アーサー・カークランド(英)
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その日の夜、ナマエは早々に悟っていた。
――これは、まずい。
原因はテーブルの上にある。空になったボトルが三つ。隣には、途中まで食べられた料理が置かれている。そして、その横で真っ赤な顔をしているアーサー。ナマエは、自分の目の前で起きている惨状を、しばらく理解できずにいた。
椅子に座っているアーサーが、真っ赤な顔でこちらを見つめていた。
「……なあ」
「はい」
とても嫌な予感がする。アーサーは元々酒癖が悪いが、特にこういう悪酔いをしている時は大変に面倒なのだ。それに、大概ろくでもないことを考え、無茶苦茶な要求をしてくるのだ。
「お前、」
「嫌です」
「まだ何も言ってないだろ!」
アーサーが言い切る前にナマエが発言を遮ると、アーサーは不満そうに眉を寄せた。しかし、酔っているせいなのか、怒っているというより拗ねているようにしか見えない。身体も精神もとっくに大の大人のはずだが、その姿は子供にしか見えない。
「……ちょっとこっちこい、何もしないから」
こうやって、酔ったアーサーが何もしないと言う時は大抵何かしてくると相場が決まっている。
「その言い方の時点で嫌な予感しかしません」
「失礼だな!……いいからこい」
アーサーは勢いよく立ち上がった。――そして、ふらついた。
「おっと」
「危ない!」
ナマエが慌てて腕を掴む。アーサーはそのままナマエの肩に手を置き、顔を近づけようとした。
「……おい」
「はい?」
アーサーはおもむろにナマエの顔をまじまじと見詰め、ほぅと息をつく。
「お前、今日なんか可愛いな」
「酔ってますね」
「酔ってない」
あまり呂律の回っていない様子で言い張るが、全く信ぴょう性のない状態である。ナマエは呆れたようにため息をついた。
「その台詞を言う人はだいたい酔ってます」
「違う。俺は冷静だ」
アーサーは真剣な顔で言い切った。そして、そのままナマエへ妙に距離を詰める。
「……近いです」
「そうか?」
わかりやすく頭に疑問符を浮かべながら、尚も詰め寄るアーサー。ナマエはじりじりと後退するが、壁まであまり距離はない。アーサーはそれをいいことに、追い詰めるように迫ってくる。
「近いです」
「そうか……」
さらに一歩。
「近い!」
ナマエが両手で額を押し返す。酔って足元がおぼつかないアーサーは、フラフラと後ろへよろける。さっきまでほとんどゼロ距離だった二人の距離が、少し離れる。
「お前、押すなよ!」
「酔っ払いが変なことしようとするからでしょう!」
「変なことじゃねえ!」
「じゃあ何するつもりだったんですか」
「……」
アーサーが黙る。
「……」
「……」
二人の間に妙な沈黙が走る。この沈黙こそがアーサーの浅はかな考えを物語っていた。その静寂を察して、ナマエが口を開く。
「……言えないんですか?」
「うるさい!」
酔って赤くなっていたアーサーの顔が更に赤くなる。少しの間を置いて、アーサーが息を整え、意を決したようにナマエを見詰めた。
「……なあ」
「はい」
「お前、俺のこと好きか?」
「はいはいスキスキスキヨー」
「適当に答えるな!」
突然、アーサーがテーブルをばん、と叩いた。ナマエは肩を跳ねさせる。しかし当の本人は、怒っているというより、今にも泣きそうな顔をしている。
「俺はなぁ……!」
アーサーは勢いよく立ち上がった。ところが、再び足元がふらつく。
「うわ」
「危ない!」
慌てて支えると、アーサーはそのままナマエへ体重を預けた。ナマエはその重みに耐えきれず、アーサーに押し倒されるようにして床へ倒れ込む。
「……お前、優しいな」
「酔ってます?」
「酔ってない」
「完全に酔ってますよ」
「酔ってない!」
本人は断固として否定する。しかし、言葉とは裏腹にナマエへ、のしかかったまま、動こうとしない。アーサーはナマエを見下ろしながら、語りかける。
