うっかり呪われた我が強めの一般人の話(呪術)
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10月18日 ~
⭐瑞雄´s 心
心がウサギちゃん故に常に継続ダメージを受けているが、同時進行でHP回復もしているためわりと強め。
しかし最近は理解不能な現象に対してのストレスでダメージ量が回復量を上回っており、情緒不安定気味。
どさっと音を立ててベッドになだれ込むと、安さの割に花の香りが鼻腔をくすぐった。柔軟剤だろうか。
いい匂いだと脳が認識する頃には、疲れが追い付いてきたのか体が鉛のように重くなる。
今日だけで、一体いくつの非日常が起きたんだろうか。
追いかけ回され、連れていかれそうになり、いつの間にか仙台に運ばれ、拾われ――
「――流石に、疲れた……」
呟いて、ごろんと寝返りを打つ。
俺が繰り返しの日常が好きな理由は、ストレスが少ないからだ。あるべきものがあるべき場所にある。あるべきでないものは無い。
違和感なく過ごせる日常が好き。朝起きて、準備をして、出勤して働いて、帰って、風呂に入って眠る。休日は会社の時間が掃除やら買い物に置き換わるだけ。それ以外は一週間全部一緒だ。
息苦しいとは思わない。むしろ楽だ。何たって、俺はそういう日常が好きなんだから。刺激なんていらない。そんなもの小さな『善行』で十分満ち足りる。
非日常が嫌い。あるべきものがあるべき場所に無いと落ち着かない。
別にガチガチにスケジュールを組んでるわけじゃないけど、日常の枠組みからあからさまに飛び出るのは嫌い。
だから四月は嫌い。就職してからは年を経て変わるものなんてあまり無いけど、学生の頃はクラスごと変わる上、スケジュールも一新されるから。四月は嫌い。
慣れるのは結構早いし、慣れるまで我慢もできるけど、それはそれとして嫌いなものは嫌い。落ち着かないから。
無意味に嫌いなことを並べ立てて、余計に体が怠くなった気がした。あーあ、止めればよかった。
意識が眠気に引っ張られていく。すんでのところで堪えて、ふらつきながらシャワーを浴びた。何度か寝落ちしかけて色々ぶつけたけど。
「ぅゔー……」
髪を乾かすのもなおざりにベッドに頽れると、とうに限界を迎えていた体は一瞬で眠りに誘われる。
意識が落ちる寸前視界に紛れ込んだ、はためく蝶々 。
なるほどなぁと納得する頃には、既に眠りに落ちていた。
・
目を開ける。
寝ぼけ眼でスマホを確認すると、まだ七時にもなっていなかった。どれだけ疲れていても睡眠時間は比例しないらしい。
ぼうっとまばたきを繰り返す俺の視界には、見覚えのない天井が広がっていた。
わあ、知らない天井だぁ――――知らない天井!?
とデジャブを感じながらも慌てて飛び起きるが、すぐに昨日のことを思い出し、疲れが取れきれていないこともあって再びベッドに吸い込まれた。
――昨日、虎杖くんとの晩餐が終わり、片付けも済んだ頃。再度「泊まっていかないか」と誘われた。
その言い様はもはや隠す気すらない寂しさと不安に溢れていて、それが少しだけ昔の自分に重なった。
だから、つい『代わり』を出してしまった。
俺の沽券に関わるため中学生の虎杖くんしか居ない家に泊まるのは遠慮させてもらったが、その代わりとして、翌日遊ぶ約束を取り付けてしまったのだ。
翌日――つまり今日。昨日と同じ、夕方から晩まで、『晩飯を食べさせてもらう』という名目でだ。
代案を出された虎杖くんは分かりやすくホッとしていた。聞くところによると受験シーズンが始まりかけている十月の今、友達に「寂しい」やら「構って」やら言うのは憚られたらしい。
中学三年の十月。複雑な時期に保護者の不在は辛い。金銭的にも精神的にも、色んな事が不安へと転がり落ちる。
それら様々な物事に対しての不安をそうやって抑えてる内に、積もり積もって気づかないまま、という塩梅だろう。
少しだけ一緒に話をした後、電話番号と、借りた服のクリーニング代・ご飯の材料代諸々を手渡して別れた。
虎杖くんは驚いていたが、趣味も特技もない俺が返せるものなんて金と臓器くらいしかないので許してほしい。
「……」
首を横に動かすと、サイドテーブルに置かれた黒色のキャップが視界に映る。これは虎杖くんが礼にとくれた物だ。
最初は黒づくめ対策に顔を隠しておきたくて、何か帽子を借りようと思って声をかけたのだが――、返ってきたのは「俺もうソレ使ってないから、あげる」という言葉とこのキャップだった。
硬直する俺にキャップを被せ、「やっぱ瑞雄に似合ってる!」と笑う虎杖くんの格好良さよ。止めてヤメテ、虎杖くんの女になってしまう。
……行き道にケーキ買って行こう。
ベッドに縫い付けられたままボーッと考える俺の視界を、毒々しい色の蝶が横切る。
人差し指を差し出すと、ひらひらと羽ばたいて俺の指先に止まった。できるだけ揺らさないように起き上がり、座ってよくよく蝶を見てみる。すると視線でも感じたのか、羽の目のような模様がギョロりと動いてこちらを見た。
「うわっ!」
きっ、キモい!!
