高校三年生になったばかりの内気な女の子
満月の夜に
お名前変換
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
朝の日差しが障子から漏れ出て小鳥たちが朝を知らせる。陽光が辺りを照らし全ての輪郭がくっきりと見え始めた頃、早々に目覚めて支度をしていた真白は迎えが来るのをじっと待っていた。鳥たちの囀り以外聞こえない静寂の中、微かに床の軋む音が耳に届いた。真白は大きく深呼吸をして障子の方に視線を向ける。障子の向こうに大人であろう人のシルエットが見えており、彼女の心臓はとくとくと早鐘を打つ。
「小花衣さん、起きていらっしゃいますか?」
伊作より少し低い、大人の男性の声。真白はふぅと息を吸った。緊張ほぐしの深呼吸だ。努めて平静を装う。
「起きています!」
少し声がひっくり返った。早々にやらかしてしまい、かぁと頬が熱くなる。そんな真白とは裏腹に、声の主はゆっくりと障子を開けた。
「おはようございます。土井半助と言います。伊作から話を聞いていると思いますが、今日は小花衣さんを学園長の元へお連れします」
「お、おはようございます。小花衣真白です。本日はよろしくお願いします」
現れた土井半助という人物に真白は驚いた。なぜなら新野や伊作のように忍者みたいな格好をしていたからだ。全身真っ黒で頭巾らしきものも着けている。最初はそういう宗教的な何かなのかと思っていたが、実際は違ったのだろう。それもこれも、今から会う人物に聞けばいいのだ。
「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。学園長は何と言うか大た…いや、陽気な方ですから」
眉を八の字にしながら笑う半助に真白はほっと息を吐いた。伊作が言っていた通り優しそうな人だ。身長も高く、この時代の人ならかなり高い部類なのではないだろうか。いつものように思考に集中しかけたことに気づき、すぐさま頭を切り替える。
「では、準備が出来たら向かいましょう」
「…準備は、出来ています」
半助の瞳を見つめながらそう言った。前髪や視線で隠れがちだった真白の瞳が半助を貫く。陽光を浴びて透き通って見えるその瞳に、彼は一瞬面食らった。しかしすぐさまいつもの優しい"土井先生"に戻った。真白を安心させるように微笑みながらこちらが来るのを待っている。大きく深呼吸をして、真白はゆっくりと敷居を跨いだ。
*****
学園長と話をするというのは分かっていた。それなりに心の準備をしてきちんと話そうと思っていた。だけど。
「すまんのうお嬢さん。一応他の先生方も同席してもらわんといかんくての」
「い、いえ…だい、じょうぶです」
まさかこんなにも沢山の人がいるなんて。10人いるかいないか、だろうか。皆似た様な黒装束で、案内をしてくれた半助は端の方に座っている。一人だけ女性がいるようだが、ちらちら視線を動かすなんて出来ないため確信が持てない。皆、こちらを見ている。同情や疑心の目が真白を貫いている。これに耐えられるなら彼女は死のうとしていない。手は震え、声は出ず、瞳は恐怖の光が広がっている。唯一救いなのは、半助が言っていた通り学園長は朗らかな人だったことだ。真白が震えているのに気づいてから格段優しい雰囲気になった気がする。ただ、周りの視線は落ち着けない。
「こらやめんか。真白さんはわしをどうこう出来る子じゃないわい」
学園長がそう言った瞬間、重かった雰囲気がガラッと軽くなった。真白ははあっと息をして呼吸を整える。背に乗った重い荷物が急にどかされて軽くなった感覚だ。すごい、こんなことがあるんだ。私が敏感なだけかもしれないけど、空気の差を感じた。こんなにすごい人たちに囲まれて、しかもそのすごい人たちを束ねている方とお話しするんだ。心臓がドクドクと音を立てる。体が心臓の音を隠してくれないくらい大きな鼓動だ。落ち着けるためにふぅと呼吸をする。目の前にいる方々は真白が落ち着くのを待ってくれている。
「…すみません、落ち着きました」
ゆっくりと瞬きをしてから学園長の方に顔を向けた。
「怖がらせてすまんな。緊張せずにゆっくり話してくれたらいいからのう」
こくりと頷いて今度こそちゃんと前を向いた。