「……なあ」
「何ですか」
「今日は俺のことだけ見てろ」
「無理です」
「なんでだよ!」
アーサーが本気で悲しそうな顔をした。まるで捨てられた子犬のような顔をしている。
「俺より大事なものなんかあるのか?」
「ありますよ」
「……うわああああ!」
至近距離での突然の絶叫。ナマエは思わず耳を塞いだ。
「俺より大事なものがあるんだぁ!」
「そりゃ当然ありますから! とりあえずどいて!座ってください!」
「嫌だ!」
「子供ですか!」
「俺は大人だ!」
言い切った直後、アーサーはようやく立ち上がり、ふらつきながらも再び椅子に座り込んだ。ナマエは深いため息をついた。
普段のアーサーなら、こんな醜態は絶対に見せない。紅茶を淹れる手つきも、料理をする姿も、何かにつけて妙に格好をつけたがるところも、いつもの彼らしい。だからこそ、今の姿はひどかった。
「……水、飲みます?」
「いらない」
ぎゅっと目を閉じながら、ふるふると首を左右にふった。ナマエは机の上にあったミネラルウォーターのペットボトルからグラスに注ぎ、アーサーに差し出す。
「飲んでください」
「お前が飲ませてくれるなら飲む」
「自分で飲めますよね?」
「飲める」
「じゃあ自分でどうぞ」
「……冷たい」
また泣きそうな顔になる。
「俺がこんなに頼んでるのに……」
「はいはい。ほら、水です」
グラスを渡す。アーサーはそれを両手で受け取ると、しばらく眺めた。
「……」
「飲まないんですか?」
「お前がちゃんと見てるか確認してる」
「何を確認してるんですか」
「俺が飲むところ」
「見てますから、早くしてください」
「分かった」
ようやく水を飲む。多量に酒を飲んでいたせいか、暴れ回ったせいか、いらないと言っていた割にはスルスルとグラスの中の水が喉を通っている。ところが、グラスの中の水を飲みきらないうちにアーサーがふと顔を上げた。
「……なあ」
「今度は何ですか」
「褒めろ」
「はい?」
「ちゃんと水飲んだだろ」
あまりにも真剣な顔で言うので、ナマエは数秒黙った。そして椅子に座るアーサーの前にしゃがみこみ、頭に手を乗せてゆるゆると撫でる。
「……えらいえらい」
「子供扱いするな!」
要求通りにしたのにもかかわらず、アーサーは怒った。けれど、その直後には満足そうな顔をしている。
「……もう一回」
「えらいですね」
「へへ……」
完全に機嫌が直った。ナマエは呆れながらも、空いたボトルや散乱している皿を片付けようとする。すると、袖を掴まれた。
「どこ行くんだよ」
「片付けです」
「行くな」
「すぐ戻ります」
「嫌だ」
アーサーは袖を掴んだまま、頑として離さない。
「……今日は一人にしないでくれ」
さっきまでの騒がしさが嘘のように、声が小さくなる。ナマエが振り返る。アーサーは俯いていた。酔っているせいで感情の振れ幅がひどい。怒ったかと思えば泣き、泣いたかと思えば笑う。けれど、その手だけは離れなかった。
「……分かりました」
ナマエが隣に座る。それだけで、アーサーは安心したように肩の力を抜いた。
「……よかった」
「もう寝たほうがいいですよ」
「うん……」
「立てます?」
「たぶん」
「たぶん?」
「……無理かもしれない」
「でしょうね」
ナマエが苦笑する。アーサーはそんなナマエを見上げて、少しだけ笑った。
「……明日、今日のこと忘れてくれ」
「無理です」
「即答するな!」
最後まで騒がしい。それでもナマエに支えられながら寝室へ向かう途中、アーサーは何度も振り返った。まるで、本当にそこにいることを確かめるように。そしてベッドへ入ったあとも、しばらくナマエの袖を掴んだままだった。
「……おやすみ」
「おやすみなさい」
「……明日は絶対、普通にするからな」
「はいはい」
「絶対だからな……」
そう念を押した数秒後。アーサーは、あっという間に眠りへ落ちた。ナマエはその寝顔を眺めながら、小さく息を吐く。
「……明日、覚えてないんだろうなあ」