手を払うと、蝶は驚いたのかどこかへ飛んでいってしまった。
それを途中まで眺めて、大きなため息を一つ。
俺が今居るここはラブホテルだ。
……いや、別にエッチなことをするためではない。選んだ理由は宿泊費が他と比べてはちゃめちゃに安かったからってだけで。
ただベッドも内装も安さの割に綺麗にしてあるし、(位置情報を使えない分余計に)到着するまでに時間はかかったけど、外観はそこまで寂れていなかった。
クレジットカードも意外なことに使えて、近くにコンビニもあって。値段と釣り合わないクオリティだなぁと思っていたが、昨晩眠りに落ちる前に納得した。
多分、あの毒々しい色をした蝶々が原因なのだろう。
確かに蝶が入ってくる部屋でヤリたがる奴は居ない。恐らくだが、あの蝶は白髪男が言っていたじゅ……、……何だっけ………えー、ジュテーム? なのだろう。
何たって昨日、俺を心配してくれて、最終的に白髪男に殺された化け物と同じ系統の気持ち悪さをしている。目っぽいのが複数個あるし。
……確かに、白髪男の言った「取り込まれる」は気になる。が、先も言ったようにその真偽を確かめる方法が俺には無い。まあ俺への対応的に、白髪男よりもジュテームの方に軍配は上がっているのだが……決定打とまでは行かない。
どちらにせよ、今は静観するしかないわけだ。
昨日下着やらを買いによったコンビニで、ついでに購入した菓子パンを開ける。
『バラのシフォンケーキ』とピンクのシールが貼られたそれは、開封した途端ふわりとバラの香りが広がった。名前負けなどではなかったらしい。
「おお~、ちゃんとしてる。」
俺が感嘆の息を漏らす横で、ひらひらと二匹 の蝶が舞っていた。……増えてる。
何コイツら……。
そう思いながらそっと場所を移動し食べ始めようとすると、二匹の蝶は揃って俺についてくる。
「……お前ら、もしかして食べたいの?」
答えの代わりに、蝶の羽の模様がギョロギョロと蠢いた。すごいキモいけど、食べたいということでいいんだろうか。
仕方がないのでそっとテーブルの端に欠片を置いてやれば、模様を気持ち悪く動かしながら二匹共々シフォンケーキの方へと飛んでいった。心なしか嬉しそうな気もする。
……どうやって食うのかは知らないけど、一生懸命と思えば……、かわい………かわ…、……うーん……。
――この時の俺はまだ知らなかった。
どこから見ても気持ち悪いジュテームが、俺に付いて来ようとして無駄に時間を食うことを。
ケーキ片手に向かった虎杖くんの家で、「もう小さくて着れないから」と大きめの上着をプレゼントされることを。嬉しさと申し訳なさと敗北感に打ちひしがれることを。
この時の俺はまだ、知らない。
・
「ん゙ー、おはよ」
挨拶と共にテーブルの端に『バラのシフォンケーキ』を置けば、隙あらば顔面に集ろうとする蝶々達 は嬉しそうにシフォンケーキへと群がっていった。
「キキキキケケケギッキキゲケキ」というよく分からない異音は発してるけど、見慣れればまあ可愛いものだ。
あれから六日が経った。
ラブホテルで寝起きし、小さなお土産を買って、虎杖くんと遊んで晩御飯を食べる。
そんな非日常がじわじわと日常に成り変わり始める頃だが、これを日常とするわけにはいかなかった。
いくら俺が繰り返しの日常を好むとはいえ、繰り返せれば何でも良いわけじゃない。何より、このまま自堕落に過ごすのは大人として頂けない。
とりあえずは一旦家に戻って、壊れた家具とか確認して……回収したいもの もあるし。あとは家をどうするかとか、特に追手は見てないけど黒づくめの奴らは今も俺を狙っているのかとか、色々と確かめなければいけないことが山ほどある。
……御託を並べたけど、実際のところ、一番の目的はとある物を回収することだ。