「ではまずお主の素性と、ここに来るまでどうしていたかを聞かせてくれるか」
「……はい。私は――」
昨晩からこの状況をどう話そうか考えていた。タイムスリップしたと言っても信じてもらえるわけがないし、ただの一般人と言っても怪しいものではないという証拠を出せない。
そこで結論付けた設定は「記憶喪失になった田舎っ子」だ。助けてもらう前の出来事は全て忘れていて、どこか遠い山の中でひっそり暮らしていたという設定だ。これなら地名が分からなくても住んでる場所が遠いから、で通せるはずだ。他に穴があったらその場で凌ぐしかない。
その旨を説明して、学園長の顔色を伺った。さすがに確認できる情報が少なくて嘘だとバレてしまうだろうか。しかし全部が全部嘘では無い。何を言われるか、微かな不安が瞳を揺らす。
「…ふむ。事情は分かった。お嬢さん、一つ聞きたいんじゃが」
「は、はい」
「この服はそなたの故郷特有のものかの?」
いつの間にそばに居たのか、綺麗な女性が真白に向けてはらりと服を見せる。それは満月の夜に真白が着ていたものだった。お風呂に入ってからここの着替えを貸してもらったあの日から一度も着ていなかった白のワンピース。一応着替えたあとに返してもらっていたが、この時のために持ち出されたのだろう。警戒するのは当たり前なので勝手に持ち出されたことに対して特に不快になることは無いが、ある問題点に気づく。
この時代にワンピースなんてないのでは。というか体のラインが出る服装はあまりよろしくないのでは。そのことに気づいた真白は一層顔が青くなった。いや、学園長様が"そなたの故郷特有のもの"と言ってくださっているのだから、それに乗っかれば何とか誤魔化せるかもしれない。
「は…はい。私の故郷では当たり前に着ていました」
「そうかそうか。しっかしこんな風変わりな格好をするとは。わしも先生方も知らんとなると、そなたはずっと遠くから来たんじゃなあ」
よかった。信じてくれた。ほっと胸を撫で下ろし、こくりと頷いた。真白は気づいていない。ここにいる人間は少しの表情の変化で10を悟れる者たちだ。真白の話に嘘が混ぜられていることは真白本人以外誰もが気づいている。ただ真白が刺客で無いことも分かっていた。なので皆警戒はしておらず、真白も嘘が通っていると思っている。
「そなたの事情はよぉく分かった。ここからが本題じゃ。お主、これからどうするつもりかな?」
「えっと…」
これはまだ自分の中で答えが出ていない問題だ。帰る場所なんて無いし、何より無一文だ。ここを出たあとどうやって生き延びようか、両親とずっと暮らしていた真白にとって過酷なものだった。
「…ま、町に出てどこか働かせていただけるところを探そうと思っています」
「ふむ、住むところは?」
「それは…えっと…お金が貯まるまでは…の、野宿?」
自分でも現実味のない話だと思っている。だがこう言う以外何も思い浮かばなかった。一時は死のうと思っていたけれど、そう思う前に物理的に力尽きてしまうかもしれない。阿呆な発言に自分でも呆れて恥ずかしくなった。学園長は真白の発言からふむと口に手を当てて何か考えている。依然として周りの教師陣は何も発さない。少しの沈黙のあと、学園長はにっこりと笑い大きな声で言った。
「それなら忍術学園で事務員として働くがよーーい!」
「え?」
突然大きな声で言ったものだから真白はびっくりして大きく目を見開く。ぽかんとしている真白を他所に、学園長はスラスラと話を進めた。
「忍術学園で事務員として働いてくれたら教員用の部屋を貸し出し、毎日きっちり三食食べられるぞ。ここにはおらんがお主と近い年柄の小松田くんもおるしのう!」
「えっと、あの」
「しかもふかふかの布団付きじゃ!」
「学園長!小花衣さん固まっちゃってますよ!」
真白が学園長の圧に負けて人語が話せない状態になっているのを、半助が慌てて制止した。他の先生たちもやれやれといった顔でため息を吐いている。
「ああすまんすまん。つい勢い余ってしまったわい。それで、小花衣真白さん」
「は、はいっ」
「忍術学園の事務員としてここで働かんかね?」
優しく笑った学園長に真白の心はすっと軽くなった。勢いには驚いたけれど、こうしてみると普通のおじいちゃんみたいだ。何を怖がっていたのだろう。ここにいる人は優しいって自分が一番分かっていたのに。今だって私が路頭に迷いそうなところを察して手を差し伸べてくれている。
