俺だって
¨
最近、頭痛に悩まされている。ガンガンと殴られているような痛み。だけども気を失える程でもなく、ただただ睡眠を阻害してくるだけの痛み。吐き気さえ催すこの痛みは少なくとも1ヶ月、毎晩のように襲ってくる。
「……これで最後か」
市販の頭痛薬をシートから取り出して飲み込む。適量ではなく半分。出来れば薬は飲みたくはないが、この痛みに耐えられるかと問われると答えは否だ。
金さえあれば、こんな悩みも無かったのだろう。
弟の学費、それと俺に掛かった養育費の積み立てを家に振り込まなくてはならない。毎月、バイト代の殆どがそれらに消えていく。自ずと生活費は切り詰めなくてはいけない。実家暮らしではあるが、両親はほぼ居ないようなものだ。だから、俺が稼がなくてはいけない。
空から金が降ってこないだろうか。そんな馬鹿げた事を考えながら眠りにつこうと試みて目を瞑るが、結局一睡も出来ないまま朝を迎えた。
翌朝。
ソファーに寝転がって携帯を見ている弟の姿。もう大学の講義はとうに始まっている時間の筈だ。
「……大学は?」
「休んだ。頭痛くてさ」
「……あぁ、そう」
俺だって頭が痛い。それにソファーで寝転んで携帯見れるなら大学くらい行けるだろ。自分の中にどす黒い感情が湧いて、吐き出せないまま沈殿していく。
腐っても唯一の兄弟。喧嘩をしたいわけではない。それに、弟は小さい頃から身体が弱い。拗らせる前に休んだのはきっとコイツなりの保身なのだろう。
「……バイト行くわ」
お前の学費の為にな、と心の中で嫌味を付け加える。
「ん、いってらっしゃい」
弟の声を背中に受けながら、わざとらしく扉を音を立てて閉めると、少しだけすっきりしたような気がした。
頭は、痛い。
───…
更に翌朝。またソファーに弟が寝そべっている。顔色は昨日より少し悪いように見える。が、携帯を触っているのなら大学くらい行けるだろうに。
「また休むのお前」
「……頭痛くて」
「携帯見る余裕あんなら行けるだろ」
「……」
「俺が働いてんのにお前だけ呑気に」
「わか、わかったから、行く……から……」
少し詰めると弱々しい返事をして準備を始めた弟。コイツは怒られ慣れてないから、こうやってすぐ悲壮感みたいなものを出してくる。ムカつく。なんでコイツだけ。俺だって。嗚呼、頭が痛い。
その日の昼過ぎに、弟は友人に抱えられて帰ってきた。弟の顔色は朝よりも悪いようだ。
「俺はコイツの友達で」
「ソイツの部屋はあっち」
弟を部屋に寝かせてきたその友人とやらは、すぐに帰らずに何故か俺の目の前で仁王立ちをしている。用が済んだなら帰って欲しい。邪魔でしかない。
「……何?」
「アイツ今日体調崩してたのに大学来てて」
「……」
「体調悪いって言ってたのに大学行けって怒鳴ったのってマジなんすか?」
怒鳴ったか?その記憶は無いが確かに行けとは強く言った。弟からしたら怒鳴られたようなものか。
「アイツは少なくともこんな時間に家に居るアンタより頑張ってんのに、責めるとか兄貴としてどうなんすか」
嗚呼五月蝿い。俺は今日は20日振りの休みなんだよ。大学の一コマだけ行って遊んでるようなおちゃらけた文系大学生と一緒にしてくれるなよ。こっちの事情何も知らないくせに。嗚呼、イライラする。頭痛が増す。
「兄貴ならアイツが身体弱くて無理し過ぎる性格だって理解し「五月蝿い」……」
言葉に被せて放たれた俺の声には、苛立ちが乗っていた。そんな事は言われなくても解っている。何年アイツの兄をやっていると思ってるんだ。俺が悪なのも、解っている。
「っ、でも……」
「良いから帰れよ、迷惑」
「……お邪魔しま、した」
ソイツが出ていった後に、弟の部屋へ様子を見に向かうと、どうやら熱を出しているらしく、苦しげな呼吸を繰り返して眠っている。
「……」
薬代と、あと何が要る?
まともに寝ていない上に割れそうな頭では考えが纏まらない。今すぐにでも横になりたい。でも俺が休んでしまったら誰がコイツの面倒を見る?