六日しか経ってないのに、わざわざ場所の割れている家へと戻るのは無謀だと分かってはいる。でも諦める理由にはならない。だってあれは、ばあちゃんの大切なものだから。
逆に言えば、それさえ叶えばもうしばらくは雲隠れしてみてもいい。どうせ部屋の更新一年後だし。趣味に使わない分金なら無駄に貯まっている。
あ、それと、会社に関してはもう考える必要はない。
六日前、宿泊場所を検索しようとスマホの電源を入れたと同時に、上司だった 人から電話が掛かってきた。
要約すると、やはり幾度首を捻っても『野々口 瑞雄』の記憶を思い出すことはできず、記憶が丸々存在しない以上、『同じ会社の仲間』として進むことはできないというのが会社としての結論。しかしどういうわけか書類上はきちんと社員として登録されており、その働きも記録として残っているので、それに合わせた退職金に手打ち金を含めた色をつけてお金を払う、ということになったとのこと。
翌日スマホで明細を確認してみれば、確かにそこそこの金額が振り込まれていた。正直謎の集団記憶喪失の解決法も分からないし、解雇されたとしても退職金は払われないと思っていたため、中々に驚いた。
俺の上司だった人は本当にいい人だったので、多分彼が頑張ってくれたのだろうと思う。記憶には無いけど書類上には居るとか、気味が悪かっただろうに。
――ただやっぱり辛いものは辛いので、集団記憶喪失の犯人(暫定)である黒づくめのヤツらは絶対許さん。小指踏んでやる。
ちなみに仙台を離れることはもう二日も前に虎杖くんに話している。
昨日はお菓子とジュースを買ってちょっとしたお別れパーティーをした。小さなプレゼントを渡しちゃったりもして、とっても楽しかった。
別れの際虎杖くんは寂しそうにはしていたが、少し余裕ができたのか初めて会ったときほどの危なっかしさはなかった。相変わらずの弾けるような笑顔だった。
どうかこれからは子供らしく沢山ワガママを言って、沢山幸せになってほしい。
「うしっ、帰ろ! じゃあな、ジュテーム」
虎杖くんに貰った黒のキャップとパーカーを羽織り、ショルダーバッグを肩にかける。
ひらひらと部屋を舞うジュテーム達に手を振って、新しい門出に向け強い意志を持って扉を開けた。
「やあ」
扉を閉めた。
何だか見たことのある展開だが、とりあえずちょっと待ってほしい。
お坊さんが居た。いや坊主頭じゃなかったしお坊さんじゃないと思うんだけど。
とにかくお坊さん (仮)が居た。
おかしい。
今日はばあちゃんの命日でも親父や母ちゃんの命日でもない。ていうかそもそも俺の家はそこまで信心深くないから命日にお坊さんとか呼ばない。申し訳ないけど。
――そもそも、ここはラブホテルだ。
ラブホテルに聖職者 (仮)が入るのっていいのか? アリなのか?
いや待て待て待て、ラブホテルは『ラブホテル』と言う名称ではあるものの普通に宿泊地としては結構お得だし、最近はラブホ女子会なるものも流行っていると聞く。実際俺もエッチ関連が目的でここに宿泊しているわけではない。偏見でものを言うのはあまりよくないぞ俺。
そうだ、きっと部屋を間違えたんだ。そうに違いない。
うんうんと頷きながら、間違いを伝えるため扉のドアノブに手を掛けた。
以前とは違い向こうから開けられることはなく、扉の向こう側に居たお坊さん (仮)は先程と全く変わらない音程で「やあ」と言った。
「……、部屋を間違えてますよ」
「間違えてないよ」
「……」
「……」
「……」
「野々口 瑞雄く」
お坊さん (仮)の言葉を聞くが早いか、勢いよく扉を閉めようとする。だが、それはお坊さん (仮)の手によって遮られた。片手だというのに、両手でドアノブを引っ張る俺に競り勝ちじわじわと扉が開いていく。力強くない?
