LOOP123
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「寝れねえっつったろ? ……夢、見んだよ。昔の夢な、思い出したくもねえこと何度も何度も……」
これは。ユキは彼の言わんとすることを察して息を呑む。ユキが喉から手が出るほど知りたいと思っていた、彼の核心の一部分。くぐもった声がユキにそれを打ち明ける。
「私に、話してくれるの……?」
一言そう尋ねると沙明はかすかに首を縦に振った。ユキは息を潜めて彼の言葉の続きを待つ。沈黙の間、ユキの腹には衣服越しに彼の不規則な呼吸が伝わった。言うにも余程難儀しているようだ。痛いほどに握りしめてくる彼の手を、ユキも握り返して彼に応える。
「……ッハァ。……俺ぁ、さ……。クソみたいな辺境の惑星でサルに囲まれて育ったんだよ。サルっつーか、知性化されたボノボだけどな」
訥々と、沙明は己のことをユキに打ち明けた。彼の両親は生物学の研究者。そしてその子供である沙明は、両親の研究対象である知性化されたボノボと共に生活をしていたのだという。
自然の多い彼の故郷、惑星アースラ。そこは緑豊かな自然はあるが辺境の星であった。ヒトは沙明の両親と同じような研究者か、もしくはこのご時世に、豊かな自然と共に生きていきたいという奇特な者がごく少数いるのみだったそうだ。そのため幼少時代の沙明の友達は、その知性化されたボノボのみだったと彼は語る。
「知性化がうまく運んだんだろうが、賢くて力持ち。……何より気のいい連中だったよ」
忙しい両親に代わって、沙明の友であり兄弟であり時には親代わりでもあったのはボノボ達だった。彼はその生活を心から好いていたのだという。彼らを実験動物だとは考えたことはなかった、本当に自分の家族のように感じていたのだと彼は言った。
しかし突然に彼らの幸せは打ち砕かれた。幼い沙明には理解できない、何処かの誰かの都合で。傲慢な人間の身勝手によってボノボ達は殺処分されたそうだ。
「夢に出てくんだよ……。ハッ、忘れられるわけねェよな? あんときの、アイツらの目を。知性化されてたんだ、自分たちの置かれた状況は分かってただろうしな。……アァ、でも俺には何も出来やしなかった。アイツらが消されるのを何もできずに見てただけだ」
「……」
潤んでもなお、吐き捨てるように続ける彼の言葉をユキは黙って聞いていた。分からなかった沙明の行動の意図を、彼の過去を聞いてようやく理解することができた。沙明がオトメを気にかけていたのは、彼女の行く末が彼の友人たちと同じ場所を辿るのではないかと心配していたからなのだろう。
ずっと前のループで研究員の元へ帰りたいと言った彼女に辛辣な言葉を掛けたのも、そして今回彼女を一番に消滅させたのも。すべては彼女の未来が残酷なものにならないよう案じての行動だった。
「そっから……、アア。俺ぁずっと一人だぜ、当然の報いってやつだよなァ? アイツら犠牲にして生きてんだ。半端にもできねェ、アイツらの分まで生きてやらないと」
だからどんな手を使っても彼は生き延びようとするのか。どんなに生き汚くても友の分まで命を全うするために。ユキの中で、彼という人物のパズルのピースが組み上がっていく。一番初めに抱いた疑問の答えもここにあった。
――――だから彼は、初めて私を助けてくれたループであんな顔をしていたのか。
ユキが沙明に心を救われた、忘れもしない三十二回目のループ。最後にユキを消滅させようとした沙明は衝動に抗おうとする姿勢を見せた。悲痛な表情を浮かべ、どうしたらいいとユキに問うた。グノーシアであるくせに何故人間を消滅させることを厭うのか疑問だった。もしかするとそれは、彼が自分から家族を奪った身勝手な誰かと同じ立場に立ちたくないからではないか。
そして何よりも……。あのループで彼が苦しんでいた理由を明確に知る。かつては意味が分からなかった発言だが、今ならその意味を理解できる。
“これでお前まで消しちまったらさ。また俺、一人っきりになっちまうんだよな……“
以前から思っていた、沙明はユキと同じものを恐れているのではないかと。ボノボ達と生活を共にしていた沙明は、ボノボ達の処分に伴って孤独になった。ボノボ達の喪失は幼い沙明にとって大きな打撃を与え、今でも傷を残している。かねてよりユキは思っていた、沙明は自分と同じもの……。すなわち孤独を恐れてるのではないか、と。
