LOOP32
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『グノーシアは嘘をつく。人間のふりをして近づき、だまし、そして身近な人間を一人ずつ、この宇宙から葬り去る。』
宇宙にはいつからだろうか、グノーシアという生き物が存在している。正式名称はグノーシア汚染体。異星体グノースに触れ穢れた、人ならざるものだ。彼らを簡潔に表すとしたら『人間を消滅させる怪物』というのが最も分かりやすい。
人ならざるものと言いつつ、決して古臭い伝承に出てくる異形の怪物の如き姿をしているわけではない。見目はまるっきり人間そのものの姿をしていた。
だが彼らは人を消す。時には極度の加虐傾向を示し惨たらしい行いを。動物的な本能を強め理性の箍も外す。詳しく聞いたことはないが、倫理を外れた目も当てられないような残虐な行為を記した記録も残っているそうだ。
グノーシアが起こす人間を消滅させるという行為に情状酌量は与えられない。何故ならば、彼らはそういう生き物であるからだ。人類の消滅こそがグノーシアの意義なのである。
人間を憎んでこの宇宙から葬るのではなく、彼らはこの価値のない宇宙からの救済として人間を消すのだ。しかしそれは消される人間の意志は全く無視して行われる行為、人間側からすればたまったものではない。紛れもなくグノーシアは人間の天敵だ。
人間とグノーシアの共存はありえない。グノーシアは普段人間のふりをしているのだが、一定の空間範囲内で活動している人間と同数になることで本性を現し、人間に対して牙を剥く。ユキの乗船しているこの宇宙船のように閉鎖的な環境など一瞬で制圧されてしまうことだろう。
これは、この船の学習装置によって知り得た知識だ。近年グノーシアによる被害は宇宙全域で増え続けているらしい。世間では対グノーシア警戒策が厳重に敷かれるようになっているそうだ。
グノーシアによる更なる被害を防ぐための試行錯誤を人間側も行っている。特に星から星へと飛び回る星間航行船においては、厳しいルールが取り決められていた。
宇宙船内でグノーシアの存在が擬知体によって感知された場合、本来なら被害拡大を抑えるためにその船の擬知体には自壊するという判断が推奨されている。より多くの命を救うための義務だ。しかし乗員たちが以下のような手続きを踏むことで、少しの間だけ自爆を譲歩し犠牲者を減らすことが打開策として認められていた。
その手続きとは、乗員の民意で疑わしいものを排除すること。宇宙船は目的地への移動のため、定期的に空間跳躍を繰り返す。人間は空間跳躍時に意識を保持することができない。だから狙い目とばかりにグノーシアは空間跳躍のたび、一人ずつ人間を消していく。
よって空間跳躍の時間までに疑わしい者を投票によって一人決定し、あらかじめコールドスリープさせる。そして更に空間跳躍しても人間が消失し、擬知体がグノーシア反応を検出した場合には、また一人コールドスリープさせる。ひたすらこれを繰り返す。
非効率的ではあるが、全滅するよりは多少マシと評価され、今日に至って当手段が採用されている。……経験豊富とは言えない場数の中であっても、ユキはその程度のことは知り得ていた。
「……始めようか。私たちが生き残るための、話し合いを」
そして本日の疑わしい者を決める場が、今この時間というわけだ。
重々しく述べられたセツの言葉で、再びユキの世界は回り始める。見たくもない世界に焦点を合わせると視野に映るのは既に見知った光景。無機質なコンピューターの壁、そして卓に着くのはこの船に乗り合わせた個性的な乗員たち。
乗員たちはある者は疑心を、ある者はユキのように不安げな面持ちを各々持って議論の席につく。どれほど親しげに見えたとしても、席についた者たちの中で誰一人として心から信頼し合っている人間はいないのではないか。全員がこの中にグノーシアが紛れていることを知っている。
「……」