「酷いな、話も聞かずに閉めようとするなんて。」
「ぅわっ!?」
ぐんっと扉を無理矢理引かれ、お坊さん (仮)の方に倒れ込む前にたたらを踏んでドアノブから手を離す。扉の主導権は完全にお坊さん (仮)に取られてしまった。
……どうしよう。
ショルダーバッグを強く握って、逃げ道を探す。出入り口はお坊さん (仮)で塞がれてる。前回のように窓から逃げようにもここは六階。絶対無理。
そもそもこの人は誰なのか。もしかして黒づくめの人達の仲間? 確かに色合いで言えば圧倒的に黒が占めてるし変な格好をしている。その説は濃厚かもしれない。
「さて、君は野々口 瑞雄君で合ってるかな?」
「……ち、違いま、」
「あれ? おかしいな。確かに君のものだと思うんだけれど……」
苦し紛れの嘘を遮って、お坊さん (仮)は懐から見覚えのある写真立てを取り出した。
「えっ? あっ、あーーーっ!! それ!!!」
写真立ての中で、ばあちゃんと俺と、母ちゃんと親父が笑っている。俗に言う、家族写真。
「君のだろう?」
「はい! 俺の、俺のばあちゃんのです!!」
目をキラキラさせて正直に答えると、お坊さん (仮)は優しく笑って手渡してくれた。
――い、いい人だぁ!!
何で名前知ってんのか分かんないけど、何で持ってるのかも分かんないけど、でもわざわざ俺に渡しに来てくれたんだもん、絶対いい人だ!! 好き!!
受け取った写真立てをギュッと抱き締める。先程も言ったようにこれは俺のものではない、ばあちゃんのものだ。逃げることに必死で、家に残すことになってしまっていた、ばあちゃんの宝物。
両掌に収まるサイズの写真立てには、傷一つ残っていない。いそいそと写真立てをショルダーバッグの中へと仕舞い込む。あまりの嬉しさに胸がふわふわした。
ああ、本当によかった。俺の大切なものは全部俺の中にあるけど、この写真立てはばあちゃんの大切なものだから、そうもいかない。
「あの、先程はすみませんでした。ありがとうございます!!」
勢いよく礼をすると、お坊さん (いい人)は「いいよ」と慈しみ溢れる微笑みで返してくれた。
ああ、俺はこんないい人に向かってなんてことを! そうだ、何かお礼を――。
そう思ったのも束の間、部屋に「ギギッキケケギギ」という異音が鳴り響く。
振り返ってみると、何匹も居た筈の小さな蝶が、大きな一匹の蝶になっていた。しかも何やら怒っているらしく、「お前そんなことできたんだ……」と現実逃避する暇はない。
「ギゲゲゲゲゲゲッギギ」
合体した蝶は大きな異音を立てながら、羽でぶわりと風を起こした。羽の模様は忙しなくギョロギョロと蠢き、蝶の複眼はギラギラと殺気立ってお坊さん (いい人)を射抜いていた。ふわふわとした心地良さがひゅっと冷める。
な、何で!? 確かにお坊さん (いい人)は見た目怪しいし、扉無理矢理開けてきたし、何か色々分かんないけど、でもいい人だよ!!
「お、落ち着け! 大丈夫だから、この、えー、」
「夏油だよ」
「夏油さん! いい人だから、ダイジョウブ!!」
大きくなった蝶の前で、わたわたと身振り手振りで伝える。そうするとどうにか伝わったのか、合体した蝶はゆるゆると分裂して元に戻っていった。
「よしよし、偉いなぁお前ら。ビックリしちゃったのか? かわいいなぁ」
「キキケキキキッ」
「ん~? 仕方ないなぁ、俺のおやつにするつもりだったクッキーをあげよう。だから俺の顔に集るのは止めような」
テーブルの端に置くと蝶々達は一斉にクッキーに群がった。ふっ、可愛いヤツらめ……。
「……これは君のペット?」
「いえ、ここに住み着いてた蝶々……ジュテームです。いいヤツらですよ!」
「……ジュ…、………そう」
「お騒がせしてしまってすみません。改めまして、俺、野々口 瑞雄です」
ペコリと再びお辞儀をする。
夏油さんは「知ってるけどね」と相変わらずニコニコしていた。
「私は夏油傑、よろしくね」
「はい! よろしくお願いします!」
自己紹介をしただけだと言うのに夏油さんは何故だか嬉しそうだった。
それを見ていると何故だか嬉しくて、つられて俺も笑ってしまった。
・
次回予告!
夏油傑に会って数分でデレデレな瑞雄!!
