LOOP162
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彼女の隣には真実の黒を身に纏った青年が立っていた。宇宙の果てにいてもユキの手を握り、彼は彼の意志でここに立つことを望んでくれた。ふたりの目の前には青を基調とした衣服を身に纏った﨟たける人が立っている。白で埋め尽くされた空を眺めるさまは絵画のように美しい。
ユキに対し憎悪を向けていた人物、ラキオはふたりの姿を見ても穏やかだった。今のラキオに激しい拒絶は無く、一種の諦観を浮かべているようにユキには見えた。
「……よくもまあ、最後まで生き残ったものだね。しかも揃ってふたり、ね。だけど残念、君たちもここで終わるンだ。……忠告したじゃないか、沙明。君にも」
ラキオは悠然とした笑みを浮かべて口を開く。沙明がラキオの言葉にあからさまに不快そうな顔をしたため、ユキは彼を制した。そしてこれまでラキオに聞かなければならなかった問いを口にする。真実に迫る質問だ。
「ラキオ、教えて。貴方は夕里子の力で何を知ったの?」
「…………ああ、なるほど。ユキは何も知らなかったンだ? 君自身のことなのに。そうか……全く滑稽だな。君らも……、僕もね」
ラキオはため息をついて目を伏せる。
「ユキ。……僕はこれを知る前から君のことが気に入らない。恋愛という交配本能が起こした錯覚に踊らされて行動しているからだ。僕はそういう、君の非合理的で非論理的な、感情で動くところが気に食わないンだ」
それは今更だ。平常のラキオが自分のことをそのように感じていることは、見ていれば分かっていた。ユキはそれについては何を言うつもりもなく黙り込んでいる。ラキオはユキを見て、そしてちらと沙明のことを見た。嫌悪を抱いてラキオは眉をひそめる。
「君はそこにいる沙明に恋愛感情を抱いているンだろう。議論では彼への疑いを見事に逸らしていたね。……ああ、君が他の人間たちを信じさせるだけの説得力を持っていることは証明されていたさ。だからだ、僕が君を排除できなかったのはね。ずっと始末してやろうと思っていたのに。……ハッ、無知で愚かな君に劣ってただなンて、白質市民の名が泣くね」
またしても盛大に溜息をついてラキオが頭を振る。無機質な部屋に少しの間があって、ラキオはゆっくりと面を上げた。ユキを見据えたラキオのその眼差しは、嫌悪と侮蔑を持ち得ながらも、真実を求めてユキへと問いかけた。
「ユキ。君は本当に、自分が彼を守れるだなんて思っているのかい?」
「……守れるかじゃなくて守るよ。……何に代えても」
彼を守ると決めたのはもう随分と昔のことだ。ユキはラキオを見据えたまま、沙明とつないだ手を握りしめる。そこだけは決して揺らぐことのない信念だ。目を逸らしそうになっても向き合わずにはいられなかった心だ。ユキは淀みなくラキオの問いに答える。ラキオはうっすらと侮蔑的な微笑みを浮かべた。
「……どうだか、この船に担ぎ込まれた時だってぼろきれ同然だったンろう? ははっ、守る対象を守り切れず、むしろ拾われてここに来たなンて笑い話にもならないと思わない? ……ああ、比較にならないか」
「いったい何の話を……」
ラキオの発言は抽象的でユキに何を告げたいのか釈然としなかった。ユキは彼の真意を問おうと口を開く。しかし、ラキオの続けた言葉がユキの言葉を思考諸共遮った。
「今や、君は既に消えたはずの存在じゃないか」
「……え」
すべてはその一言に奪われた。一瞬、ラキオの述べた発言を認識するのに時間を要した。ユキは目を見張る。何も言えずにラキオを見つめた。ラキオはなんてことない口ぶりで先を続けた。
「考えてみなよ。何故、船内にグノーシアが潜んでいることが発覚したと思う?」
わなわなと唇が震えるのを抑えることはできない。……何故、か。ラキオに導かれるままユキは思考する。
グノーシアが潜伏していることが知らしめられるのは、LeViのアナウンスがあるからだ。LeViは空間転移完了時にグノーシア反応を感知して、緊急事態として乗員たちへとアナウンスする。グノーシア反応は、空間転移中に彼らの能力が行使されたことにより発生する。つまりは――――。
「誰かが、消されたから……」
「その通り。――――まず最初にグノーシアは消したのさ。そう、君をね」
ぴしゃん、と電流が走ったかのようだった。ラキオが宣告した事実があまりにも衝撃的で、身体が石になったようだった。思考は離散しまとまりはなく、指先の感覚も分からない。
――――私、を。
何も言葉を次ぐことができないユキに対し、ラキオは続ける。
「――――ああ、君は第一被害者。とうに消えたはずなんだ。だが君はここにいる。そして、誰もこの矛盾に気づかない。……僕自身、夕里子に妙な事をされるまでは疑問にも思っていなかったよ。これは一体どういう事なのか? この矛盾、夕里子が言うところの歪みについて、随分考えたものさ。結果――――僕は、一つの知見を得た」
「……」
