LOOP164
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
∞
パーティーを抜けたその後、セツと共にメインコンソールに向かった。残りの乗員たちはそこに居て、今後の進路について協議をしているようだった。
ルゥアンでのグノーシア騒動を軍に報告すべきというジョナスと、グリーゼ方面に向かうべきというラキオの意見で対立していたようだが、セツの鶴の一声でD.Q.O.の進路はグリーゼ方面へと決定した。またしばらく乗員たちと話をして現在、セツと二人ユキは廊下を歩いていた。
「未来は、あるんだね。ふふ、忘れていたよ。私には手が届かないものだから」
「……そうだね」
ユキはこの船に乗る前の記憶を有していないが、既に過去を忘れるほど時間を繰り返している。長い長い明けることのない夜を歩き続けてきたが、この宇宙には薄く陽光がさしているような気がした。グノーシア汚染者のいない世界線。未来の続く、誰も失われなくていい宇宙。
確かに沙明はユキにとって特別であるが、他の乗員たちだってこれまで繰り返す中で多くの関わりを持った。根っからの悪人はいない。皆、個性的で気のいい人たちばかりだ。ラキオだって少々憎まれ口を叩くことがあっても、決して悪気があるわけではない。それは時間をやり直すたびに分かって来た。……馬が合うわけではないが。
だから消えてほしくない。できることなら、誰にも。
「ね、ユキ。もし、ループを止めることができるとしたら。私は、この世界でループを止めたい。グノーシア汚染者のいない、この世界で」
「セツ……」
両手を上げて賛成したい。ユキだってそう思う、一抹の不安が胸を過ってもそのように判断したい。しかしセツを肯定する言葉が出てこない。先ほどの彼の瞳を思い出すからだ。
ここでループを止めるということは、あのままの彼がここにあるということ。好感を持っていてほしいだなんて贅沢な願いをする気はない。……けれども。理由もなくユキだけを拒絶する彼。それを今でも受け入れがたいと思っている自分がいる。
「そう、この世界だったら。全員に未来があるんだ……」
セツの言葉に賛成しなければ、そう思えば思うほど焦って声が出ない。全員の未来を望んでいる。それなのに、どうしてこんな些細なことで自分は揺らいでいるのだろう。ユキが喉から声を押し出そうとしたその時だった。
「だがユキ。お前に未来など無い」
皮肉にもユキを救ったのは、セツの希望を打ち砕く言葉だった。絶望の言葉に目を向ける。薄く笑った唇が冷ややかに告げた。
「何故ならユキ。お前はこの宇宙にあってはならぬ存在だからです」
冷徹にもそう述べたのは黒髪の少女、夕里子だった。神秘的で厳格な口調は、かつてのユキに対して歪みだと言い放ったあの時を彷彿とさせた。ユキが夕里子を見やるが、先に夕里子に対し口を開いたのはセツだった。
「いい加減にしてくれないか、夕里子。何故そんな言いがかりを」
じっと夕里子のことを見つめる。言いがかりであるかはともかくユキも釈然としない。これまでユキが歪みであったのは、“一日目にグノーシアによって消滅させられた存在であるユキが存在していること”に対してではなかっただろうか。
だがこの昨日の世界ではグノーシア自体が存在していない。すなわち、まだユキは消されていない。ユキが存在していること自体に、不和はないように一見見えた。だが。
「いいえ、セツ様。夕里子様の仰る通りです」
「ステラ……」
「ユキ様はルゥアン星脱出の際、暴動に巻き込まれ重傷を負われました。パニックに陥っていた人々に襲われていた異星の方を庇ったと伺っています。ユキ様は背部を無抵抗のまま複数個所刺され、内臓にまで大きな損傷を受けて……。非常に危険な状況でした」
夕里子と共に居たステラが口を挟む。暴動、とユキが唇を動かしてステラの言葉を反芻した。この宇宙で皆が口々に心配するユキの怪我、それはどうやらルゥアンで起こったグノーシア発生による暴動が原因のようだ。その時に誰かを庇って重傷を負い、果てには記憶を失ったというのが筋書きとしては通るだろうか。だが問題はここからだった。
「そのため、医療ポッドで治療を続けられておりますが……」
「その治療が終わって、ここにいる。ただそれだけのことだろう?」
「ですが……」
どうにも歯切れの悪い言い方をする。ステラが不可解そうにユキを見て、セツの発言を否定し続けることには根拠が存在するようだった。ステラの目、ユキに対して抱くのは沙明とも違う感情のようだ。異形の物を見る、夕里子の言葉の通り“宇宙に在ってはならぬ存在”を見ているような眼差し。……彼女たちが言いたいことには薄々察しが付く。
決着のつかないステラとセツの話に夕里子が終止符を打った。
「ふ、セツ。しょせん言葉では伝わるまい。己の目で確かめてくれば良いでしょう」
「……わかった。医療ポッドを確認しに行こう、ユキ」
夕里子とステラ、二人と別れてユキとセツは医務室へと向かった。基本的に怪我とは無縁だと思っているから訪れたことはそうない。記憶に在るのは生物汚染事件の時とあの時――、以前にこの宇宙に迷い込んだときだ。沙明の態度に酷くショックを受け、逃げるようにここへ入った。