今となっては目を伏せたくなる眼前の光景にユキは第一石を投じなかった。敵意の眼差しは既に自分を捕らえているように漠然と思え、ひどく息が詰まる。耐え難い感情に苛まれるから、できることならば目を逸らしていたいと逃げ腰になる。だがそんなことをすると誠実さに欠けるというのだろう。乗員たちはユキを怪しむに違いない。
乗船以前の記憶を喪失しているユキが、どうしてグノーシアについてやや知り過ぎている情報を有しているのか。この乗員たちの顔を見知っているのか。そして、何故このような悲観的な感慨に至るのか。そこにも複雑な事情が存在する。
彼女ユキはどういうわけか、彼女自身にも理由の分からないまま、同じ時を繰り返しながら生きていた。この宇宙船の中で、乗船以前のすべての記憶を失って目を醒ました瞬間から。何度も何度もこのグノーシア汚染者を排除するための議論を繰り返しているのだ。
今日この日、グノーシアの存在が感知され話し合いを義務付けられた日を始まりとし、ここからの経過は開始のたびに。もしくは議論の展開によって状況が少しずつ異なるが、結論を迎えては彼女の時は始まりへ戻る。結論とは船内のグノーシアが活動を停止する、船内のグノーシアが船を支配する。
そしてユキ自身がグノーシアによって消滅、もしくは乗員にグノーシアの容疑を掛けられて投票によってコールドスリープさせられる場合。とにかくグノーシア汚染者の発生による脅威かユキ自身の命に決着がつくまでを指す。
即ち、ユキはひたすら繰り返しているのだ。この宇宙船内で行われる、存在を勝ち得るための戦いを。少しずつ変化する条件の中で時に人間として、あるいはグノーシアとして。常に誰かを疑い疑われて、もうこれが三十二度目の始まりになる。
今回は乗員七名の内、二体のグノーシア汚染者反応が検出されていた。Leviに申請が出ている役職はエンジニアと守護天使の二つ。
「ユキがまがい物なンじゃない? そんなので本物の人間だったら、逆に哀れだよね」
せせら笑い、尊大な態度で初手からユキに疑いを向けたのは、ラキオと名乗るけばけばしい衣装を身に纏った汎性だ。類似した条件の中で同じ時を巡っているのだから、ほとんど初対面のはずの乗員に関しての情報も多少ユキは有している。
ラキオは論理的思考力が優れた傾向にある人物だが、非常に高慢な態度をとる。その棘のある物言いを、出会った頃からユキは苦手でならないと感じていた。ラキオの発言は威圧的で、どうにも身が竦んでしまうのだ。
グノーシア対策会議の初日、この何も情報が出そろっていない状況でグノーシアを見つけだすこと。それは余程嘘を見抜く技術がなければ難しい。これまでの場合は誰しもが、とにかく各々の印象で一日目の投票先を決めることが多いように感じた。疑わしきは罰せよ、という言葉そのもの。
気に入らないとは思いつつも、結局のところユキ自身もそうするのだから、彼らのやり方を否定できない。
「遅れてきたってのも、なお怪しいよ。何を企んでンだい?」
誰がグノーシアであるのかなど確証がないのならば、声の大きい者や説得力のあるものに従いたいと考えるのは至極当然の話だ。下手に発言して目立てばグノーシアに狙われるし、何なら初日の投票先に選ばれることになる。だからこそ、ラキオの強気な発言は影響力を持った。
疑いの眼差しは人へと伝播する。今のラキオの言葉に同調することで、とにかく自分に矛先が向かないようにとユキへの疑いに便乗する乗員は少なからずいた。
向けられる敵意を宿した視線に、耐え切れずにユキは俯く。言葉の刃を向けられると、後ろ暗いことはないのに反射的に呼吸のリズムが乱れる。指先が冷え痺れて、感覚が無くなっていくのをただ実感していた。
言い返したくても何をどう弁明すればいいのか。震える唇から言葉を紡ぎだせない。どんな言葉を持ってすれば自分の疑いが晴らせるのか、とうに分からなくなってしまっているのだ。これまで何を言っても無駄なことがあまりにも多かったから。反論することでそれを上回る疑いを浴び、より孤立することが酷く恐ろしかった。
「……」