あのループはボノボ達を失った苦しみの再現だったのではないだろうか。自分一人だけが生き残る状況。どれだけの罪悪感を抱え、彼はこれまで生きてきたのだろう。目頭がじわりと熱くなったが、零れそうな感情を拭うのも躊躇われる。
「そんで、懲りずにまた同じことをやろうっつーわけだ。……俺らの勝手で生きる価値のねェ人間共はみんな処分しちまおうってな。ま、行きつく先がグノースのトコなら感謝して欲しいくらいだよなァ、ア?」
そして今も、彼の命は人間たちの犠牲の上に成り立っている。グノーシアになり果てても、人間を消すことを本能としていても。それを受け止めきれないから、彼は過去を夢に見るのだろう。たとえ人を消さなければ自分が消されるのだとしてもだ。それが免罪符になるわけではない。
「ユキ……、なァ。ユキ」
乞うように沙明がユキを呼ぶ。縋る先を求めている彼にユキが取る行動は一つだけだ。片方の手は沙明の手を握り、もう片方の手はそっと彼の髪を撫でた。そうやって少しでも彼の気持ちが落ち着けるよう心掛ける。彼の心に寄り添えていることを願いながらユキは彼に応えていく。
「……沙明」
巻き戻る時の中に生きているわけだから、今こんなことを言ってもきっと彼は忘れてしまう。いや、なかったことにもなるのだろうけれど。
それでも今この瞬間の沙明の心の安らぎのためにユキは彼の名前を呼ぶ。グノースに汚染されても、ただ一人の等身大の青年のままの彼。そんな沙明をユキは心の底から慕っている。
「貴方を一人にはしないから」
だから彼のために、できうる限りの力は尽くす。今も、そしてこれからも。彼が生きながら罪の意識によって苦しみを抱くのなら、それを一緒に背負っていたい。他でもない彼の隣で。
「私と生きて。……一緒に」
真っすぐに彼を見ていることがユキの誠意だった。彼がどんな言葉を求めているのか、これまでのすべてを総動員して彼女は答える。この時間の続きではなくても、また始まりに戻ってしまったとしてもそうありたいと願う信念をユキは告げる。沙明がユキの膝の上で動いて、ようやく顔を覗かせた。
いつもはニヒルな笑みを浮かべるその顔が、どうにも泣き出しそうな子供みたいに見えてユキは目を細める。
「……ユキ」
そう言ってユキの腰に回していた腕を今度はユキの頬に伸ばす。沙明の細い指先がユキの涙を拭った。彼の手が頬を撫でることを受け入れ、お返しにユキは彼の額にキスを落とす。お互いの片方の手は握り合ったまま、緩めることもせず離さないで時を共有する。このままこの時間が永遠に続けばよいとも、彼と共に先の未来へ進みたいともユキは祈る。
貴方を守るためにできないことは何もない。他の誰かを葬ることも厭わない。その覚悟のあるユキは今回も乗員に無実の罪を着せ、いとも簡単にコールドスリープルーム送りにした。これで今回のループの議論はきっとお終い。次の空間転移で人を消してしまえば、この船はグノーシアに支配されることになる。そうなったら、このループの沙明ともお別れになってしまうのだろう。
仕方のないと百以上の時間を重ねれば諦めはついているはずだった。それでも今回ばかりは名残惜しい気持ちでいっぱいになる。これほどまでに彼の心に触れられたことはなかったのだ。
「なぁにシケた顔してんだよ、ユキ」
時が止まった空間の中、今日の標的を前にして黙り込んだユキを見て沙明が声を掛けてきた。我に返ったユキが沙明に視線をやる。彼は心配そうな面持ちから一転、ユキと目が合うと柔らかに微笑んだ。もう微笑みからこれまでとは違う。どれだけ彼が自分を慕い、頼りにしてくれているのか。微塵も隠そうとはしていないから直に伝わってくる。
「ああ、ごめん……。考え事してただけ」
「アーハァッ! 俺と一緒に居るのにヒデェなぁ。今からオッサン消しちまえばこの船は俺らのモンだぜ? なぁーんにも心配するようなことねえって」
先日の弱気な様子はどこへやら、沙明はユキの肩を抱いて調子よく言った。しかも見栄ではなく、本当に上機嫌そうだからユキはつられて彼に笑んでしまう。
「元気だね、今日は」
「ハッ、誰のせいだと思ってんだか……。そりゃ、お前がここにいるからじゃん、ユキ」
