LOOP135
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何度この手で誰かの命を終わらせてきたことか。時折そのようなことを考えてみても、今となってはユキの心には対して影響をもたらさない。どうせ時間が巻き戻るという確信が彼女の心を一部麻痺させている。だが今も新鮮に揺り動かされる感情が変わらず存在する。それはいうまでもない、沙明へ抱く恋心だ。
闇を滑る宇宙船の中を闊歩する。このフロアには全く命の匂いはしない。無論それはユキ自身が乗員を消し去ったからである。
ユキがグノーシアになった場合、疑われコールドスリープさせられることは十中八九なくなった。彼女が目覚めた時点でこの船の未来が決定づけられるほどにユキは圧倒的な力を持ち始めていた。無論、それが絶対的で在るというわけではないのだが。
ループを重ねるごとに同じ状況が繰り返されているようで、その実異なる部分が少なからずある。ユキにとって最も明確にそれが感じられるのは沙明の態度であった。
回数を重ねるごとに、ユキは自分自身と沙明との距離が縮まっているように感じた。ここ二十回のループにおいては、彼は出会った瞬間からユキに対して好意を抱いてくれ、協力をしてくれることもある。それどころか胸の内を晒し、ユキとの未来を願ってくれるループだって存在した。
ユキの思慕のレンズを通してみているから正当性があるかどうかは判断付かない。しかしユキを見つめる瞳や触れてくれる彼の手の感覚が、かつてとはまるで違うように感じられるのだ。親しみ、愛情に似た何かが掌の温もりから伝わるような……。決して錯覚ではないとユキは信じたい気持ちでいた。
そして今、これまでのループにはなかったのだが。議論の終わり、沙明に展望ラウンジへと呼び出された。今日にククルシカがコールドスリープして、この船には沙明とふたりきり。すなわちはグノーシアである二人だけが意識を持ち、現在この船には残っていることになる。
「沙明……?」
展望ラウンジの戸が開くとそこは森の一区画であった。目の前には青々とした草原が広がり、周囲は背の高い木々が並ぶ。それらはサワサワと風に揺れ、土のにおいを運んでくる。これは彼が……? ユキは風に靡く髪を抑えて彼の姿を探した。
この展望ラウンジではLeViに命じれば、周辺宙域を映し出すこともできるし、また望む映像をホログラムで投影することができる。普段は夕里子がここで星を眺めていることやククルシカが花畑を投影して遊んでいることは多々ある。
だが自然に満ち溢れた森が投影されていたことはない。そして沙明とここで鉢合わせることはこれまでのループで多いとは言えなかった。
「……」
星明りの元に彼の姿を見つける。周囲を森が囲み、中央部だけが開けた原っぱになっていてそこで沙明は宙を見ていた。暗幕を敷き詰めた空には星たちが力強く輝いている。吸い込まれそうな宙だった。目を離すこともできないほど魅力的な夜空がそこに在る。
沙明はユキが呼びかけなくとも彼女の姿に気が付いた。彼は夜空を逃れてユキの姿を視界にとらえると目を細めて微笑む。
「……ユキ」
自然とつま先は彼の傍へ向かう、ユキは彼の声に導かれて傍まで歩み寄った。彼の隣に立つと、合図もなく彼の手がユキの方へと伸びて温かく彼女の手を握りしめた。
ときめきと驚きに弾かれてユキが沙明を見る。そんな初心なユキの反応を見てか、沙明はニヤリと口元を歪めた。だがすぐに落ち着きを払ってユキのことを見つめる。
「二人っきりになっちまったな。……アッハ、まあそれもユキのおかげだけど。ユキサマサマってな、お前がいたからおネンネしなくて済んでるっつーわけだし」
「……」
「信じてるぜ、俺は。ユキに任せてりゃ間違いねーってな! ……アア、これからも」