返事はない。ただ、眠ったアーサーの手だけが、最後までナマエの袖を離さなかった。
――これは、まずい。
原因はテーブルの上にある。空になったボトルが三つ。隣には、途中まで食べられた料理が置かれている。そして、その横で真っ赤な顔をしているアーサー。ナマエは、自分の目の前で起きている惨状を、しばらく理解できずにいた。
椅子に座っているアーサーが、真っ赤な顔でこちらを見つめていた。
「……なあ」
「はい」
とても嫌な予感がする。アーサーは元々酒癖が悪いが、特にこういう悪酔いをしている時は大変に面倒なのだ。それに、大概ろくでもないことを考え、無茶苦茶な要求をしてくるのだ。
「お前、」
「嫌です」
「まだ何も言ってないだろ!」
アーサーが言い切る前にナマエが発言を遮ると、アーサーは不満そうに眉を寄せた。しかし、酔っているせいなのか、怒っているというより拗ねているようにしか見えない。身体も精神もとっくに大の大人のはずだが、その姿は子供にしか見えない。
「……ちょっとこっちこい、何もしないから」
こうやって、酔ったアーサーが何もしないと言う時は大抵何かしてくると相場が決まっている。
「その言い方の時点で嫌な予感しかしません」
「失礼だな!……いいからこい」
アーサーは勢いよく立ち上がった。――そして、ふらついた。
「おっと」
「危ない!」
ナマエが慌てて腕を掴む。アーサーはそのままナマエの肩に手を置き、顔を近づけようとした。
「……おい」
「はい?」
アーサーはおもむろにナマエの顔をまじまじと見詰め、ほぅと息をつく。
「お前、今日なんか可愛いな」
「酔ってますね」
「酔ってない」
あまり呂律の回っていない様子で言い張るが、全く信ぴょう性のない状態である。ナマエは呆れたようにため息をついた。
「その台詞を言う人はだいたい酔ってます」
「違う。俺は冷静だ」
アーサーは真剣な顔で言い切った。そして、そのままナマエへ妙に距離を詰める。
「……近いです」
「そうか?」
わかりやすく頭に疑問符を浮かべながら、尚も詰め寄るアーサー。ナマエはじりじりと後退するが、壁まであまり距離はない。アーサーはそれをいいことに、追い詰めるように迫ってくる。
「近いです」
「そうか……」
さらに一歩。
「近い!」
ナマエが両手で額を押し返す。酔って足元がおぼつかないアーサーは、フラフラと後ろへよろける。さっきまでほとんどゼロ距離だった二人の距離が、少し離れる。
「お前、押すなよ!」
「酔っ払いが変なことしようとするからでしょう!」
「変なことじゃねえ!」
「じゃあ何するつもりだったんですか」
「……」
アーサーが黙る。
「……」
「……」
二人の間に妙な沈黙が走る。この沈黙こそがアーサーの浅はかな考えを物語っていた。その静寂を察して、ナマエが口を開く。
「……言えないんですか?」
「うるさい!」
酔って赤くなっていたアーサーの顔が更に赤くなる。少しの間を置いて、アーサーが息を整え、意を決したようにナマエを見詰めた。
「……なあ」
「はい」
「お前、俺のこと好きか?」
「はいはいスキスキスキヨー」
「適当に答えるな!」
突然、アーサーがテーブルをばん、と叩いた。ナマエは肩を跳ねさせる。しかし当の本人は、怒っているというより、今にも泣きそうな顔をしている。
「俺はなぁ……!」
アーサーは勢いよく立ち上がった。ところが、再び足元がふらつく。
「うわ」
「危ない!」
慌てて支えると、アーサーはそのままナマエへ体重を預けた。ナマエはその重みに耐えきれず、アーサーに押し倒されるようにして床へ倒れ込む。
「……お前、優しいな」
「酔ってます?」
「酔ってない」
「完全に酔ってますよ」
「酔ってない!」
本人は断固として否定する。しかし、言葉とは裏腹にナマエへ、のしかかったまま、動こうとしない。アーサーはナマエを見下ろしながら、語りかける。
「……なあ」
「何ですか」
「今日は俺のことだけ見てろ」
「無理です」
