LOOP160
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自室に戻ったユキは扉が閉まると同時に床に座り込んだ。何をするのも億劫だと思った。考えを止めていたはずなのに、結局彼のことで思考させられている。
恋を自覚しているユキにとって、沙明がとったセツへのあの応対は嫉妬という感情を生ませるには十分だった。嫉妬心自体はこれまでだって幾度となく抱いてきたのだ。それでもセツがこちらに干渉しないから均衡が保たれていた。セツが近寄らなければ、沙明はユキを無下にはしないからだ。
素晴らしい人間であるセツを羨んで、なんで私以上に彼に好かれるのだと理不尽に憎んでしまえたら少しは楽になるのかもしれない。だが嫌いになるには恩義がありすぎて、さらに言えばこれまでのセツはユキに優しすぎた。セツを嫌うことはとてもできない。
セツはこのループ現象を終わらせるために真剣に取り組んでいる。真面目過ぎるがゆえに、心が疲れてしまうこともあるくらい努力を惜しまないことをユキは知ってしまっている。きっとそれはセツ自身だけではなく、ユキのためでもあった。
先の出来事も、単純にユキが沙明を退けられず、困っているのではないかと心配してくれた結果だと思われる。職業柄というのもあるのかもしれないが、セツは誰に対しても平等に優しい。
不誠実なのはユキの方だ。それだけセツが真摯に解決に向けて取り組んでいると知りながら、恋にかまけて敵対心に似た感情を抱く。今も現状から目を背け、沙明を想うことで意識を誤魔化しているのだ。
彼と過ごす幸せを享受して、己の欲求のために沙明の安全を死守しようとする。そんなユキが一体セツの何に勝るというのだろう。……少なくとも、このままでいいと考えているユキに勝る部分は無い。
「ユキ、……ユキ? 部屋にいるなら返事をしてほしい」
ぼんやりと膝を抱えるユキの背で、扉を叩く音とそしてセツの声が聞こえた。こんなところまで追いかけてきてくれたのか。ユキはまだ不甲斐なく泣き濡れた頬を拭って少しだけ扉を振り返る。「なに?」返事をしたものの動き出す気はなかった。情けなくてとても出られやしない。
「さっき私は、何かユキの気に障ることをしてしまったんだろうか。……ここを開けてほしい、話がしたいんだ」
「……」
ほら、こんなにもセツは真面目で誠実だ。ユキは完全に扉に背を向けて、目を伏した。
「ごめん。……ここは開けられない」
見せられない顔をしてるから、とユキが返事をする。自分が見せられない顔をしているというよりも、セツの顔を見てどんな顔をしてよいか分からないというのが正しいかもしれなかったが。
ユキの返答に対して扉の奥でセツの気配が動くのが分かった。だがセツは立ち去るわけではなく、再度ユキに語り掛けてきた。声が先ほどに比べわずかに近づいたように聞こえる。
「だったら、このまま話をさせてほしい。今ユキを追いかけてきたのは……、先刻私が君にとって不快なことをしてしまったのかもしれないと、そう思ったからだ。まずそれを謝らせてほしい。すまなかった」
「何故謝るの……。セツは悪いことしてないのに」
沙明を止めてくれようとしただけでしょう、とそうやってセツに問いかける。律儀と言うか……、セツの生真面目さに呆れにも近い感情を抱いたユキだが、セツの返答は彼女予想外のものだった。
「ユキ……、私はこれまでのループの中で君と沙明が親しくしているのを何度も見てきたんだ。そう、たいていの場合彼が君に不適切な言動を向けている。それなのに君は彼を拒まないんだ。……だから今日は、君が本当は拒めないでいるだけではないかと思って口を出してしまった」
セツが語るのはこれまでのループでのユキと沙明の関係性と、セツ自身の考えであった。今更何故そんなことを言及するのか疑問に思う。
だがこれまでの、沙明の振る舞いを黙認していたセツはこのループを経たセツだったのかもしれない。あるいは妙に思いながらも口を挟まなかった今以前のセツなのかも。ユキは黙ってセツの言葉を聞く。
「でも違ったんだね。君が彼を拒まないのは、君が彼の行動を受け入れているのは……。沙明を大切に思っているからなんだと先ほどの出来事で分かったんだ。……でも、私にはそのせいで理解できないことがある」
セツの疑問の核心に到達する。
「私は、汎だからそういう感情への理解は乏しいけれど。でもユキ、……私は君にとって沙明が相応しい人だとは思えない。私にも見てきたこれまでがあるけれど、彼の言動は私にとって信頼に足るものではないんだ」
「……セツ、彼は」
「うん。きっとユキの目には私とは違うふうに彼が映るんだろう。だから、話を聞きたいんだ。沙明がユキにとって、どういう人間なのか」
信用に足らないという評に反論しようとしたユキの言葉を封じて、セツはユキに問いかける。セツの問うた彼がどういう人間であるか、ユキはこれまでのすべてを反芻してみる。
「沙明は……」
口にする言葉は品がなく、態度も軽薄なことが多いかもしれない。自分勝手な発言は多く、協調性に欠ける部分があるのは確かだ。論理性もあまりないから、発言に信憑性にないこともある。……こうやってみるとセツの言う通り信頼するには難しい人物なのかもしれない。
だが積み重ねればわかる。軽口を叩いても彼は仲間思いであり、本当は優しい人なのだ。ユキはもう何度も彼に救われて今ここに立っている。寂しがり屋で、臆病なくせにユキの命を優先したこともある。
涙はもう止まっていた。彼を思うだけで心は温まる。心臓の拍動を心地よく感じ、生きていると実感させてくれた。
「温かい人なの。……彼にはセツの言う通りの部分もあるかもしれない。でも私は誰がどう思おうと彼が好き。何に変えても守りたいの。裏切られたっていい、彼になら構わないと。そう、思うよ」
素直に感情を吐き出す。彼がいるから私は長らえ、今も生きている。そのようにユキは解釈している。この船に乗るよりも前の記憶を持たないユキにとっては、これまで体験してきたこの船の中での出来事がすべてだ。彼を通して見ることでユキの世界は初めて彩られる。
「私は彼に救われたの。彼がいたから、今まで生きてこられた」
今の状況で恋心ほど不毛なものはないかもしれない。しかし、それこそがユキの生きる活力であるのは間違いなかった。
「……セツには分からないかもしれないけれど」
心の澱がユキに毒を吐かせた。ユキの言葉は皮肉で締めくくられる。これ以上彼女に言いたいことはなかった。セツが微動だにせず、扉一枚隔てた先に佇んでいるのは分かる。けれどもLeViのアナウンスがあるまで、セツはもうこれ以上何も言わなかった。