LOOP146
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∞
やはりきっと、あれは夢だったのだ。
議論の最中であっても悪戯っぽくこちらに微笑みを向けてくる沙明と目が合って、ユキは自分にそう言い聞かせた。グノーシアゼロの宇宙などなかったと言わんばかりに沙明はこちらに対して親しげだ。そう、いつしか彼はどのループにおいてもユキが視線を向ければ、気が付けばにやりと悪意のない微笑みを向けてくれるようになった。
たとえユキの視線に彼が気づかなかったのだとしても、それはそれで議論に対しての彼の百面相が見ることができるならユキは心安らぐと思っている。許されるならば、常に視線にとらえるのは慕ってやまない沙明の姿でありたい。少なくとも自分を嫌っている人物を見ているよりは何百倍も幸福な気分でいられる。
いつまでも見ていたいと思いながらユキは沙明から名残惜しくも視線を逸らす。そして彼女の視線は発言をしているわけでもないのだが、わざわざ時間を割いて別の人物へと向かった。彼女の目に映るのは青を主に据えた極彩色の、ツンとした物言いで時折衝突を避けられなくなる人物、ラキオであった。
敵対することの多い人物の方へ何故目を向けることをするのか。その理由は簡単だ。今回のユキは沙明だけではなく、ラキオを守ることにも自身の知と能力を動員しているからである。
このループの始め、夕里子から得た情報をセツに報告したときのこと。改めて話を切り出されたセツに問われたのだ。今のユキは「鍵」のことを知っているユキなのか、ラキオに話を聞いた後か、と。
鍵とは一番初めのループでセツから渡された、これまでのループでの事象、乗員の情報までをも確認することのできる銀の鍵のことを指しているので間違いはない。しかしながら、銀の鍵に関する話をラキオにした記憶はユキには一切なかった。
どんなにその話が重要なのかは分からないが、セツはユキ自身がその話を聞くべきだと言った。ラキオに話を持ち掛け、提示された条件に従ったために、現状ユキはラキオを守護する羽目になっている。知りたければ、グノーシア騒動が終わるまであらゆる危険から僕を守れと命じてきたからだ。
二日前に話を持ち掛けた時、打てば響く、といった調子でラキオはユキの知りたいことを察したようだった。おそらくはラキオは銀の鍵について有用な情報を持っている。そしてこのループ現象についての仮説、いいやほぼ確信に等しい真実も知っている様子であった。
いつか成さなければならないことならば、早いうちに終わらせてしまうのがいい。
「僕を責める正当な理由が無いからって人格攻撃? そんなもので動揺するのは余程の愚か者だけだね」
それにしても……。ユキはラキオの物言いに顔を顰める。生き残りたいならばもう少し発言にも気を遣ってもらえないものだろうか。
内心ユキはため息をつきながら彼の動向を見守る。今のは疑いを向けてきたジナに対しての発言であるが、否定するにしても言葉を選んでほしいとユキは思う。沙明を蔑ろにしてまでラキオを守る価値があるとは、断じて思えない。
たとえ壊滅的にラキオと反りが合わなかったとしても約束は約束だ。それに今のユキの力を持ってすれば、ラキオが余計なことさえしなければ、他の乗員たちの印象操作ができないこともない。
「ラキオは理路整然としていると思うけれど、みんなはどう思う? 私を信じてくれるなら、ラキオの意見を支持して欲しい」
ククルシカに匹敵するほど魅惑的な微笑みをユキは浮かべて皆を見渡す。その場面においての適切な表情は、人を引き付ける力を持つことは分かり切っている。わざとらしすぎるのかもしれない。だが微笑みも悲しみも、状況に応じては大袈裟なくらいがいい。
「つまりアレだ。ユキはラキオが大事なんだろ?」
ユキの無垢で真摯な訴えに間髪入れずに賛同したのは沙明だった。
「カーッ! 泣けるねェ。麗しい友情じゃねーの。……ホレお前らも応援してやれって」
沙明が追随してくれたことは嬉しい、だが決して貴方よりは大事ではないことは弁明したい。徐々にラキオ擁護に傾きかけた乗員たちの声を聞きながら、ユキは眉を顰め沙明の顔色を窺った。飄々とした彼は今日自分に危険が及ばないことを確信してお気楽な様子でいる。妙なふうに捉えられていないのならば良いのだが。
今回は協力関係を結んでいるが、ラキオとユキは破滅的に馬が合わない。仲が良いと思われるなんて、ユキはともかくラキオは真っ平御免だと思っているはずだ。別にユキはラキオを嫌っているわけではないが、沙明の方が大事であることは皆にも彼自身にも分かっていてほしい。