「……私?」
彼の答えは理由になっていなくてユキは沙明に聞き返す。すると沙明の黒い瞳が獲物から逸らされ、真っすぐにユキを見た。肩を抱く力を強め、ますますユキを自分の元へ引き寄せる。真剣に、ユキだけを見つめて沙明は言葉を紡ぐ。
「お前がいるとさ、俺ぁ安心できるんだよ。何か、ユキなら俺を裏切らねぇだろって変な自信があるっつーか」
「……!」
彼の言葉にユキは思わず目を見張った。その場に立っていられなくてふらつくほど動揺してしまう。ユキは呼吸の仕方も分からなくなって、今にも込み上げてくる熱い激情を必死で飲み下そうとする。ああ、そんなことがあるだろうか。心臓がうるさい、顔が火をつけられたみたいに熱くて。ユキの目は彼を見つめたまま、言葉を見失う。
「……ハッ、ダセェ口説き文句だよな」
自嘲するように沙明が笑って目を伏せた。そんなことはない、とユキの唇が震えたがとても声にできなかった。ダサいことがあるだろうか、沙明の先の言葉がどれだけユキの求めていたものであったかなど彼には分かるまい。
今の彼の発言は、これまで沙明をすべてとして繰り返してきたユキにとって何にも勝るものだ。畏れ多くて想像すらできなかった言葉だ。
思いにもよらない彼の言葉にユキはどうしてよいか分からなくなる。何を答えるのが正解なのか、それすらも。だが迷うユキの手を沙明が握った。彼の視線がユキを見据えて柔らかに微笑む。
「でもそれ以外に思いつく言葉がねーんだわ」
――――グノーシアは嘘をつく。……でも今、彼が口にしたその言葉を嘘偽りのない真実だと、信じても良いだろうか。
彼が嘘をついたときは肌でそれを感じる。口調かそれとも表情か、別段何という根拠があるわけではない。だが彼が口にした偽りは、議論の中であれば見つけるのは容易い事だった。
今の言葉にその兆候はない。何物にもならないと知っていながら、その言葉を信じて期待したいとユキは思いたくなる。今回の彼は味方で、決してユキを謀る必要などないのだから。
「……ホラ、ユキ。時間ねえし、まずはヤッちまおうぜ」
促されるまま手を伸ばす。想定外の言葉ばかり聞かされたユキの手が動揺で方向を見失うと、沙明が握って導いてくれた。彼らの手が触れると、今日の生贄は姿かたちも無くなってしまう。……これで、すべて終わりだ。あとは時の始動を待つだけ。
「なぁ、ユキ」
「……な、に?」
やっとの思いでユキが彼の言葉に応える。ユキがおずおずと顔を上げると降ってきたのは言葉ではなかった。彼の手が頬に添えられたのと同時に、何も言わずに唇を重ねられる。何度も重ねたことがあるはずなのに、いつものキスとはまるで違った。熱っぽくて、酷く温かい。
時の概念を無くした空間で、それは一瞬とも永遠とも取れた。どれほどの間をおいてか、判別がつかなくなって沙明はそっと名残惜しそうにユキの唇を解放する。
「……俺の話だけっつーのは不公平じゃね?」
「え……?」
「一緒に居てくれんだろ? だったら俺もユキの隅々まで知りてェって話。アンダスタァン?」
別れが差し迫っているのも知らずに沙明が言う。ユキは胸が締め付けられる苦しさを何とか表情に出さずに飲み込んだ。彼の言うように本当にこの時間の続きを彼と生きられるのならばどんなにいいだろう。
夢のようなひと時だった、沙明にこれほどまでに慕われて。この先が在るのならば余すことなくユキは彼に自分を打ち明けたい。でもユキには語れるような過去はない。そして今は、彼と共に進む未来も得られない。
先へ、これまでは沙明と共に過ごす時間があればそれだけでよいと思っていた。でも今回ではっきりと思ってしまった。彼とこの船を降り、共に歩める未来が望めるのならば。そのためにも力を尽くしたいと。得られる未来で彼と共に生きていきたいと、紛れもなくそう思った。
ただ、今は諦めなければならない。ユキは沙明に微笑みかける。また、こんなふうに自分の話を期待してくれる彼と会うことができるだろうか。自分の気持ちに背を向けて、ユキは彼女の持てる力すべてで最上の笑顔を作る。
「……それはまた明日、ね」
焦らしプレイかよ、と言いつつ沙明は無理強いしない。沙明は揺るぎなく明日が来ることを確信しているからだ。ユキに言わせてみれば、明日など来るはずもないのだけれど。