課題はたくさんある。私はまだ帰ることを諦めていない。ただその日までどうにか生きなければならない。ここの人たちに何度も何度も助けてもらった。恩を返すにも私の手元には何も無い。このまま甘えるわけにもいかないけれど、それでどう生きながらえるの。私は、私に出来る最善の選択をする。それできっと、いつか、帰れるのよ。
「ここで、働かせてください」
真白の決意に満ちた瞳に、学園長は「おぉ」と関心の声を漏らす。ずっと子鹿のように震えていた子が今や全てを覚悟した落城の姫のようだ。
「うむ。これからよろしくの、真白ちゃん♪」
「……ちゃん?」
「シナ先生や、真白ちゃんを部屋へ連れて行ってくれんかの」
「分かりました」
ずっと隣にいた綺麗な女性がすっと立ち上がり、真白の前に手を差し出した。
「はじめまして、小花衣真白さん。私はくの一教室の担当教師、山本シナです。よろしくね」
「は、はじめまして。小花衣真白です。よろしくお願いします」
「ふふ、じゃあ一緒に行きましょうか」
「は、はいっ」
美人の微笑みに胸が高鳴り、真白はそっとシナの手を取った。部屋を出る寸前までたくさんの視線を感じたけれど不思議と怖くない。シナに手を握られているからだろうか。じっと顔を見つめていると、視線に気づいたのか彼女はこちらを向いてウインクをした。真白はどっと頬が熱くなってあわあわと視線を下に戻す。 ドキドキと胸が鳴るのを感じながら、これからの新しい生活が良いものであるといいな、と素直に願った。
*****
「もう途中から私連れ出してあげたくなりましたよ」
「ほんとに。見てるこっちが申し訳なるほどだった。やはり同席は土井先生だけで良かったのではないですか。学園長」
真白が去ったあと、教師たちは次々声を上げていた。話の中心は勿論真白のことだ。半助が困ったような顔をしながら言うのに合わせて、同じく教師の山田伝蔵は学園長の方に目を向けた。
「うむ、真白ちゃんがここで働くことになるだろうとは思っておった。だからこそ皆にも真白ちゃんのことをよく知ってもらうために集まってもらったんじゃ」
「それって教師との顔合わせの時間を調整するのが面倒くさいから代わりに今行ったってことですか?!」
学園長の言葉に野村雄三がばっと声を上げた。周りの教師もやれやれといった顔で学園長を見る。当の本人は冷や汗をかきながら口笛を吹いている。図星のようだ。
「でっでででもな、ただの娘ではなかろうと思っておったのじゃよ。だから念のため、な」
「ま、まぁあの話が嘘だというのは分かりましたが」
「やはり監視のためですか?」
納得しかけた野村に半助はずいと顔を出して言った。
「まぁ監視するほどでもないじゃろうが真白ちゃんの素性は知りたいところじゃの」
学園長が顎を触りながらそう言った。この場にいる全員、彼女が嘘を吐いていることは分かっている。しかし彼女が無害であることもわかっているのだ。
「六年生の間では姫や天女の類ではないかと話が上がっていましたが…」
「天女は言いすぎかもしれんが姫の可能性は無くはないな」
半助の言葉に伝蔵が答える。綺麗な髪に荒れていない肌。世間知らずな雰囲気。どこか高貴な娘というのは間違いと言えないだろう。
「どこかの落ちた城から逃げてきたってことですか?」
「んん…最近城が落ちたなんて聞いてないんだがなぁ」
「まぁとにかく!真白ちゃんは帰る場所がない可哀想な子じゃ。皆優しくしてやってくれ」
学園長の言葉に教師一同相槌を打ち、その日は解散した。学園長はああ言っているが、素性を知るために監視というのは間違いではないのだろう。真白について気になる者もいれば、全く気にならない者もいる。どちらにせよこれからは新たな忍術学園の仲間だ。事務員として、教師として、彼女と接していくのに誰も異議を唱えなかった。
*****
「ここが貴方の部屋よ。少し汚れているけど一人部屋の方がいいわよね」
これから過ごしていくことになるであろう部屋に連れてこられた真白は一人部屋であることに内心大喜びだった。
「お気遣いありがとうございます。嬉しいです」