「即ち、何故バグなどという存在が発生したのか。その原因について、だ。……グノーシアについては、まだ良いンだよ。元々この宇宙で実在が確認されているから。――――だが、バグは違う。ただそこにいるだけで、宇宙を崩壊させる。ハッ、お笑い草だよ。そんな代物がなぜ必要なンだ?」
ここまで言われてしまえば、ユキにだって理屈は理解できる。自身の呼吸がいつしか、乱れているのを感じる。胸が重苦しいために上手く息が吸えないからだ。身体は他人事のように感覚がなくて、動かすこともままならない。いいや、動かすのが恐ろしいのだ。
隣にいる沙明が“すでに消えたはずの人間”であるユキをどのような形相で見つめているのか、知るのが恐ろしくて振り向けない。そしてラキオは結論を述べる。
「――――それはね。恐らく、君がいるからだよ。消えたはずの君が、ここに存在する。それは摂理を犯す行為。修正すべき歪みだ。だから――――宇宙ごと、なかったことにする。その為に生まれたのがバグと言う存在なンだろうね」
何故、消えたはずのユキがここにいるのか、その部分は謎のままだ。だがここに消滅したはずの人間がいること自体が宇宙の歪み。バグという人類の新たな敵が生まれたのはラキオの言う通り、他でもないユキのためだ。今はもういないはずの人間が存在するという整合性を合わせるための。そのユキのために滅びた宇宙は、一体いくつあった? ユキの表情を見ながらラキオはせせら笑う。
「沙明を守る、だって? 何それ呪言? 君のせいで宇宙そのものが滅ぶというのに。僕の力の前では、……君のために滅ぶ宇宙の修正能力の前では。君の愚かな恋愛感情はこれっぽっちも役に立たないンだ」
「……っ」
「君の存在こそが彼を不幸にするのさ。君がいるから、彼はこの宇宙諸共滅ぶことになるンだ」
ユキにとって呪いにも等しい言葉。否定はできない、総じてラキオの言う通りだ。
もう立っているのもやっとだった。ユキの信念が、存在こそが現状を生み出す呪いだというのか。混乱して訳が分からなくなる。今にもその場に崩れ落ちてしまいそうだ。今も終わる、私のせいで。今の話でラキオがバグだと分かってしまった。歪みを修正するため、この宇宙は終わる。
「オイオイ、黙って聞いてりゃさァ……」
びくり、とユキの身体が大きく震えた。俯いて、ユキはこれから想像できる恐ろしい未来に対して身を構えた。守ると豪語しながら約束を反故にした。ユキのせいで身が亡ぶ事実に彼は激高するだろうか。そう思って目を固く瞑るユキの手が強く引き寄せられる。
「ラキオ、お前さァ……俺のお気に入りに随分とヒデーこと言うじゃねェか。アァ?」
酷い罵りすら仕方がないことだと思っていた。しかし、彼が放ったのは想像していた言葉ではなかった。ユキは恐る恐る塞いでいた目を開ける。視界に映った自分の手は、しっかりと沙明の手に預けられている。
彼は堅固に繋いだ手を離しはしなかった。それどころか、反対の手もユキが崩れ落ちないように支えようと触れてくれている。ユキは目の前の現象に酷く困惑した。そして、それはラキオも同様だったようだ、沙明のことを信じられないものを見るような目で見やる。
「沙明……、今の僕の話、ちゃんと理解してンだろうね? この事象に至る元凶について懇切丁寧に僕が説いてあげたというのに……。なんでユキを庇うンだい? ああ、君もユキと同じで交配本能に支配されてる口かな」
「アーッハァ! そんなん今更過ぎんだろ。元々俺ァ、俺の本能に従ってしか動く気ねェよ。……ハッ、長ったらしい講釈も聞かせて頂きましたケド? もうどうにもなんねぇんなら、俺は好きな奴を庇わせてもらうぜ」
怖れに沈もうとするユキの心をかつてと変わらぬ光で照らす。ユキは怯えながらも、自分を支えてくれている沙明の顔を見上げた。沙明は挑発的な笑みをラキオに浮かべ、毅然と断言する。
「俺ァ、ユキがいたからこの船で生きてられた。今更何言われてもさ、俺が生きるならユキが必要なんだよ。分かんだよな、俺にはコイツしか居ねェってさ。……アァ、ユキを庇うのにそれ以上の理由なんかいらねェんじゃね?」
非常に感覚的な話をする。スピリチュアルというべきか、根拠もない発言だ。ロジックの欠片もない。それなのに彼はいつもと同じ自信に満ち溢れた態度を演じている。「気に入っちまったんなら仕方ねーだろ。アンダスタァン?」その手が震えていることも、無理なテンションで何かを誤魔化していることは嫌と言うほど伝わってくる。
けれども彼はユキのために、グノーシアでなくとも嘘を貫き通す。ユキはそこに上っ面だけではない、彼の優しさを感じた。
「馬鹿馬鹿しい。愚者の相手はこれ以上していられないね」
忌々し気にふたりを睨んだラキオが手を翳す。そうすれば即座に世界が歪む。ぐるぐると形を保てなくなっていく。ユキは沙明を離さないようにしっかりと彼にしがみついた。感覚が分からないが、彼もそうしようとしてくれているのは伝わった。
歪む世界でラキオの唇が動いて、何かをユキに吐き捨てたのが見える。その景色は音もなく、静かな綻びから崩壊していく。ようやくユキの耳に声が聞こえる。
「これで、いいんだよな。……ユキ」
消える意識の最後にユキの聴覚に届いたのは、ラキオの声ではなかった。