でも気を付けて、その男は作中で白髪男と同等に扱われるレベルのクズ!!
どうか警戒心を思い出して!!
次回、「『いい人』判定の前では全てが無力」
お楽しみに!
⭐瑞雄´s 心
心がウサギちゃん故に常に継続ダメージを受けているが、同時進行でHP回復もしているためわりと強め。
しかし最近は理解不能な現象に対してのストレスでダメージ量が回復量を上回っており、情緒不安定気味。
どさっと音を立ててベッドになだれ込むと、安さの割に花の香りが鼻腔をくすぐった。柔軟剤だろうか。
いい匂いだと脳が認識する頃には、疲れが追い付いてきたのか体が鉛のように重くなる。
今日だけで、一体いくつの非日常が起きたんだろうか。
追いかけ回され、連れていかれそうになり、いつの間にか仙台に運ばれ、拾われ――
「――流石に、疲れた……」
呟いて、ごろんと寝返りを打つ。
俺が繰り返しの日常が好きな理由は、ストレスが少ないからだ。あるべきものがあるべき場所にある。あるべきでないものは無い。
違和感なく過ごせる日常が好き。朝起きて、準備をして、出勤して働いて、帰って、風呂に入って眠る。休日は会社の時間が掃除やら買い物に置き換わるだけ。それ以外は一週間全部一緒だ。
息苦しいとは思わない。むしろ楽だ。何たって、俺はそういう日常が好きなんだから。刺激なんていらない。そんなもの小さな『善行』で十分満ち足りる。
非日常が嫌い。あるべきものがあるべき場所に無いと落ち着かない。
別にガチガチにスケジュールを組んでるわけじゃないけど、日常の枠組みからあからさまに飛び出るのは嫌い。
だから四月は嫌い。就職してからは年を経て変わるものなんてあまり無いけど、学生の頃はクラスごと変わる上、スケジュールも一新されるから。四月は嫌い。
慣れるのは結構早いし、慣れるまで我慢もできるけど、それはそれとして嫌いなものは嫌い。落ち着かないから。
無意味に嫌いなことを並べ立てて、余計に体が怠くなった気がした。あーあ、止めればよかった。
意識が眠気に引っ張られていく。すんでのところで堪えて、ふらつきながらシャワーを浴びた。何度か寝落ちしかけて色々ぶつけたけど。
「ぅゔー……」
髪を乾かすのもなおざりにベッドに頽れると、とうに限界を迎えていた体は一瞬で眠りに誘われる。
意識が落ちる寸前視界に紛れ込んだ、はためく
なるほどなぁと納得する頃には、既に眠りに落ちていた。
・
目を開ける。
寝ぼけ眼でスマホを確認すると、まだ七時にもなっていなかった。どれだけ疲れていても睡眠時間は比例しないらしい。
ぼうっとまばたきを繰り返す俺の視界には、見覚えのない天井が広がっていた。
わあ、知らない天井だぁ――――知らない天井!?
とデジャブを感じながらも慌てて飛び起きるが、すぐに昨日のことを思い出し、疲れが取れきれていないこともあって再びベッドに吸い込まれた。
――昨日、虎杖くんとの晩餐が終わり、片付けも済んだ頃。再度「泊まっていかないか」と誘われた。
その言い様はもはや隠す気すらない寂しさと不安に溢れていて、それが少しだけ昔の自分に重なった。
だから、つい『代わり』を出してしまった。
俺の沽券に関わるため中学生の虎杖くんしか居ない家に泊まるのは遠慮させてもらったが、その代わりとして、翌日遊ぶ約束を取り付けてしまったのだ。
翌日――つまり今日。昨日と同じ、夕方から晩まで、『晩飯を食べさせてもらう』という名目でだ。
代案を出された虎杖くんは分かりやすくホッとしていた。聞くところによると受験シーズンが始まりかけている十月の今、友達に「寂しい」やら「構って」やら言うのは憚られたらしい。
中学三年の十月。複雑な時期に保護者の不在は辛い。金銭的にも精神的にも、色んな事が不安へと転がり落ちる。
それら様々な物事に対しての不安をそうやって抑えてる内に、積もり積もって気づかないまま、という塩梅だろう。
少しだけ一緒に話をした後、電話番号と、借りた服のクリーニング代・ご飯の材料代諸々を手渡して別れた。
虎杖くんは驚いていたが、趣味も特技もない俺が返せるものなんて金と臓器くらいしかないので許してほしい。
「……」
首を横に動かすと、サイドテーブルに置かれた黒色のキャップが視界に映る。これは虎杖くんが礼にとくれた物だ。
最初は黒づくめ対策に顔を隠しておきたくて、何か帽子を借りようと思って声をかけたのだが――、返ってきたのは「俺もうソレ使ってないから、あげる」という言葉とこのキャップだった。
硬直する俺にキャップを被せ、「やっぱ瑞雄に似合ってる!」と笑う虎杖くんの格好良さよ。止めてヤメテ、虎杖くんの女になってしまう。
……行き道にケーキ買って行こう。
ベッドに縫い付けられたままボーッと考える俺の視界を、毒々しい色の蝶が横切る。
人差し指を差し出すと、ひらひらと羽ばたいて俺の指先に止まった。できるだけ揺らさないように起き上がり、座ってよくよく蝶を見てみる。すると視線でも感じたのか、羽の目のような模様がギョロりと動いてこちらを見た。
「うわっ!」
きっ、キモい!!