確かに少し埃が舞っているがこれくらい掃除すれば問題ない。自宅ではない場所で寝泊まりするのはいつぶりだろう。寝泊まりと言っても一泊二泊くらいで毎日そこで暮らすなんて始めてだ。高校を卒業したら一人暮らしをするのだろうと考えてはいたが、それが少し早まったと思えば。
「これから一緒に仕事していく仲間なんだからそんなにかしこまらないで。私のことはシナ先生と呼んでちょうだい」
「シナ…先生…」
美人の微笑みは心臓に悪い。明るく朗らかに笑うシナに真白はドキドキしっぱなしだ。シナのおかげで緊張も解けてきて、ふと先程の集まりで思っていたことを口に出した。
「あの…ここは普通の学校ではないのでしょうか?」
ずっと思っていた。伊作や先生方の格好。この場所に男性が多いのも全て時代によるものと思っていた。しかし明らかに違和感がある。シナの方をちらりと見ると彼女は吃驚したように目を見開いていた。
「学園長ったら何にも話していないのね」
「……?」
「いえこちらの話よ。ここは忍術学園と言って忍者を育てるための学校です。男子生徒は忍者のたまご…忍たまと言って女子生徒はくの一のたまごでくのたまと言います」
「忍たま…くのたま…」
まさか本当に忍者の学校だったなんて。本当に忍者は存在したんだ。真白は歴史の教科書で見た忍者が実在したことに感激した。私は忍者学校の事務員になるということ? ドキドキと少女の心が芽生えてきて、真白は目を輝かせた。
「とりあえずお部屋の掃除をしたら今日はもう休んで大丈夫よ。明日からさっそく働いてもらいますからね」
「はい…!」
シナはにこりと微笑んで部屋を後にした。真白はふうぅと大きく深呼吸をして心を落ち着ける。やっと一人になれた。覚悟はしていたことだが、それでも緊張と疲労で倒れてしまいそうだ。縁側に座り、外の景色をじっと見つめる。太陽は正午の位置で燦々と輝いている。日差しが眩しくて思わず目を瞑った。本物の光だ。どう足掻いてもここは現実。でもきっと大丈夫。いつか家に帰るんだから。
真白はパンッと自らの両頬を叩き自分の部屋を見渡した。袖を捲ってシナが渡してくれたはたきを手に持つ。
「よし、頑張るぞ」
これからお世話になるであろう部屋をピカピカにするべく、真白は一歩踏み出した。
*****
「怪しいと思わないか?」
「勘右衛門、急にどうした」
忍たま長屋のとある一室。五年い組の尾浜勘右衛門と久々知兵助が話していた。勘右衛門は兵助の方にずいっと寄って指を立てた。
「六年生の先輩と先生方が隠してること」
「あぁ例の女性のことか。確かに怪しいが三郎がこっそり見に行ったとき、彼女は普通の人だったと言ってたじゃないか」
「三郎のことは疑ってないさ。彼女を刺客とも思ってない。ただな〜んか怪しいと思うんだよね」
勘右衛門がうーんと唸るように体を揺らし始める。兵助は三郎から聞いた情報を思い出す。
忍術学園に天女が来たという噂は聞いたことがあった。その時は信じていなかったし、伊作先輩が連れてきたそうだからただの怪我人だと思っていた。噂もすぐに消えていって少ししたあと、今度は同じ五年の鉢屋三郎に呼ばれた。例の女性が今もなお忍術学園に滞在している上に六年生と学園長含む教師しか知らされていないらしい、と。ただの怪我人なら治療して終わり。刺客と思わしき人物なら五年も監視のため情報を共有されているはずだ。今、勘右衛門が怪しんでいるのはこのことだろう。
「多くの人に知られてはいけない情報があるんじゃないか?」
「たとえば?」
「実は本物の天女だった…とか」
「さすがに無いでしょ」
「だよなぁ」
最高学年ではないとはいえ、五年生にも隠されているのは悔しい。勘右衛門は拗ねたように頬を膨らませた。
「勘右衛門は彼女のところまで行ったんだっけ?」
「行った。だけど直前で伊作先輩に引き止められて」
「そうだったのか。なおさら気になるな」
「保健委員は彼女を見たっぽいんだよね。途中からはずっと伊作先輩が看病してたらしいけど」
「一年生の乱太郎も知ってるのに俺たち五年生が知らされないなんて」
兵助もその事実に気づきむっと拗ねた。勘右衛門は自分と似たような顔をする兵助にふっと笑う。
「まぁ刺客じゃないなら調べても面白くないかもな〜」
「面白くないって…勘右衛門、これは遊びじゃないんだぞ」
