行先を照らすは月光

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月明かりに照らされた街並みを、病院の屋上から見下ろす。頬を撫でる風が少し冷たくて、痛みさえ感じる。空を見上げればぷかりと浮かぶ三日月。その周りにはちらほら見える星たち。こんな街でも星は見えるのか、なんて。

今此処から一歩でも脚を踏み出せば、俺はこの世界から自由になれる。あの空へ飛び立って何にも縛られる事無く羽ばたける。そう、たった一歩だけでいい。

「──」

不意にぐいっと腕を引っ張られて背中側から倒れる。けど、痛くは無い。俺の名前が呼ばれた気がしたのは、気の所為じゃなかった。

「何考えてんだ馬鹿!!」

月明かりを背に くっしゃくしゃな、泣きそうな顔で俺を組み倒したまま見下ろす彼を、美しいと思ってしまう俺は狂っているんだろうか。

「何処にも居ねぇから捜し回って……!やっと見付けたと思ったら……っ」

彼の手が俺の頬を撫でる。俺は今どんな表情をしてる?どんな表情をすればいいのだろうか。笑えばいいのだろうか。泣けばいいのだろうか。

「……──」

俺の口から漏れ出たのは、彼の名前でもなんでもなくて。所謂、希死念慮の言葉。絶対に今彼に告げる言葉ではない。だけどそれしかなくて。

「なら一緒にいこうか」

彼のその言葉にひゅ、と喉が鳴った。それは違う。それだけは。貴方は生きていなくちゃだめだ。違う。そんな事を言わせるつもりはなかったのに。消えるのは俺だけで良いのに。

「アンタとなら怖くない」
「っ、違、……」

息の仕方が分からない。いつの間にか出ていた涙で彼の姿が滲んでよく見えない。苦しい。まるで水の中に居るみたいに。どれだけ吸っても酸素を取り込めない。自分の首を絞めるようにして押さえながら、仰向けだった身体を横に向けて小さく脚を折り畳んで、目を強く瞑って苦しみに耐えるしか出来ない。

「──」

彼が何かを言っている。だけどもその言葉の意味も、音も、今の俺には酷く難解で、遠くて。彼の手が俺の背中を頻りに摩っている事くらいしか分からない。

どうして来てしまったんだ。どうして俺を見付けてしまったんだ。全部抱えたまま空へ旅立とうと思っていたのに。全部隠したまま彼岸に渡ろうと思っていたのに。どうして。

どうして、俺は彼と生きたいだなんて。

掠れた声で絞り出す様にして彼の名を呼んだ。呼んでしまった。沈み掛けた意識の中で、霞んだ視界で水面を捜すように彼に手を伸ばしてしまった。駄目だと分かっているのに。彼の頬に、温もりに、涙に触れてしまった。

「俺と、生きよう。ふたりで生きよう」

彼の力強い言葉と同じように、力強く握られた俺の手。嗚呼、なんて温かいのだろう。俺にはやっぱり、勿体無い。

「……戻ろう、此処は風邪引いちまうから」

ねぇ、俺は望んでも良いのかな。貴方との未来を。俺は描いても良いのかな。貴方の隣に居る俺を。


神様、どうか俺にもう少しだけ、時間をください。そして生まれ変わったら、否、生まれ変わってもまた彼に会わせてください。

どうか。




「なんだか初めて会った気がしないんだよね」
「俺もソレ思ってた」
「もしかして前世でも恋人だったのかな」
「だといい、っつか絶対そうだろ
で、来世もそのまた来世も俺とアンタは恋人」
「ふふ、そうだね」


fin.
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