LOOP97
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やってしまった、と思いつつもさほどユキに焦りはない。恥ずかしいとは瞬間的に思ったが、沙明であるなら構わないともユキは思った。ロックを掛け忘れていたユキが何を言うこともない。
それに、なかったことになったとはいえ、沙明に何度肌を晒したことだろうか、今更狼狽えることもない。……記憶のない彼にとっては、そうではないかもしれないが。
仮にこういう光景を見た時、てっきり彼は余裕ぶって軽口を叩くのだと思った。裸体を晒しているのがユキでなくともだ。だが思いの外、彼は何も言わなかった。
ぽかんと開いた唇から零れる音は無く、シャワーから降り注ぐ水が床で弾ける音ばかりが響いている。それどころか口元は静かに結ばれ、じっとユキの背中を見つめているようだった。際限なく沸く蒸気に眼鏡がどれほど白く曇ろうとも、彼は微動だにしない。固まって動けずにいるのだろうか……あの彼が?
沙明は物言わず、視線は曇った眼鏡のレンズ越しにユキの背中を見つめている。
「……沙明?」
「……っ、ああ悪ィ」
硬直したままである彼にユキが声を掛けると、ようやく沙明は我に返ったようであった。頭を振って、装着しているゴーグルのずれを直す。沙明はユキの姿にたじろいて、素早く彼女に背を向ける。
「外、出てるわ」
驚くほど彼の反応は淡白なものであった。想像に比べ彼の態度はあまりにも素っ気ない。ユキも素早くシャワーを止め、タオルをひっつかんで脱衣所に飛び出す。髪を拭くのもそこそこに、慌てて衣服を身纏った。
きっと廊下で彼はシャワーが空くのを待っているはずだ。今更慌てる必要もないかもしれないが、先ほどの反応が嫌に静かだったのが気にかかった。図らずともユキの裸を見てしまったのが、不快だった……とか。沙明という男に限ってそんなことはないだろうと思いたいが、可能性はゼロではないのが怖い。一刻も早く彼が気を損ねていないかを知りたい、そう思ってユキは部屋を飛び出す。
「沙明」
息せき切ってシャワールームを飛び出し、ユキは彼の元へと駆け寄った。湿った足音がペタペタと彼を追いかける。ブーツを履くのがまどろっこしくて、脱衣所入り口に置いてきてしまった。だが彼と話すことに比べたらそんなものは後で良い。
繰り返す時間に慣れ、議論においてユキは慌てることも少なくなった。だが沙明に関する事柄は、今でも落ち着いて対応できないことがある。手櫛で髪を整えつつユキは彼を呼ぶ。
「ユキ……」
駆け寄ったユキを見て両眉を上げたのち、沙明は呆れた様子で溜息をついた。ユキはたった今、シャワーで温まったはずの身体がそれだけで冷え切る感覚があってますます焦る。この数分の間に、何か彼の気に食わないことをしてしまっただろうか。ユキは必死になって沙明に歩み寄った。
「ごめ、沙明」
だが謝罪の言葉を紡ぐ前に、ユキの左肩に沙明が左腕を回す。そのまま力強く沙明は彼女の身体を自分の方へ引き寄せ、腕の中に抱きしめてしまった。ユキは突然のことに目を白黒させる。そっと沙明の右手がユキの頬を撫でた。
「ユキ」
囁く声はいつもよりも低い、というよりも少し怒っているようだった。沙明の右手がユキのおとがいを持ち上げる。強引に面を上げさせられると彼の三白眼と視線が合う。細い眉がいつもに比べつり上がって、まるで怒っているように見えた。
「お前さァ、危機感っつーモンが欠けてんじゃね? 男の前にそんなカッコで出てきたら襲ってくださいって言ってるようなモンだろ。 ァンダスタァン?」
ユキの肩に添えられた沙明の手が腰へ回り、いつもよりも少し上がったスカートの裾から露出した肌を撫でる。どっとユキは心臓が拍動すると同時に、一瞬で冷や汗が背を抜ける。
急ぐことを優先して、今の姿をろくに見ていなかった。スカートの飾りはぐちゃぐちゃだし、髪もまだ乾かしていない。誘惑しているだろう、と言われても否定ができないような格好だ。そしてはしたないと思われてもおかしくない格好をしてしまっている。
「……っ」
今更になってユキは己の姿が恥ずかしくなる。裸体を見られた時などとは比べようもなく、今度は身体が熱くなった。あまりの面映ゆさに沙明から目を逸らして俯く。さりげなく手でスカートの裾を整えたがもう後の祭りだ。
だらしがないと思われてしまっただろうか。一刻も早く駆けつけることを良しと思って裏目に出てしまった……? せっかく今回のループでは、ただの乗員として沙明と平和に協力関係を結べると思っていたのに。
「ユキ」
穴があったら入りたいとはこのこと。そうやってユキは火照る頬の熱さばかりに気を取られていた。だが再度、沙明の手が彼女の顔を持ち上げる。彼の瞳は平らかで優しく、ユキに嫌悪などは抱いていないように思えた。彼の瞳はますますじっくりとユキの顔を見つめる。そして彼はケラケラと笑った。
「アッハ、顔真っ赤じゃん。カワイイねェ、ウブで……」
そういってユキを見つめ、彼は眼鏡の奥で目を細める。彼の黒い瞳に見つめられると、ユキは胸がキュッと締め付けられて甘い痛みを覚えた。沙明は薄く微笑んでユキの衣服を整える。濡れた髪を数度、手櫛で梳いた。慣れた手つきであらかたユキの身なりを整えてしまうと、沙明はシャワールームへ続く扉を開いた。彼女を廊下まで送りだして、余裕綽綽に彼は笑う。
「ホレ、俺がシャワー浴びる間に部屋帰っとけよ? パクっとイかれちまわねぇようにな」
――――嫌われては、いない?