黙り込んで言葉は何も発せなかった。どくどくと煩く音を立てる心臓が、口から飛び出ないようにユキは唇を結ぶ。この場において疑いは掛けられるものだし、人は信じるものではない。何度も繰り返しているのならば、そういうものだと割り切ってしまえたら楽なのかもしれない。
だが彼女は彼らの言葉に胸を痛め、軽くうやむやにすることも、受け流すこともできずに疑いを一身に浴びている。
前述のとおりユキはこの時間をループしている。コールドスリープしてもグノーシアに消滅させられても、振り出しに戻ってやり直しができた。消滅したってコールドスリープしたって、ユキは死に至らない。考えようによっては幸いか。しかしユキにとってはそれこそが忌まわしい。
意識だけが繰り返しているのだ。肉体はどれほど傷ついても時間が巻き戻ればなかったことになった。仮に致命傷を負っても時間が巻き戻れば取り払われ、元々傷を負うような出来事など存在していなかったことになった。しかし心はそうはいかない。
たった三十二回のループ現象の中でユキの心は摩耗していた。乗員たちの疑いの眼差し、生き残るための狡猾な嘘。掛けられてきた容赦ない切り捨ての言葉は、切れ味の良いナイフさながらユキの心を切り刻む。
回数を重ねることに彼らを恐れ、ユキは救いようのない状況に一人心を閉ざしていた。事実としては既にもう残っていないはずの過去の傷を心に残してこの場を恐れた。冷ややかな視線に身を縮め、崩れ落ちてしまいそうになるのを今も必死に抑えている。
「だろだろ? ユキはヤバそうだよ。何つーか、ユキからシリアス臭が漂ってくるんだ」
ラキオの疑いに同調するのは全身に刺青のような共生粘菌を纏う少女、コメットだ。理論よりも直感で生きている彼女が、ユキの鬱屈とした感情を読み取って指摘する。ユキからシリアス臭がするというのはコメットのいう通り正しい。
けれども決して、後ろ暗いことがあって険しい顔をしているわけではない。ユキがこの場に誠実でなくても、そうである理由までは分からないだろう。ユキの負の感情は、グノーシアであるがために生まれるものではない。かといって直感だけでそこまでは読み取れない。だからこそあらぬ疑いを生むのだ。
此度のユキは紛れもなく人間で、それどころか守護天使という役割を与えられている。だがそれはエンジニアやドクターなどとは違って明かすことのできない役割だ。名乗り出たところで今晩、グノーシアに消滅させられるだけ。八方塞がりのこの状況において、何をもって信用を勝ち取ればいい? 黙秘も死ならば発言も死に等しいというのに。
思考停止の中には諦めがある。どうせこのまま今回も初日の最多票を勝ち取るに違いない。もう五度も、何も分からないままスケープゴートとして吊り上げられるのか。無駄なことばかりを繰り返して、利のない拷問と呼んでも遜色ない時間が過ぎるだけ。こんな繰り返し現象にいったい何の意味があるというのだ。
「ユキが敵、だって? そんな……」
先程部屋までユキを迎えに来てくれた乗員、セツがあまり乗り気ではないがラキオの言葉に同調した。既に庇い立てがなければ絶望的な状況だ、これでまたユキは今日のコールドスリープが確定的だと暗澹たる気持ちに陥る。
ユキが今の時間をループしていることを他の乗員たちは知らない。このセツを除いては。セツこそが、目覚めて右も左も分からぬユキに必要最低限の知識を与えてくれた人物であった。同時に、セツもまたユキとは異なる順番でこの時間をループしているのだという。
今回ユキは三十二回目のループだが、セツはもしかすると五十、いや百回目のループを迎えているのかもしれない。
昔からの友人であるわけでもないのに、セツは事あるごとにユキを心配し、味方であると言葉を掛けてくれる。ループ現象においてセツは強い味方であった。しかしそれはこの議論の中では話が別だ。
ユキとセツの到達すべき目的は繰り返す時間からの脱出である。どうしてお互いが時をループするのか、まずは脱出への一手としてその謎を解くことが重要であった。目先の生存が達成されて解決する問題ではないのだ。そのために同じ結論を辿っていても答えは出ない。
