LOOP123
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停止した時の中には静寂が佇んでいる。空間転移の最中という止まった時の中を動けるのはグノーシアとしての特権だ。本日の獲物をグノースの元へと送り、音もなくユキは息をついた。
波一つ立たない水槽の中にはもう、いつもここで過ごしている無邪気な彼女の姿は無い。別段憐みの気持ちはない、これで彼女は曰くくだらない生命活動を終えることができるのだから。
沈黙の中、俯く彼の姿を見る。いつもは軽薄な雰囲気を持っている彼が、物言わずに立ち尽くしていた。彼の眼差しは呆然と水槽を見つめる。冷たすぎる異質な空間の中ここにだけは情があった。言葉は無いが、物悲しさを感じられる眼差し。何かを耐え難く感じ、震える手のひらをユキは捉えた。
「……」
何と言葉を掛けてよいかは分からない、心無い自分自身に何ができるのかも。だが彼一人に理由の分からない悲しみを背負わせたくないと思った。ユキはそっと頼りなく揺れる彼の手に己の手を伸ばす。彼がユキに心を預けてくれるかは……、正直なところ自信がなかった。それでも彼を孤独に置かず寄り添う事ならユキにもできる。
ユキの指先が触れると、沙明はと胸を衝かれた様子で彼女の方を振り返った。戸惑いながらも彼はユキの手を受け入れ、いつもよりも弱々しい力でユキの手を握り返した。哀傷を滲ませて彼が微笑む。
「……行くか。せいぜいバレねえように、お行儀よくベッドでおネンネしとこうや」
∞
銀の鍵が投影した過去の結果にユキはその深緑の眼差しを向けていた。これは前回のループ、沙明を殺害された腹いせにユキがセツを消したループだ。宣言通り一人の犠牲も払わずに、グノーシア陣営は船を制圧した。
始まりに戻ればやはり何もなかったことになった。一日目、目を醒まし乗員名簿の中に沙明とセツの名を見つけてほっと胸を撫で下ろした。あの件についてはこれ以上深く考えないようにしよう、ユキはそのように自分を諫めた。
冷静になってみると己の行動がいかに狭量であるかが身に染みた。少なくとも沙明からの好意が得られないことに対し、セツに当たり散らすのは間違っている。ユキは沙明の何というわけでもない。ただ同じ船に乗り合わせたというだけ。それ以上でもそれ以下でも何もない。
ループという現象があるから救いもあるが、通常通り時が流れているならばただ事では済まない。沙明の気持ちを明確に聞いたわけでもないのだから、勝手な思い込みは無用だ。また始まりに戻れば、沙明がユキを見てくれるループもあるかもしれない。そう、例えば今回のループのように。
こつこつとヒールを鳴らし、人気のない廊下を歩く。銀の鍵を見られて厄介なことになってはいけないと、すぐに鍵は自分の中に仕舞いこんだ。むしろこの鍵について詳しく知る者がいるのならば、これが何に用いられるものなのか正規の方法を知りたいところではあるけれども。
銀の鍵は一番初め、医療ポッドの中で目を醒ましたループ開始時に役に立つはずとセツから受け取った。しかしこれが、いったい何をするものなのかが未だに分かっていない。正規の使用法が分からないから、過去を回想するものとしてユキは使用していた。
静々と目的地に向かってひとり廊下を歩く。夜時間、乗員も減ってきているから人の気配をあまり感じない。現在残っている乗員たちは、おそらく部屋に引きこもって疑心暗鬼に苛まれているのではないか。
今日は既に議論三日目、乗員十三名に対してグノーシアは二名であった。そしてその二名のグノーシアとなったのが、他でもないユキと沙明である。疑いようもなくふたりは今回に限っては運命共同体であり、沙明は全幅の信頼をユキに置いてくれていた。
彼の期待はユキの力を存分に発揮させる。ユキは何十回とループを繰り返し、個々の性格や癖を覚えているのだ。そして沙明の議論における駒の進め方もある程度は理解している。誰を消せば沙明が有利に場を支配できるのかなど、目を瞑っていても分かっていた。今回のループは間違いなくユキたちが勝利できるだろう。その核心が持てるほどの力をユキは彼のために揮う。
それに……、今回のループでは議論だけではなく、明らかに人として沙明はユキを信用してくれているようだった。先ほど議論を終え、彼から娯楽室に来てほしいと誘いがあった。珍しいことだ、いつもはユキが彼の元をすすんで訪ねるほうが多い。沙明の誘いをユキが断わる理由はなかった。
「お、やっと来たのかよ。お預け食らって寂しかったぜ?」
娯楽室の自動ドアが開くと、すぐに彼の声がユキを出迎えてくれた。ユキ、とソファに座った彼が親しみを込めてユキに手を伸ばすので、ユキは自分が望まれているように感じて頬が緩む。足早に彼の元へ向かい、間違いなく彼の手に自分の手を重ねた。
「沙明」
何を言うよりも先にユキは彼を呼んだ。すると彼は目を細め、きゅっと何かを堪えたような顔をする。その表情がいつか見た寂しさを覗かせるものだから、ユキは待たせてごめんなさいという言葉を飲み込んでしまった。
「……どうしたの? 沙明」
「……アァ。大したことじゃ、ねえけど」