ユキは円卓の下で冷たい指先を絡み合わせて形を作る。ラキオに向けたユキの弁護を、麗しい友情などと評した彼を気に掛ける。彼が今のユキの行動を変なふうに解釈していませんようにと祈った。
∞
いつも以上に議論では神経を使う。それでも明日、今回のループにおいての最後のグノーシアをコールドスリープさせることができれば、無事にラキオから銀の鍵の話を聞くことができるはずだ。
誰もいない閑散としたロビーのソファに掛けてユキはうんと伸びをした。凝り固まった背筋を伸ばすと、硬さが解けて言いようのない心地よさがある。普段は沙明の傍にいることを重視しているから、あまり訪れない場所であるがたまには良い。誰か来るなら気分転換のために話も興じようと思った。
大切な彼を蔑ろにして誰かを守るのは、できることならばこれきりにしたいものだ。酷く、心が摩耗してしまう。他の誰かを守るため、時に彼を切り捨てなければならない可能性を案じて、恐れを常に抱いていなければならない。
今日、彼のいると思しき共同寝室や娯楽室を訪れる気になれなかったのは、彼に対して自分が誠実でないような気がしたからだ。彼を守るための最善が今回約束できない以上、彼との対話を重ねるとユキ自身が辛くなるような気がした。ユキは天井の眩しい人工の光を仰ぐ。そしてソファに背もたれたままの姿勢で右手の甲で視界を遮った。
明日も他の誰かを一番に考えて動かなければならない。沙明のとの接触を増やして折角彼からの信頼が得られても、それに応えられない状況に置かれるのは十分に想定できる。彼を見捨てる気は毛頭ないが、期待には応えられないかも。それを危惧するのなら初めから期待させるようなことはしないほうがいい。今回の彼が自分にそれほど信頼を置いてくれているとは到底思えないが。
「……」
できることなら、少しでも一緒に居たいのに。きゅう、と心臓が締め付けられる感覚にユキは唇を引き締める。初めは知りたいだけだった。いつしか彼を守りたいと思い、彼の隣に一分一秒でもいられることを願っている。あまりにも強欲か。恋に目覚めてからは人の感情の欲深さを知るばかりだ。でもその心があるからこそユキは今まで長らえている。
「なァ……、ユキサン」
「……ん」
「こんなところで堂々と寝てるとかどういう神経してんだよ。ちょっと図太すぎじゃね?」
「……っ」
届いた声は彼女の全意識を一瞬にして奪ってしまった。閉じていた目を驚きと共にユキは見開く。光もろともユキを照らし出して彼は、ユキを見つめて微笑んでいた。
どうして、こんなところに沙明が……。目の前にある彼の存在にユキは動揺を隠せず、ソファに持たれていた上体をすぐさま起こす。衣服や髪を気にしてあちらこちらへ手をやると、それを見ていた沙明がおかしいと言わんばかりに噴き出して笑った。
「アーッハァ! 何、俺のコト意識してくれてんの? ハッ、ユキみたいなカワイイ女に好かれるのは悪くねえよなァ」
ためらいもなく沙明は座っているユキの隣にどっかりと腰を下ろす。膝に腕を乗せ、手を組みながら彼はユキの顔を覗き込む。彼女はそうやって自分を見つめようとしてくる彼にドギマギして顔を赤らめる。彼の行動に戸惑いながらもユキはときめきを隠し切れないでいた。
――――もしかして、私に会いに……?
ありもしないことをつい期待してしまいそうになる。こんなにループを繰り返していても沙明の方からユキを訪ねてくれたことなんてほんの数回限りだ。しかも彼がユキの元へ来るときは、大抵都合の悪い時が多い。でも、今は。
「一番にお前を見つけたのが俺でラッキーだったじゃん。グノーシアだったら頭からパクっといかれちまってるぜ?」
これはそうじゃない。意地悪な笑顔を浮かべていながらも、まぎれもなく彼の台詞はユキの身を案じる言葉。呼吸さえ忘れてしまいそうになる、甘い優しい言葉だ。これが嘘ではないことをユキは即座に感じ取れる。同じような心配の言葉をことあるごとに彼は投げかけてきた。些細な瞬間に、真剣な眼差しをもってして。
…………やっぱり、この間のアレは悪い夢だったんだ。
こんなふうに気にかけてもらえるのならば、あの痛みを無かったことにするのは容易だ。彼の気遣いに心を躍らせ、面映ゆそうにユキが顔を背けると沙明は目を細めた。自分の太ももに頬杖をついてふっとユキの行動を笑う。そしてユキを見つめたまま、僅かに眉を顰めた。
「ま……、ラキオが来てくれた方がユキサンには良かったかもしれませんけどねェ」
「? どうしてラキオが出てくるの?」
