狂気もまた愛

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「アンタを殺して僕も死ぬ」

ナイフの切っ先が俺の頬を掠める。ぴり、とした痛みが走る。嗚呼、またか。と俺は息をついた。

「ほら、危ねぇからコレ離せ」

俺に突き付けられたナイフを刃ごと握って掴む。反射的に引いたそれで俺の手の平に傷が出来て、血が流れ落ちていく。
俺がこうするのは態とだ。彼は他人の血を見るのと身体が竦んで動けなくなるからだ。昔のトラウマだとか何だとかという話は以前彼から訊いた事がある。だから俺はこうして敢えて血が流れるようなやり方で彼を押さえる。

俺の血を見て我に返るのなら、安いもんだ。

「っ、離せ!」

今回もそれでなんとかなると思っていたが、どうやら違うらしい。更に引かれた刃に力が緩んでしまって、ナイフが俺の手から離れてしまった。

「っ痛、…」

手の平の痛みに気を取られたその一瞬だった。

「お、まえ…マジか、……」

俺の懐に飛び込んできた彼を受け止めたはいいが、脇腹に走る灼けるような痛みが、脚をふらつかせる。
そこで漸く我に返ったのか、離れようとする彼の身体を自分に押し付けるようにして、無理矢理に動きを止める。自ずと深く刺さる刃に呻き声が俺の喉から漏れる。

「や、…っ、だ、ぼく、ッ、僕……っ」

パニックになった彼が過呼吸のような息遣いを繰り返す。それを宥めるのに彼の背中をリズム良く、ゆっくりと軽く叩く。

「ごめ、んなさ……っ」

引き抜こうとする彼の手を掴んで止める。手の平から流れていた血が彼の手に付いてしまうのは、申し訳ない。だが、引き抜かれたらそれこそ死んでしまう。

……それでもいいのかもしれないな。

彼の手で俺の命が終わるのなら。それはそれで幸せなことなのかもしれない。どうせ生きていたって仕方無い。それならいっそ。

「──……?」

彼の手から俺が手を離した事に、何か感じ取ったのか彼が不安そうに俺の名前を呼んだ。か細く震えた声で。

「……なぁ、死にたいなら、…俺が、殺してやろうか」

御前が俺を殺すのなら、俺が御前をそうしたって良いって事だよな。そうしたら、ずっと、ずっと一緒に居られるよな。御前は痛いのは嫌いだから、その細い首を俺が絞めてやるからさ。なぁ。

「っ、……」

彼の首に手を掛ける。徐々に、確実に力を込めていく。苦しさで歪んだ表情の彼の手が俺の腕を掴む。安心しろ、苦しいのは今だけだ。すぐ、楽になる。

「──……」

上手く力が入らない。視界が霞む。

最後に見たのは、涙でぐちゃぐちゃになりながら俺を見下ろす彼の顔だった。




「……、」

閉じていた目蓋をこじ開けると、視界に映ったのは白い天井。俺は生きているのか。生きて、しまったのか。

右手に巻かれた包帯をぼんやりと眺めていると、どさっと何かを落としたような音が聴こえた。その音の方へ視線をやると、今にも、いや もう既に泣いている彼の姿。

「──!良かっ、良かった……!」

俺が横たわるベッドに駆け寄ってきた彼は俺の手を両手で包み込むように握る。温かくて、小さな手。

「ごめん、ごめんね……っ」

大粒の涙をボロボロ零しながら、俺の手を握ったままひたすらに謝る彼に不思議と何も思わなかった。怒りも憎しみも、何も。……愛おしさすら。

「──…?おこ、ってる?よね、?……あんなこと、しちゃった、から…」
「……殺してくれりゃ良かったのに」
「え……?」
「……、なんでもない。今日はもう帰れ」
「でも、」
「帰ってくれ」

今は、ひとりになりたい。

死にたくない、とは思わなかった。死ぬのならそれで構わなかった。それどころか生き長らえたと分かった時、俺は確かに安堵ではなく、絶望に近いものを感じた。

「……はは、」

何の感情からなのか分からない涙が、頬を伝っていった。





(壊れたココロは、もう元には戻らない





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