LOOP32
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∞
十数度、この時間を繰り返していたが、ユキが彼と面と向かって話をしたことはそう多くなかった。ユキを庇った青年は沙明という名で、彼女自身はこれまであまり良い印象を持っていなかったというのが実際である。
七回目のループ、ユキにとって沙明と本当の初対面のときのこと。彼は話し合いに現れず、勝手な持論を展開してセツを困らせていたことを覚えている。それを差し引いても、彼は女好きでセクハラ紛いの発言も多く目に余る人物だ。場の空気も読まない。第一印象は“自分勝手“の一言に尽きた。
未だにユキの中にはその印象が残っている。議論に対して、真面目なのか不真面目なのかも分からない人。そもそも指折り数えるほどにしか言葉を交わしていないのだ。彼がどんな人物であるのか、知らないのも当然だと言えた。
だからこそ疑問に思う、どうして沙明がユキを今日の議論で庇ったのか。先の出来事によってユキの持つ彼の人物像で唯一、確定的であった彼の自分本位という部分が崩されたような気がした。あのまま放っておけばユキがコールドスリープされるだけで、目立つことを嫌う彼が発言する必要はなかった。
ユキがコールドスリープすれば、グノーシアの前で悪目立ちすることもなく、本日の投票で自分が選ばれる可能性も確実に回避できたというのに。
ユキを庇うという行為は彼自身のためになることだったろうか。単純にユキが女だからという理由付けをするのならば、それで説明がつくのかもしれないが。彼が無類の女好きであることは、少なくともこの宇宙船内では周知の事実である。
『俺、ユキのこと信じてるから』
議論の中で彼が発した言葉だ。ただユキが女だというだけで、そこまでの発言ができるものだろうか。軽薄な彼なら考えなしに口にできるかもしれないとユキは頭の片隅で思う。だが先の状況に置いて、彼のあの一言こそがユキにとっての光だった。
あの場で孤立無援だったユキに差し伸べられた救いの手。かけがえのない無償の信頼に思えた。たとえ、彼にとってはその場限りの、他愛のない言葉であったのだとしても。
議論が終わって乗員たちは一斉に席を立つ。ぞろぞろとメインコンソールから出ていく乗員の波を彼女は分けていく。背の高い黒髪を探して、駆け足でユキは廊下を進んだ。議論が終わって今も、ユキはこうして地に足をつけ自分の意志で歩いている。それは本日のコールドスリープは免れたということを意味していた。
先の議論で本日の最多票を集めたのは、最初にユキに疑いを掛けたラキオであった。ユキを庇った乗員たちに対するラキオの反撃が、あまりにも可愛げのない言葉であったからそれが決め手になったのだと思う。険のある物言いでラキオがヘイトを買っていることは、これまでのループでも度々あることであった。
「……待って!」
ようやく、姿を捕らえてユキはか細く声を上げる。カーブした廊下の先に、ユキは全身黒で身を固めた彼の姿を見た。背が高いのもあって歩幅が違いすぎる。歩くのが早すぎやしないか、すぐに彼を追ってメインコンソールを出たのに。一歩進むたびにユキは銀色の髪を揺らす。待てという声は届かなかったようだ。今度は弾んだ息に彼の名を乗せて呼ぶ。
「……沙明!」
大した用があるわけでもないのに必死になって名を呼んでしまった。怪訝さを浮かべた顔をして沙明は後ろを振り返る。それでもユキの声を聞いて彼はその場に足を止めてくれた。
「アレ? ユキじゃん。何、俺のコト追っかけて来たわけ?」
ニヤリと笑った口元がいつもの喧しさを除いて言葉を放つ。ユキは沙明の言葉に頷いて、呼吸の乱れたまま彼の傍へと歩み寄った。荒い息を整えようと胸を抑える。なんとか彼を見上げて、彼女は言うべき言葉を紡ごうとする。だがここまでやってきて、ユキは今更どんな言葉を彼に掛けるべきかを見失ってしまった。
庇ってくれてありがとう、だなんて。そんなことを言うのはおかしいかもしれない。彼が本心からユキのことを信じて庇ってくれた確証はどこにもない。
もしも的外れなことを言ってしまい、冷たくあしらわれたりなどしたら。折角泥の中から抜け出した心が、より深い所へ沈み込みそうで不意にユキは怖くなる。言葉に迷って口を噤み、ユキは何も言えずに俯いた。
「ンーフー? ……ユキ。お前、いやにしおらしいじゃねェか、なァ? 寂しいってんなら慰めてやってもいいぜ」
沙明が取るのはセツや他の女の子たちも疎む、軽薄な態度。彼の言葉にユキはますます自分がどのように話すべきかが分からなくなった。口から息が漏れるばかり、身体がカチコチになって握った拳に逃げ場のない力が籠る。
やはりさっきの議論での言葉は、彼にとって何でもなかったに違いない。救われたなど、都合よく考えた自分が浅はかだったのかもしれない。そう思い、ユキはきゅっと口の端を結んでしまおうとした。
「……ユキ」
だがそれよりも早く。下降するユキの心と視線を掬い上げるためか、落ち着きと安心を滲ませた声が彼女の名を呼ぶ。了解も取らずに沙明は、少し乱暴なくらいにユキの肩を掴み腕に抱く。強引に引き寄せられてユキは目を白黒させた。困惑の中で彼女が沙明を再度見上げると、ニッと彼は親しみの持てる微笑みをユキに向ける。
「ま、メシでも一緒に食おうや。空間転移まではヒマしてんだろ」
これまでのユキだったなら。彼のこの行動を距離が近いと感じ、馴れ馴れしいと手を払ったかもしれない。嘘を貼り付けて誰かと慣れ合うのは得意ではなかった。他の乗員……、仮に議論の場で敵対していた相手なら、ご機嫌取りなどいらないとそっぽ剥いただろう。ユキは決して人と接することに長けるわけではない。
しかし沙明は議論の中でユキを庇い、味方であると口にしてくれた。……そんな真実味のない言葉に心を預けるのは軽率なのかもしれない。だがユキは彼に連れられるまま歩を進めた。固まってしまっていたはずの身体は彼に合わせて自然に動く。自分の肩をしっかりと掴んでいてくれる、彼の温もりを布越しに感じた。