「分かってるよ。ま、こっちはこっちで調べてみるか」
「ああ。俺は三郎たちにもう一度話を聞きに行ってみるよ」
六年生や四年生に比べて穏和なイメージがある五年生だが、それなりにプライドは持っている。隠されていると知ってしまったら自分たちで調べるのみ。
だって彼らは、忍者のたまご…忍たまなのだから。
「小花衣さん、起きていらっしゃいますか?」
伊作より少し低い、大人の男性の声。真白はふぅと息を吸った。緊張ほぐしの深呼吸だ。努めて平静を装う。
「起きています!」
少し声がひっくり返った。早々にやらかしてしまい、かぁと頬が熱くなる。そんな真白とは裏腹に、声の主はゆっくりと障子を開けた。
「おはようございます。土井半助と言います。伊作から話を聞いていると思いますが、今日は小花衣さんを学園長の元へお連れします」
「お、おはようございます。小花衣真白です。本日はよろしくお願いします」
現れた土井半助という人物に真白は驚いた。なぜなら新野や伊作のように忍者みたいな格好をしていたからだ。全身真っ黒で頭巾らしきものも着けている。最初はそういう宗教的な何かなのかと思っていたが、実際は違ったのだろう。それもこれも、今から会う人物に聞けばいいのだ。
「そんなに緊張しなくても大丈夫ですよ。学園長は何と言うか大た…いや、陽気な方ですから」
眉を八の字にしながら笑う半助に真白はほっと息を吐いた。伊作が言っていた通り優しそうな人だ。身長も高く、この時代の人ならかなり高い部類なのではないだろうか。いつものように思考に集中しかけたことに気づき、すぐさま頭を切り替える。
「では、準備が出来たら向かいましょう」
「…準備は、出来ています」
半助の瞳を見つめながらそう言った。前髪や視線で隠れがちだった真白の瞳が半助を貫く。陽光を浴びて透き通って見えるその瞳に、彼は一瞬面食らった。しかしすぐさまいつもの優しい"土井先生"に戻った。真白を安心させるように微笑みながらこちらが来るのを待っている。大きく深呼吸をして、真白はゆっくりと敷居を跨いだ。
*****
学園長と話をするというのは分かっていた。それなりに心の準備をしてきちんと話そうと思っていた。だけど。
「すまんのうお嬢さん。一応他の先生方も同席してもらわんといかんくての」
「い、いえ…だい、じょうぶです」
まさかこんなにも沢山の人がいるなんて。10人いるかいないか、だろうか。皆似た様な黒装束で、案内をしてくれた半助は端の方に座っている。一人だけ女性がいるようだが、ちらちら視線を動かすなんて出来ないため確信が持てない。皆、こちらを見ている。同情や疑心の目が真白を貫いている。これに耐えられるなら彼女は死のうとしていない。手は震え、声は出ず、瞳は恐怖の光が広がっている。唯一救いなのは、半助が言っていた通り学園長は朗らかな人だったことだ。真白が震えているのに気づいてから格段優しい雰囲気になった気がする。ただ、周りの視線は落ち着けない。
「こらやめんか。真白さんはわしをどうこう出来る子じゃないわい」
学園長がそう言った瞬間、重かった雰囲気がガラッと軽くなった。真白ははあっと息をして呼吸を整える。背に乗った重い荷物が急にどかされて軽くなった感覚だ。すごい、こんなことがあるんだ。私が敏感なだけかもしれないけど、空気の差を感じた。こんなにすごい人たちに囲まれて、しかもそのすごい人たちを束ねている方とお話しするんだ。心臓がドクドクと音を立てる。体が心臓の音を隠してくれないくらい大きな鼓動だ。落ち着けるためにふぅと呼吸をする。目の前にいる方々は真白が落ち着くのを待ってくれている。
「…すみません、落ち着きました」
ゆっくりと瞬きをしてから学園長の方に顔を向けた。
「怖がらせてすまんな。緊張せずにゆっくり話してくれたらいいからのう」
こくりと頷いて今度こそちゃんと前を向いた。
「ではまずお主の素性と、ここに来るまでどうしていたかを聞かせてくれるか」
「……はい。私は――」
昨晩からこの状況をどう話そうか考えていた。タイムスリップしたと言っても信じてもらえるわけがないし、ただの一般人と言っても怪しいものではないという証拠を出せない。
