LOOP32
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この宇宙船唯一の食堂での食事は元々あまり美味しいものだとはいえない。星間航行船D.Q.O.は現在船内にグノーシアの存在が確認されている。そのためにグノーシアが除かれるまでは、どこにも寄港することもできずに漂流状態なのだと以前説明されたことがある。
すなわち仕入れもできない状況であるということだ。こういう時のために備えられた食料・合成材料は潤沢にあっても、そういう物の味は二の次だ。いつの時代も美味であるかは別の話である。
もっと体に悪ぃモンが食いてー、と沙明はぶつぶつ零していたが、ユキはそれでも久しぶりに味のあるものを口にした気がした。これまでのループの中、ここで何度食事をしたはずであるがまるで砂を噛んでいるようだった。
いつだって何を食べているのかも分からない精神状態だったのは記憶している。それでも今日は何故か美味しいとすら感じられた。……誰かと、語らえるような人と一緒に食事ができたからかもしれない。
彼らの他には人っ子一人いない食堂にてまじまじと、改めてユキは何でもない話をしている沙明の顔を見つめる。正直、今この時までは彼がどんな顔をしているかも曖昧だった。目が二つ、鼻が一つ、口が一つ。自分と同じだけ付いていることは知っているというのが精々で。
しかし現下、こうして彼を見つめているといろいろなことに気が付く。眼鏡の奥にある細い目には、お得意の軽口とは裏腹に鋭さがあることだったり、肌が白くて綺麗だったりすること。笑った時に八重歯が時折覗いて見えるのはなんだか可愛らしいと思えた。
これまで生きてきたはずの世間のことを全く覚えていないからユキには分からないが、彼は結構イケている人なのだと思う。アクセサリーも個性的でお洒落だ。
しかしそれ以上に沙明を飾るのは、くるくると上機嫌そうに変わる彼の表情。ただでさえ好感の持てる顔立ちに彩を添える。沙明の浮かべる表情にはユキに向ける悪意は一切ないように思う。だからこそ、彼の表情を見ているとユキは辛いことも苦しいことも考えずに済んだ。
「オイオイ、ユキ……。俺の話聞いてんのかよ? 寂しい思いさせんなって」
細い眉を顰めて沙明が苦言を呈す。指摘を受けてユキはハッと我に返った。確かにユキは沙明の言葉を聞かずに彼のことを見つめていた。気を緩めていられるほど、彼の態度にはやはりユキに対する負の感情は無いように思えて夢中にさせられた。ユキが目を瞬かせると、一転して沙明はカラカラと笑っていつもの口ぶりで言う。
「アーハァ! なるほどねェ。さては俺に見惚れてたな。ま、こんなイイ男が一緒に座ってんだもんなァ? 光栄に思っていいぜ、オウケィ?」
テーブルに置いたコップを手に取ろうとして、ユキの手が留まる。いつもだったら弱みを見せたくないから、無理に強がって言葉を認めたりはしない。しかし今ばかりは沙明の言葉を否定する気にもならなかった。テーブルのコップを押しやって遠ざける、誤魔化そうとした言葉は飲み込まないことにした。
「……そうだね」
きっと、今しがたの言葉は彼の適当な軽口だったのだろう。思ってもいないけれど、場を和ませるための何でもない言葉。しかしユキはただ、沙明の言葉を肯定する。
ユキの反応が想像と違っていたのか、沙明は眉間に再び皺を寄せ、不可解そうに彼女を見つめた。まさかユキが自分の言葉を真に受けて返してくるとは思わなかった様子で、正面に座る彼には戸惑いすら見える。ただ、ユキの肯定は嘘ではない。
「私にはすごく素敵に見えた。……沙明が」
「……リアリィ? 何マジになってんだよ、ユキってそーいうキャラだっけか」
吃驚した様子で彼は目を丸くする。今頃になってやっと知る、彼は表情豊かで親しみやすい人だと。明るく悩みもないみたいにサッパリと笑って、かと思えば少しだけ意地悪な顔もする。嫌なことがあるとすぐに不機嫌そうに顔を顰めるけれど、それでもすぐに気を取り直して笑って。
これまではその無神経なほどの自由さを疎ましいと思ったことすらあった。あまりにも身勝手で軽薄だと。でもこの瞬間はその彼のおかげでこんなにも心が穏やかでいられる。
「今日は、庇ってくれてありがとう」
先程は言えなかった礼をユキは口にした。彼の何が信頼に値したわけでもない。それでもユキは彼の発言を、沙明を信じていたいと思わされた。せめて自分の気持ちは正直に伝えておきたいと思ったのだ。
疑心暗鬼の闇の中でいつでも沙明は欲望に素直だった。ループによっては話し合いに来ないこともある程の自分勝手さ。それはユキから見ると自分を偽っていないように見えた。話し合いの時の彼の行動はユキを救おうとしてのことではないかと、ここに来て期待を持ったのだ。
錯覚かもしれない。もしかしたら傍目から見るほど自由でもないのかも。けれども彼が自分を今日助けてくれたことは紛れもない事実だ。どうして庇ってくれたのかは知らなくてもいい。庇ってくれたという事実が重要なのだ、それでユキは救われたのだから。ユキは口元を緩める。彼女の張り詰めた緊張は彼の行いによって解されていた。
「……。ユキ、アー……」
沙明はユキを見つめたまま大きく目を見開き、両眉を上げる。そして僅かに視線を横に逸らした。すぐさま喉仏が上下して、沙明は張り付いた唇を重く開く。眼鏡の奥で屈曲した彼の瞳がどこか複雑な顔をしてユキを見据える。
「けどよ、ユキ……。……俺は……あー、クソ」
もごもごと口ごもる彼が何を言おうとしたのか、ユキには分からなかった。だが彼の中には一瞬の思考があったのだろう。頭に付けたゴーグルの位置を直すために持ち上げたように見えた彼の手が、進路を変えてユキの方へと伸びてくる。それはそうっと、テーブルに置かれたユキの手に乗せられた。
ユキよりも少しヒヤリとした、それでも三十六度の温みのある手のひら。彼はユキから目を逸らさずに、口元を柔らかく緩める。
「信じてるぜユキ、俺がお前を守ってやる。……ハッ、だから俺に任せな?」
熱がユキの身体に滑り込む感覚。沙明が口にしたそれは、これまでどんなにユキが求めた言葉だったろうか。彼女が求めていた信頼と、寄り添い傍に居てくれる存在。どちらも彼は与えてくれた。沙明の手が揺れた指先から彼の体温が、それ以上の温かさをユキに伝えてくる。言葉はなく、沙明に対してユキは静かに首を縦に振った。