「大丈夫」
¨
「っ、…」
真夜中、聴こえてきた彼の苦しそうな声で目が覚める。
「──?」
彼の名前を呼んでも、反応らしい反応は見せず、ただ浅い呼吸を繰り返している。発作だ。丸めているその背中に触れてやっと、オレの存在に気が付いた彼は「ごめん」とただ一言呟く。
「…だい、じょぶ……」
そう言って力無く笑う彼。どう見たって大丈夫には見えないが、本人が言うのならそうなのだろう。と、以前までなら納得していた。彼が言う「大丈夫」は実際は何も大丈夫なんかではない。それに気付いたのは、数ヶ月前に彼が通り魔の凶刃に倒れた時だった。
あの日は朝からバケツをひっくり返したような雨が降っていたのを覚えている。狂ったように笑う犯人の顔も。彼の身体から滲み流れて地面に拡がる赤色も。彼が「大丈夫」と笑ったのも。彼が、オレを突き飛ばして庇った事も。
あの日から彼は時折、こうして苦しむようになった。そして発作を起こした時、左の脇腹を強く手で押さえている時がある。今もそうだ。押さえているそこは、彼が深い傷を負った箇所。
「…痛むのか」
オレの問いに反応はしない。目を強く瞑っている彼は今、ただただ耐える事で精一杯なのだろう。
「今、薬取ってきてやる」
彼の髪を一撫でしてベッドから抜け出そうとしたオレの腕を何かが掴んで止める。その何かは彼の手だ。冷たく冷えきった手に力は大して入っていない。簡単に振り解けてしまう程に。
ぼんやりと虚ろに目を開く彼が はくはくと口を動かす。彼の声を拾う為にその口元に耳を近付けると、確かに聴こえた「いかないで」の声。今彼に必要なのは発作を抑える薬なんかではなくて、オレという存在なのかと思うと、不謹慎にも悦びを覚えてしまう。
「薬取ってくるだけだから。すぐ戻るから」
掴まれている腕とは逆の手で彼の頬を撫でる。苦しさからか彼の目は潤んでいる。今にも透明な雫が溢れ落ちそうな程に。オレはゆっくりと彼の手を離す。やはり力は殆ど入っていない。彼はまた「ごめん」と呟いた。
薬が纏められている箱を開けて、何種類も小分けにされて整頓されているそこから今必要なものを取り出す。あの日からすべてが狂ってしまった。全部あのクソみたいな通り魔のせいだ。
寝室に戻ると聴こえてくる彼の苦しそうな息遣い。さっきより発作が悪化している。オレが離れたからか。やっぱり寝室にも薬箱を置いておくべきか。水も常備しておかなくては。いや、今はそれよりも。
過呼吸に近いような呼吸を繰り返す彼は、おそらく自力で薬を飲む事は出来ない。ならば方法はひとつ。
「っ、…ん…」
彼の身体を抱き起こした後に、薬と水を口に含んで彼の唇を塞いで口内へ流し込む。飲み込み切れない水が彼の口端から溢れるのも構わずに、そのまま押さえ込むようにして薬を飲み込むまで唇を重ね合わせ続ける。
最初はこの方法も上手くはいかなかった。反射的に吐き出させてしまって過呼吸にさせたりもした。最近は彼も慣れてきたのか、すんなりと飲み込んでくれるようになった。
「ごめん…」
弱々しい声でそう零しながら、彼の体重がオレに寄り掛かる。相変わらず彼の手は脇腹を押さえている。息はまだ浅く荒い。即効性とは言え薬が効くまでは仕方ない。それまではただ彼を抱き締めて、彼の手にオレの手を重ねて。
あの日に戻れるのなら彼を、オレを突き飛ばした彼の腕を引き寄せて守ってやれるのに。あのクソ野郎を返り討ちに出来たのに。何も出来なかった。地面に倒れ込んだ彼を抱き留める事すら。
「大丈夫、だよ……俺は、…生きてる、から」
薬が効いてきたのか幾分か呼吸が落ち着いた彼の手がオレの頬に触れる。まだ酷く冷たい手は、生きているという証には不確か過ぎて。涙で腕の中の彼が滲んでいく。
「ほら、ここ、…ちゃんと、動いてるでしょ?」
彼の手に重ねていた手が彼の胸へと動かされていく。手に伝わるのは彼の鼓動。「だから、大丈夫」と小さく微笑んだ後に、彼の瞼がゆっくりと閉じて身体から力が抜けていく。それからすぐに穏やかな寝息が彼から聴こえ始めた。
「……ッ」
あの日あの時傷を負ったのは彼だけじゃなかった。それを彼は分かっていたんだ。だから「大丈夫」と。
──嗚呼、オレは彼に守られてばかりだ。
深い眠りに落ちた彼の身体を強く抱き締めて、嗚咽を零した。
「お前もしかしてずっとこうしてたの?」
「……」
「大丈夫だよ、俺は何処にも行かないから」
「……当たり前だろ」
「力強い、痛い、ちょっと、ねぇ」
「煩い」
「なんで力強めるの、痛いってば」
.