「なんでだよ!」
アーサーが本気で悲しそうな顔をした。まるで捨てられた子犬のような顔をしている。
「俺より大事なものなんかあるのか?」
「ありますよ」
「……うわああああ!」
至近距離での突然の絶叫。ナマエは思わず耳を塞いだ。
「俺より大事なものがあるんだぁ!」
「そりゃ当然ありますから! とりあえずどいて!座ってください!」
「嫌だ!」
「子供ですか!」
「俺は大人だ!」
言い切った直後、アーサーはようやく立ち上がり、ふらつきながらも再び椅子に座り込んだ。ナマエは深いため息をついた。
普段のアーサーなら、こんな醜態は絶対に見せない。紅茶を淹れる手つきも、料理をする姿も、何かにつけて妙に格好をつけたがるところも、いつもの彼らしい。だからこそ、今の姿はひどかった。
「……水、飲みます?」
「いらない」
ぎゅっと目を閉じながら、ふるふると首を左右にふった。ナマエは机の上にあったミネラルウォーターのペットボトルからグラスに注ぎ、アーサーに差し出す。
「飲んでください」
「お前が飲ませてくれるなら飲む」
「自分で飲めますよね?」
「飲める」
「じゃあ自分でどうぞ」
「……冷たい」
また泣きそうな顔になる。
「俺がこんなに頼んでるのに……」
「はいはい。ほら、水です」
グラスを渡す。アーサーはそれを両手で受け取ると、しばらく眺めた。
「……」
「飲まないんですか?」
「お前がちゃんと見てるか確認してる」
「何を確認してるんですか」
「俺が飲むところ」
「見てますから、早くしてください」
「分かった」
ようやく水を飲む。多量に酒を飲んでいたせいか、暴れ回ったせいか、いらないと言っていた割にはスルスルとグラスの中の水が喉を通っている。ところが、グラスの中の水を飲みきらないうちにアーサーがふと顔を上げた。
「……なあ」
「今度は何ですか」
「褒めろ」
「はい?」
「ちゃんと水飲んだだろ」
あまりにも真剣な顔で言うので、ナマエは数秒黙った。そして椅子に座るアーサーの前にしゃがみこみ、頭に手を乗せてゆるゆると撫でる。
「……えらいえらい」
「子供扱いするな!」
要求通りにしたのにもかかわらず、アーサーは怒った。けれど、その直後には満足そうな顔をしている。
「……もう一回」
「えらいですね」
「へへ……」
完全に機嫌が直った。ナマエは呆れながらも、空いたボトルや散乱している皿を片付けようとする。すると、袖を掴まれた。
「どこ行くんだよ」
「片付けです」
「行くな」
「すぐ戻ります」
「嫌だ」
アーサーは袖を掴んだまま、頑として離さない。
「……今日は一人にしないでくれ」
さっきまでの騒がしさが嘘のように、声が小さくなる。ナマエが振り返る。アーサーは俯いていた。酔っているせいで感情の振れ幅がひどい。怒ったかと思えば泣き、泣いたかと思えば笑う。けれど、その手だけは離れなかった。
「……分かりました」
ナマエが隣に座る。それだけで、アーサーは安心したように肩の力を抜いた。
「……よかった」
「もう寝たほうがいいですよ」
「うん……」
「立てます?」
「たぶん」
「たぶん?」
「……無理かもしれない」
「でしょうね」
ナマエが苦笑する。アーサーはそんなナマエを見上げて、少しだけ笑った。
「……明日、今日のこと忘れてくれ」
「無理です」
「即答するな!」
最後まで騒がしい。それでもナマエに支えられながら寝室へ向かう途中、アーサーは何度も振り返った。まるで、本当にそこにいることを確かめるように。そしてベッドへ入ったあとも、しばらくナマエの袖を掴んだままだった。
「……おやすみ」
「おやすみなさい」
「……明日は絶対、普通にするからな」
「はいはい」
「絶対だからな……」
そう念を押した数秒後。アーサーは、あっという間に眠りへ落ちた。ナマエはその寝顔を眺めながら、小さく息を吐く。
「……明日、覚えてないんだろうなあ」
返事はない。ただ、眠ったアーサーの手だけが、最後までナマエの袖を離さなかった。