斜に構えた態度で沙明がそのようなことを言うので、ユキはきょとんとする。突然にラキオの名が出たことの理由も分からない。今回のループにおいてはラキオを守ることに力を割いているが、決してラキオと仲が良いわけではない。
それに沙明は彼自身がオープンな人物であるから、普段誰との交友関係にも口を出さない……、というよりも興味を持っていないようなふうにユキには見えていた。だからユキの人間関係に対して彼が変に気に掛ける様子であるのをとても奇妙に思った。
心底不思議でたまらずユキは沙明を見つめ返す。いつもは余裕をかました彼の微笑みが、今日は何故か機嫌を損ねた子供のように見えた。ユキが問いかけると彼は唇を尖らせてふいっと視線をユキから逸らしてしまう。
「オイオイ……、そりゃ俺が聞きたいくらいだっつーの。右も左もなくラキオのこと庇ってるのを見たら、アイツがお前の特別な奴だってことは分かるぜ?」
「えぇ……?」
謂れのないことに言及されてユキは思わず声を洩らす。彼が指摘しているのはラキオとユキの関係性に他ならないのだろうが、それこそが理解に及ばなくて顔を顰めずにはいられない。確かにこの度のループに置いては取引の上で、ユキはラキオを守ることに徹しているけれども。別段そこに特別な感情があるわけではない。あるのだとしたら、今この時間もラキオと共に過ごしているはずだろう。
むしろ、素直に沙明を守ることができない自分の境遇にどれほど苦慮をしていたことか。
「特別なんかじゃ、ないんだけど……」
「リアリィ? そんなふうには思えねェんですけど」
納得がいかないとばかりに彼は、見ようによってはむくれたような表情をして見せる。ユキは困り果てて首を傾げた。彼が何を言いたいのか、どうしてそんなことを気にしているのかが未だ分からない。
気にかけてもらえることは願ってもないことだが、機嫌を損ねられるのは不本意だ。ユキはそっと頬杖をついているのとは逆の、太ももに置かれたままの彼の手に手を伸ばす。
「ラキオとはこの船で出会ったばかりだし、人間だと思うから庇ってるだけ。……むしろ」
「あ?」
「私は沙明の方が大事」
さらりと至極当然のことを言ってのける。沙明は彼女のそのような返答を想定もしていなかったのか、ぽかんと口を開けた。そして怪訝そうな表情でユキをじっと見つめる。ユキはそれ以上に何も言うつもりはなかった。ただひたすら彼の手を握りしめて、彼の心に訴えかける。
「……は」
「嘘だって疑ってもいい。……でも、本当のこと」
彼の目を見つめ、言葉より多くを訴えかける。すると彼は頬杖をついていた手で顔を覆った。あーだとか、うーだとか言葉を吐きながら天井を仰ぐ。ユキの瞳に映る彼の横顔、表情までは見えないが耳まで真っ赤になっているのが見て取れた。それを見ると無性に嬉しくなる。自分の言葉によって彼が多少なりと感情を揺さぶってくれた事実がそこに在るような気がした。
しばらくの後に、彼は顔を覆った手の隙間から、ちらとユキの方へと視線を寄せた。沙明は添えられたユキの一回り小さな手を、その手にとって握り返す。彼はユキの先ほどの言葉に対する直接的な答えは何も言わなかった。ただ、聞き覚えのあるセリフを彼は口にする。
「ユキの手……、あったけェな」
言わなければ分からないことも多い。けれども口にするだけでは不十分で、言葉よりも多くの意味を持つものもある。ユキは彼の一言に口元を緩めた。今はこれだけで十分だと思った。彼女には沙明の言葉以上に必要なものはなかった。
「沙明の手も温かいよ」
「ハッ……、嘘つけ。俺ァ、ユキみてぇに体温高くねえんだよ」
単純に体温という数値だけで測るのなら、確かに彼はユキに比べひやりとした手をしている。だが、そこではない。彼の手だからユキは温かいと思うのだ。なかったことになっても自分を何度も掬い上げてくれたこの手だからこそ、ユキは何よりこの手を愛おしく思う。
「……それでも、そう思うよ」
ユキが確固たる自信をもってそう口にする。ユキの言葉を聞いて握りしめた彼の手は少し震えたような気がした。沙明はようやく自らの顔を覆っていた手を下ろす。くすぐったさを堪えたような表情。頬にはほんのりと赤みがさす。沙明の手がそっと、ユキの頬を撫でようと伸びてくる。
「ユキ……」
名を呼ばれて目を細めた視界の先に、極彩色の何かを見たような気がした。奥、凍り付くような眼差しは一瞬ユキを捕らえて、すぐに忌々しげに視線を逸らす。ユキもそれ以上、その人物を追うつもりはなかった。目の前に誰よりも大切に思う人物がここにいるというのに。
何物からも目を逸らす。ただ目の前にいる沙明の視線に応えるために、ユキはたおやかに微笑んだ。