彼はあのような姿を見ても手は出してこなかった。それどころかこれは、ユキの身を案じて心配して声を掛けてくれているのか。それとも幻滅してしまって女として見られずにいる……?
恐々とユキは沙明を見上げる。複雑な色をした彼女の表情から心を察したのか、沙明がぽんぽんとユキの髪を撫でた。彼は口の端を吊り上げてニヤッと色気を垣間見せる。
「ま、俺を誘ってるっつーならいつでも歓迎するぜ? なァ?」
ぎらつく眼光を残して沙明は身を翻し閉じた扉の奥、シャワールームへと戻っていった。取り残されたユキはその姿を見送って胸を抑える。赤い頬、震えた唇からは何も言葉は紡げなかった。
今や全身が心臓のように拍動している。ユキは扉の横の壁に背を向け、その場にずるずると座り込む。冷えた床を素足で踏んでいるのに、内側から足先まで火照っている。忘れていた息を大きく吐き出した。昇り上がる様な気分だった。にやけてしまう口元を抑えて膝を抱える。
やはり浮薄なだけではない。あんなに優しく髪や服を整えてくれて、私の身を案じてくれたのだ。一応、ちゃんと女としても見られているのではないかと思えた。きちんと女性としてユキをエスコートし、最後にはユキを誘惑するような言葉を残していったのだから。ユキは燃え滾る熱い感情に蕩けそうになる。
「……ユキ」
しかし感情には水を差される。上機嫌なユキに向けて、刺々しい声が降った。
「ちょっと」
醒めた声色が有頂天の中に在るユキを呼ぶ。その場にしゃがみ込んでしまったユキを冷たく見下ろし、声を掛けたのは華々しい衣装に身を纏った汎性、ラキオであった。ラキオは心底迷惑そうにユキを見た、そこには紛れもない軽蔑の色がある。
「いつまでそうしているつもりだい?」
そうして、というのはユキが廊下に座り込んでいることでもあったし、彼女の身嗜みについても言及しているようだった。未だにユキは靴も履かず、濡髪のままだ。じろりとユキの姿を睨んだラキオは、あからさまに顔を顰めて苦言を呈す。
「……勘違いしないでほしいンだけど、別に僕は君と沙明の逢瀬を邪魔するつもりなンてないよ。誰が公衆の面前で乳繰り合っていようと、僕には全く関係ないからね。ただこんなところで座り込まれるのは迷惑極まりないンだよ。いい加減、己の行動が公然猥褻に等しいということを僕は理解して欲しいと思うね」
「えっと……。ごめん、ラキオ」
一気にまくし立てられ困惑の表情をユキが浮かべると、わざとらしくラキオはため息をつく。
「全く、羞恥心というものが欠如してるンだろうね。まったく、野性的な人間の節操のなさは嘆かわしい。人間に何のために理性がその渡っているのか理解していないンだろうね。……いや、交配本能の支配されている君なんかには言ったところで理解できないのか。いいさ、思う存分楽しンでいきなよ。平穏に明日が来るだなんて、悠長にいられる状況でもないンだからさ」
おそらくは、一連の沙明とユキのやりとりの見ていたのだろう。不愉快だという気分を隠すことなくラキオはぶつぶつと小言を口にしながらユキを追い越して歩いて行った。
しかしユキを包む灼熱は、少し浴びせられた小言などでは冷めはしない。ユキはラキオに当たられても何も思わないくらいに浮かれ上がっていた。一瞬は冷静を取り戻した心も、先の沙明との出来事を思い返すと好きが溢れて治まりが付かなくなりそうになる。やっとの思いで感情を押し殺してユキは心を押し抱く。
――――怖いけど、いつか彼が私をどう思っているのか知りたい。
湧き上がる欲求を胸に押さえつけて、ユキもゆっくりと歩き始める。ならば明日も無事に彼を守り切らなければ。明日を迎えうつための準備をして、ユキは寝台に横たわる。目標を高く掲げて彼女は静かに瞼を下した