LOOP59
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客室のあるフロアの上階。メインコンソールにはひとりの女性、この船の管理を任されているステラの姿があった。沙明とユキはここまでの道のりで他の乗員の姿を確認しなかったが、ステラの方も誰一人として乗員を見かけなかったようだった。機器を使って乗員の生命活動を調べようと試みたが、センサー類が反応しなかったと彼女は言う。
ステラはあの粘液は、何処かの惑星に生息する粘菌の一種ではないかとの推測を述べた。接触した生物を捕食して増殖する、非常に危険な生物。分析ができれば対処のしようもあるが、実験ラボはこの階下にある。既に粘菌に侵食されてしまっており、そこで粘菌を死滅させる手段を探すのは不可能だと彼女は述べた。
残された対処法は一つ、ステラはそう言って残された道を示す。
じわじわと迫りくる粘菌に侵食され始めたメインコンソールを逃れて、話を進めつつ三人は医務室へと到達した。ここにはまだ粘菌の支配は及んでいないようで、設置されている様々な医療機器は無事だ。薄暗い室内に滑り込み、迷いなくステラはその中のメディカルポッドを操作する。するとゆっくりとポッドのハッチが口を開けた。
「お二人は、このメディカルポットの中へ。入り次第、コールドスリープ室にポッドを移送致します。……そして、そのままお二人がコールドスリープなさっている内に、船内の空気をすべて排出いたします。一切の空気がなければ粘菌も死滅するでしょう」
「おいおい……」
ステラの下した判断に、沙明が賛成できないと言わんばかりの声を上げる。医務室内にあるメディカルポッドは一つだ。どんなにぎゅうぎゅうに身体を押し詰めても、中へ入れるのは二人が限度だと思われる。この場にはユキ、沙明、ステラの三名がいる。すなわちステラの提案を採用するということは、この中で一人犠牲が出るということだ。そして発案者であるステラ自身がこの場に残ると、そう言っている。
「ご安心くださいませ。空気の再充填後にお二人が目覚められるよう、ここからポッドを設定しておきますから」
そういう問題ではないというのに。焦りひとつ見せないステラに対し、ステラはどうするつもり? とユキは問う。すると彼女は大丈夫ですからと答えを濁して笑った。
この場で誰を生かすか選ぶのなら……。ユキはちらりと決めている人物を横目で見る。ユキは迷わず沙明を選ぶ、最悪自分はポッドに入れなくてもいい。ユキ自身がこのまま死ぬにせよ、コールドスリープするにせよ、すぐに次のループへ移動すると分かっているからだ。それならば自分が犠牲になることを選ぶべきだと考える。
ユキを除いた二人。沙明とステラにおいて、どちらの命が重いかなどユキに下せる権利はない。それでも一人を選ぶのならば、明確に述べられる理由はなくともユキは沙明を救いたい。彼の命を繋ぐための行動を選びたいとユキがちらりとステラを見る。
「私を信じて下さいませ。ね?」
深刻にユキが考えている間、この切羽詰まった状況でステラはまるで聖母のごとく笑う。ここで一人残ることに不安など抱いていないようだった。その安らかさがいったいどこからくるのか。妙に思い記憶を反芻させると、彼女はかつての記憶に至る。ステラの余裕の理由。そういえば過去のループでその答えになりうる出来事があった。
乗員であるステラはグノーシアになりうるし、もちろん議論においてコールドスリープの対象になる。しかしいつだったか、ユキはステラが人間ではないと知り得たことがあった。彼女はこの船の擬知体LeViが生み出した人型端末であるのだと。ユキは不本意ながら知り得てしまったことがあるのだ。
何度ループしても乗員たちの基礎は変わらない。完璧に同じ容姿をしているし、好みや考え方もこれまでの場合は変化しなかった。そのためステラが、以前に知ってしまったそのままのステラである可能性は高いだろう。
だからこそ彼女は今この危機的状況であっても生き残り、船体の把握が行えている。そう推理しても不自然ではないのでは。もしかすると空気を排出してしまっても彼女は活動が可能であるのではないだろうか。だから大丈夫だと言い切ってしまえるのかも。ステラの一面を知るユキはそう推察する。
「沙明様、ユキ様をお願いします」
「……あーー、クソっ」
しかしユキはそう推測できても沙明は違う。彼は自分が助かるためにユキ、もしくはステラを見捨てなければならない。それを当然と、沙明は判断するだろうか。自分が助かることが第一の彼だ、他の者の犠牲を厭うだろうか。だが……。