手を払うと、蝶は驚いたのかどこかへ飛んでいってしまった。
それを途中まで眺めて、大きなため息を一つ。
俺が今居るここはラブホテルだ。
……いや、別にエッチなことをするためではない。選んだ理由は宿泊費が他と比べてはちゃめちゃに安かったからってだけで。
ただベッドも内装も安さの割に綺麗にしてあるし、(位置情報を使えない分余計に)到着するまでに時間はかかったけど、外観はそこまで寂れていなかった。
クレジットカードも意外なことに使えて、近くにコンビニもあって。値段と釣り合わないクオリティだなぁと思っていたが、昨晩眠りに落ちる前に納得した。
多分、あの毒々しい色をした蝶々が原因なのだろう。
確かに蝶が入ってくる部屋でヤリたがる奴は居ない。恐らくだが、あの蝶は白髪男が言っていたじゅ……、……何だっけ………えー、ジュテーム? なのだろう。
何たって昨日、俺を心配してくれて、最終的に白髪男に殺された化け物と同じ系統の気持ち悪さをしている。目っぽいのが複数個あるし。
……確かに、白髪男の言った「取り込まれる」は気になる。が、先も言ったようにその真偽を確かめる方法が俺には無い。まあ俺への対応的に、白髪男よりもジュテームの方に軍配は上がっているのだが……決定打とまでは行かない。
どちらにせよ、今は静観するしかないわけだ。
昨日下着やらを買いによったコンビニで、ついでに購入した菓子パンを開ける。
『バラのシフォンケーキ』とピンクのシールが貼られたそれは、開封した途端ふわりとバラの香りが広がった。名前負けなどではなかったらしい。
「おお~、ちゃんとしてる。」
俺が感嘆の息を漏らす横で、ひらひらと
何コイツら……。
そう思いながらそっと場所を移動し食べ始めようとすると、二匹の蝶は揃って俺についてくる。
「……お前ら、もしかして食べたいの?」
答えの代わりに、蝶の羽の模様がギョロギョロと蠢いた。すごいキモいけど、食べたいということでいいんだろうか。
仕方がないのでそっとテーブルの端に欠片を置いてやれば、模様を気持ち悪く動かしながら二匹共々シフォンケーキの方へと飛んでいった。心なしか嬉しそうな気もする。
……どうやって食うのかは知らないけど、一生懸命と思えば……、かわい………かわ…、……うーん……。
――この時の俺はまだ知らなかった。
どこから見ても気持ち悪いジュテームが、俺に付いて来ようとして無駄に時間を食うことを。
ケーキ片手に向かった虎杖くんの家で、「もう小さくて着れないから」と大きめの上着をプレゼントされることを。嬉しさと申し訳なさと敗北感に打ちひしがれることを。
この時の俺はまだ、知らない。
・
「ん゙ー、おはよ」
挨拶と共にテーブルの端に『バラのシフォンケーキ』を置けば、隙あらば顔面に集ろうとする蝶々
「キキキキケケケギッキキゲケキ」というよく分からない異音は発してるけど、見慣れればまあ可愛いものだ。
あれから六日が経った。
ラブホテルで寝起きし、小さなお土産を買って、虎杖くんと遊んで晩御飯を食べる。
そんな非日常がじわじわと日常に成り変わり始める頃だが、これを日常とするわけにはいかなかった。
いくら俺が繰り返しの日常を好むとはいえ、繰り返せれば何でも良いわけじゃない。何より、このまま自堕落に過ごすのは大人として頂けない。
とりあえずは一旦家に戻って、壊れた家具とか確認して……
……御託を並べたけど、実際のところ、一番の目的はとある物を回収することだ。
六日しか経ってないのに、わざわざ場所の割れている家へと戻るのは無謀だと分かってはいる。でも諦める理由にはならない。だってあれは、ばあちゃんの大切なものだから。
