LOOP160
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∞
翌日の議論を終えてユキは自室へと戻る。さすがに昨日の今日で、沙明の元を訪ねる気はない。きっと昨日の出来事を見て、沙明はユキに対して近寄りがたい印象を抱いたはずだ。沙明からすると昨日のユキは、理由は分からないが急に泣き出した女だ。今回はどうにもならないだろう、印象が悪すぎる。
一晩が過ぎ、幾分かユキの気持ちの方は落ち着いていた。元よりこの現象に対して納得とはいかなくとも理解はしていたし、今更どうにかなるとも思っていない。そして沙明は面倒ごとには関わりたがらない。少なくともユキは、そう思っていたのだが。
「……よ、ユキ。お前に話があんだけど」
部屋を訪ねるノックの音がしたとき、ユキはまたセツがやってきたのだと思った。きっと昨日の話の続きをしたいのだろうと、半ば気だるげに扉の解放を許可したのだった。しかし現在、彼女の目の前にはセツではない人物の姿があった。黒髪、黒の瞳、全身を黒で包んだ彼の姿。ユキの予想を覆して目の前には沙明の姿があった。
「沙明、どうして……?」
ぽつりとユキがそう零すと沙明が目を細めた。
「アーハァとぼけちまって……どうして、だァ? ハッ、泣いてた女をそんままにしとけるかよ。つーか、俺の方が後味悪ィんだわ。昨日あんな顔されてヘーキなわけなくね?」
どうやら、気にかけてくれていたようだ。ユキは驚いて首を横に振る。
「でも、あれは……」
決して沙明に落ち度があったわけではない、そのようにユキが弁明しようとする。あれはあくまでユキの勝手な感情であり、彼が気に掛けるようなことではないのだ。
「なァ、ケムリに撒こうったってそうはさせねーよ。ワケとかそりゃ正直、俺の知ったこっちゃねェけど……」
沙明はユキに言葉を続けさせなかった。ユキの手を握って、じっとまっすぐにユキを見つめた。小さな黒の瞳は間違いなくユキを映して、彼女の錯覚でないのならば気遣うようにこちらを見つめているように思った。
「気になってしょうがねェんだって。アァ、単刀直入に言ってやってもいいぜ。知りてェんだよ、お前のコト……だから、なァ」
乞うて彼がユキの手をいっそう強く握りしめる。ユキは彼の眼差しを受けて目を細めた。ユキが取った昨日の態度の理由は、ユキが沙明に抱いている想いそのもののことだろう。話せば長くなる、そして話したところでループすれば意味を成さないものになる。……それどころか。
「ユキ」
しかし彼がユキを求めて彼女の名を呼ぶ。ユキはかわし切れずに彼の腕を自分の傍に引き寄せた。彼の願いを、たとえそれが彼にとって、良い結果を残すものではなくとも拒むことはできなかった。
「沙明」
何から話したものだろうか。ユキの自室のベッドに並んで腰かけ、訥々と自分のことを沙明に語って聞かせた。沙明への恋心を語るには、まずはユキ自身が置かれている状況の説明からせねばならなかった。
「私は……、同じ時間を繰り返している。グノーシアがこの船で確認されて、排除されるまでの時間を。ループ、というよりは平行世界に移動しているらしいけど」
「……ハァ? んだよ、それ。ナニ、ファンタジーのおハナシかよ」
銀の鍵を出し、まずは自分がグノーシアの発生するこの状況を百以上繰り返していることを説明していく。初めの内、沙明は彼女の置かれている信じがたい現状に半信半疑な様子であった。
茶々を入れながら彼はユキの話を聞いていた。しかし話を聞いているうちに受け入れざるを得なくなったのだろう、状況説明があらかた終わるころには彼はもう疑いの言葉を口にはしなかった。
「…………だから私は、この宇宙船に居る全員のことをそれなりに知ってる。もう百回以上今を繰り返してきた」
「……」
「私が沙明を好きになった時のことは今でも鮮明に覚えている。忘れもしない、繰り返しの三十二回目。……孤独だった私に貴方が、沙明が手を差し伸べてくれた」
「……は」
長ったらしい説明に、ようやくユキが沙明に抱く気持ちを含ませる。ユキの恋情を目の当たりにして沙明は驚いたようだった。彼の慌てぶりにくす、とユキが微笑む。マジかよ、と沙明が声を洩らして彼女を凝視している。