今回はいつもの沙明とはどこか違うように感じる。ユキは不安げに眉根を寄せて沙明を見つめた。普段通りの彼であったならば、どうしたのとユキが問えばハイテンションに軽口を述べて誤魔化すだろう。沙明はいつだってユキを核心に触れさせはしなかった。……だが今回は違った。
「……ユキ、お前に折り入って頼みがあるんだわ」
今回のループでは、一日目にオトメを消すことを選んだ。沙明がオトメを消そうと提案してきたからだ。理由は万が一オトメを消し損なった時、彼女を実験動物に逆戻りさせたくないからだと彼はそう言った。以前のループからそうであるが、沙明はやたらとオトメの境遇を気にしているように思う。そこはさしてユキも気にしていないのだが……。
気にかかるのは、そこからの沙明がどうにも元気がないように見えることであった。
「……なに?」
彼の話す言葉一言一句を聞き漏らさないようにユキがじっと彼を見つめた。沙明が望むことならば、どんなことでも叶えたいとユキは思う。真面目腐った顔をしたユキを見て「んな構えんなって」と沙明は笑った。握りしめた手と反対の彼の手が伸びて、ユキの銀髪をそっと耳に掛けようとする。彼女は沙明の動向を注視して言葉を待った。
「俺さぁ……、全然眠れねえんだわ」
「……」
「いつ敵に狙われるか分からねー恐怖っつーの? 寝ても寝た気がしねえんだよ。……ま、グノーシアは俺なんですけど」
茶化しながら沙明が言葉を紡いでいく。ユキは黙って彼の言葉を聞いた。
「つーわけで、だ。信頼できるユキが傍に居てくれりゃ、俺の寝不足も改善されんじゃね? ってコト。アンダスタァン?」
「……」
ユキは神妙な面持ちで押し黙る。彼の言葉で、かつてのループの彼を思い出していた。以前、話し合いに遅刻してきた彼は悪夢に魘されていた。あの時の彼はグノーシアで、今回の彼も同じ。
少しの沈黙があった。ユキは彼に返事をすることをも忘れて、ただひたすら見紛う事なき沙明の顔を見つめ続けていた。黙りこくったまま反応の無いユキに沙明はしゅんと眉根を下げる。
「ンー、ダメかよ? 大丈夫だって変なことはしねェと思う。多分」
「……あ」
我に返ったユキはすぐさま彼に応えた。
「ううん……、一緒にいるよ。……私、どうしてたらいい?」
「アッハ、サンキュ。ユキ」
んじゃ、隣座ってくれやと沙明がユキの手を引いて、ユキを己の隣に座らせる。彼は強く手を握ったまま、体を横たえてあろうことかユキの膝に己の頭を預けた。ユキは驚いて目を白黒させる。ユキの表情を見た沙明がニヤッと口元を吊り上げて笑った。
「たまには、こういうのも良くね? 添い寝だと俺のナニがエレクトしちまいそうだしなァ」
彼の言葉に対し、返答に困ってユキは微笑むに努める。だが正直、沙明が求めるのならば何にでも応える覚悟が彼女には在る。ユキは握った彼の手をそのままに、彼が自分の膝で眠りに付こうとするのをただ受け入れた。
「……」
見ていては眠れないだろうかと思って初めは視線を他へやっていた。しかしどうしても彼の寝顔が見たくてユキは視線を沙明へと落とす。白い肌、長い睫毛が縁取る瞼は下ろされて。胸は規則正しく上下していた。……グノーシアだというのに、こんなにも寝顔はあどけない。胸にはジワリと温かな熱が染み渡る。
ユキは無意識に、彼と握り合わせている手とは反対の手を彼の髪に伸ばす。彼の黒髪を優しく梳いてみた。解れなく、彼の髪はユキの指を抜けてさらりと落ちていく。
「……ン」
もみあげに触れようとすると、ユキの手に沙明が頬を摺り寄せた。どきり、とユキの心臓が跳ねるのと、沙明がユキを除きあげるのは同時だった。彼の小さな黒の瞳と目が合う。子供じみた表情をした沙明はじっとユキを見据えて微笑む。
「……ユキ、俺を寝かす気ねェな?」
「あ、ごめんね。もうしないから……」
「いや構わねぇよ、俺ァ……」
頬に在るユキの手に顔を預けて沙明が呟く。ニヤッと笑った口元が、聞き覚えのある言葉を紡いだ。温けェじゃん、グノーシアのくせに。ユキは彼の言葉に息を呑む。かつてのループ、彼に同じことを言われた。
「……」
何と返事をすればよいかは分からなかった。嬉しく懐かしい気分にされたユキは黙ったまま目を細める。あの時の彼とまた会えたような気がした。
あの時のループの沙明とは目が覚めたら会いたいといっていた。その約束が果たされたように思えてユキは嬉しかった。これまでだって沙明と共に過ごしてきたはずなのだが、過去の愛しい彼を感じられる言葉を特別だと思った。
「……ユキ」
「どうしたの?」
「なァ……、ユキ」
「うん」
何度も何度も、繰り返し彼がユキの名を呼ぶ。ユキは彼の言葉を待ち、名を呼ばれる度に沙明の声に応えた。ユキを見つめた沙明の目が眼鏡の奥で少し弱気になったような気がした。握り合ったままの彼の手が、ぎゅっといっそう強くユキの手を握りしめる。
「お前はさ……、どこにも行かねえよな?」
あまりにも切実な声で彼は言う。ユキは沙明の問いには答えずに、どうしたのとまず彼の話を聞こうとした。沙明の視線が迷うように泳ぐ。そして寝返りを打ってユキの腹に自身の顔を押し付けた。どうやらユキに顔をみられまいとしているようだ。空いた手をユキの腰に回す。