夢想
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一瞬の出来事だった。
彼女の軽い身体は弾かれ宙を舞う。
落下地点にたどり着いた時には彼女の腹は赤く染まり、その視点はもう定まっていなかった。
──息が詰まる。
彼女の腹から流れ出る鮮やかな、それでいて黒い赤は、一体なんだったか。むせ返るような鼻に付く鉄の匂いは、なんと名付けられていたか。思い出せない、視界が歪む、今自分が立っているのか座ってるのかすらもあやふやになり、地面がぐにゃりと捻れ、一瞬浮遊感を感じ──
…気づけば自分は、地に倒れ伏していた。
「バイタルは安定してるよ、まあショックに軽い疲れが重なったってところでしょう。しばらく休んで、それからまた…戦えるかい?」
「もちろんです、ドクター・ロマニ。それよりもエレナの状況は?かなり深い傷だったでしょう。」
「そちらも良好。すぐに霊基を修復したから今はもうピンピンしてるだろうさ。…君は君の心配をしなさい。」
目の前の白衣の青年はコーヒーを口に含むとやれやれと言いたげに目を伏せた。いくら魔術の素人とはいえ、カルデアのサーヴァントシステムについての知識はある。もちろん彼らが人と違う輪廻の下に立つ“モノ”であることは十二分に理解していたが、それとこれとは別だった。失礼します、と声をかけ、部屋を後にしようとする。
「藤丸くん、本当に、無理はしないように。悩み事なら聞くよ、僕に話せることならね。」
優しい人だ、心底そう思う。しかしだからこそ彼に、この疑問を投げかけるわけにはいかなかった。いや、カルデア中駆け回って探しても、この疑問を投げかけるに相応しい人物も、英霊も存在はしない。それくらいちっぽけで、なんの価値もない質問だ。一笑されるか、さもなくば気を疑われるか?どちらも望むところではなかった。
目覚めてから自分の頭をかき回す疑問、それは彼女の──エレナ・ブラヴァツキーの肉体に関わるものだった。あの日、彼女の腹から流れ出る鮮血を見た時から。正確にはその赤を血と認識したときから。それが疑問でならなかった。
だから、つまり…、彼女のはらわたに何が詰まっているのか。
元来、英霊の身は魔力によって作られたものだ。人間のそれに形こそ似ていれど、中身はない殻。もしくは人形。負傷してもそれは直接的な問題ではなく、その修復に当てられる魔力の方が彼らにとっては死活問題なのだと思う。しかしこの辺は割愛。なぜならばサーヴァントの構造などという高次の魔術なんて、自分の領域外の話だからだ。付け焼き刃の知識を語ったところでなんの役にも立たないのは自分が一番よくわかっていた。例えあの時流れ出た血がただのエーテルであると説明されたところで、自分は納得できやしないだろう。
とりあえず彼女に会わねばならない。それは疑問を解決するためではなく、自分の采配ミスで傷を負うことになった彼女へ謝罪するためだ。少なくとも彼女に会うまではそう思っていなければならない。せめてもの罪滅ぼしに。
「エレナ、調子は大丈夫?」
「あら、マスター。こっちに戻ったからもう平気よ。ダウィンチや他のスタッフたちが色々手を尽くしてくれたし、出る前より元気なくらい。あなたこそ平気なの?倒れたって聞いたけど、」
本の隙間から彼女が姿を現わす。ほんの数時間前に腹を裂かれ霊基を保つことすら危うかった少女は、いつものようにそこにいた。まるでそうであるのが当たり前のように。
「ちょっとした疲労だろうって、ドクターが。しばらくここに居ても?」
「もちろん、気が済むまで居たらいいわ。お茶でも淹れましょうか。茶菓子はないのだけれど。」
本をどかして人ひとり分のスペースを確保する。彼女がどこかへ引っ込んで数分後、まるで魔法のように暖かな湯気を漂わせるティーカップとともに姿を現した。熱いわよ、と言って手渡たされたカップが、じんとした熱を手に伝える。自分の目の前に座った彼女はその香りを楽しんでいるが、紅茶はよくわからないのですぐに口をつける。別段彼女もそれを咎めることはなかった。