「私は、沙明に命を救われた。…………一度きりの話じゃない」
出会いのこと、そしてあの粘菌事件のこと。思い返してユキは語る。
「最初に救ってくれた沙明は、疑われている私を庇ってくれた。……信じてると私の傍に居てくれた。一人ぼっちだった私はそれがどんなに心強かったか」
思い返すと懐かしくて堪らない。ユキは微笑みを浮かべて彼との思い出を語る。口にするとなんだか面映ゆい気分になった。面と向かって彼に隠すことなく想いを伝えることをこれまでしたことがなかった。ユキは頬を赤らめ、恋する少女さながらに話を続けていく。
「ある時には……、沙明は自分を犠牲にして、私を助けることを選んでくれた。そのときね、貴方を愛しいと思うようになったのは」
「……」
彼は相槌も何も打たずに話を聞いていた。だが集中しているわけでも照れているわけでもない。とても楽しそうに語るユキに対し、沙明の表情はみるみるうちに曇っていく。それで、と話を続けようとするユキの肩に耐えかねてか、彼は手を伸ばした。
「なァ。ンだよ、妬けちまうよなァ」
「え?」
ユキの瞳に今の彼が映る。目の前にいる沙明は眉間に深く皺をよせ、ユキを見つめる。ユキが彼の言葉に驚いた様子を見せると、絞り出したような声で言った。
「カッコいいねェ……。 お前のために死ねる男になりてェわ。……なれるっつーなら。 ハッ……、そんな度胸は俺にはありませんケド? なァ、それホントに俺かよ? 誰かと間違ってんじゃね」
拗ねた子供のように口をとがらせて沙明が言う。「俺ならブルっちまって、声とか掛けられねーし」彼の言葉から、彼がユキに何を言いたいのかを察した。そう、あくまでもこれは平行世界の話。ユキの記憶に在るその人は沙明であるけれども、今の沙明ではない人物の話になるのだろう。
「悪ィけど、そりゃ俺じゃねェな。……アーハァ、そうねェ……俺なら見て見ぬふりするわ。面倒クセェことに巻き込まれたくねェしな」
ユキはそこに行きついて柔らかく微笑む。確かに今ここにいる人は、かつての彼ではないのかもしれない。けれどもユキが恋をしてやまないのが、沙明という一人の青年であることには変わりはない。
口では素っ気ないことを言っても、これまでのループでグノーシアとなった彼が一度たりともグノーシア仲間を切り捨てたことはない。情に厚い人間なのだ。ユキの言葉を受け止めてくれているから、その場凌ぎではない言葉を返す。
「沙明。……私の好きな貴方は、いつもこうして私の突拍子もない話を真面目に聞いてくれる」
「……は」
「……いつもそう、最初は真面目に取り合ってないみたいに茶化すの。けどね、親身になってきちんと話を聞いてくれる」
そうっとユキは手を伸ばして沙明の頬を優しく撫でる。ユキの指が触れると、彼はビクっと体を揺らしたが拒むことはなかった。いつしか光を帯びた深緑の眼差しが、光の根源を辿って見つめる。彼女の瞳は溢れんばかりの想いに彩られて輝く。
「心から真剣に私を見ようとしてくれる。自分勝手に振舞ってるようで、本当は誰より優しい人」
視線を交わしたまま、ユキは唄うように言葉を連ねていく。すべての彼に共通するとともに、それは今の沙明を形容するもの。
「だから、私は貴方が好き」
臆すことなく心を告げた。あまりにも淀みなく、平然と当たり前のことのようにユキが口にしたので、動揺させられたのは沙明のほうであるようだった。彼は不機嫌さを顰め、みるみるうちに頬を赤らめる。
「あーーーー! もう!」
何かに耐え兼ね、声を上げた沙明はユキの手を掴んだ。
「……っ」
そして照れ隠しのためと言わんばかりに、彼はユキの口をふさぐためにキスをする。ユキの発言を押し込め、唇が離れた後に、ベッドに押し倒されたユキは光を背負う彼の顔を眺めた。眼鏡の奥に透ける黒い瞳が少し潤んでいる。赤らめた頬は少しだけ熱を帯びていた。
「ハズカシーな……。ったく、なんで俺なんかを……」
ぼそぼそと彼が何某かを口にする。何故か、そんな問いかけの答えは明白だ。今度はユキの方からほんのりと色づいた彼の頬にキスをする。そして柔らかに彼が口にした疑問に対する答えを告げた。凛然とした彼女の思考には寸分の迷いすらない。
「沙明だからだよ」