沙明の言葉にユキは微笑む。彼が信頼を寄せてくれるのはいつだって喜ばしいことだ。それだけの実力を身につけた甲斐があるというもの。沙明がユキの手を引いて反対の手で彼女の腰を引き寄せた。ユキが目を瞬かせると、沙明はニヤッとした笑みを浮かべ彼女を見つめる。
「分かるよなァ、もっとユキの隅々まで知りてェって話」
思わずユキは目を見張る。これはいつかのループの続きと言っても差し支えない。以前、心が通い合ったと確信したループで同じことを沙明に聞かれたことがある。あの時も彼はユキに対し絶大な信頼を寄せてくれていた。そして今回も、かつてと同じ経過を辿ろうとしている。
あの時と同じ、彼の瞳にはユキを芯から熱くさせる何かがある。ユキは面映ゆくなって俯いた。何度もループを繰り返しているからと言って、これには全然慣れていない。胸が締め付けられるように痛んで声も出ない。
返事もできないユキを見つめて、沙明はそっと手を伸ばす。腰から離れ伸びた手は迷いなくユキの頬に触れ、まるで愛おしむように撫でつけた。彼女よりも体温が低いため、触れた瞬間はひやりとしたが内から感じる温みのある手だ。触れることを拒まないユキを見て、沙明は口の端を吊り上げて微笑む。
「この船もさ、もう俺らのモンだろ? 次行くとこはどっか楽しいとこにしようぜ? お前のイキてぇトコ、どこでも付き合ってやるよ」
ぎゅうぎゅうと胸が痛む。彼が紡ぐのはまるで自分のために用意されたような言葉だ。例えるならまさに夢のような。
自分が望むことのできない未来を、もしも彼と共に歩むことができたら自分はどこへ向かいたいのだろう。ユキは奥歯を噛み締めて込み上げて溢れそうになる感情を堪える。そしてじっと沙明を見て、何とか微笑みを返した。
「どこでも。……沙明と一緒なら、私はどこだっていい」
それでもどこか行きたい場所を願えというのならば。ユキは沙明に握られた手を握り返して叶うことのない願いを紡ぐ。ユキにはこの宇宙船に乗る以前の記憶がない。それでも一つだけ行きたい場所がある。前に話を聞いた時から考えていた。もしも、沙明がいいというのならば。
「……沙明が生まれた星には行ってみたい。沙明がどんなところで過ごしていたのか、……知りたい」
話しているうちに沙明の微笑みが少しだけ曇ったので、ユキの言葉は尻すぼみになってしまった。高望みしすぎてしまったか。ユキがそう思って彼の手と握り合った手を放そうとしたが、沙明の方が捕まえてユキを引き留める。真っすぐな黒の瞳はじっとユキを見つめたまま静かに瞬く。
「アー……、ンー……。別に面白いとこじゃねェけど? スゲー辺境の星でさ、つまんねェとこだぜ? 人も何もねえし……」
「……うん」
あまり故郷に戻りたいとは思っていないのだということは、かつて彼から聞いた昔話からも察せられた。適当な理由を述べ、ユキの興味を失わせようとしている。……ただ。
「私は行ってみたい」
彼女にとってはそこがどんな場所でも構わない。彼の原点を知りたいだけ。彼が嫌だというのならば無理強いする気もない。沙明を中心に広がる世界。この船を降りて彼と肩を並べられる場所があるのならば、ユキはそれに辿り着きたいだけだ。
――――でも私は辿り着けない。
希望を見たユキの瞳が寂しさを帯びた。感覚として分かる。もうすぐこのループの終わりが近い。彼がどうやってユキを知ろうとしても、望みを叶えようとしても。間近に全てを無に帰す巻き戻しが迫っている。
「……ユキ?」
些細なユキの表情変化を察して沙明が彼女の名を呼ぶ。彼にはユキの何も分かることはない。それでも彼の目にはユキが悲しみを湛えているように見えた。ユキは己の境遇を理解している。理解したうえで、今回は願いではなく正直に彼に応えた。
「やっぱり、今の無しにして。沙明に行きたい場所を言う資格、私にはないから」