そこで結論付けた設定は「記憶喪失になった田舎っ子」だ。助けてもらう前の出来事は全て忘れていて、どこか遠い山の中でひっそり暮らしていたという設定だ。これなら地名が分からなくても住んでる場所が遠いから、で通せるはずだ。他に穴があったらその場で凌ぐしかない。
その旨を説明して、学園長の顔色を伺った。さすがに確認できる情報が少なくて嘘だとバレてしまうだろうか。しかし全部が全部嘘では無い。何を言われるか、微かな不安が瞳を揺らす。
「…ふむ。事情は分かった。お嬢さん、一つ聞きたいんじゃが」
「は、はい」
「この服はそなたの故郷特有のものかの?」
いつの間にそばに居たのか、綺麗な女性が真白に向けてはらりと服を見せる。それは満月の夜に真白が着ていたものだった。お風呂に入ってからここの着替えを貸してもらったあの日から一度も着ていなかった白のワンピース。一応着替えたあとに返してもらっていたが、この時のために持ち出されたのだろう。警戒するのは当たり前なので勝手に持ち出されたことに対して特に不快になることは無いが、ある問題点に気づく。
この時代にワンピースなんてないのでは。というか体のラインが出る服装はあまりよろしくないのでは。そのことに気づいた真白は一層顔が青くなった。いや、学園長様が"そなたの故郷特有のもの"と言ってくださっているのだから、それに乗っかれば何とか誤魔化せるかもしれない。
「は…はい。私の故郷では当たり前に着ていました」
「そうかそうか。しっかしこんな風変わりな格好をするとは。わしも先生方も知らんとなると、そなたはずっと遠くから来たんじゃなあ」
よかった。信じてくれた。ほっと胸を撫で下ろし、こくりと頷いた。真白は気づいていない。ここにいる人間は少しの表情の変化で10を悟れる者たちだ。真白の話に嘘が混ぜられていることは真白本人以外誰もが気づいている。ただ真白が刺客で無いことも分かっていた。なので皆警戒はしておらず、真白も嘘が通っていると思っている。
「そなたの事情はよぉく分かった。ここからが本題じゃ。お主、これからどうするつもりかな?」
「えっと…」
これはまだ自分の中で答えが出ていない問題だ。帰る場所なんて無いし、何より無一文だ。ここを出たあとどうやって生き延びようか、両親とずっと暮らしていた真白にとって過酷なものだった。
「…ま、町に出てどこか働かせていただけるところを探そうと思っています」
「ふむ、住むところは?」
「それは…えっと…お金が貯まるまでは…の、野宿?」
自分でも現実味のない話だと思っている。だがこう言う以外何も思い浮かばなかった。一時は死のうと思っていたけれど、そう思う前に物理的に力尽きてしまうかもしれない。阿呆な発言に自分でも呆れて恥ずかしくなった。学園長は真白の発言からふむと口に手を当てて何か考えている。依然として周りの教師陣は何も発さない。少しの沈黙のあと、学園長はにっこりと笑い大きな声で言った。
「それなら忍術学園で事務員として働くがよーーい!」
「え?」
突然大きな声で言ったものだから真白はびっくりして大きく目を見開く。ぽかんとしている真白を他所に、学園長はスラスラと話を進めた。
「忍術学園で事務員として働いてくれたら教員用の部屋を貸し出し、毎日きっちり三食食べられるぞ。ここにはおらんがお主と近い年柄の小松田くんもおるしのう!」
「えっと、あの」
「しかもふかふかの布団付きじゃ!」
「学園長!小花衣さん固まっちゃってますよ!」
真白が学園長の圧に負けて人語が話せない状態になっているのを、半助が慌てて制止した。他の先生たちもやれやれといった顔でため息を吐いている。
「ああすまんすまん。つい勢い余ってしまったわい。それで、小花衣真白さん」
「は、はいっ」
「忍術学園の事務員としてここで働かんかね?」
優しく笑った学園長に真白の心はすっと軽くなった。勢いには驚いたけれど、こうしてみると普通のおじいちゃんみたいだ。何を怖がっていたのだろう。ここにいる人は優しいって自分が一番分かっていたのに。今だって私が路頭に迷いそうなところを察して手を差し伸べてくれている。
課題はたくさんある。私はまだ帰ることを諦めていない。ただその日までどうにか生きなければならない。ここの人たちに何度も何度も助けてもらった。恩を返すにも私の手元には何も無い。このまま甘えるわけにもいかないけれど、それでどう生きながらえるの。私は、私に出来る最善の選択をする。それできっと、いつか、帰れるのよ。
