LOOP128
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今晩、彼の元を訪ねるのは悪手かもしれない。翌晩、ユキはD.Q.O.の廊下をぼんやりと歩きながら僅かながらそんなことを考える。グノーシアである乗員の元を夜訪れると、翌日の消滅率が統計的に高いことは繰り返すループの内に分かっていた。
とはいえ、目的地に向かっていく足を止める気は更々なかった。ひとときでも彼の傍に居たいと願う気持ちは誰にも制させない。そのユキの望みが彼女の自身を危険に晒すことだとしても。
本日の議論でセツのエンジニアとしての調査の結果、沙明がグノーシアであることが報告された。議論初日にエンジニアを名乗ったのはセツだけ。すなわち誰の目から見てもセツは真のエンジニアであり、沙明はグノーシアで確定ということになる。彼には人類の敵としての烙印が押された。
それでも本日のコールドスリープだけは辛くも逃れた状況にある。ユキが、バグが残っている可能性を提示したうえで、沙明を眠らせるのはまだ早いと意見を述べたからである。今回のループでグノーシアは二人。沙明を眠らせるとしても乗員が残りすぎている。一日目にコールドスリープしたレムナンがグノーシアであった場合、沙明を眠らせればバグの力で宇宙が消滅することになる。
いつしか言葉に力を持つようになったユキの意見で、今日は沙明のコールドスリープは避けるという賛成多数を勝ち取った。決してそれが本当に乗員のためになるかは分からない。
ただユキの意志を反映させただけ、ユキがそうしたかっただけだ。彼らがそれに納得してユキに同調したのなら、彼ら自身がそれを自身の最良だと選んだということになるだろう。
ユキの心は変わらない。きっと彼がいる場所へ足を向ける。娯楽室、開いた自動扉の奥に。誰にも塗り潰せない黒を纏う彼の姿がある。ユキが部屋に足を踏み入れた瞬間に彼は面を上げ、そして怒りとも悲しみともつかない笑みを口元に浮かべる。だが躊躇わずユキが彼の元へ歩み寄ろうとすると、彼はソファーから立ち上がってわざとらしく大声を上げた。
「手前ェッ! 俺をヤりに来やがったなっ⁉ おい看守サーン! LeViヘールプ!」
情けないと評するに相応しいセリフ。ユキはそれを見ても歩みを止めることはなかった。ただまっすぐに彼の元へ辿り着いて、そして沙明の顔を見上げた。彼のそのような薄っぺらな言葉はすべて彼が演じているだけだと分かっていたからだ。
「……」
彼の漆黒の瞳をただひたすら深緑の目は捕えている。ユキが沙明の情けない慌てぶりを呆れも驚きもしないでいると、おどけることは無駄だと察したのか。彼の表情はスッと真顔に戻る。その一瞬の中で眼差しに気圧され、沙明は僅かに動揺を見せた。しかしすぐにも表情にニヒルな笑みを貼り付けてユキを見下ろす。
「……ハッ。で、敵のフトコロに何しに来やがった?」
「沙明に会いたかったから。……来ただけ」
言葉を飾ろうとする必要はないと思った。それが一番彼には伝わるだろうという確信があった。ユキは揺るぎない意志を彼に打ち明ける。刹那も彼から目を逸らしたりはしない。
彼女の言葉を聞いて沙明は不可解だと眉を顰める。彼の手はユキの腕を掴み、そして彼女の身体をソファに引き倒した。クッションの綿が潰れる音と同時にユキの銀髪が座面から滝のように流れ落ちる。それでも褪せることもなく、これまでと全く変わりない色でユキのことを黒の瞳は見つめていた。
「なぁユキ。俺ぁ、グノーシアだぜ?」
ユキの身体に体重を乗せ、浅ましくも腰を摺り寄せて彼は危険を明確にする。何度も肌を重ねたのだ、ユキの脇腹を撫でつける手つきにはこれまでも覚えがある。ユキが身を震わせると、彼はぴたりとそこで手を止めた。
「ここへ来たってことは、覚悟はできてるっつーことだよな」
ただ、それにしてはあまりにも身勝手さのない眼差しをしている。それどころか苛立ちと、彼の優しさが瞳からは垣間見えた。ユキの推測が正しいのならば彼はこの状況、自分がグノーシアだと割れた状況でもユキの身を案じてくれているのだろう。
普通に考えればユキの行動は理解に及ばない。共存が不可能だと分かっているグノーシアの元を訪れるなど、百害あって一利なしと考えるのがこの宇宙では正当な思考だ。人間を滅ぼすためのグノーシア。それなのに無防備に部屋を訪れ、会いたかったからと宣うなど……。AC主義者だと人間から非難を浴びてもおかしくない。自殺行為に等しいことだ。だが決して嘘は言っていない、ユキは彼の名前を呼ぶ。
「……沙明」