誰か頼れそうな人は。
───……
「……?」
俺はいつ寝たっけ。いつ自分の部屋のベッドに入ったっけ。記憶が曖昧で何も思い出せない。身体を起こすとズキンと頭が痛んだ。ぐらりと視界も揺れた。
嗚呼そうだ、アイツの看病をしなくては。と弟の部屋に向かうと弟ではない誰かの姿。昼間に来た友人とやらとも違う。
「……え?」
「お、起きた?」
「なんでここに……」
それは俺のバイト先の先輩だった。お人好しという言葉を具現化したような存在。何故彼が家に居るのか理解出来ないでいると、その答えを彼は教えてくれた。
「なんでって、君が電話してきたんだよ」
「……」
全く記憶にない。が、携帯の発信履歴には確かに残っていた。
「弟くんをよろしくってだけ言って、倒れるように寝ちゃったからびっくりしたよ」
「……すみま、せん」
「あぁ、いいのいいの全然大丈夫だから」
無意識の内に先輩に電話を掛けただけじゃなく、弟の看病まで頼んでいたなんて。申し訳なさで割れそうな頭が更に痛む。
「……その、弟の様子は」
「薬飲ませたら落ち着いたみたいだよ」
薬?家にあったのは頭痛薬だけだった。風邪薬は無かった。ということは先輩が買ったのか。
「レシート、ください」
「え、いいよ別に」
「早く」
痛みでイライラが募って自然と語気が強くなってしまう。渋々渡されたレシートには、薬だけでなく看病に必要であろう物が並んでいた。その金額に思わず目を見開く程に。
「……色々ありがとうございました」
「だからいいってば」
「受け取ってください」
自分の食費用の財布から五千円札を一枚、先輩の手に押し付けた。いきなり呼び出しておいて、買い出しもさせて、その金を払わないのは俺の気が済まない。
予想外の出費で、頭痛薬を買うどころか明日からの食事にもありつけるかどうかすら分からなくなってしまった。だけど、ここで先輩に甘えてしまうのは違う気がした。
俺が、我慢すればいい。それだけの話だ。
───……
なんでコイツはベッドに横になって、初対面の先輩に優しくされて、リラックスしたような表情を浮かべているんだ。気に食わない。
「体調管理くらいちゃんとしろよ」
弟は俺の声に答えない。
「お前のせいでこうなってんの」
俯いて、怯える弟。まるで自分が一番不幸とでも言わんばかりに。その態度が俺は昔から大嫌いで仕方ない。体調が悪いからって、全員甘やかしてくれると思ったら大間違いだ。
「お前さえいなければ」
元はといえば全然コイツのせいなんだ。俺が大学に行けなかったのも、一日一食なのも、全部。コイツさえいなければ俺だって。
「はいストップ、そこまで。その態度は駄目だよ」
「……」
「いくら体調管理気を付けてたって限界はあるよ」
「……甘やかされてんのを当たり前だと思ってるコイツが」
「体調悪い時は甘やかすのが当たり前だよ。君らの間に何があったかは知らないけど、少なくとも今は弟くんが一番辛いの」
当たり前?そんな訳ない。それなら何故俺は。
「……俺も、体調悪いって言ったら先輩は甘やかしてくれるんですか」
「……まぁ、そりゃね」
「俺、ずっと頭痛くて」
「熱測ってみる?正直今言われても信じられないけど」
信じられない、という言葉が痛む頭を更に殴ったような気がした。先輩は、俺を信じてはくれなくて、俺よりも初対面の弟の方を信用出来る。その事実が、俺の心に塞ぎようのない大きな穴を開けた。
「……嘘じゃん」
体調が悪い時は甘やかすのが当たり前?嘘じゃん。少なくとも俺に対しては。いや、俺だから甘やかさないのか。それなら納得出来る。
「なに、嘘なの?」
「……」
「言ってくれなきゃわかんないよ」
「……もう、いいです」
嘘ではない。今まさに頭痛は増していて、意識を持っていかれそうなのに。でもどうせ先輩は信じてくれない。そう、先輩が言ったから。俺を信じられない、と。
自分の部屋に戻って、割れそうな頭を枕に押し付けて目を瞑る。頭痛薬はもう無い。
────…
治まる気配の無い頭痛は、俺を眠らせてくれない。せめて水を飲もう、と部屋からキッチンに向かう途中、階段を踏み外して盛大に転げ落ちた。
「っつ……」
落ちた衝撃が頭に響く。身体のあちこちを打ち付けたせいで暫く起き上がれないでいると、慌てた様子で先輩が飛んできた。が、俺だと確認すると焦った表情は見る見るうちに冷めたものになっていった。