「ここで、働かせてください」
真白の決意に満ちた瞳に、学園長は「おぉ」と関心の声を漏らす。ずっと子鹿のように震えていた子が今や全てを覚悟した落城の姫のようだ。
「うむ。これからよろしくの、真白ちゃん♪」
「……ちゃん?」
「シナ先生や、真白ちゃんを部屋へ連れて行ってくれんかの」
「分かりました」
ずっと隣にいた綺麗な女性がすっと立ち上がり、真白の前に手を差し出した。
「はじめまして、小花衣真白さん。私はくの一教室の担当教師、山本シナです。よろしくね」
「は、はじめまして。小花衣真白です。よろしくお願いします」
「ふふ、じゃあ一緒に行きましょうか」
「は、はいっ」
美人の微笑みに胸が高鳴り、真白はそっとシナの手を取った。部屋を出る寸前までたくさんの視線を感じたけれど不思議と怖くない。シナに手を握られているからだろうか。じっと顔を見つめていると、視線に気づいたのか彼女はこちらを向いてウインクをした。真白はどっと頬が熱くなってあわあわと視線を下に戻す。 ドキドキと胸が鳴るのを感じながら、これからの新しい生活が良いものであるといいな、と素直に願った。
*****
「もう途中から私連れ出してあげたくなりましたよ」
「ほんとに。見てるこっちが申し訳なるほどだった。やはり同席は土井先生だけで良かったのではないですか。学園長」
真白が去ったあと、教師たちは次々声を上げていた。話の中心は勿論真白のことだ。半助が困ったような顔をしながら言うのに合わせて、同じく教師の山田伝蔵は学園長の方に目を向けた。
「うむ、真白ちゃんがここで働くことになるだろうとは思っておった。だからこそ皆にも真白ちゃんのことをよく知ってもらうために集まってもらったんじゃ」
「それって教師との顔合わせの時間を調整するのが面倒くさいから代わりに今行ったってことですか?!」
学園長の言葉に野村雄三がばっと声を上げた。周りの教師もやれやれといった顔で学園長を見る。当の本人は冷や汗をかきながら口笛を吹いている。図星のようだ。
「でっでででもな、ただの娘ではなかろうと思っておったのじゃよ。だから念のため、な」
「ま、まぁあの話が嘘だというのは分かりましたが」
「やはり監視のためですか?」
納得しかけた野村に半助はずいと顔を出して言った。
「まぁ監視するほどでもないじゃろうが真白ちゃんの素性は知りたいところじゃの」
学園長が顎を触りながらそう言った。この場にいる全員、彼女が嘘を吐いていることは分かっている。しかし彼女が無害であることもわかっているのだ。
「六年生の間では姫や天女の類ではないかと話が上がっていましたが…」
「天女は言いすぎかもしれんが姫の可能性は無くはないな」
半助の言葉に伝蔵が答える。綺麗な髪に荒れていない肌。世間知らずな雰囲気。どこか高貴な娘というのは間違いと言えないだろう。
「どこかの落ちた城から逃げてきたってことですか?」
「んん…最近城が落ちたなんて聞いてないんだがなぁ」
「まぁとにかく!真白ちゃんは帰る場所がない可哀想な子じゃ。皆優しくしてやってくれ」
学園長の言葉に教師一同相槌を打ち、その日は解散した。学園長はああ言っているが、素性を知るために監視というのは間違いではないのだろう。真白について気になる者もいれば、全く気にならない者もいる。どちらにせよこれからは新たな忍術学園の仲間だ。事務員として、教師として、彼女と接していくのに誰も異議を唱えなかった。
*****
「ここが貴方の部屋よ。少し汚れているけど一人部屋の方がいいわよね」
これから過ごしていくことになるであろう部屋に連れてこられた真白は一人部屋であることに内心大喜びだった。
「お気遣いありがとうございます。嬉しいです」
確かに少し埃が舞っているがこれくらい掃除すれば問題ない。自宅ではない場所で寝泊まりするのはいつぶりだろう。寝泊まりと言っても一泊二泊くらいで毎日そこで暮らすなんて始めてだ。高校を卒業したら一人暮らしをするのだろうと考えてはいたが、それが少し早まったと思えば。
「これから一緒に仕事していく仲間なんだからそんなにかしこまらないで。私のことはシナ先生と呼んでちょうだい」