こうやってソファにユキを押し倒しておいて、沙明はそれ以上のことはしない。言葉ではああいうが、触れるにもユキの一挙一動を気にしている節がある。本当に好きにしようと思っているのならば、とっくに食われているだろう。彼がそうしないのは、ユキを脅かして部屋から追い出そうとしているからに他ならない。
ユキは彼のその態度を見ていて彼を愛しいとさえ思った。時が巻き戻っても、彼が彼であることに変わりがないこと。この事実を彼の行動こそが証明してくれていると感じるからだった。
「あー……、クソッ」
沈黙の根比べに負けたのは沙明の方であった。苦々しい表情を見せてユキから視線を逸らす。ユキを逃がさないようにと、パフォーマンスで掛けていた体重を浮かせて沙明はユキから離れようとする。
「もうさ、いいから帰れって。俺がお前を消しちまわねーように」
身勝手に振舞っていながらそれでも誰かを重んじる。今もユキを生かそうとするのだろう。そんな彼をユキは言葉にはできないほど心から慕っているのだ。
「……なっ⁉」
彼女は離れていこうとする彼の首に手を伸ばした。そしてぎゅっと彼を自分の胸へと引き倒す。沙明はバランスを崩してユキの胸に強く抱きとめられる。ユキの腕の中で沙明が慌てふためき声を上げた。
「おま、何やって……」
「沙明、私は」
彼にこれ以上の言葉は不要だとユキが制する。腕を緩めると丁度ユキの顔の真上に沙明は顔を出した。二つの視線が絡み合って、今の沙明には理解の及ばない穏やかな微笑みをユキが浮かべた。
「貴方の傍に居たい。……居させて欲しい」
ユキの言葉に嘘偽りは何もない。それだけは感じ取ったのか、吐き出した彼の吐息は震えた。目を大きく見開いて、うっすらと頬に赤みがさす。そんな彼の頬をそっと撫でつけユキは囁く。
「……ちゃんと眠れてる? 今は」
これまでと彼が同じならば通じるだろうとユキは思った。彼女の狙った通り、沙明はユキの問いかけに驚いた顔をして、そして泣きそうな目をして微笑んだ。ユキがどうしてそんなことを言うのかは分からないかもしれない。
それでも沙明は自身が話した覚えもない、彼の中の恐れをユキが指摘しても何故彼女がそれを知り得ているかは問わなかった。ユキを見つめて沙明が身体を添わせる。今度は先ほどのようなフリではなく、どうやら本気のようだ。
「ハッ、ワケ分かんねぇし。アレか? 俺が欲しいってことかよ。お望みなら相手してやっても構わねェけど?」
ここまで来てもユキの確実な同意がなければ彼は手を出そうとはしない。ユキは彼の首に回した腕に力を籠め、身体を浮かせる。触れるだけのキスをして決まりきった答えを沙明に告げた。
「欲しいよ、沙明が」
好きな女ではないかもしれないが彼も男だ。女がこれほどまでに誘っているのだから流れてほしいとユキは思う。狙い通り、彼の瞳が現実を逃れて夢を見る。そっとユキの背に回した手がファスナーの音を奏でた。
「……オゥケィ」
[newpage]
熱い吐息と衣擦れの混ざった音だけではない。肌が触れ合う音と、そして交わるが故の粘液がすり合う音までもが部屋には響く。だがそんなものが気にならないほどユキは彼が愛しい。身体に触れる体温が、そして握っていてくれる手に在りもしない愛情を信じたいと思ってしまう。
「ねぇ……っ、沙明」
私を消すなら貴方が手を下して、と。睦言の代わりに彼に囁く。だが沙明はそのユキの発言が気に入らないようだった。自分自身をユキの身体に押し付けて、深くまでユキの中に己を突き立てる。まるで恋人のように腕も脚も絡み合わせて、彼が吐くのはユキへの叱咤だ。
「ハァッ……。んだよ、集中しろって」
「……だっ、て」
おそらく明日は貴方を守り切れないと思うの。ユキは沙明の身体に縋りながら先を見る。今日を逃れても明日はもう沙明を庇えない。ならばこのループでユキに成せることはない。生きていてもいなくても結末は変わらない。ならばせめて、彼の手で終われたのだと確信できるループがあってもいいじゃないかとそう思った。
「るせ、……黙ってろよ、ユキ」
沙明が掠れ声で呟くと同時に律動が早まってユキも思考を保てなくなる。とても意味のある言葉を紡げなくなると、彼はいっそう強くユキの身体を抱きしめた。吐息の中に嘘も本当も分からない言葉を織り交ぜて語る。まるで恋人に囁きかける言葉。本当だといいのに、このような言葉を聞くのも初めてではない。
されどもそんなことに期待するのも馬鹿らしい。どうせこれもなかったことになるのだから。
「今の俺だけ……ッ、考えてろって」
グノーシアは嘘をつくのだから。