熱に浮かぶ猫
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「ねこ、」
オレが寝室に持ち込んだノートパソコンで作業をしていると聴こえたか細い声。声の方を振り返ると、高熱を出して寝込んでいた筈の彼が、いつの間にか目を覚ましてぼんやりと部屋の片隅を見詰めている。
「ねこ。居る、そこに」
「……寝惚けてンのか?」
この部屋に居るのはオレと彼だけ。彼は部屋の片隅を指差して「猫が居る」と繰り返す。そもそも猫なんて飼っていない。だから居る訳がない。
「ねこ、居るよ。そこに、白いの」
「オイ、ちょ、動くなっ」
急に起き上がってベッドから身を乗り出そうとする彼を慌てて抱き留める。触れた所から伝わる彼の体温はかなり熱い。一体どこにそんな力があったんだと言わんばかりにオレの制止を振り切って動こうとする彼。
「待て待て待て、どうしたどうした」
「ねこ…」
熱せん妄というやつか?子供が高熱を出した時に幻覚を見るとかいう。こんな大の大人でも有り得るもんなのか?
じたばたと動く彼を片腕でしっかりとホールドしつつ、非接触型の体温計をかざすと、液晶に表示された39.4℃の文字。高い。物凄く高い。この場合はどうするのが正解なんだ。
「取り敢えず、猫と遊ぶのは後にしようか」
「や、だ」
嫌だと来たか。もしかして今の彼は高熱で幼児返りみたいな事にでもなってるのか?
「ねこ、たすけないと」
「助ける?」
「っ、だめ、そっちいっちゃ、」
オレを押し退けて手を伸ばす彼に何が見えてるんだ。クソ、力強いな。この馬鹿力が。彼の虚ろな目は部屋の片隅に居る何かを追いかけている。
「だめ、げほっ、いかない、で…っ」
彼の名前を呼んでもオレの声に反応しちゃくれない。どうしたらいい、どうすれば彼を戻せる?
「助け、て…あのこ、おねがい、助けてあげてよ…」
ポロポロと大粒の涙を流して懇願する彼を強く抱き締めてやる事しか出来ない。自分の無力さに反吐が出る。
「おねが、い…っ、あの…こ、を…」
カクンと糸が切れてしまったように身体の力が抜けた彼。眠ったというよりは気絶したという方が正しい。高熱のせいもあって息は苦しそうだが、一応落ち着いたということでいいのかこれは。
彼をベッドに寝かせ直して、滲んだ汗に濡れた髪を撫でる。彼が見ていた白い猫は昔の彼自身なのか、それとも。
「……助けるよ、お前も。その白い猫も」
──絶対に。
fin.