「シナ…先生…」
美人の微笑みは心臓に悪い。明るく朗らかに笑うシナに真白はドキドキしっぱなしだ。シナのおかげで緊張も解けてきて、ふと先程の集まりで思っていたことを口に出した。
「あの…ここは普通の学校ではないのでしょうか?」
ずっと思っていた。伊作や先生方の格好。この場所に男性が多いのも全て時代によるものと思っていた。しかし明らかに違和感がある。シナの方をちらりと見ると彼女は吃驚したように目を見開いていた。
「学園長ったら何にも話していないのね」
「……?」
「いえこちらの話よ。ここは忍術学園と言って忍者を育てるための学校です。男子生徒は忍者のたまご…忍たまと言って女子生徒はくの一のたまごでくのたまと言います」
「忍たま…くのたま…」
まさか本当に忍者の学校だったなんて。本当に忍者は存在したんだ。真白は歴史の教科書で見た忍者が実在したことに感激した。私は忍者学校の事務員になるということ? ドキドキと少女の心が芽生えてきて、真白は目を輝かせた。
「とりあえずお部屋の掃除をしたら今日はもう休んで大丈夫よ。明日からさっそく働いてもらいますからね」
「はい…!」
シナはにこりと微笑んで部屋を後にした。真白はふうぅと大きく深呼吸をして心を落ち着ける。やっと一人になれた。覚悟はしていたことだが、それでも緊張と疲労で倒れてしまいそうだ。縁側に座り、外の景色をじっと見つめる。太陽は正午の位置で燦々と輝いている。日差しが眩しくて思わず目を瞑った。本物の光だ。どう足掻いてもここは現実。でもきっと大丈夫。いつか家に帰るんだから。
真白はパンッと自らの両頬を叩き自分の部屋を見渡した。袖を捲ってシナが渡してくれたはたきを手に持つ。
「よし、頑張るぞ」
これからお世話になるであろう部屋をピカピカにするべく、真白は一歩踏み出した。
*****
「怪しいと思わないか?」
「勘右衛門、急にどうした」
忍たま長屋のとある一室。五年い組の尾浜勘右衛門と久々知兵助が話していた。勘右衛門は兵助の方にずいっと寄って指を立てた。
「六年生の先輩と先生方が隠してること」
「あぁ例の女性のことか。確かに怪しいが三郎がこっそり見に行ったとき、彼女は普通の人だったと言ってたじゃないか」
「三郎のことは疑ってないさ。彼女を刺客とも思ってない。ただな〜んか怪しいと思うんだよね」
勘右衛門がうーんと唸るように体を揺らし始める。兵助は三郎から聞いた情報を思い出す。
忍術学園に天女が来たという噂は聞いたことがあった。その時は信じていなかったし、伊作先輩が連れてきたそうだからただの怪我人だと思っていた。噂もすぐに消えていって少ししたあと、今度は同じ五年の鉢屋三郎に呼ばれた。例の女性が今もなお忍術学園に滞在している上に六年生と学園長含む教師しか知らされていないらしい、と。ただの怪我人なら治療して終わり。刺客と思わしき人物なら五年も監視のため情報を共有されているはずだ。今、勘右衛門が怪しんでいるのはこのことだろう。
「多くの人に知られてはいけない情報があるんじゃないか?」
「たとえば?」
「実は本物の天女だった…とか」
「さすがに無いでしょ」
「だよなぁ」
最高学年ではないとはいえ、五年生にも隠されているのは悔しい。勘右衛門は拗ねたように頬を膨らませた。
「勘右衛門は彼女のところまで行ったんだっけ?」
「行った。だけど直前で伊作先輩に引き止められて」
「そうだったのか。なおさら気になるな」
「保健委員は彼女を見たっぽいんだよね。途中からはずっと伊作先輩が看病してたらしいけど」
「一年生の乱太郎も知ってるのに俺たち五年生が知らされないなんて」
兵助もその事実に気づきむっと拗ねた。勘右衛門は自分と似たような顔をする兵助にふっと笑う。
「まぁ刺客じゃないなら調べても面白くないかもな〜」
「面白くないって…勘右衛門、これは遊びじゃないんだぞ」
「分かってるよ。ま、こっちはこっちで調べてみるか」
「ああ。俺は三郎たちにもう一度話を聞きに行ってみるよ」
六年生や四年生に比べて穏和なイメージがある五年生だが、それなりにプライドは持っている。隠されていると知ってしまったら自分たちで調べるのみ。
だって彼らは、忍者のたまご…忍たまなのだから。
5/5ページ
