿が自分なんかより悲痛に見えるから、ユキは悲しみ傷つく暇もない。勝ったのは沙明だ、見事にユキを利用してこの船を制圧した。これでユキを消せば、人間を消すというグノーシアの衝動も満たせる。すぐにもこの宇宙船を乗っ取って好きな星へ行き、これからも好きに人間を消していけるはずだ。いったい何が彼にそんな表情をさせるというのだろう。
「キッツいわ……、ホント。……あんとき黙ってりゃ良かったのか」
何かを模索しながら沙明が呟く。これまでに、ユキは他の乗員とも同じような結末を辿ったこともある。謝りながら、笑いながら、時には狂気を滲ませて。様々な顔を見せて彼らはユキを消していった。誰一人として罪悪感もなく人間を消すことを躊躇う様子もなかった。
それが悪いことだとは言わない、グノースに汚染された人間とはそういうものだ。人間を消すための存在なのだから気に病むことはない。それなのに沙明はこんなふうに苦悶の表情を浮かべ言葉を吐く。
今回のループで、ユキは沙明に都合よく利用された。身も心も何もかも彼に捧げた。酷い奴、よくも騙したと声を荒げても許されるかもしれない。それだけのことを彼にされた。それなのに貴方がそんな顔をしていたら、責めようにも責められない。
「ユキ、なァオイ……、ユキ」
救いを乞うように彼がユキを呼ぶ。「衝動がさ、自分でも抑えられねェんだ」そう言って沙明が震える手を伸ばしてくる。だがもう一方の手はユキへと伸ばす手を制止しようとしているのだ。
――――衝動を抑えようとしているの……?
ユキは彼の言葉を反芻して疑問に思う。何故そんなことをしようとするのか。貴方はグノーシアなのだから気負うことなく私を消せばいい。貴方が何者であろうと、信じると決めたのは私でしょう。貴方は上手く騙せたのだと笑っていてくれればいいのに。
伸ばしたくせにユキを捕らえようとしない沙明の手。今、グノーシアとして本性を現した彼の手に触れれば、ユキは彼の意志でこの宇宙から存在ごと消されてしまうことになる。ユキはそれで構わない。消されることに恐怖はない。沙明にとって知るところではないけれど、ユキにとってこの場での消滅は、どうせまた最初の地点へ戻るだけに過ぎないのだから。
グノーシアに汚染された者たち。いつだったか、LeViが個体によっては動物的本能を高め、加虐傾向を示すと言ったのは。彼がそうであったなら、裏切った彼を憎んで次へ行けるというのに。この様子では次に行くことにも後ろ髪を引かれる。ユキを消すことに苦しんでいるから、自らの心に気を配る余裕もなく沙明だけがユキは心配であった。
「沙明」
「どうしたら、いい。俺は……」
思わず、彼の苦しみを癒したいと願ってユキは自ら手を伸ばす。空を漂う彼の手を掴んで握りしめる。握った傍から、ユキの手は消えていった。狼狽えた彼が行くなよ、と縋るような声で言う。馬鹿な人、すべては貴方次第であるというのに。
途切れる意識の中で、それでもユキは失われた手を彼に伸ばす。彼の頬にきらめきが流れていくのをこの目で見た。どうして沙明はそんな顔をするのだろう。このループで彼を知ったつもりになっていた。しかし思い返すと何も知らないことに気が付く。
彼が本当はどんな人で、何故今苦しみを見せるのか。ユキには全くもって分からないのだ。どうして今彼はユキを消すことにあれだけの苦しみをみせていたのだろう。
このループを終えるまでは乗員たちのことなど、誰一人としてどうでもよかった。ただ繰り返される拷問をひたすらやり過ごすことを考えていた。ユキの心は人らしさを失い、死にかけていた。
だが、今回の沙明がユキを取り留めてくれた。彼が信じると言ってくれたから、ユキは孤独ではなかった。味方だと言ってくれたから彼のためにも気持ちを奮い立たせることができた。最後がどのような裏切り方をされたとて、沙明は紛れもなくユキの心を救ってくれた。
ここでユキが本当に失われるならば、彼の行動は一切意味を成さない。だが、繰り返すからこそ彼の行いは未来へ繋がる。彼が繋いでくれた心を動かして、ユキはまたループの始点で目を醒ますだろう。
どうせ宇宙は繰り返す、貴方にはまた巡り合える。再び見えた時に貴方に何を望むつもりもない。ただ。ホワイトアウトする意識の中で、すべてを諦めていたユキは明確な望みを抱く。
――――また、貴方に会いたい。
終わらない時の中で、凍てついていた心は動き始めた。