どうせ一緒に行けやしないのだから。今度こそ、彼と握り合わせた手を解こうとする。だが彼の手は固く結び合ったように離れない。それどころかいっそうユキのことを引き寄せ、沙明はユキの身体が折れてしまいそうなほど強く彼女を抱きしめた。
「資格とかいらねえっつーの。俺ァ、ユキがどんな人間だって構いやしねェよ。ハッ……、そうだな人間じゃねェし?」
冗談めかして彼が口にする。だがその言葉が決して嘘っぱちでないことは彼の口調からユキは判断できた。どうしていつだって彼はこんなにも優しいのだろう。
感極まって泣き出してしまいそうな自分を抑える。迷いなく自分を認めてくれる彼の心遣いが嬉しかった。叶うわけのない望みをかけてユキは沙明の身体に手を伸ばし、そして抱きしめる。
「……沙明」
どちらともなく膝を折った。幻想の野原に腰を下ろす。果て無く広がる夜空のもとに彼らは二人きりだった。彼らを守るように立つ木々、そよぐ青々とした草花。ここに本物は彼を除いてひとつも存在しない。嘘が大半を占めるこの空間で、ユキはそれと同等の言葉を彼に囁く。
「明日、沙明が覚えてたら話すよ。私のこと……、全部」
「アッハ、ンだよそれ」
カラっとした表情で彼は笑う。ユキの約束は沙明からすれば忘れようもない、そして破りようもない約束だった。自分たちはグノーシア、この船を制圧している。他の乗員はすでになくお互いに消えようもない。どうやったって明日が必ず来ると確信している。ユキに明日がないことなど知りようもないから、彼はその約束が果たされるものだと信じている。
「な……、ユキ」
風がサラサラとユキの髪を攫おうとする。沙明はそっとユキの髪を取り戻して彼女の耳に掛けてやった。彼はユキを見つめて言う。彼女にとって紛れもなく最上の言葉を、彼は声にして囁く。
「このクソ宇宙で俺らァさ、運命共同体みたいなモンだろ? ァンダスタァン?」
「……っ」
ユキは言葉を失う。そうであるならばどんなにいいだろうと思った。人間ではなくグノーシアとしてでも沙明と生きられたら、運命を共にできたら。どんなに幸福なことか。
「ユキ様、沙明様」
空間転移の時間が、このループの終わりが差し迫る。LeViがふたりを自室に戻すように促したが、沙明が断固拒否の意を示した。せめても横になってほしいとLeViに乞われ、ふたりは幻の森の中で横たわる。現実じみた自然の中に向かい合ってユキはこの時を噛み締めた。
「なァ……、ユキがどうしてもっつーなら。俺の生まれた星に行ってもいいぜ」
気にしていたのだろうか、目を閉じる間際に沙明が呟く。ユキがえ、と声を洩らすと沙明はそっとユキの頬を撫でた。
「だから、俺の傍に居てくれよ。置いてくんじゃねえぜ?」
知ってか知らずか、沙明が口にしたのは核心であった。ユキは目を見張り、息を呑む。彼はそうまでしてもユキを繋ぎ留めたいと願ってくれている。薄々と、それが何であるかは分からなくても、ユキがいなくなる不安を抱いているのではないだろうか。
ユキは自らの頬に触れる彼の手を握る。この宇宙の彼を最後に目に焼き付ける。ユキは決して彼の望みは叶えて上げることはできない。……だからせめて、最後に願う。
「幸せになってね、沙明」
もうこれ以上に、今のユキにできることはない。堪えきれずか、それとも風に乾いてか。ユキの目から一筋涙が零れ落ちた。沙明はユキの発言に怪訝な顔をし、そしてクックと笑いを洩らす。
「ハァ? ユキ、もう寝惚けてんのかよ? ン?」
眼鏡の奥、黒い瞳が慈愛を浮かべて細められる。ニヤリといつも通りに頼もしい笑顔で沙明は言う。彼の手がそっとユキの涙を拭って、この世の何よりも安心に近い温もりでユキを温めながら最後に言う。
「お前ひっくるめて幸せにするっつーの、任せろって」
それがこの宇宙の終わりだった。
∞
彼と共に生きられる未来を、ただひたすらに願うなら。果たしてユキに何ができるだろう。今一度前を向いて歩き始める。
疑うな、畏れるな、そして知れ。すべては知ることで救われる。