「怪我してない?」
「……別に」
「そ、」
一応訊いただけの質問だと嫌でもわかってしまう。本当は全身痛いし、特に右足首が痛い。捻ったのだろう。でも言えなかった。言ったところで。
先輩の俺への無関心さが両親のそれと重なって、考えないようにしていた嫌な記憶が一気に蘇る。
両親に養育費を全て返せと言われたあの日。大学に行きたいと言ったら家を追い出されたあの日。弟の学費を払わないと、弟も家から追い出すと言われたあの日。
もう疲れた。
世の中結局金だ。金が無きゃ最低限の幸せすら掴めない。金が欲しいのに、高卒では給料の良い仕事は見つからない。才能も得意なことも自慢出来ることもない。友達なんかひとりも居ない。俺には、何も無い。
先輩がそこから居なくなっても、冷たいフローリングの床から動けずにいた。
「まだここに居たの?」
ふと聴こえた先輩の声。どうやら少し意識が飛んでいたらしい。見上げると不機嫌そうな先輩がそこに居た。
「弟くんから大体訊いたけど、流石に君が悪いよ」
冷たい声だった。心に、刺さって抜けない刃のように。身体から血の気が引いていく。
「お兄ちゃんでしょ?なんで弟に優しくできないの?」
何度も何度も、厭きる程に聞いてきた言葉。それなのに、先輩から言われたそれは心臓を抉るように鋭くて、怖くて。途端に呼吸が浅くなる。気を抜いたらバラバラに壊れてしまいそうだ。
「……すみません」
先輩の目を見るのが怖くて、俯いたまま謝る。それしか今の俺には出来ない。
「……君の言い分も訊かせて」
「大丈夫、です。俺が悪いんで」
「……頭は、痛いの?」
「……ぁ、れは、嘘、で……はは、すみませ、ん」
これ以上優しくされたら泣いてしまう。泣いてしまったら全てが決壊して戻れなくなりそうで。この人は、ただのバイト先の先輩。大学を卒業したら就職して、バイトを辞めていく人。去っていく人。だから甘えてはいけない。
「もう、大丈夫ですから」
目を伏せていても視線を感じる。見られている。先輩が今どんな目で俺を見ているのか、どんな表情をしているのか知るのが怖い。考えたくもない。
「……帰ってください」
どうせ嫌われているのだから、もういい。
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最近、頭痛に悩まされている。ガンガンと殴られているような痛み。だけども気を失える程でもなく、ただただ睡眠を阻害してくるだけの痛み。吐き気さえ催すこの痛みは少なくとも1ヶ月、毎晩のように襲ってくる。
「……これで最後か」
市販の頭痛薬をシートから取り出して飲み込む。適量ではなく半分。出来れば薬は飲みたくはないが、この痛みに耐えられるかと問われると答えは否だ。
金さえあれば、こんな悩みも無かったのだろう。
弟の学費、それと俺に掛かった養育費の積み立てを家に振り込まなくてはならない。毎月、バイト代の殆どがそれらに消えていく。自ずと生活費は切り詰めなくてはいけない。実家暮らしではあるが、両親はほぼ居ないようなものだ。だから、俺が稼がなくてはいけない。
空から金が降ってこないだろうか。そんな馬鹿げた事を考えながら眠りにつこうと試みて目を瞑るが、結局一睡も出来ないまま朝を迎えた。
翌朝。
ソファーに寝転がって携帯を見ている弟の姿。もう大学の講義はとうに始まっている時間の筈だ。
「……大学は?」
「休んだ。頭痛くてさ」
「……あぁ、そう」
俺だって頭が痛い。それにソファーで寝転んで携帯見れるなら大学くらい行けるだろ。自分の中にどす黒い感情が湧いて、吐き出せないまま沈殿していく。
腐っても唯一の兄弟。喧嘩をしたいわけではない。それに、弟は小さい頃から身体が弱い。拗らせる前に休んだのはきっとコイツなりの保身なのだろう。
「……バイト行くわ」
お前の学費の為にな、と心の中で嫌味を付け加える。
「ん、いってらっしゃい」
弟の声を背中に受けながら、わざとらしく扉を音を立てて閉めると、少しだけすっきりしたような気がした。
頭は、痛い。
───…
更に翌朝。またソファーに弟が寝そべっている。顔色は昨日より少し悪いように見える。が、携帯を触っているのなら大学くらい行けるだろうに。
「また休むのお前」
「……頭痛くて」
「携帯見る余裕あんなら行けるだろ」