セツは言った。様々な条件、違う行動の中で情報を集めるべきだと。その言葉から、知りたくもないが導き出せることがある。それは広義においてセツは味方かもしれないが、今この瞬間は違うということ。
セツは庇うべき時にユキを庇うが、切り捨てるときは非情にユキを切り捨てるだろう。状況を違え、問題解決に役立つ情報を集めるために。ユキのためにもセツはそうするのだ。この場においてユキが欲しいと願うものをセツは与えてはくれない。
――――もう嫌……、いつまでこんなに苦しい思いをすればいいの。
セツが強く願うように、ユキだってこのループ現象から逃れたい。何もかもうんざりだ。死んでしまえたらどれほど楽か分からない。死んでも初めからやり直すだけの逃げ場のないこの宇宙で、疑われて終わりを迎えるのは苦痛でしかない。抜け出すためには戦うしかない。
だがこの疲弊し怯え切った心でどうやって戦えばいいのだろう、感情を殺すしかないのか。もうこれほどまでに草臥れ果ててしまったというのに。ユキにこれ以上どうしろというのだ。
繰り返されるこの事象はいとも簡単にユキの心を病ませ蝕んだ。常に誰かを疑い続けることにも、疑いを向けられ吊るされることにも疲れ切ってしまったのだ。たとえ人間であっても、グノーシアであっても変わりはしない。
ユキの論理が破綻していなくとも、ユキの言葉に耳を傾けてくれるものは少ない。さらには精神的動揺が口調や表情に現れて悪目立ちするだけ。挙動不審であればあるほど疑いを向けられて吊るされる。完全な悪循環だ、打開の手立てはない。
孤独に身を置かれた状況に置かれユキは冷え切った指先で衣服の裾を掴む。僅かに開いた唇から否定の言葉は出てこず、言葉にならない吐息が零れる。今回ももう、どうにもならないと観念してユキが瞼を下したその時だった。
「よりにもよってユキを疑うとか、そりゃ無いだろ」
繰り返すのも辛い呼吸が押し留められた。
「俺、ユキのこと信じてるから」
薄闇の中に差し込んだ光を感じ取って、ユキは思わずハッと面を上げる。恐々と押し上げた瞼の下、彼女の瞳が藁をも掴む思いでその声を辿った。
声を発したと思しき黒髪の青年は、彼女の斜め前に座っている。彼はユキに疑いを掛けたラキオへ厳しい視線を向けていた。細い眉を吊り上げて、他の者とは違い、彼の敵意はユキではなく他の者へと注がれていた。
「どっちかつったらユキよりラキオが臭いんですけどねェ。ユキはさ、仔犬みてーにビクビク震えてんじゃん、アァ? その辺いかがよ皆サン?」
多少、大袈裟に彼は言い放つ、いいやユキが震えているのは事実なのかもしれなかったが。青年は声を大にして乗員たちにユキの潔白を訴えかけた。
ユキは青年を困惑の眼差しで見つめる。彼のことも、この十数回のループの中で知らないわけではなかった。彼がどういう人間か、僅かな言葉を交わすだけでその思考は分かり切っているつもりでいた。だからこそ、今目の前で展開されている状況が信じられないでいる。
「んじゃユキのこと、とりあえず信じてみよっかなー」
彼の言葉におどけた調子でSQが続いてユキが弁護をする。勢いに流されて他の乗員もユキの弁護に加わった。決して彼の言葉に影響力があるわけではない。それだけ初日は情報量の無さから、印象で投票先が二転三転しやすいだけだ。
しかし彼の一言は、間違いなく今日この日のユキの命を繋いだ。ユキはただただ青年が浮かべた自信満々な笑みを見つめていた。己のことをユキが凝視しているのを悟ったのか、彼は一度彼女へ視線を寄こして目を細める。ユキに敵意を向けるどころか、彼は柔らかく微笑んで見せた。
「そんなに心配っつーなら、調べてやっても構わねェけど? エンジニアのこの俺がさ」
サラサラな髪も切れ長の瞼から覗く小さな瞳も、身に纏う衣服すらも誰にも上塗りできない黒色。大胆不敵なカミングアウト。何を信じて自分を庇ったのかも分からない軽い口ぶりの青年が、それでもユキには暗闇を照らす光に見えた。気が付けば指先の震えが止まっている、表情を顰めてしまう息苦しさも失われた。ユキは彼をただ見つめる。
彼女の目の前に頼もしく在るのは、沙明という名の青年であった。