黄泉竈食
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それは突然だった。
何が起きたかは分からない。ただ大きな音がして気が付いたら何処かの料亭のような場所で、彼とふたりで居た。
こんな所に来る予定は無かった筈だし、ここに来るまでの記憶がすっぽりと抜け落ちている。でも目の前に居る彼は見るからにわくわくとしたような表情で、品書きを眺めている。
彼に運転を任せていたのは確かだ。「寝てていいよ」という彼の言葉に甘えて眠ってしまっていたのかもしれない。長距離の運転で彼も疲れている筈なのに。
だけどやっぱりこの料亭のこの席に座るまでの記憶が無い。車から降りて歩いている筈なのに。
「お、美味そう」
運ばれてきた料理は確かに豪華で美味そうだ。海鮮だろうか。あまり見慣れない物のような気がする。彼は「いただきます」と両手を合わせ軽く頭を下げた後、料理をもくもくと口に放り込んでいく。リスみたいに。
あまり食欲が無いオレはどうも食べる気にならない。車酔いでもしたか。少し気持ちが悪い。
「お前のもちょーだい」
手を付けずにいたオレの目の前の料理たちは、彼の胃の中にしまい込まれていく。そんなに腹減っていたのか。確かに彼はよく食べる人だ。でも人の分を取ってまで、という人じゃなかった筈。どうしたんだろうか。
「あらあら……良ろしければこちらをどうぞ」
料亭の女将らしき人がオレの前に 小鉢に盛られた漬物だろうかこれは。それを差し出してくすりと笑った。だけどその小鉢も彼に取られてしまって、食べられてしまった。おかしい。どうして。何かが変だ。
「よし、出ようか」
結局オレは何も食べないまま料亭を出ることになった。その時に女将の舌打ちが聴こえたのは、きっと気の所為ではない。人の物にまで手を付けた彼に対してなのか、何も食べなかったオレに対してなのか。
料亭から出て出入り口である門を潜ったところで 急に彼が立ち止まった。何事かと振り返ると彼は泣きそうな顔で笑っていた。
「……どうした?早くこっちに、」
「ごめんな、俺はそっちには行けない」
彼はその場で手を振る。まるで別れの挨拶のように。
「元気でな」
彼がそう告げた直後に、オレたちの間を桜の吹雪が吹き抜けていった。まるで、彼を隠すように。
「あ!起きた!!」
ここはどこだろうか。見えるのは白い天井、ぶら下がる点滴パック。口元を覆う緑の半透明のマスク、一定間隔で無機質な音を告げる機械。それと、オレを覗き込む友人の姿。
「良かったぁ……。事故に巻き込まれたって聞いた時、気が気じゃなかったんだよ」
彼の姿がない。彼はどこに。
「君までいなくなったらおれ悲しくなっちゃうよ」
どういうことだ。問いたいのに声が出ない。
「な、君の怪我が治ったら一緒にあいつんとこ参りにいこう」
友人の言葉ですべて理解してしまった。したくなかったのに。聞けばオレたちは 飲酒運転の暴走車に突っ込まれて、一時危篤状態になっていたという。車の運転席側に突っ込まれたせいで、彼は殆ど即死に近かったらしく、病院に運ばれて僅か数時間で、医者たちの奮闘虚しくその命は燃えつきてしまったのだという。オレが目を醒ましたのは、彼の肉体が灰となって煙となって天に昇った後だった。
オレだけが、助かってしまった。
あの世の食物を食べると、あの世の住人になってしまうという伝承がある。確か、ヨモツヘグイとかいうやつだ。あの料亭はあの世とこの世の狭間にあって、彼はそこの料理を残さず食べていた。だから。
いや違う。
彼はオレの分まで食べていた。
嗚呼そうか、オレは彼に生かされたのか。最後の最期まで、彼はオレを守ってくれていたのか。
「……ありがとう」
彼が眠る墓石をそっと撫でて、触れるだけの口付けを落とした。その直後にふわ、と優しい風が吹き抜けて 「どういたしまして」と彼が笑ったような気がした。
fin.