「……」
「俺が働いてんのにお前だけ呑気に」
「わか、わかったから、行く……から……」
少し詰めると弱々しい返事をして準備を始めた弟。コイツは怒られ慣れてないから、こうやってすぐ悲壮感みたいなものを出してくる。ムカつく。なんでコイツだけ。俺だって。嗚呼、頭が痛い。
その日の昼過ぎに、弟は友人に抱えられて帰ってきた。弟の顔色は朝よりも悪いようだ。
「俺はコイツの友達で」
「ソイツの部屋はあっち」
弟を部屋に寝かせてきたその友人とやらは、すぐに帰らずに何故か俺の目の前で仁王立ちをしている。用が済んだなら帰って欲しい。邪魔でしかない。
「……何?」
「アイツ今日体調崩してたのに大学来てて」
「……」
「体調悪いって言ってたのに大学行けって怒鳴ったのってマジなんすか?」
怒鳴ったか?その記憶は無いが確かに行けとは強く言った。弟からしたら怒鳴られたようなものか。
「アイツは少なくともこんな時間に家に居るアンタより頑張ってんのに、責めるとか兄貴としてどうなんすか」
嗚呼五月蝿い。俺は今日は20日振りの休みなんだよ。大学の一コマだけ行って遊んでるようなおちゃらけた文系大学生と一緒にしてくれるなよ。こっちの事情何も知らないくせに。嗚呼、イライラする。頭痛が増す。
「兄貴ならアイツが身体弱くて無理し過ぎる性格だって理解し「五月蝿い」……」
言葉に被せて放たれた俺の声には、苛立ちが乗っていた。そんな事は言われなくても解っている。何年アイツの兄をやっていると思ってるんだ。俺が悪なのも、解っている。
「っ、でも……」
「良いから帰れよ、迷惑」
「……お邪魔しま、した」
ソイツが出ていった後に、弟の部屋へ様子を見に向かうと、どうやら熱を出しているらしく、苦しげな呼吸を繰り返して眠っている。
「……」
薬代と、あと何が要る?
まともに寝ていない上に割れそうな頭では考えが纏まらない。今すぐにでも横になりたい。でも俺が休んでしまったら誰がコイツの面倒を見る?
誰か頼れそうな人は。
───……
「……?」
俺はいつ寝たっけ。いつ自分の部屋のベッドに入ったっけ。記憶が曖昧で何も思い出せない。身体を起こすとズキンと頭が痛んだ。ぐらりと視界も揺れた。
嗚呼そうだ、アイツの看病をしなくては。と弟の部屋に向かうと弟ではない誰かの姿。昼間に来た友人とやらとも違う。
「……え?」
「お、起きた?」
「なんでここに……」
それは俺のバイト先の先輩だった。お人好しという言葉を具現化したような存在。何故彼が家に居るのか理解出来ないでいると、その答えを彼は教えてくれた。
「なんでって、君が電話してきたんだよ」
「……」
全く記憶にない。が、携帯の発信履歴には確かに残っていた。
「弟くんをよろしくってだけ言って、倒れるように寝ちゃったからびっくりしたよ」
「……すみま、せん」
「あぁ、いいのいいの全然大丈夫だから」
無意識の内に先輩に電話を掛けただけじゃなく、弟の看病まで頼んでいたなんて。申し訳なさで割れそうな頭が更に痛む。
「……その、弟の様子は」
「薬飲ませたら落ち着いたみたいだよ」
薬?家にあったのは頭痛薬だけだった。風邪薬は無かった。ということは先輩が買ったのか。
「レシート、ください」
「え、いいよ別に」
「早く」
痛みでイライラが募って自然と語気が強くなってしまう。渋々渡されたレシートには、薬だけでなく看病に必要であろう物が並んでいた。その金額に思わず目を見開く程に。
「……色々ありがとうございました」
「だからいいってば」
「受け取ってください」
自分の食費用の財布から五千円札を一枚、先輩の手に押し付けた。いきなり呼び出しておいて、買い出しもさせて、その金を払わないのは俺の気が済まない。
予想外の出費で、頭痛薬を買うどころか明日からの食事にもありつけるかどうかすら分からなくなってしまった。だけど、ここで先輩に甘えてしまうのは違う気がした。
俺が、我慢すればいい。それだけの話だ。
───……
なんでコイツはベッドに横になって、初対面の先輩に優しくされて、リラックスしたような表情を浮かべているんだ。気に食わない。
「体調管理くらいちゃんとしろよ」
弟は俺の声に答えない。
「お前のせいでこうなってんの」
俯いて、怯える弟。まるで自分が一番不幸とでも言わんばかりに。その態度が俺は昔から大嫌いで仕方ない。体調が悪いからって、全員甘やかしてくれると思ったら大間違いだ。