「っ、…」
真夜中、聴こえてきた彼の苦しそうな声で目が覚める。
「──?」
彼の名前を呼んでも、反応らしい反応は見せず、ただ浅い呼吸を繰り返している。発作だ。丸めているその背中に触れてやっと、オレの存在に気が付いた彼は「ごめん」とただ一言呟く。
「…だい、じょぶ……」
そう言って力無く笑う彼。どう見たって大丈夫には見えないが、本人が言うのならそうなのだろう。と、以前までなら納得していた。彼が言う「大丈夫」は実際は何も大丈夫なんかではない。それに気付いたのは、数ヶ月前に彼が通り魔の凶刃に倒れた時だった。
あの日は朝からバケツをひっくり返したような雨が降っていたのを覚えている。狂ったように笑う犯人の顔も。彼の身体から滲み流れて地面に拡がる赤色も。彼が「大丈夫」と笑ったのも。彼が、オレを突き飛ばして庇った事も。
あの日から彼は時折、こうして苦しむようになった。そして発作を起こした時、左の脇腹を強く手で押さえている時がある。今もそうだ。押さえているそこは、彼が深い傷を負った箇所。
「…痛むのか」
オレの問いに反応はしない。目を強く瞑っている彼は今、ただただ耐える事で精一杯なのだろう。
「今、薬取ってきてやる」
彼の髪を一撫でしてベッドから抜け出そうとしたオレの腕を何かが掴んで止める。その何かは彼の手だ。冷たく冷えきった手に力は大して入っていない。簡単に振り解けてしまう程に。
ぼんやりと虚ろに目を開く彼が はくはくと口を動かす。彼の声を拾う為にその口元に耳を近付けると、確かに聴こえた「いかないで」の声。今彼に必要なのは発作を抑える薬なんかではなくて、オレという存在なのかと思うと、不謹慎にも悦びを覚えてしまう。
「薬取ってくるだけだから。すぐ戻るから」
掴まれている腕とは逆の手で彼の頬を撫でる。苦しさからか彼の目は潤んでいる。今にも透明な雫が溢れ落ちそうな程に。オレはゆっくりと彼の手を離す。やはり力は殆ど入っていない。彼はまた「ごめん」と呟いた。
薬が纏められている箱を開けて、何種類も小分けにされて整頓されているそこから今必要なものを取り出す。あの日からすべてが狂ってしまった。全部あのクソみたいな通り魔のせいだ。
寝室に戻ると聴こえてくる彼の苦しそうな息遣い。さっきより発作が悪化している。オレが離れたからか。やっぱり寝室にも薬箱を置いておくべきか。水も常備しておかなくては。いや、今はそれよりも。
過呼吸に近いような呼吸を繰り返す彼は、おそらく自力で薬を飲む事は出来ない。ならば方法はひとつ。
「っ、…ん…」
彼の身体を抱き起こした後に、薬と水を口に含んで彼の唇を塞いで口内へ流し込む。飲み込み切れない水が彼の口端から溢れるのも構わずに、そのまま押さえ込むようにして薬を飲み込むまで唇を重ね合わせ続ける。
最初はこの方法も上手くはいかなかった。反射的に吐き出させてしまって過呼吸にさせたりもした。最近は彼も慣れてきたのか、すんなりと飲み込んでくれるようになった。
「ごめん…」
弱々しい声でそう零しながら、彼の体重がオレに寄り掛かる。相変わらず彼の手は脇腹を押さえている。息はまだ浅く荒い。即効性とは言え薬が効くまでは仕方ない。それまではただ彼を抱き締めて、彼の手にオレの手を重ねて。
あの日に戻れるのなら彼を、オレを突き飛ばした彼の腕を引き寄せて守ってやれるのに。あのクソ野郎を返り討ちに出来たのに。何も出来なかった。地面に倒れ込んだ彼を抱き留める事すら。
「大丈夫、だよ……俺は、…生きてる、から」
薬が効いてきたのか幾分か呼吸が落ち着いた彼の手がオレの頬に触れる。まだ酷く冷たい手は、生きているという証には不確か過ぎて。涙で腕の中の彼が滲んでいく。
「ほら、ここ、…ちゃんと、動いてるでしょ?」
彼の手に重ねていた手が彼の胸へと動かされていく。手に伝わるのは彼の鼓動。「だから、大丈夫」と小さく微笑んだ後に、彼の瞼がゆっくりと閉じて身体から力が抜けていく。それからすぐに穏やかな寝息が彼から聴こえ始めた。
「……ッ」
あの日あの時傷を負ったのは彼だけじゃなかった。それを彼は分かっていたんだ。だから「大丈夫」と。
──嗚呼、オレは彼に守られてばかりだ。
深い眠りに落ちた彼の身体を強く抱き締めて、嗚咽を零した。
「お前もしかしてずっとこうしてたの?」
「……」
「大丈夫だよ、俺は何処にも行かないから」
「……当たり前だろ」
「力強い、痛い、ちょっと、ねぇ」
「煩い」
「なんで力強めるの、痛いってば」
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