LOOP122
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∞
時の固着した世界の中で眠るセツは、まるで無垢な少女のようだった。空間転移中はグノーシアだけが活動できる。この時を待って人間を消すのだ。ユキはベッドの傍に立って、呼吸も止めたセツの美しい寝顔を見ていた。
決して、セツのことが嫌いなわけではない。同じ時間を繰り返す者として、それなりの情は持ち合わせているつもりだ。セツの望みが叶うことを願っているし、ユキ自身の力も貸したいと思っている。だが、沙明のことが絡むと話は別であった。こと沙明に纏わる何かに関しては、ユキはセツに形容しがたい感情を抱いている。
沙明にセツのことを含めて考えると、何故これほどまでに胸が張り裂けそうな気持ちになるのだろう。ユキはそっと胸に手を当てて、痛みを押し殺そうとする。これまでのループで沙明がセツにちょっかいをかけることも、セツが沙明を疎むところも何度だって目の当たりにし、その度に今日ほどではないが胸が痛んだ。
透き通るような白い肌に柔らかな緑色の髪、顔立ちも整っている。無論外見だけではない、内面もセツは優れている。冷静な判断力と統率力、公平さ。若くして軍人を務めるだけあって責任感も強い。彼の目にセツの姿が魅力的に映るのは至極当然だろう。彼がセツを求めるのは決しておかしくないことだ。それを分かっているから、ユキは時々恐ろしくなる。
これまでのループでユキは何度も沙明と肌を重ねている。沙明に求められるから、自分自身が触れてほしいと願うから彼の望みに応え続けてきた。しかし彼がユキを求める理由には、ユキが女性であるから以外の何かが存在するのではないか。好意を持たれているからでもなく、ユキが沙明に好感を持っているからでもない。ユキにとって血反吐を吐くような理由。
彼に求められるだけ良いとユキは考えていた。だが毎度のごとくセツが彼に迫られ、拒否をしているという事実を目の当たりにすると……。ユキの中で一つの考えが過る。ユキは、女性ではないセツの代替品なのではないか。本当はセツが良いのに、仕方なくユキで妥協しているのでは……。
「ユキ」
呼吸を妨げる不安に溺れそうになっていると、唐突に冷めた声で背後から呼びつけられた。
「何を勝手なことをしているンだい?」
止まった時の中を動いてユキは声の主に視線を向ける。思わずその頭ごなしの物言いに眉根を寄せた。誰を消すかは任せる、お手並み拝見だと言っていたくせにどこから嗅ぎつけてきたのだろう。彼女の視線の先には腕を組み、不服そうな顔をしたラキオの姿があった。
「今日セツを消すのは得策ではないと僕は思うンだけど? 全く凡愚の考えは理解を超えるね、他に消すべき人間がいるにも関わらず……。僕へ何の相談もなしに今日の獲物を選ぶのは構わないよ。きっと君にとって正当な理由があるはずだしね。ああ、勝手な都合に僕らを巻き込むほど魯鈍でもないンだろうし。さて、君はどうしてセツを選んだンだろうね? 簡潔に述べてみなよ」
「…………」
嫌味ったらしい言葉をつらつらと述べるラキオにユキは眉を顰める。だがラキオの言い分も間違っていないから言い返せなかった。今日の内に無理にセツを潰す必要はない。
他に消すべき人物……、おそらくはラキオの嘘に気が付いたジナ、留守番であり他への影響力の強い夕里子などを選んだ方が議論は優位に進む。何も今、ユキに対して信頼を寄せていると見えるセツを消滅させる理由はない。……ユキ以外には。
ラキオは薄々とユキの抱く私的な感情を察しているようだった。ここにセツを消しにきた事実を持って明々白々だ。ユキに向け、冷たく笑いながらラキオは核心を問う。
「私怨かい? 今日の君は何やら殺気立っているようだしね。以前からセツに思うところがあって、この騒ぎに乗じて始末してしまうつもりなンじゃない? ……ああ、違うか」
ユキの理由を探しながらラキオが問う。そして何か思い当たったようだ。薄く唇を歪めると、酷く軽蔑した様子でユキに吐き捨てるように言った。
「沙明が原因なンだろう? 君は彼を殺されたことを根に持ってセツを消そうとしているワケだ。セツの話を聞いた時の、君の動揺のみっともなさは全員の記憶に新しいだろうねえ」
ユキはラキオの言葉で目を背ける。その発言は暗に、ラキオからの忠告というわけだろう。確かに議論でのユキの振る舞いは完璧だった。だが、他の者たちも“セツが沙明をやってしまった“という事実にユキが動揺を見せたことに気が付いている、と。ラキオはそういっているのだ。それどころか、ユキが抱えたセツに対しての怒りに気が付いている者もいるかもしれない。
皮肉めいた口調ではあるが面倒見がよく、意外と人の身を案じようとするのがラキオと言う人間だ。この状況でセツが消されたのならば、ユキに向けられる疑いを覚悟しなければならない。ひとまず今晩くらいは手を出さないでおくべきだというラキオの指摘は妥当だ。だが、ユキは引いておけなかった。ユキの意志が今回のセツを消さずにはいられない。
その表情を見てだろう。ラキオは呆れ調子で言葉を続ける。
「君と沙明に過去に何があったかなんて僕は興味もないし知りたくもない。フン…………、まあ一応同じグノーシアのよしみで教えてあげよう。…………君はグノーシアだ、愚かな人間への情で動くような能無しは身を滅ぼすよ」
