LOOP94
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さらさらの銀髪に櫛を通して念入りにほつれを解く。鏡の奥にいる血色の良い自分は上機嫌そうにユキを見つめ返した。閉ざされたこの宇宙船の中で、どんなに見目を良くしたところでメリットはいかほどか
それでも彼の目に自分が映るのなら少しでも綺麗な姿がいいと望むのは、彼に恋をしてしまったが故なのだろう。ユキの心の大部分を占める恋情は、疑惑に満ちたモノクロームの宇宙船の中すらも鮮やかな色で染め上げる。
身支度を整えたユキは、今日の話し合いに向かうためにメインコンソールへと歩いていく。その道中、部屋を出て少し歩いた先の廊下で暗い表情をしたセツと鉢合わせた。ユキは廊下に佇むセツの姿を見て怪訝に思う。
もうとっくに集合が掛かっているのに、どうしてこんなところで油を売っているのか。かつては話し合いに行くのを渋っていたユキを部屋にまで迎えに来たセツだというのに。
人気のない廊下の死角に立っていたセツは、いつものような毅然とした様子ではなかった。ユキが傍にいることに気が付いても、いつものようにメインコンソールへ行こうと促さない。それどころか、ユキの方を一瞥して何も言わなかった。
今回はあまり私に関与するつもりがないのだろうか、ユキはセツの様子を伺いつつ脇を抜けようとする。だがセツの声がユキの背を追った。
「このループが終わることなんて、本当にあるんだろうか」
遅れて届いたのは落ちたトーンの声色だった。突然の問いかけにユキは足を留める。セツは物憂げに視線を床へ落としていた。ユキはセツの声に引き寄せられて振り返らされ、囁くようにセツの名を呼んでみる。いつも凛として話し合いに挑むセツが、いつになく弱々しく微笑んで呟いた。
「もう、何度目のループになるんだろうね。一体どれだけ、グノーシア汚染者たちと戦ってきたんだろう。私自身、汚染者として、今まで何人を消してきたのか。……もう、覚えていられないんだ」
「……セツ」
ユキはじっとセツのことを見た。セツはユキと同様に、どういうわけかこの時間をループし続ける存在だ。どうやらユキと全く同じ展開を同じように繰り返しているわけではない。
出会ったセツとユキのループ回数が同一になることは確率的にはほとんどゼロに近い。それだけ多くのループをお互いに繰り返しているということだ。セツが既に知っている事象をユキがまだ知らないこともあり、またその逆も然りだ。
ユキにとって今回は九十四回目のループだが、セツは何回目だろう。百、もしくはそれ以上ということも考えられる。その顔にはこれまでの、騙し騙される旅における疲れが見えた。セツの表情にユキは覚えがある。
「私は、ふふ……随分と年を取ってしまったような気がする」
察するところはある、終わりない悠久の時をお互いに過ごしているのだ。今のセツは……、ユキは何も言わずじっとその顔を見つめる。セツの抱く苦しみの気持ちが、このループのユキには分かる気がした。かつてユキも、この終わりの見えない事象に対して苦しんだ時期があった。
セツが疲弊するのは当然の事だ。命をかけた戦いをしている極限状態というだけでも十分なのに、ひたすら時間経過のない場面を繰り返すというのは気が狂う。ユキもそれこそ十数回のループで心が擦り切れ、この心がバラバラに砕け散るほどの苦しみを持っていた。
――――それを払拭する方法は……。
ユキはかつてのループを思い返す。以前、自分が絶望と苦しみの中にいた時のことを。自分に施された優しさを踏まえて、ユキは一つの考えに至った。彼女はセツの手を取るとふわりと優しく微笑みかけて見せる。
「セツ、一緒に映画でも見よう」
「え? ……ええ?」
ユキの発言はあまりにも唐突だった。彼女の提案はグノーシア蔓延る宇宙船の中で、現実逃避でしかない。
今からこの船のグノーシアを排除するために話し合いを行わなければならない。それが人間として、乗員としての義務だ。しかしユキは己の行動がさも当然であるよう振る舞う。有無を言わさず、彼女は困惑を浮かべたセツの手を引く。
「行こう、セツ」
既に彼女は体験している。事象から逃れられずに苦しみばかりをもたらされれば、視野は狭まって心は病む。グノーシアやループのことばかり考えているから息が詰まるのだ。たとえ一瞬でもその悩みを忘れる時間を持てば、セツだって少しは気が休まるはずだ。……かつての自分がそうであったように。
そう結論付けてセツの手を握ったまま、ユキはずんずんと宇宙船の中を進んでいく。突拍子もない彼女の行動にセツは動揺を隠せない。待って、待ってと目を丸くしたセツはユキを呼んだが、彼女はそれに聞く耳を持たなかった。
「待ってユキ! 皆、もう集合しているだろう。勝手に抜けるわけにはいかないから!」
戸惑いを隠せないセツはユキに手を引かれながら必死に叫んでいる。真面目なセツのことだ、きちんとルールに従って話し合いに参加したいと思っているはず。ループに対しても真剣に向き合いたいと考えているに違いない。遊んでいる暇などないと。一ループでも早く真相を掴み、脱出の術を探したいと思っていることだろう。
話し合いに参加しないということは星間航行船の運航規定に背くということで、人類にとってそれだけで害をなす存在だと解釈できる。グノーシアの存在を重く見ていない、場合によっては逃亡と捉えられかねない。集合が掛けられているにも関わらず呼び出しを無視すれば、十中八九コールドスリープは免れないだろう。このループを無駄にするということになる。
だが、ユキと同様にセツも繰り返すのだ。何度だって、多少形を変えたとて同じ時を終わりなく。
今回真面目に取り組み満身創痍でグノーシアを殲滅しようが、遊んで過ごしてコールドスリープしようが一回は一回。それならば少しくらい息抜きをするループがあってもいいのではないか。もしかするとそれが何かの鍵になるかもしれないのだし。
……それに。ユキはかつての自分を振り返ってみる。暗くふさぎ込んでいた自分。セツ以上にびくびくと怯えながら、似たような苦しみの渦の中にいた。そんな時に彼がユキの前に現れてくれた。ユキに手を差し伸べ、人間らしい温かな笑顔を向けてくれた。
誰かの視線を受けることにも怯えていた自分が、彼にどのようにして救われたか。それはこの身に刻まれている。
彼の与えてくれた施しに感謝をするのならば、私もそれをセツに分けたっていいだろう。セツには以前からずっと心配を寄せてもらい、心を添わせるとまではいかないがサポートしてもらっているのだから。ユキはセツを振り返って目を細める。
「大丈夫だから。ついてきて、セツ」