狂気もまた愛

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「……」

朝日が射し込んだその眩しさに目を覚ました俺は、気怠い身体を起こして寝癖の付いた髪を軽く手で掻く。頭が痛い。もう一度寝直してしまおうか。とも思ったがいつもとは違う空気感に違和感を覚えた。

居ない。

いつも隣で眠っている彼が居ない。俺より早く起きたのか。だけどそうじゃないような胸騒ぎがする。寝室から出てリビングに向かうと、起きた直後に覚えた違和感の正体が分かった。

何処にもない。

彼の荷物が。痕跡が。何ひとつ。洗面所にあった彼の歯ブラシや、干しっぱなしになっていた彼の服。彼のお気に入りの本、彼の仕事道具。……お揃いで買った食器すら。

食卓の上に置かれていたメモ用紙。ただ一言「さようなら」と書かれたそれに添えられていた指輪。俺と彼とふたりで選んだ指輪。

嗚呼、彼は出ていったのか。俺を捨てたのか。

「……」

考えてみれば当たり前だ。付き合い始めた頃の俺と、今の俺とでは違い過ぎる。以前のように笑えもしない。甘やかしてやれない。愛してやれない。……愛想が尽きるのも無理はない。

……そうか、俺は、独りになったのか。

多分、哀しむのが、泣くのが正解なのだろう。だけど今の俺には何もない。元々寂しさとかそういうものには鈍感だったせいか、本当に何も感じない俺が居る。ただ自分の現状を理解して 納得するだけ。

メモ用紙を持ったまま すとん、と食卓の椅子に腰を下ろして、ぼうっと天井を眺める。

どうするのが正解だったんだろうか。俺が生き延びたのが間違いだったんだろうか。あの日、ちゃんと殺されてやれていれば良かったんだろうか。そうすれば、彼は幸せだったんだろうか。

携帯が何かの通知で鳴った。どうせくだらない通知だろう、と放置していたらすぐに今度は着信を知らせて鳴り始めた。

『あ!出た!御前大丈夫か!?テレビ!ニュース観てみろ!』

耳元でけたたましく叫んでいるのは俺の友人、と言っていいのかよく分からない関係値の男。昔一度だけ身体を重ねたこともある。ソイツがテレビをつけろと五月蝿い。仕方なくテレビの電源を付けてニュースのチャンネルに合わせる。

「……、──…?」

そこに映し出されていたのはとある男性が飛び込みで自死したというニュース。そしてそのとある男性が。

『今御前ン家向かッてッから!余計な考え起こすンじゃねェぞ!!』

居なくなってしまった。彼が、この世界から。

『──!!電話切ンなよ!!』

そうか。君は、死ねたのか。俺を残して。俺に別れを告げて。君だけ。どうして、俺を連れて行ってくれなかったんだ。俺は、君と。嗚呼そうか、これが寂しいという事なのか。

「──!!やめろバカ!!」

いつの間にか俺の家に来ていたソイツが 俺の手首を強く掴んだ。捻り上げられるようにして掴まれた事で俺の手からカランと音を立てて、ナイフが落ちた。真っ赤に染まったナイフが。それと同時に俺の身体も床に崩れ落ちていく。

「しっかりしろ!!」
「…、うる、…さい、な……」

自分の喉から空気の通り抜けるような嫌な音がする。じわじわと溢れ出る生温かいそれは、シャツを濡らして床に広がっていく。痛みは感じない。あるのは身体が冷えていく感覚と、ただ意識が遠のいていく感覚だけ。

今 俺も君の元に向かうから。ふたりで、逝こう。





────……



「これもまた愛ってやつですかね」
「……だろうな」

そのカタチは酷く歪で、ハタから見れば狂っていたのかもしれない。

「想うのは貴方ひとり──か」
「なんです?それ、彼岸花?」
「アイツの部屋に飾ッてあッたンだよ」

アイツは壊れた心でも ただひとり、彼だけを愛していた。それだけは確かな事だ。





fin.
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