「……分かってる」
理解してはいるのだ、ユキは低い声でラキオの言葉に理解を示す。今の自分が冷静さを欠いていて、沙明を生かすためでも銀の鍵を満たすためでもなく、報復を果たすために行動を起こそうとしていること。それが自分自身にとって不毛だということははっきりとしている。どうせ繰り返せばこの出来事もなかったことになるのだから。
ユキが今からしようとしている行為は何の解決にもならない。だが、大切な人を少なくともこのループでは永遠に奪われておいて、とても黙っていることもできない。
「…………でも」
「でも、何? 言い分があるなら早く言うンだね。僕の納得がいくように」
もはやユキ自身も何がしたいのかが分からないでいた。ただただ彼を失った事実と、セツに彼を奪われたという結果がユキを意固地にさせている。セツをここで消滅させることが何の解決にもならないと分かっていながら、何もしなければ負けを認めた気分にさせられた。これがなんであるのか、ユキはようやく理解した。
「…………私は、彼を誰にも奪われたくない」
己の腹で煮えたぎる得のない感情の名を、ようやく見つけてユキは結論付ける。ユキはセツに嫉妬しているのだ、彼を殺害しユキから奪ったこと。そして何よりセツがユキ以上に性の対象として見られていることにだ。
からかわれることはあっても、肌を重ねた過去はあっても。ユキはセツほど熱烈に沙明に求められたことがない。それはユキが沙明に好意を抱いているがため、彼を拒絶しないからかもしれないが……。そもそも前回のループのような異常状態に置かれても無理強いはされなかった。彼はいつだってユキの意志を尊重していてくれた。それは誰にでもそうするのだと思った。
だが今回、セツにだけはそうではないのだと思い知らされた。少なくともセツは、彼を殺して逃れなければならないほど彼に求められたのだ。この事実はユキを揺るがす。ユキの中でセツに対しての劣等感を生む。
「……奪わせたままにしておけない」
前回のループにおいて沙明が、ユキを抱かなかったのは。優しさではなくてユキが抱くに値する人間ではなかったからではないか。あの状況で据えられていたのがセツだったならば、彼はセツを抱いたのではないか。多くのループで沙明に言い寄られるセツは、彼にとって特別な存在なのではないだろうか。
すべては憶測にすぎない。だがここでセツを消し、さらにはこの船を統べることで私の方が上なのだと。セツ、貴方に劣りはしないのだと。証明したい気分にさせられているのが、セツを消したい要因なのかもしれない。
あまりにも人間的な思考だ、グノーシアは人を憎んで消すわけではないのに。ただセツをグノースに捧げる目的で消そうとしているとは自分自身でも言い難い。
「ハッ……、なるほど君はセツを妬んでいるンだ。意中の男を奪われたから? そんなお目出たい考えで僕らまでも危険に晒そうと?」
軽蔑の眼差しでラキオはユキを見た。そうだ、ラキオの言う通りユキは己の感情に従って味方までも不利な状況に置こうとしている。しかしそれでも、このような形の報復はユキだからこそ成り立つ。
「ラキオにもオトメにも迷惑を掛けるつもりはない。……それに自分の身は自分で守れる」
身勝手な振る舞いをとっても、さほどユキの状況は悪くならないと予測できる。それはこれまでに彼を守るために培った力があるからだ。どのように話を運べば、振る舞いや表情を作れば信用を寄せられるかは熟知している。セツをここで消すことなど、さほど支障にもならないだろう。だがラキオは気に入らないようだ。
「減らず口を叩くンじゃないよ。……まったく大愚極まりないね。恋愛感情なんて種の存続のための脳機能の一つに過ぎないンだけど。それに支配されて身勝手に振舞うなンて、恥ずかしくないの?」
ドッ、とラキオの言葉はまるでナイフで背をめった刺しにされた時のような威力があった。恥ずかしい事柄だと言われても仕方がないと分かっている。力があるからこそ取れる手段であるが、ユキの身勝手な行動は場合によっては仲間諸共危険に晒す。自分の行動を正当化できる理由などユキは持ち合わせていない。
かといって、これ以外の手段を選ぶこともできないとユキは思った。ポーカーフェイスを保ちながら、ユキは整然と発言する。
「……だとすれば今から他の誰かを選ぶの? 空間転移を終えるまでにもう時間がない」
人間一人を消すことが精々の時間をいっぱいに使って言い争ってしまった。もはや他を選んでいる時間などない状況でユキがラキオに問う。そう言いながらも彼女はセツの輪郭へと手を伸ばした。譲る気はない、という彼女の意志そのものの行動であった。
「なるほど、それが君の策略かい? 僕に問い詰めさせ、時間を稼ぐことで選択肢を捻り潰したのか。……気に入らないな、僕はまんまと君にハメられたわけだ。自分勝手で低俗な思考を切り離すこともできないマキャベリストによって」
理解に苦しむとばかりにラキオは目を伏せる。額に手を当ててわざとらしく頭を振った。そして吐き捨てるように言う。
「……勝手にすればいい」
ユキの指先が肌に触れ、セツのすべてが消失した。
『さぁ、すべてをグノースに捧げよう』