逆に言えば、それさえ叶えばもうしばらくは雲隠れしてみてもいい。どうせ部屋の更新一年後だし。趣味に使わない分金なら無駄に貯まっている。
あ、それと、会社に関してはもう考える必要はない。
六日前、宿泊場所を検索しようとスマホの電源を入れたと同時に、上司
要約すると、やはり幾度首を捻っても『野々口 瑞雄』の記憶を思い出すことはできず、記憶が丸々存在しない以上、『同じ会社の仲間』として進むことはできないというのが会社としての結論。しかしどういうわけか書類上はきちんと社員として登録されており、その働きも記録として残っているので、それに合わせた退職金に手打ち金を含めた色をつけてお金を払う、ということになったとのこと。
翌日スマホで明細を確認してみれば、確かにそこそこの金額が振り込まれていた。正直謎の集団記憶喪失の解決法も分からないし、解雇されたとしても退職金は払われないと思っていたため、中々に驚いた。
俺の上司だった人は本当にいい人だったので、多分彼が頑張ってくれたのだろうと思う。記憶には無いけど書類上には居るとか、気味が悪かっただろうに。
――ただやっぱり辛いものは辛いので、集団記憶喪失の犯人(暫定)である黒づくめのヤツらは絶対許さん。小指踏んでやる。
ちなみに仙台を離れることはもう二日も前に虎杖くんに話している。
昨日はお菓子とジュースを買ってちょっとしたお別れパーティーをした。小さなプレゼントを渡しちゃったりもして、とっても楽しかった。
別れの際虎杖くんは寂しそうにはしていたが、少し余裕ができたのか初めて会ったときほどの危なっかしさはなかった。相変わらずの弾けるような笑顔だった。
どうかこれからは子供らしく沢山ワガママを言って、沢山幸せになってほしい。
「うしっ、帰ろ! じゃあな、ジュテーム」
虎杖くんに貰った黒のキャップとパーカーを羽織り、ショルダーバッグを肩にかける。
ひらひらと部屋を舞うジュテーム達に手を振って、新しい門出に向け強い意志を持って扉を開けた。
「やあ」
扉を閉めた。
何だか見たことのある展開だが、とりあえずちょっと待ってほしい。
お坊さんが居た。いや坊主頭じゃなかったしお坊さんじゃないと思うんだけど。
とにかくお坊さん (仮)が居た。
おかしい。
今日はばあちゃんの命日でも親父や母ちゃんの命日でもない。ていうかそもそも俺の家はそこまで信心深くないから命日にお坊さんとか呼ばない。申し訳ないけど。
――そもそも、ここはラブホテルだ。
ラブホテルに聖職者 (仮)が入るのっていいのか? アリなのか?
いや待て待て待て、ラブホテルは『ラブホテル』と言う名称ではあるものの普通に宿泊地としては結構お得だし、最近はラブホ女子会なるものも流行っていると聞く。実際俺もエッチ関連が目的でここに宿泊しているわけではない。偏見でものを言うのはあまりよくないぞ俺。
そうだ、きっと部屋を間違えたんだ。そうに違いない。
うんうんと頷きながら、間違いを伝えるため扉のドアノブに手を掛けた。
以前とは違い向こうから開けられることはなく、扉の向こう側に居たお坊さん (仮)は先程と全く変わらない音程で「やあ」と言った。
「……、部屋を間違えてますよ」
「間違えてないよ」
「……」
「……」
「……」
「野々口 瑞雄く」
お坊さん (仮)の言葉を聞くが早いか、勢いよく扉を閉めようとする。だが、それはお坊さん (仮)の手によって遮られた。片手だというのに、両手でドアノブを引っ張る俺に競り勝ちじわじわと扉が開いていく。力強くない?