「お前さえいなければ」
元はといえば全然コイツのせいなんだ。俺が大学に行けなかったのも、一日一食なのも、全部。コイツさえいなければ俺だって。
「はいストップ、そこまで。その態度は駄目だよ」
「……」
「いくら体調管理気を付けてたって限界はあるよ」
「……甘やかされてんのを当たり前だと思ってるコイツが」
「体調悪い時は甘やかすのが当たり前だよ。君らの間に何があったかは知らないけど、少なくとも今は弟くんが一番辛いの」
当たり前?そんな訳ない。それなら何故俺は。
「……俺も、体調悪いって言ったら先輩は甘やかしてくれるんですか」
「……まぁ、そりゃね」
「俺、ずっと頭痛くて」
「熱測ってみる?正直今言われても信じられないけど」
信じられない、という言葉が痛む頭を更に殴ったような気がした。先輩は、俺を信じてはくれなくて、俺よりも初対面の弟の方を信用出来る。その事実が、俺の心に塞ぎようのない大きな穴を開けた。
「……嘘じゃん」
体調が悪い時は甘やかすのが当たり前?嘘じゃん。少なくとも俺に対しては。いや、俺だから甘やかさないのか。それなら納得出来る。
「なに、嘘なの?」
「……」
「言ってくれなきゃわかんないよ」
「……もう、いいです」
嘘ではない。今まさに頭痛は増していて、意識を持っていかれそうなのに。でもどうせ先輩は信じてくれない。そう、先輩が言ったから。俺を信じられない、と。
自分の部屋に戻って、割れそうな頭を枕に押し付けて目を瞑る。頭痛薬はもう無い。
────…
治まる気配の無い頭痛は、俺を眠らせてくれない。せめて水を飲もう、と部屋からキッチンに向かう途中、階段を踏み外して盛大に転げ落ちた。
「っつ……」
落ちた衝撃が頭に響く。身体のあちこちを打ち付けたせいで暫く起き上がれないでいると、慌てた様子で先輩が飛んできた。が、俺だと確認すると焦った表情は見る見るうちに冷めたものになっていった。
「怪我してない?」
「……別に」
「そ、」
一応訊いただけの質問だと嫌でもわかってしまう。本当は全身痛いし、特に右足首が痛い。捻ったのだろう。でも言えなかった。言ったところで。
先輩の俺への無関心さが両親のそれと重なって、考えないようにしていた嫌な記憶が一気に蘇る。
両親に養育費を全て返せと言われたあの日。大学に行きたいと言ったら家を追い出されたあの日。弟の学費を払わないと、弟も家から追い出すと言われたあの日。
もう疲れた。
世の中結局金だ。金が無きゃ最低限の幸せすら掴めない。金が欲しいのに、高卒では給料の良い仕事は見つからない。才能も得意なことも自慢出来ることもない。友達なんかひとりも居ない。俺には、何も無い。
先輩がそこから居なくなっても、冷たいフローリングの床から動けずにいた。
「まだここに居たの?」
ふと聴こえた先輩の声。どうやら少し意識が飛んでいたらしい。見上げると不機嫌そうな先輩がそこに居た。
「弟くんから大体訊いたけど、流石に君が悪いよ」
冷たい声だった。心に、刺さって抜けない刃のように。身体から血の気が引いていく。
「お兄ちゃんでしょ?なんで弟に優しくできないの?」
何度も何度も、厭きる程に聞いてきた言葉。それなのに、先輩から言われたそれは心臓を抉るように鋭くて、怖くて。途端に呼吸が浅くなる。気を抜いたらバラバラに壊れてしまいそうだ。
「……すみません」
先輩の目を見るのが怖くて、俯いたまま謝る。それしか今の俺には出来ない。
「……君の言い分も訊かせて」
「大丈夫、です。俺が悪いんで」
「……頭は、痛いの?」
「……ぁ、れは、嘘、で……はは、すみませ、ん」
これ以上優しくされたら泣いてしまう。泣いてしまったら全てが決壊して戻れなくなりそうで。この人は、ただのバイト先の先輩。大学を卒業したら就職して、バイトを辞めていく人。去っていく人。だから甘えてはいけない。
「もう、大丈夫ですから」
目を伏せていても視線を感じる。見られている。先輩が今どんな目で俺を見ているのか、どんな表情をしているのか知るのが怖い。考えたくもない。
「……帰ってください」
どうせ嫌われているのだから、もういい。
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