「それで、何かあったのかしら?」
「…さすが。よくわかったね。」
「だってあなた、迷い子みたいな顔してるわ。もしくは答えを探して彷徨う探求者?」
自分の、誰にも聞けない疑問を見透かされたようで思わず言葉に詰まる。その様子を見て彼女は年不相応なほど大人びた風に微笑むと、「何でも聞くといいわ、マハトマはきっとあなたに答えをくれる」と言って再び、次は少女のように悪戯っぽくはにかんだ。
許されたのだと思った。好奇心は猫を殺す。行き過ぎた欲は身を滅ぼす。しかし、この時だけは。
青年と私は他のサーヴァントと違い、いわゆる主従以上の関係だった。特にどちらから明言したわけでもなく、ただ成り行き上そうなった曖昧なものではあったが、関係は良好だった。非常時に与えられた僅かながらも、やわらかな春の日差しのような日々は確かに私たちの間で深い意味を持って横たわっていた。
マスターと呼ぶ青年…まだ少年ともいえるこどもの頬を撫でる。その柔らかな、しかし厳しい世界を生き抜いて来た顔を、とても好ましく思った。
「生きてる音がする、俺たち、人間と同じ」
私の腹に耳をぴったりと寄せていたマスターが突然呟く。その表情は本当に、とろけるように嬉しそうで───その顔を見ると、私は何も言えなくなってしまうのだ。しかしそれは何だか負けた気がするので、お返しにマスターの鼻へキスをする。ああ、まるで勘違いしてしまいそうだ。例えば自分がただの力ない少女で、彼は私を慕う後輩。もしくは教師と優秀な生徒。叶わない仮定に想いを巡らす。そしてこの場、この形でしか出会う術のない自分たちを呪う。
「いつか全てが終わったら、そのときまた話をしましょう。きっと私たち、良いパートナーになれるわ。」
それでも彼が信じてくれるなら、私もまた奇跡を信じてみようと思う。いつかのその日、この身が彼と同じ血肉で構成されること。そして私と彼が隣に並んで笑い合える日。そこには必ずやわらかな光が射し込んでくるはずだ。
彼女の軽い身体は弾かれ宙を舞う。
落下地点にたどり着いた時には彼女の腹は赤く染まり、その視点はもう定まっていなかった。
──息が詰まる。
彼女の腹から流れ出る鮮やかな、それでいて黒い赤は、一体なんだったか。むせ返るような鼻に付く鉄の匂いは、なんと名付けられていたか。思い出せない、視界が歪む、今自分が立っているのか座ってるのかすらもあやふやになり、地面がぐにゃりと捻れ、一瞬浮遊感を感じ──
…気づけば自分は、地に倒れ伏していた。
「バイタルは安定してるよ、まあショックに軽い疲れが重なったってところでしょう。しばらく休んで、それからまた…戦えるかい?」
「もちろんです、ドクター・ロマニ。それよりもエレナの状況は?かなり深い傷だったでしょう。」
「そちらも良好。すぐに霊基を修復したから今はもうピンピンしてるだろうさ。…君は君の心配をしなさい。」
目の前の白衣の青年はコーヒーを口に含むとやれやれと言いたげに目を伏せた。いくら魔術の素人とはいえ、カルデアのサーヴァントシステムについての知識はある。もちろん彼らが人と違う輪廻の下に立つ“モノ”であることは十二分に理解していたが、それとこれとは別だった。失礼します、と声をかけ、部屋を後にしようとする。
「藤丸くん、本当に、無理はしないように。悩み事なら聞くよ、僕に話せることならね。」
優しい人だ、心底そう思う。しかしだからこそ彼に、この疑問を投げかけるわけにはいかなかった。いや、カルデア中駆け回って探しても、この疑問を投げかけるに相応しい人物も、英霊も存在はしない。それくらいちっぽけで、なんの価値もない質問だ。一笑されるか、さもなくば気を疑われるか?どちらも望むところではなかった。
目覚めてから自分の頭をかき回す疑問、それは彼女の──エレナ・ブラヴァツキーの肉体に関わるものだった。あの日、彼女の腹から流れ出る鮮血を見た時から。正確にはその赤を血と認識したときから。それが疑問でならなかった。
