「大丈夫」

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突然横を歩いていた彼が、思い切りオレの身体を突き飛ばした。その衝撃で地面に転がったオレの視界に入ったのは 見知らぬ男に抱き着かれる彼の姿。なんだ、誰だソイツは。

「なン…「来るな!」……は?」

オレの声を遮ってそう言う彼はこちらを一切振り向かない。そしてやがて彼から離れたその男は狂ったように笑いだした。その手には真っ赤に濡れた包丁。

「…ぇ、」

全身から血の気が引いていくのがわかる。身体に力が入らない。立ち上がれない。だってあの赤色は。

「っ、…」

彼の身体がゆらりと揺れて地面に落ちていく。狂ったように笑っていたあの男はもうこの場にはいない。あんな奴より、今は。

「──…?」

倒れたまま動かない彼の元へ這いずるように近寄って、その身体を仰向けにしてやると、左の腹辺りが真っ赤に濡れていて。咄嗟に手を当てて押さえ付けても指の隙間から赤色が零れ落ちていく。どうしたら、どうしたらいいんだ。救急車、とにかく、救急車を。

「…怪我、無かっ…た?」

違うだろ、今はオレの心配してる場合じゃないだろ。こんなに、こんなに出血して、痛くないわけがないのに。苦しくないわけがないのに。なんでこんな時にすらオレを。

「突き飛ば、してごめん、ね」

そんな事どうだっていい。謝らなくていい。クソ、血が止まらない。シャツを脱いで当てても直ぐにシャツが真っ赤に染まっていく。

「大丈夫、だから…そんな、泣くな、よ……」

彼の声がか細く弱くなっていく。それなのに彼の表情は穏やかで。それどころか笑ってすらいて。何も大丈夫なわけがないのに。なんでお前はいつも。

「……」

やがて目を閉じてぴくりとも動かなくなった彼。
嘘だろ…?目を開けろよ、起きろよ、まだ逝くなよ、なぁ!!オレを置いていくなよ!!


「──!」
「わ、ビックリした。どした?俺は此処にいるよ?」

……あれ?彼は、あれ?なんで、いや、そんな事より。

「っ苦し、ちから強、」

隣に居た彼の身体を強く抱き締めると、確かに伝わる体温と鼓動。生きてる。彼は生きてる。生きて、此処に居る。

「うん、俺はちゃんと生きてるよ」

オレの頭の中を覗きでもしたのか、彼が優しい声でそう言いながら背中をぽんぽんと叩く。

「俺がお前を置いて何処か行くわけないでしょ」

そうだ。オレはこの人を、彼はオレをひとりにしないと。互いの首からぶら下がるネックレスに誓い合ったんだ。何があっても共に居ると。

「大丈夫。だからゆっくり息、しようか」

上がっていた呼吸を整える為に数回、深呼吸をする。


「落ち着いた?」
「…ん、悪ィ。起こした、よな」
「ん?丁度水飲むのに起きたとこだったから大丈夫だよ」
「…そ、か」

水を飲むのに起きた、という彼の言葉がチリと胸に刺さる。そうだ。あの日あの時、この人はもっと深い傷を負った筈なんだ。オレよりも、もっと深くて癒えない傷を。あの日から彼は家の外に出たがらなくなった。好きだった筈の仕事もいつの間にか辞めていて、ぼんやりとベッドの上で過ごしていることが多い。そんな状態なのに、彼はオレを一番に気遣う。まるで、彼の中に彼自身が居ないかのように。

オレが彼にしてやれる事はただ、傍に居てやることだけなのかもしれない。それでも。

「大丈夫」

そう言って笑う彼をこの手で守りたい。守ってみせる。これ以上、傷付かないように。壊れてしまわないように。

ペンダントトップにしたリングを握り締めて、改めて誓った。




fin.
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