今のステラの言葉で沙明は、ユキを任されたという大義名分でポッドを使用できる。ステラの案が上手くいくのならば、彼の命は繋がるだろう。彼から見れば、ステラの犠牲の上に生き残ることができるけれども。
――――そんな小賢しい計算を彼がするだろうか。
ユキは沙明がどう考えているのか全くもって読めずにいる。
「あ、いけない! 来ます! 早くポッドの中へ!」
選択の余地も残されていなかった。今や粘菌はもう喉元まで迫ってきている。ステラが勢いに任せてふたりの背中を押す、沙明はとにかくユキの手を掴んでポッドの中に彼女を引きずり込んだ。ステラが沙明をもポッドに押し込み、素早くハッチを閉じる。
「アァ……、狭ェな」
閉ざされた一人用のポッドの中は窮屈すぎた。本来は一人でゆったりと横たわることのできる寝台に沙明とユキは身を押し込める。ポッド内は灯りもなく真っ暗で、近くにいるはずの彼の顔も見えない。それでもどうしても当たってしまう手足、触れる身体は彼がぴたりと傍にいることを実感させる。
「……悪いユキ。どうやっても体が当たっちまうわ」
これまで……。彼がそんなことを気にするような人だったか。皆の前であったなら、むしろラッキーだとニヤニヤしそうなくらいだけども。緊急事態だからか、それとも彼が下品なことを思う価値もユキにはないだけ? その逆で、配慮をしてくれているのか、それとも。
「ま、あんま気にすんな。いくら俺でも、こんな時に妙な気は起こさねェから……。つっても説得力ねぇか。ハッ」
ステラを置き去ったことを悔やんでいるのだろうか。ユキに囁く沙明の声は感情を押し殺しているように聞こえた。今彼の心の中には何が渦巻くだろう。ユキは闇の中、見えない彼の顔を見ようと目を凝らす。
沙明のことは未だによく分からないことが多い。それでも思う、このわずかな時間の繰り返しの中であっても。彼は真に優しい人だろうと。多少自分勝手な部分もあるかもしれないが、人の苦しみ、起こる出来事に決して共感できない人ではない。
軽い態度で覆い隠そうとするけれども、誰より人間らしい心が彼にはある。自分が生き残ることが一番だと宣いながら、それで他の命の犠牲を無視できるほど冷酷ではない。罪悪感を、きっと今だって一人で抱えているのではないか。しかしユキに気を遣って、それを見せないように必死に取り繕っている。
あくまでも推測に過ぎない、だがそんな彼を思うとユキはどうしようもない感情に動かされた。彼女の指先が闇の中で沙明を辿る。そこに入念な思考は無かった。
あの時に知ってしまっていたから、貴方がそこまで強い人ではないことを。かつて、ユキ一人を消すためにあんなに苦しみ……、涙を流す彼だ。
「……沙明」
ユキは、彼の名を呼んで暗闇の中で手を伸ばした。存在を確かめようと彼の身体に触れ、そしてその温もりをそうっと抱きしめる。ふたりきりの空間で別に……、彼の言うような妙な気を起こしたわけじゃない。
ただ、彼がもし苦しむことがあるならば、私もそれをと思っただけだ。怖れることがあるのなら彼と共に苦しみを理解したい。ここにいる、本当は臆病な彼の気持ちを分かちたいと思っただけ。自分の感じるものが真実かは判別できなくても、彼に手を伸ばしたいとユキ自身が望んだのだ。闇の中で身じろぎした彼が、息を呑んだのが分かる。
「――! ユキお前……天使かよ」
ユキの行動を沙明がどのように受け取ったのかは分からない。彼の手はすぐさまユキの背に回って、そしてユキの身体を力強く抱きしめ返す。数ミリの隙間もない場所に彼の呼吸があり、匂いがあり、体温がある。彼の人間らしい温もりの中でユキは見えない目を塞ぎ、他で沙明を感じようとする。
「ハッ、クソ粘菌どもに絡まれる地獄だってのに、一瞬でヘヴンになっちまったじゃねェか」
この事態に相応しくない言葉。だがそれはこちらのセリフだ。こんな状況にありながらユキの頬は焼けつくほど熱い。心臓は彼に音が聞こえてしまうくらい大きく、早く脈打っているのを感じて胸がつかえる。身を寄せ合うと彼の心に触れられる気がする。闇の中、見えないはずなのに彼の表情が見えるようだった。
現実は定かではない。今見えるのは瞼の裏に映る幻覚だろうが、今はっきりとこの目に見える彼の浮かべた表情が、本当にそうであることを願った。彼の手がユキの身体を登って髪を撫で、頬を滑る。
「なぁオイ。お前のせいだぜ、マイエンジェル……」
「……っ」
甘く、彼が囁く。ユキは思わず息を零した、身体の火照りで蕩けそうになってしまう。込み上げる感情が溢れ出さないようにユキは必死に彼の身体にしがみついた。
こういう空気に、前にもなったことがあった、一度限りではない数度。だから彼の声色から、沙明が何を求めているのかはもう察せる。その時と同じように彼はユキを求める。…………しかし。