LOOP118
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議論三日目を迎えた現在、おそらくはユキにとって優位に議論を進めている。今や繰り返す宇宙の中で、もはやユキの意見を完璧にねじ伏せることのできる者はいなくなった。
己の武器は使いようだ。発言力やロジックで他に劣る部分があっても、それを有り余る長所でカバーできる。今やユキは船内で異質な強さを持つ少女、夕里子とも対等以上に渡り合うことができるようになっていた。
"俺、ユキのこと信じてるから"
ユキの中で彼の言葉が反芻する。もう何度、彼にこの言葉を掛けられただろうか。何度、彼の信用を勝ち得る振る舞いができていたのだろう。記憶というものは時が経つたびに少しずつ曖昧になっていく。
ユキを地獄の底から引き上げてくれたあの出来事さえ、鮮明に覚えているつもりでも気づかない欠落が生まれているはずだ。もしくはユキの思い込みで上塗りされている部分もあるかもしれない。
だから少しでも取り留めておくために、忘れないためにできるだけ正確に思い出そうとする。一つのループを終えるたびに物質を手に残すことのできないユキではあるが、記憶を呼び覚ますには役に立つものを有していた。
静寂の自室、殺風景で何もないのはいつもと変わりない。固いベッドに横たわったユキは真白な天井に手を差し伸べて強く意識する。幾度となく繰り返したことだから、もうすでに呼吸をするのと変わらないくらい自然に行えた。鍵を出したい、と声には出さずに願ってみる。
虚無から光が生まれ出でた。指先に光が迸って目に映る。ぼうっと空間の中に現れたのは透過した手のひらほどの球体だ。銀の細工が施され、神秘的な淡い青色の光を放つ。セツが、ユキにとって初めてのループで持っているべきだと渡してくれたものだ。
その名も銀の鍵。この中には、これまでのループにおける事象が刻まれている。どんな出来事があったか。誰がどんな行動を行ったのか。誰がグノーシアであって、誰が人間であったのか。誰かが話してくれた秘密でさえも総じてこの中には記憶されている。
鍵は過去を振り返って記憶を思い起こすには十分すぎる代物であった。ループの最中、ユキは時折これを開いてはこれまでのことを想起する。記録された言葉はこれまでの事象を振り返るための糸口になってくれた。記憶の欠片によって、その折々で感じた感情を改めて思い返すことができる。
「沙明……」
慕ってやまない彼の名前を唇に乗せてみる。これまでのループでは彼を守り抜くことだけを考えて戦い抜いてきた。積み重ねてきた経験はすべて彼がいたからこそのもので、彼を守るために還元する。揺らぐことはない、これからもそのつもりだ。
しかし彼を守れるようになり始めても、未だに彼と真に心を通じ合わせることはできていないと思っている。百十八回もの時間を繰り返しておきながら、彼の心に触れた感覚があったのは本当に少しだけ。指折り数えるほどの出来事しかないのだ。
彼の片鱗に触れるループもあったが、ほとんどの彼はユキを自分が生き残るために役に立つ人間としか思っていなかったと思う。……彼の心が読めるわけではないから実際がどうであるかは分からないけれど。
それはきっとユキが臆病で、彼の中に踏み込もうとはしなかったからだ。これまでは知りたいと願いつつもそこまでの勇気がユキにはなかったのだ。重ね重ね、沙明の傍に居たいと。彼を分かりたいと思い続けてきた。
ユキは天井へ向けた指先を下ろそうと指を震わせる。溢れ出てくる感情はとても抑えてはいられない。もっと、沙明を知りたい。彼がどんなふうに生きてきたのか。心の底では何を思い、何を感じているのか。本当は、あのループからいつだってどんな時だって彼を解りたいと願い続けている。
しかし彼は核心に触れられることを嫌う。だからいつも軽口を叩いて道化を演じようとするのだと、ユキはこれまでのループから推測している。彼が嫌がるのではないか、その心配がユキの行動を封じていた。沙明に嫌われたくない。核心に触れるための質問をその一心で切り出すことができなかった。
「疑うな、畏れるな……。……そして知れ」
ふと、鍵をしまう間際に思い出す。疑うな、畏れるな、そして知れ。すべては知ることで救われる。この鍵を受け取った時にセツが口にしていた言葉だ。あの時は全く、セツが何を言っているのか理解が及ばなかった。今もこの言葉の真の意味は分からない。けれども。
今、口に出すことで言葉が胸に降りてきた気がした。酷く納得がいったのだ。これからも彼を守り続ける。絶対的な味方として傍に居続けたい。しかしそれは彼が望むもの、彼の考えを知らなければ到底叶えることはできない。
……これまで、ユキは幾度となく彼の命を取り留めてきた。しかしその行為を彼自身はどう思っていた? 彼の怖れるものに対してユキは心当たりがある。それを踏まえると、ただ一人宇宙船に残されても生き残ることを果たして彼は望むだろうか。
「……」
これだけ繰り返しているくせに知らないことが多すぎる。ユキは天井から下ろした手で顔を覆った。今更探し求めても見つからないかもしれない。いくつものループで、彼がユキを救ってくれた理由など。
……それでも。ユキは指の間隙から降り注ぐ光を見る。知りたいと行動さえすれば可能性はゼロではない。諦めて行動を起こさなければ、それこそ知ることなど絶対にできないだろう。ゆっくりとベッドから体を起こす。ユキは光の中に在る白く塗り固められた扉を見た。この白い壁を越えてその先へ。進みたいと思えるようになったのは一体いつからだっただろうか。
∞
おそらくこれが、今回のループでの最終日になるはずだ。ユキは凛とした面持ちで席についている。議論が伸びれば伸びるほど、グノーシアのついた嘘は破綻しやすくなるものだ。推理をしていけば明らかに疑わしい人物を導き出せる。
しかしそれとは別に、時間を繰り返し幾度となく議論を繰り返しているユキだからこそ分かることがある。それぞれの乗員たちの嘘を吐くときの空気感、クセ。形容しようのない些細なものをいつしか感じ取れるようになっている。それだけ、多くの時間をこの宇宙船で過ごしているということだ。
ユキは瞳の色は、親しみを抜いて今回のグノーシアに目を向ける。乗員の皆は、知れば知るほどに良い人たちばかりだ。初めの頃は敵意ばかりを肌で感じていて気が付けなかった。だからこそ今、情が芽生えると少しくらいは胸が痛む。数々の材料から彼らをグノーシアとして断定するのは。……もっとも、巻き戻ればなかったことになるなら気に留める必要もないが。
「悲しいけれど、ククルシカは人間じゃない」
宣言と共に艶めく銀髪をさらりと耳に掛けると、優雅に耳につけた金の飾りが揺れた。深緑の眼を冷ややかに向けると、ククルシカは悔しげにユキを睨む。紛れもない敵意の眼差しに、決して心が痛まなくなったわけじゃない。
ただ目的を遂行するため、そんなものに気を払う必要がなくなっただけだ。彼を守りきるためならば、どこまででもユキは冷酷になれる。ユキは顔を背け、あからさまに傷ついたような表情をしてみる。
そうすれば皆が心配してくれるとかつて態度で示してくれたのは、他でもないククルシカだった。