医務室の中にあるポッドの内、どうやら一つが稼働しているようだ。呼吸と心拍、血圧を示す線が画面上に綴られている。遠めに見ても波形は安定し、数値を見るに中の人間はそこまで危機的な状況にはなさそうだ。この医療ポッドでどのくらいの時間、治療が施されての結果だろうか。
ユキはポッドから少し距離を置いて立つ。セツは迷いなく前へ進んで、ポッドの中をちらと見てポッドに搭載されている画面を見た。
「――――これ、だね。このポッドには……確かに、誰か入っている。ステータスは……治療中。もうじき終わるみたいだ」
……今になって分かることがある、かつて悪夢だと思っていたループのことだ。その時のことを思い出せば、これからの事象は予測できた。信じがたいことだが、先の夕里子とステラが言っていたことは紛れもない真実なのだろう。
ここに逃げ込んだ時、あのポッドの中から人が出てきたことを覚えている。鏡で何度も見続けた己の顔だった。見覚えのある深緑は、自分を見つめ返すユキ自身の目であった。
だからこそ、これから何が起こるのかユキは既に知っている。
「ここで、待っておこうか」
中を確認しないことには最終的な真偽は確かめられない。ユキもセツも何も言わずに来るべき時を待った。部屋にはポッドが稼働するために発生する機械音ばかりが反芻する。無機質な空間、ユキはその中でこちらを振り返らないセツの背中を見つめていた。
今、この瞬間に考えることは一つもない、ユキはおそらくこの後の顛末を知っているからだ。俯瞰してポッドに視線を向けているとセツの声が沈黙を破った。
ユキ、とセツがポッドに視線を向けたまま彼女の名を呼ぶ。
「正直に言えば、私は……怖いんだ」
見つめた先、セツの拳は微かに震えているようだった。ユキは感情のままに動かされ、セツの傍に歩み寄った。
これまでループを共に重ね、ユキを最後まで信じようとしてくれるセツ。いったいユキの何にセツが情を持ち得るのかは分からないが、真っすぐに信用をもらえて悪い気はしない。ユキ自身が捻くれた感情に歪められていなければ仲間として力になりたいと思う。このセツがいつのセツなのかは分からないが。
「大丈夫だよ、セツ。私はここにいる」
「ユキ……」
短くユキがそう励ますと、セツはユキを見つめて目を見開き、何か思い当たることがあったのかふわりと柔らかく笑った。そして少し照れくさそうにはにかみながら、ありがとうと口にする。
「前にもユキは、そうやって私を励ましてくれたね」
「そう……?」
そんなことがあっただろうか、思い当たる記憶がなくユキは首を傾げる。だがセツは迷いなく頷いた。「うん、それに……」とセツはもう一つ言葉を重ねる。
「疑うな、畏れるな。そして知れ。すべては知ることで救われる。……昔ユキが、そう言ってくれたよね。私もそう思う。私たちは、知らなければならないんだ」
「それって……」
初めてのループ、記憶をなくしたユキが初めて目覚めた時にセツが教えてくれた言葉ではなかっただろうか。少なくともユキにとっては、セツから教えてもらった言葉だ。今、この言葉を信じてユキは行動を起こしている。少なくともユキがセツに掛けた覚えはない。
「あれ……? まさか覚えていないの?」
きょとんとしたユキの顔を見てセツが驚いたような顔をした。だがすぐに気が付いた様子でセツはクスクスと笑い始める。ユキは増々訳が分からなかった。セツとのループがずれているゆえの齟齬だろうか。けれどそんな高尚な言葉をユキ自身が思いつくとは思わないのだが……。
意味が分からないとセツを見つめると、セツは何でもないと首を振る。
「気にしないで。それより――――見て」
指し示したセツの指先には、治療完了の文字が浮き上がっていた。いよいよ、中にいる人物と対面することになる。きゅっと二人の表情が引き締まった。心臓が激しく脈打っているのが分かる。今になって変な汗が噴き出てきた。ユキ自身も今から起こる事象を分かっているとはいえ、やはり少し恐ろしくなる。
「ねぇユキ」
セツの声を掻き消そうと機械音が大きくなる。音に伴って重たいポッドのハッチが間隙を空け始めた。ポッドの中から生ぬるい空気が流れ出る。目を閉ざしてしまいたいのに逸らすこともできない。恐ろしくて堪らないが今更どこにも行けない。微かにセツの声がユキの耳に届く。
「もし、ユキが……君が何者であったとしても」
ユキは徐々に扉を開いていくポッドを凝視したまま振り返らなかった。それでも構わずにセツは言葉を続ける。
「私は君を――――」
聞こえたのはそこまでだった。白く大きな器の中には一人の少女が横たわっていた。嘘のように白い肌、艶めく銀髪。数えられないほど鏡の中に見つめた様相だ。中にはやはり彼女自身、紛れもなくユキがいた。血色を取り戻した爪先が僅かに動く。胸が静かに上下し、薄い唇が息を吐くのが見えた。そして、もう一人のユキが目を開いた瞬間――――。
《致命的なエラーにより、この宇宙は消滅しました》