だから、つまり…、彼女のはらわたに何が詰まっているのか。
元来、英霊の身は魔力によって作られたものだ。人間のそれに形こそ似ていれど、中身はない殻。もしくは人形。負傷してもそれは直接的な問題ではなく、その修復に当てられる魔力の方が彼らにとっては死活問題なのだと思う。しかしこの辺は割愛。なぜならばサーヴァントの構造などという高次の魔術なんて、自分の領域外の話だからだ。付け焼き刃の知識を語ったところでなんの役にも立たないのは自分が一番よくわかっていた。例えあの時流れ出た血がただのエーテルであると説明されたところで、自分は納得できやしないだろう。
とりあえず彼女に会わねばならない。それは疑問を解決するためではなく、自分の采配ミスで傷を負うことになった彼女へ謝罪するためだ。少なくとも彼女に会うまではそう思っていなければならない。せめてもの罪滅ぼしに。
「エレナ、調子は大丈夫?」
「あら、マスター。こっちに戻ったからもう平気よ。ダウィンチや他のスタッフたちが色々手を尽くしてくれたし、出る前より元気なくらい。あなたこそ平気なの?倒れたって聞いたけど、」
本の隙間から彼女が姿を現わす。ほんの数時間前に腹を裂かれ霊基を保つことすら危うかった少女は、いつものようにそこにいた。まるでそうであるのが当たり前のように。
「ちょっとした疲労だろうって、ドクターが。しばらくここに居ても?」
「もちろん、気が済むまで居たらいいわ。お茶でも淹れましょうか。茶菓子はないのだけれど。」
本をどかして人ひとり分のスペースを確保する。彼女がどこかへ引っ込んで数分後、まるで魔法のように暖かな湯気を漂わせるティーカップとともに姿を現した。熱いわよ、と言って手渡たされたカップが、じんとした熱を手に伝える。自分の目の前に座った彼女はその香りを楽しんでいるが、紅茶はよくわからないのですぐに口をつける。別段彼女もそれを咎めることはなかった。
「それで、何かあったのかしら?」
「…さすが。よくわかったね。」
「だってあなた、迷い子みたいな顔してるわ。もしくは答えを探して彷徨う探求者?」
自分の、誰にも聞けない疑問を見透かされたようで思わず言葉に詰まる。その様子を見て彼女は年不相応なほど大人びた風に微笑むと、「何でも聞くといいわ、マハトマはきっとあなたに答えをくれる」と言って再び、次は少女のように悪戯っぽくはにかんだ。
許されたのだと思った。好奇心は猫を殺す。行き過ぎた欲は身を滅ぼす。しかし、この時だけは。
青年と私は他のサーヴァントと違い、いわゆる主従以上の関係だった。特にどちらから明言したわけでもなく、ただ成り行き上そうなった曖昧なものではあったが、関係は良好だった。非常時に与えられた僅かながらも、やわらかな春の日差しのような日々は確かに私たちの間で深い意味を持って横たわっていた。
マスターと呼ぶ青年…まだ少年ともいえるこどもの頬を撫でる。その柔らかな、しかし厳しい世界を生き抜いて来た顔を、とても好ましく思った。
「生きてる音がする、俺たち、人間と同じ」
私の腹に耳をぴったりと寄せていたマスターが突然呟く。その表情は本当に、とろけるように嬉しそうで───その顔を見ると、私は何も言えなくなってしまうのだ。しかしそれは何だか負けた気がするので、お返しにマスターの鼻へキスをする。ああ、まるで勘違いしてしまいそうだ。例えば自分がただの力ない少女で、彼は私を慕う後輩。もしくは教師と優秀な生徒。叶わない仮定に想いを巡らす。そしてこの場、この形でしか出会う術のない自分たちを呪う。
「いつか全てが終わったら、そのときまた話をしましょう。きっと私たち、良いパートナーになれるわ。」
それでも彼が信じてくれるなら、私もまた奇跡を信じてみようと思う。いつかのその日、この身が彼と同じ血肉で構成されること。そして私と彼が隣に並んで笑い合える日。そこには必ずやわらかな光が射し込んでくるはずだ。
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