苛立ちも喉元を過ぎれば

¨

「吐きそう」
「え?」

突然助手席から聴こえてきた声。普段より数段低く、気怠そうなその声に反射的に訊き返して、更に危うく急ブレーキを踏むところだった。車内で唐突に放たれるにしては、なかなか危険な四文字。

「え、どう、一旦止まるか?」
「ん、」

どうやら本気でヤバそうな彼は必要最低限の返答しかしない。彼の突然の体調不良宣言に慌てふためくオレの脳内を必死に宥めながら、視界に入ったコンビニに車を停める。彼の事だ、どうせ限界まで堪えるつもりだったんだろう。と、サイドブレーキを踏んだ後に彼の方に視線をやると、明らかに顔色が悪く、眉間にシワを寄せた彼が居た。
こういう時、看病に関する知識があまり無い自分を恨む。警察官としての救護や蘇生術などの知識はあるが、普通の?……普通の体調不良に関しては疎い。自分で言うのもアレだが、超健康優良児だからだ。
彼にあまり負担を掛けないように、出来るだけ簡潔に、端的に答えられるような質問で 今の彼の状態を聞けるように、と頭の中で言葉を捜す。

「あー……何か買ッてくるか?水は飲めそうか?」
「……水なら飲めそう。多分」

彼は背もたれに深く凭れ掛かると、自分の片腕で目を覆う。答え終えた後に吐かれた息は少し震えているようにも聴こえた。これは相当しんどいのだろう。

「分かッた、ちょっと待ッてろ」

出来るだけ冷静を装ってそう告げて、車内から飛び出す。コンビニの自動ドアが開くのを待つのすら焦れったくて、身体を捩じ込むようにして店内に入る。一直線に飲料類が並ぶ棚に向かい、引っ掴むようにして水を手に取る。
いつからだ?いつから彼は体調が悪かった?朝からか?ちょっと不機嫌そうだったのは確かだ。もっと気にしていれば良かった。この後は?どうする?戻るか?いや、車を動かしたら更に体調悪化したりしねェか?
ぐるぐると頭の中で繰り広げられる自問自答のような思考に集中しながら、会計を済ませて外へ出ようとしたその時だった。

──ガシャン!!

突然目の前の自動ドアのガラスが割れて飛び散った。反射的に顔周りを腕で覆って防ぐ。服に細かいガラス片がパラパラとぶつかって床に落ちていく。
何だってんだ、と視線を上げるとそこに居たのは バットを持った覆面の男。それが2人。おそらく、いや確実に強盗だ。

クソ、ツイてるんだかツイてねェンだか。

深く息を付いて、目の前の男の内のひとりに掴み掛かり床へと引き倒す。男の身体を床に押さえ付けたままに、もうひとりを睨み上げて掴もうと手を伸ばす。が、ソイツはビビったのか後退ったせいで、オレの手は空を切った。そしてそのまま男は店外へと逃げ出していく。

追わねェと。コイツに手錠を掛けてアイツも。

そう思った瞬間、オレ達が乗っていた車の助手席のドアが開いたと同時に飛び出した脚に男が蹴飛ばされた。一瞬の出来事に思わずオレの手が止まった。車内から出て来た彼はやっぱり具合が悪そうだ。

「あの馬鹿……!」

蹴飛ばされた男はすぐに体勢を立て直すと その手に持っていたバットを彼に向ける。ヤバい。今の彼にそんな物に対抗出来る程動ける訳がない。慌ててオレの下に居る男に手錠を掛けようとするが、抵抗されて思うように掛けられない。

クソッ、諦めろよ。往生際悪ィな。

もたもたしている内に聴こえた鈍い音に、ハッとして店外に視線をやると、地面に倒れ込む彼の姿。ひゅ、と喉が鳴って自分の呼吸が止まるような感覚に陥る。地面に蹲っている彼の背中が小さく跳ねた途端に、口を覆うその指の隙間から透明な液体が吐き出されるのが見えた。
彼の目の前に居る男は再びバットを振り上げる。オレが抑えていた男にやっとの事で手錠を掛けたのと、彼にバットが振り落とされたのは ほぼ同時だった。

──間に合わねェ……ッ

駆け出したオレの視界が捉えたのは、振り下ろされたバットを左手で受け止めている彼の姿。

「……てめぇ覚悟出来てんだろうなぁ…?」

彼は口元に小さく笑みを浮かべて、男にドスの効いた声でそう告げた後、立ち上がる反動を利用して掴んでいたバットを自分の方へと引き寄せる。その拍子に前のめりによろけた男の腕を掴み、そのまま背中側へと回して持ち上げると、それはそれは綺麗な、見事な背負い投げを繰り出した。
オレはその光景をアホ面下げてただ見ているしかなかった。アレ、この人さっきまでめっちゃ体調悪そうじゃなかったか。殴られてたよな。しかも吐いてたよな。

「あー……いってぇなクソ、人がグロッキーな時に強盗なんかしてんじゃねぇよ……おら、大人しくしろ」

彼はぶつくさ言いながら男の手に手錠を掛ける。そしてタイミング良く駐車場に入ってきた警察車両2台。彼がいつの間にか応援を呼んでいたらしい。手際の良さやさっきの事など色々と突っ込みたい事はあるが、取り敢えず引き継ぎをする為に、と頭の中を切り替えた。



男達の身柄の引渡しと諸々の引き継ぎを済ませた後に、車内で食べ損ねていた昼飯を取っているワケだが。彼はさっきまで体調が悪かったとは思えない程、もりもりと食べている。

「お前さっきバットで殴られてたよな?怪我は?」
「ん?あぁ、腕で防いだから平気だよ」

ケロッと答える彼。平気なワケあるかよ。

「戻ッたら手当だからな」
「……ん」
「で、吐いてたよな。体調は?大丈夫なのか?」

それだけ食えていたら多分大丈夫なんだろうが、心配なものは心配だ。彼の顔を見詰めながら問うと、ふいと視線を逸らしやがった。

「オイ、」
「もう大丈夫だよ、吐いたらスッキリした」
「……」
「で、気持ち悪さより怒りの方が勝った」
「それであの背負い投げか」
「そ、あれはスカッとしたなぁ」

吐いてスッキリするのは分からなくもない。が、吐いて直ぐにあんなキレッキレの背負い投げ出来るか?オレは今までそんな人間見たことがない。嗚呼、この人は本当に面白い。相棒という関係を結んだ時から思ってはいたが、改めてそう思うと笑えてくる。

「くはッ、お前最高かよ」
「んあ?何を今更」
「いやー……お前とバディ組めてオレは嬉しいよ」
「そりゃどーも」

"ごちそうさん"と言いながら手を合わせた彼。食うの早くね?さっきまでのグロッキーな彼は何処へ行ったのか。

「ていうか、何の考えも無しに飛び掛るなよ」
「仕方無ェだろ、身体が動いちまうンだから」
「今回は偶々相手が雑魚だったから良かったもののだな」
「あーあー聴こえねェ」

始まった彼の小言に、いつもの調子が戻ったのだと少しの嬉しさと、大きな安心を覚えた。




「ほーら言わンこッちゃねェ」
「い゛ってぇ!もっと優しく出来ねぇの!?」
「無理」
「……殴られたよりもお前の手当が痛いって何なの?」



fin.
1/1ページ