それは突然だった。
何が起きたかは分からない。ただ大きな音がして気が付いたら何処かの料亭のような場所で、彼とふたりで居た。
こんな所に来る予定は無かった筈だし、ここに来るまでの記憶がすっぽりと抜け落ちている。でも目の前に居る彼は見るからにわくわくとしたような表情で、品書きを眺めている。
彼に運転を任せていたのは確かだ。「寝てていいよ」という彼の言葉に甘えて眠ってしまっていたのかもしれない。長距離の運転で彼も疲れている筈なのに。
だけどやっぱりこの料亭のこの席に座るまでの記憶が無い。車から降りて歩いている筈なのに。
「お、美味そう」
運ばれてきた料理は確かに豪華で美味そうだ。海鮮だろうか。あまり見慣れない物のような気がする。彼は「いただきます」と両手を合わせ軽く頭を下げた後、料理をもくもくと口に放り込んでいく。リスみたいに。
あまり食欲が無いオレはどうも食べる気にならない。車酔いでもしたか。少し気持ちが悪い。
「お前のもちょーだい」
手を付けずにいたオレの目の前の料理たちは、彼の胃の中にしまい込まれていく。そんなに腹減っていたのか。確かに彼はよく食べる人だ。でも人の分を取ってまで、という人じゃなかった筈。どうしたんだろうか。
「あらあら……良ろしければこちらをどうぞ」
料亭の女将らしき人がオレの前に 小鉢に盛られた漬物だろうかこれは。それを差し出してくすりと笑った。だけどその小鉢も彼に取られてしまって、食べられてしまった。おかしい。どうして。何かが変だ。
「よし、出ようか」
結局オレは何も食べないまま料亭を出ることになった。その時に女将の舌打ちが聴こえたのは、きっと気の所為ではない。人の物にまで手を付けた彼に対してなのか、何も食べなかったオレに対してなのか。
料亭から出て出入り口である門を潜ったところで 急に彼が立ち止まった。何事かと振り返ると彼は泣きそうな顔で笑っていた。
「……どうした?早くこっちに、」
「ごめんな、俺はそっちには行けない」
彼はその場で手を振る。まるで別れの挨拶のように。
「元気でな」
彼がそう告げた直後に、オレたちの間を桜の吹雪が吹き抜けていった。まるで、彼を隠すように。
「あ!起きた!!」
ここはどこだろうか。見えるのは白い天井、ぶら下がる点滴パック。口元を覆う緑の半透明のマスク、一定間隔で無機質な音を告げる機械。それと、オレを覗き込む友人の姿。
「良かったぁ……。事故に巻き込まれたって聞いた時、気が気じゃなかったんだよ」
彼の姿がない。彼はどこに。
「君までいなくなったらおれ悲しくなっちゃうよ」
どういうことだ。問いたいのに声が出ない。
「な、君の怪我が治ったら一緒にあいつんとこ参りにいこう」
友人の言葉ですべて理解してしまった。したくなかったのに。聞けばオレたちは 飲酒運転の暴走車に突っ込まれて、一時危篤状態になっていたという。車の運転席側に突っ込まれたせいで、彼は殆ど即死に近かったらしく、病院に運ばれて僅か数時間で、医者たちの奮闘虚しくその命は燃えつきてしまったのだという。オレが目を醒ましたのは、彼の肉体が灰となって煙となって天に昇った後だった。
オレだけが、助かってしまった。
あの世の食物を食べると、あの世の住人になってしまうという伝承がある。確か、ヨモツヘグイとかいうやつだ。あの料亭はあの世とこの世の狭間にあって、彼はそこの料理を残さず食べていた。だから。
いや違う。
彼はオレの分まで食べていた。
嗚呼そうか、オレは彼に生かされたのか。最後の最期まで、彼はオレを守ってくれていたのか。
「……ありがとう」
彼が眠る墓石をそっと撫でて、触れるだけの口付けを落とした。その直後にふわ、と優しい風が吹き抜けて 「どういたしまして」と彼が笑ったような気がした。
fin.