「酷いな、話も聞かずに閉めようとするなんて。」
「ぅわっ!?」
ぐんっと扉を無理矢理引かれ、お坊さん (仮)の方に倒れ込む前にたたらを踏んでドアノブから手を離す。扉の主導権は完全にお坊さん (仮)に取られてしまった。
……どうしよう。
ショルダーバッグを強く握って、逃げ道を探す。出入り口はお坊さん (仮)で塞がれてる。前回のように窓から逃げようにもここは六階。絶対無理。
そもそもこの人は誰なのか。もしかして黒づくめの人達の仲間? 確かに色合いで言えば圧倒的に黒が占めてるし変な格好をしている。その説は濃厚かもしれない。
「さて、君は野々口 瑞雄君で合ってるかな?」
「……ち、違いま、」
「あれ? おかしいな。確かに君のものだと思うんだけれど……」
苦し紛れの嘘を遮って、お坊さん (仮)は懐から見覚えのある写真立てを取り出した。
「えっ? あっ、あーーーっ!! それ!!!」
写真立ての中で、ばあちゃんと俺と、母ちゃんと親父が笑っている。俗に言う、家族写真。
「君のだろう?」
「はい! 俺の、俺のばあちゃんのです!!」
目をキラキラさせて正直に答えると、お坊さん (仮)は優しく笑って手渡してくれた。
――い、いい人だぁ!!
何で名前知ってんのか分かんないけど、何で持ってるのかも分かんないけど、でもわざわざ俺に渡しに来てくれたんだもん、絶対いい人だ!! 好き!!
受け取った写真立てをギュッと抱き締める。先程も言ったようにこれは俺のものではない、ばあちゃんのものだ。逃げることに必死で、家に残すことになってしまっていた、ばあちゃんの宝物。
両掌に収まるサイズの写真立てには、傷一つ残っていない。いそいそと写真立てをショルダーバッグの中へと仕舞い込む。あまりの嬉しさに胸がふわふわした。
ああ、本当によかった。俺の大切なものは全部俺の中にあるけど、この写真立てはばあちゃんの大切なものだから、そうもいかない。
「あの、先程はすみませんでした。ありがとうございます!!」
勢いよく礼をすると、お坊さん (いい人)は「いいよ」と慈しみ溢れる微笑みで返してくれた。
ああ、俺はこんないい人に向かってなんてことを! そうだ、何かお礼を――。
そう思ったのも束の間、部屋に「ギギッキケケギギ」という異音が鳴り響く。
振り返ってみると、何匹も居た筈の小さな蝶が、大きな一匹の蝶になっていた。しかも何やら怒っているらしく、「お前そんなことできたんだ……」と現実逃避する暇はない。
「ギゲゲゲゲゲゲッギギ」
合体した蝶は大きな異音を立てながら、羽でぶわりと風を起こした。羽の模様は忙しなくギョロギョロと蠢き、蝶の複眼はギラギラと殺気立ってお坊さん (いい人)を射抜いていた。ふわふわとした心地良さがひゅっと冷める。
な、何で!? 確かにお坊さん (いい人)は見た目怪しいし、扉無理矢理開けてきたし、何か色々分かんないけど、でもいい人だよ!!
「お、落ち着け! 大丈夫だから、この、えー、」
「夏油だよ」
「夏油さん! いい人だから、ダイジョウブ!!」
大きくなった蝶の前で、わたわたと身振り手振りで伝える。そうするとどうにか伝わったのか、合体した蝶はゆるゆると分裂して元に戻っていった。
「よしよし、偉いなぁお前ら。ビックリしちゃったのか? かわいいなぁ」
「キキケキキキッ」
「ん~? 仕方ないなぁ、俺のおやつにするつもりだったクッキーをあげよう。だから俺の顔に集るのは止めような」
テーブルの端に置くと蝶々達は一斉にクッキーに群がった。ふっ、可愛いヤツらめ……。
「……これは君のペット?」
「いえ、ここに住み着いてた蝶々……ジュテームです。いいヤツらですよ!」
「……ジュ…、………そう」
「お騒がせしてしまってすみません。改めまして、俺、野々口 瑞雄です」
ペコリと再びお辞儀をする。
夏油さんは「知ってるけどね」と相変わらずニコニコしていた。
「私は夏油傑、よろしくね」
「はい! よろしくお願いします!」
自己紹介をしただけだと言うのに夏油さんは何故だか嬉しそうだった。
それを見ていると何故だか嬉しくて、つられて俺も笑ってしまった。
・
次回予告!
夏油傑に会って数分でデレデレな瑞雄!!
でも気を付けて、その男は作中で白髪男と同等に扱われるレベルのクズ!!
どうか警戒心を思い出して!!
次回、「『いい人』判定の前では全てが無力」
お楽しみに!
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